第34話
痛い。手首がとれそう。肩も首も痛い。
まぶしい。目を閉じているのに、瞼を通して強い明りを感じる。むしろ温かさを感じる。ゆっくり薄く目をあける。目が慣れてくる。明るいのは、わたしに向けて照明がたかれているせいだ。周囲は暗くて、自分がどこにいるのかわからない。
顔をあげる。手首を両端から引っ張られるようにして吊られていることが確認できた。手首は革製のベルトで巻かれ、鎖で金属のパイプでできたフレーム状のものにつながっている。足も同じように拘束されて、閉じることもできない。足は宙に浮いている。手首に全体重が乗っているから手首が取れそうに痛いのだ。それに、肩で腕がもげそう。体重が重いわけではない。
わたしは全裸にされている。二台の照明に照らされ、闇に浮かぶ白い裸体。わたしは自分のプロポーションを自慢に思っている。映画だったら、いい画が撮れているにちがいない。
男があらわれた。ずっとそばにいたのだろう。手にはなにももっていない。
こちらに近づいてくる。背後から照明があたって濃いシルエットが浮かぶ。誰だ?うつむき加減だけれど、顔はなんとなくわかる。
もちろん、バーにいた男だ。
本当に桜井さんの行った先に案内してくれたわけだ。わたしはこれを案内といわないけれど。
桜井さんを拉致したのもこの男だ。それは間違いない。殺したのもこの男かどうかは、まだわからない。でも、桜井さんはこんな風に拉致されて、ここで殺されたのかもしれない。
油断したことになるのだろうか。桜井さんのとき、男は酒を飲まずに、店にあらわれてすぐ出ていった。今回はビールを飲んでいて、あとで会ってもいいと言った。そうか、あとで待ち合わせとあの店を結びつけていたのだ、それで今すぐなら大丈夫という判断になった。巧妙にどちらかを選ぶように仕向けられていた。どちらにしろ、この男に拉致されることになっていたのだろう。
すっと手を口にもっていったかと思うと、こちらに差し出した。股間に固い感触が。
暗闇に花火。
爆発音。
花火が降りそそいでくる。
また爆発音。
花火を突き刺す、
神社の、黒い大木。
土の湿った感触。
黒い男がのしかかってきて
身動きが取れない。
爆発音はつづく。
手が体中をなでまわし、
舌が、
汚い
嫌だ
怖い
やめて
お願い
やめて
たすけて
ダメだ。
ちがう。
ここはちがう。
神社じゃない。
これはフラッシュバックというやつだ。
もう克服したと思ったのに。
全身に力をいれて全力で耐える。
花火の音が遠のいてゆく。
大丈夫。
「どうした。怖いのかい?」
首のない全裸の女。
下腹を裂かれ、
内臓があふれている。
クーラーボックス。
フタが開いて、
女の頭
白く凍っている。
その顔は、
わたしだ
苦しい。
息が。
呼吸しているのに、酸素が体にはいってこない。
美結ちゃん。
そうだ。
美結ちゃんに会うんだ。
生きて、美結ちゃんに会うんだ。
もう中学生じゃない。
レイプされることは、命が助かることにくらべたらなんてことはない。
生きて、ここを出ることが一番だ。
呼吸に神経を集中する。
落ち着いて、
ゆっくり。
もう大丈夫。
「あの」
声がかすれてしまって、言葉にならなかった。呼吸を整え、もう一度だ。
「あの」
「なんだい。もっと激しく?」
「手首が取れそうに痛いの」
「はあ?」
「腕がもげそうに肩も痛いし。鎖でつながったままでいいから、おろしてもらえないかな」
「ダメだね」
「だって、ほら。この状態じゃ、あなただって楽しくないでしょ?腕をあげてるのも疲れるんじゃない?」
「黙ってくれないか」
黙っちゃダメだ。とにかく話すんだ。話をつづけるんだ。つばを飲み込む。張りついた喉が動いただけだった。
「じゃあ、水を飲ませてほしい。喉がかわいてしかたないの」
「ガマンしてくれよ」
「だって、わたしに薬を飲ませたんでしょ?眠らせるために。クスリの副作用だと思う。それか、アルコール。すっごい喉がかわいて、普通じゃないんだもん」
しめた。なにか考えている。顔がにやっとした。いいことを思いついたらしい。きっと嫌なことだけれど歓迎しなければならない。
男が指を抜いた。ぐうぅ。足を閉じたいけれど、下半身も動かせない。
男は暗闇に消える。
つぎに備えて考えなければ。まずは話をして、わたしのためになにかさせるんだ。そうやってすこしづつ関係をつくって殺しにくい気分をつくる。水のあとはなにがいいだろう。
男が脚立を担いできた。一番上のステップは、わたしの頭の上まである。
こんどはペットボトルを手にもどってきた。脚立をあがる。わたしと同じ高さ。
「おい。ありがたく思ってほしいね。ぼくが水を飲ませてやるよ」
「ありがとう。お水が飲みたい」
「じゃあ、上向いて口開けるんだ」
うれしすぎて涙がでるというものだ。言われたとおりにする。男がさらに脚立をあがってわたしを吊っている金属の枠に手を置き、顔の上から水をちょろちょろと吐きかけてくる。男の喉をつたったり、わたしの顔にかかったりして、水はほとんど口にはいらない。
「もっと。もっと飲ませて。ほとんど飲めなかったの」
「まったく、わがままだな、きみは」
嫌そうではない。よし、わたしにしては上出来だ。もっとだ。もっと会話をして関係をつくるんだ。
「もっと口を近づけて。水が飲めるようにして。ううん、口移しで飲ませて。噛みついたりしないから」
「おいおい、キスをおねだりかい?」
「キスじゃない。口移し」
「同じことだよ。本当に噛みつくんじゃないだろうね。もしなんか変な動きしたら、そのキレイな腹裂いて内臓ぶちまけるからね」
「しない。水がほしいだけ」
男がゆっくり顔を近づけてくる。手足を拘束された状態でできることはなにもない。口をつけ、吸いつく。水を吸いとって飲みくだす。もっとだ。もっと。水が終わったところで、男の口に舌をいれる。
「おいっ、どういうことだい」
口を離されてしまった。手で口をぬぐっている。こんなことで情がうつってくれるといいのだけれど。
「水。もう終わりなの?もっと水がほしい」
今度は水を吸うだけ。ヘンに勘繰られたくはない。水は十分だ。
男は脚立をおりて、すぐ横にずらした。
「顔も体も水がたれてて気持ち悪いんだけど。タオルで拭いてもらえないかな」
「なんでぼくが。そんなのガマンしろよ」
「だって服着てないんだよ?水滴が体をつたって、でも体動かせなくて気持ち悪い」
「すぐ乾くさ」
「タオルないの?」
「タオルがないから言ってるんじゃない。余計なこといわないで大人しくしててくれ」
「あれ?ボスに怒られちゃう?ボスが怖いの?」
どうなんだろう。ほかに共犯者はいるのだろうか。
「ふん、そんなものはいないよ」
「そうなんだ。じゃあ、誰にも文句言われないんだから、ね?顔と体、拭いてよ」
これは単独犯ということだろうか、それとも上下関係がないということだろうか。どちらともいえるか。
遠くにサイレンの音が聞こえる。まずい。犯人を刺激してしまう。こっちへくるな。
男も気づいてしまった。壁を通して緊急車両が見えるとでもいうように頭を向ける。すぐに聞こえなくなった。よかった。男が消える。ドアが開いて閉まる音。音の感じからすると、ここはかなり大きい空間らしい。
お目付け役くんはどうしているだろう。桜井さんの事件を捜査して靴底をすり減らしてしているだろうか。わたしが監禁されていることに、気づくわけないよね。もし、わたしが拉致されたことに気づいたらどうするだろう。自分自身でどこにいるのかわからないのだ、お目付け役くんにここを探せるなんてことは期待できない。いや、誰にも期待できない。
ちがうか。この男は桜井さんの事件の犯人か、そのメンバーだ。桜井さんの事件を解決できれば、犯人を指摘することができ、居場所の見当もつくのかもしれない。わたしが事件を解決できれば、目の前の男が誰なのか、ここがどこなのかわかるかもしれない。
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