第40話

「イさんの事件の密室はまだわからないんだ」

「わたしわかった」

「愛音ちゃん、すごい」

「すごくないんだよ。だって、聞いたら、なんだーってなるくらい簡単な話なんだから」

「そうなの?教えて」

「並探偵美結ちゃんのあとに、ヘッポコ探偵愛音が話すのはちょっと気が引けるんだけど」

「そんなことないよ。イさん事件を解決できれば、愛音ちゃんも並探偵に格上げだよ」

「イさんはね、実験室の台の上で自分で胸を刺したの。ナイフを抜いて床に落として、六時前の掌紋認証をして、四階の護堂さんのコンピューターが動いてる研究室に行って、話しているうちに力尽きた」

 美結ちゃんは上を向いて目を閉じている。うんうんと小さくうなづく。

「すごい、名探偵だ。スッキリ、スッパリ、スッポンポンだ」

「スッポンポンはもう懲りた」

「冗談さ」

「わかってる」

「つまり、イさんも自殺だ」

「そうだね」

「警備員関係なかったか。あの、イさんが床に寝てるところを刺したっていう推理、われながらいいと思ったんだけどね」

「たしかにね」

 自殺とわかってしまえば、証拠を探す必要もない。殺人とちがって、裁判が行われるわけではない。

「血を流す覚悟でナイフを抜いたんだ」

「それが目的で刺したんだからね」

「場所を移動するために心臓をはずしたってことだね」

「うん、やっぱりイさんも脳のスキャンをやってほしかったんだよ、きっと」

「ああ、だから凶器を密室にいれて殺人に見せかけようとしたのか」

「そうだと思う。さっき美結ちゃんが自殺の人は脳スキャンできないっていったから、いまの推理がヒラメいたんだけどね」

「でも、首を切らなかった」

「そこの選択はわたしにはわからないけど、首を切って殺人に見せかける方法がなかったんじゃないかな」

「そうだね。護堂さんの場合は、イさんがいたからできたんだよね」

「うん。問題は死ぬタイミングだったんじゃないかな」

「脳スキャンを考えれば、できるだけ生きていた方がいいけど、病院に運ばれたり、解剖にまわされたりしたらダメだもんね」

「そう、キッチリ死にたいけど、できるだけ生きつづけたほうがいいっていうね」

「結局、六時に行動を起こしたわけだ」

「そう。六時に生きているところを警備員に見せる。まだ刺されていないと思うよね」

「うん、思ったよ」

「で、つぎ八時に巡回にきた警備員に発見される」

「キッチリ死んでる予定なんだね」

「そう。で、あとは護堂さんと同じタイムスケジュールになる。脳スキャンまでに脳の神経細胞がもつかどうか、ほとんど賭けだね」

「体が密室なんてことはないから、警察が早く遺体を引き渡してくれるって思ったのかな」

「どうなの?」

「うーん、酸素が届かなくなると、普通は神経細胞どんどん死んでいっちゃうんだよね。軸索や樹状突起もオートファジーってやつで失われちゃう。護堂さんみたいに生きてる状態で首チョンパ、すぐに冷やすか、一番いいのは生きてるうちに保護材を血液にいれちゃって、死んだらすぐ脳を取り出すってやり方だよ。イさんの場合、脳のスキャンは無理だね」

 ということは、本当の自殺だ。医学と脳科学の知識があるのだから、脳のスキャンが無理だということはわかっていただろう。そうすると、なぜ殺人に見せかけることにしたのか。

 そういうつもりじゃ、なかったのか。

「じゃあ、イさん助かってよかったね」

「うん、そう思うよ」


「やっと桜井さんの事件だよ」

「うん。愛音ちゃん大丈夫?疲れたんじゃない?」

「大丈夫だよ。病気じゃないんだから」

「ならいいんだけど」

「えっと、桜井さんの事件はなんだっけ、護堂さんの事件と関係があるとか言ってたよね」

「そうだよ。護堂さん人体実験のまえに動物実験をしてたんだ」

「なるほど。うん、いわれてみれば、そうだよねって感じだ」

 動物実験で済めば人体実験しなくてよい。

「犬のね、首を切って露出した神経を刺激して筋肉が動くことを確認してたんだよ。だから、イさんが実験室に閉じ込められちゃうっていう心配は、ほとんどなかった」

「でも、犬でもデバイスの実験したんでしょ?ノイズの問題解決できてもよさそうだと思うんだけど」

「うーん。そこのところはわたしにもわからないな。犬で実験に失敗したとか。直接刺激だけうまくできたとか。ごめん、やっぱりわからない」

「そっか。実際に実験したり開発したりした人じゃないとわからないんだね」

「うん、専門がずれてるし」

 なんでも他人のことがわかるわけでもない。

「で、その犬を調達したのが、近藤っていう愛音ちゃんを襲った男だったんだ。そう、ここが大事」

 あの男は近藤っていう名前だったのか。いまさらどうでもいいけど。

「研究所のリフレッシュルームにカーペット敷いて大きなクッションが置いてあるスペースあるでしょ?護堂さんとイさんは、よくあそこに並んで寝っ転がって研究の話をしてたみたい」

 まわりからみたらサボっているようにしか見えないと思うけど。

「横になってリラックスしてるとアイデアが出やすいんだよ。わたしも共同研究でこっちにいたときは寝っ転がってた。わたしには意味ないけど」

 たしかに美結ちゃんの体はそういうの関係なさそう。

「リフレッシュルームで動物実験の話をしているときに近藤の耳にはいったということらしい。近藤はアイスの自販機を管理したり商品補充したりする仕事をしてたからね」

 え?ということは、あの護堂さんの事件の日、アイスの自販機で商品補充していたあの男が近藤だったの?そういえば帰るとき桜井さんに会釈していた。会社のツナギ着て帽子かぶってたからわからなかったのか。やっぱり桜井さんは研究所に関わりのある知り合いに殺されていた。久しぶりに再会した中高の知り合いではなかった。しかも、わたしも会っていたとは。

「そうなんだよね、近藤と桜井さんは研究所で出入りの業者と警備員という関係だったんだ。それはまだ問題にならないんだけど。

 近藤は犬を用意しようかと護堂さんたちに持ちかけた。

 動物実験となると、審査があったり、予算の申請をしたりで大変なんだよ。これは人間の死体を使いたいと言っても同じ。むしろ、動物実験より大変。その辺で売ってたりしないからね。たった一回実験するために手間をかけるのは効率悪いでしょ?護堂さんたちはこっそり動物実験やっちゃおうとして、ペットショップから買ってこようか、どうやって研究室にもちこもうかなんて話してたところだった。

 近藤はこう言ったの。保健所で殺処分を待っている動物をもらってくればいい。持ち込むのを手伝ってもいいってね。それで、申し出にのっちゃったということらしい」

 必要なことはしっかり正規の手続きを踏んでやってもらいたいものだ。

「近藤のアパートの近所で飼い犬が消えたという家が見つかったんすよ。犬がキャンキャンうるさいと、近藤らしき男に苦情をいわれたことがあったんす。その家のおばちゃんが話してくれたっす」

 うん、こういうところは刑事課がちゃんとやってくれる。

「うるさい近所の犬がいなくなって、いくらかのカネにもなるってことで、近藤にしてみれば一石二鳥だったってことだね。犬を研究所に持ち込むのに、麻酔かけてアイスの段ボールに詰めたんだと思う。ここで桜井さんが関わってくるんだね」

「どういうこと?桜井さんもグル?」

「逆だね。きっと、いつもより段ボールが多いとか、いびつな形の段ボールがあるとか、尻尾がちょっとはみ出してたとか、段ボールにオシッコ浸みてたとか、なにか異変に気づいたんだと思う。これは確認できないけどね」

 業者は出入りのたびに受付を兼ねた警備員室に行かないといけない。桜井さんが異変に気づくのも自然か。そのための警備員ではあるのだろうけれど。

「でも、そのときはそのまま通しちゃったんだね。それですこしあとになって、護堂さんの事件が起きる。あのとき段ボールがヘンだったけど、もしかして関係あるのかななんて、気になっちゃうよね。それで本人に確かめたんだ」

 どんなことでも警察に話してくれればと、思わずにはいられない。

「警備員から情報提供があったんす。桜井さんの事件発覚の二日前らしっすけど、玄関の外にとめたアイス屋のトラックのところで近藤らしき男と桜井さんが話してたって。何の気なしに見たからすぐには思い出さなかったらしっす」

「きっと、こんなこと言ったんじゃないかな。ここでは話せないからバーにきてくれ、ちゃんと説明するって。迷惑のかかるようなことはしていないとか、自分は潔白だとかいっただろうね。護堂さんの事件に関わってなかったんだから本当のことだけど。桜井さんも、怪しいと思ったらそりゃひとりで行かないだろうし、警察に話すよね。それで、近藤と例のバーで待ち合わせの約束をしたんだね」

 やっぱりはじめての待ち合わせだった。

「桜井さんは待ち合わせ場所に出かけた。カクテルを注文して、近藤を待っていた。近藤があらわれて場所をかえるという。桜井さんはのこっていたカクテルを流し込んで店をでる。カクテルには睡眠薬が混ぜてあった。店を出てすぐ意識を失った。用意していた車に乗せられて連れ去られた。いや、タイミングはわからないか。車に乗ってからかも」

「たぶん店を出てすぐ。わたしそうだったから」

「じゃ、そういうことで」

「カクテルにはどうやってクスリをいれたの?」

「カクテルは店員がバーテンダーを兼ねていてつくったんだ。店員がいれたんだね。共犯者だよ。犬に使った麻酔も店員が用意した」

 そういうことか。近藤が桜井さん事件の被疑者として浮かばなかったのは、聞き込みした相手が仲間だったからだ。

「愛音ちゃん、近藤が店にはいってきたのに気づかなかったでしょ。あの店ドアに鐘ついてるのに。ドアからはいってきたんじゃないんだね。店の奥に小部屋があって、違法薬物をつかわせたり売ったりしていた。その部屋から出てきたんだよ」

「店長も店員も逮捕したっす」

 近藤がどこからきたかなんて気にもしなかった。

「あと、自宅はどうして知ってたの?」

「近藤が研究所の前で待ち合わせの約束したあと店員に連絡をとったんだよ。桜井さんが帰宅するときに尾行して自宅をつきとめるように。失敗したときのために待ち合わせを翌日にしたんだね。二回尾行すれば自宅をつきとめられるだろうって」

 近藤はたしかに慎重だった。こんなところにもあらわれている。

「それで?」

「バーの仕事が終わったあと店員が合流して、ふたりがかりでレイプ、殺害、護堂さんの事件に似せる工作」

「レイプと殺しは、自宅でしたの?」

「どうだろうね、意識がないときなら自宅でもいいかもしれないけど、美結ちゃんが監禁されたところを使ったんじゃないかな。殺したあと自宅へ運んだ。その方が証拠になりそうなものが残らないと思う。本人が警察の取り調べで話すんじゃないかな」

「犬の件から麻酔薬、クスリとバレることを怖れて桜井さんを殺害したの?」

「動機ってこと?さあ、そんなの本人たちだってわかってないんじゃない?桜井さんが警察になにか話せば近藤は捜査対象になったかもしれないし、事件と関わりが薄いと言っても探られたくないことがあったわけだし、桜井さんは美人でひとり暮らし、ひとりでノコノコ知らない店にやってきちゃうし、護堂さんの事件が起きたばかりで捜査が混乱するかもしれないし、いろいろ要因はあったんじゃない?」

「うん、いろいろ考えられるか」

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