第17話

 廊下を足音が近づいてくると思ったら、ビリっと規制線をはがして、ドアをはいってきた。足音からすると、廊下の床下には空間がないらしい。研究室にはいってきたのは捜査員ふたりだ。なんの用だろう。

「ああ、お仕事中すみませんイさん。と、副署長、こんなところでなにを?」

「署長からの特命を受けてね、名探偵」

「密室ですね」

 気さくな感じの捜査員が爽やかな笑顔をふりまいてきた。捜査員がみんなこんなだったらいいのに。お目付け役くんを交換してほしい。

「イさんがどうしたの?」

「ああ、そうでした。イさん、護堂さんの最近の様子をお聞きしたくて」

 キーボードをカチャカチャやっていたイさんがイスをくるっと回転させて捜査員たちに向き合う。無表情で首をかしげる。

「普通だったと思いますけど」

 捜査員たちは勝手にデスクのイスを引きだしてきて腰を落ち着ける。

「仕事がうまくいってなかったとか」

「はい。まあ、それで泊りがけとかしてたですけど。亡くなる前にやってた実験でうまくいきそうなところまできてました」

「そうなんですか。うまくいきそうだった」

「はい。残念です」

 なるほど。なぜ護堂さんが自殺したか不明なのか。遺書らしきものもなかった。

「あともう少しで修正が終わって、テストして納品まで予定通りにできそうです」

 家族とはうまくいっていたということだろう。仕事に目を向けることになったということは。いや、わたしが詮索すべき部分ではなかった。

「あの、イさん、ごめんなさい。わたし、この実験室を調べたいのだけれど、掌紋認証というのやってください」

「はい」

 イスを立ってきてくれる。

「あ、ちょっと待ってください」

 手のひらを認証用パネルにかざす。うん、無反応。

「認証がされると、ドアが開くんでしょう?」

「そうです。開いたあと自動で閉まってロックもされます」

 美結ちゃん、お目付け役くん、捜査員にもパネルに手をかざしてもらった。お目付け役くんは認証に失敗して、残念そうにおしいと言った。認証におしいもなにもないと思うのだけれど。全員が認証に失敗してドアは開かなかった。

「じゃあ、イさん。お願いします」

 イさんが手のひらをパネルにかざす。ピッと機械音がして、うえを見る。音は見えないけれど、つい見てしまう。どこから音がしたかわからなかった。ドアは開いた。パネルの下のボタンを押して開きっぱなしにしてくれる。

「どうぞ」

「やっぱりすごいね。わかるんだ」

「当り前っすよ、機械は賢いんす」

 きみに言われたくない。

「一千万人にひとり間違って認証が通っちゃうくらいって言ってました」

「そうなんですね。ここの建物の人百人としても確率すっごい低いんだ」

 どのくらいの確率かわからないけれど。ただ百倍するだけ?まあ、いいや。

「ありがとう。話にもどってください」

 もと密室だった実験室に乗り込む。

 外側のパネルがあった裏側の壁に同じ掌紋認証パネルが設置されている。だからドアの装置全体は実験室の角からけっこう離れた場所にある。内側から認証する場合に手をかざすのに窮屈にならないようにという配慮だ。

 パネルの下のボタンを押してみる。ドアが閉まった。一旦ドアから離れ、近づく。なにも起こらない。もう一度ボタンを押す。手のひらをかざす。やっぱりなにも起こらない。ドアを押したり、スライドさせようとしたりしてもビクともしない。

「なにやってんすか。ドア閉まっちゃったじゃないすか」

「いや、本当に認証しないと中からドア開かないかなと思って」

「そうじゃなかったら、中側に認証用のパネルつけないっすよ」

「そうだよね」

 美結ちゃんは親指を立てて、わたしにグッジョブとテレパシーを送ってくれる。

 研究スペース側のガラスをコンコンと叩いて、イさんにレスキューを依頼する。すぐにドアを開けてくれて、また延長のボタンを押す。

「イさん、すみません。ありがとうございます。手のひらの登録って、右手とか決まってるんですか?」

「両手登録しました。荷物もってるときとか、どちらでも開けられる方が便利なので」

 イさんは両手のひらをこちらに突き出している。つい手相を見るように手のひらに注目してしまう。いや、関係ないけれど。

「そうだ。中はいってください」

 イさんを実験室に引き込んでボタンを押し、ドアを閉める。さらに実験台の近くまで連れてゆき、手のひらをパネルに向けてもらう。

 うん、反応なし。

 ありがとうと言ってドアを開けてもらい、ボタンを押して閉まらないようにする。もうドアを閉めない。イさんは解放する。

 あらためて実験室の調査開始だ。

 実験室の床は、硬いビニールみたいな表面。こういうのをリノリウムというんだっけ?ともかく、研究室側のカーペットに対して、実験室はツルツルの床材だ。こっちは床の下に空間がないみたい。カカトで叩いてみても中が詰まった音がする。もとから床の下をとおってアクセスはできない作りだった。

 天井に、天井裏に行くためのハッチは見当たらない。それに、台になるものと言ったら、護堂さんの体が寝ていた実験台しかない。

「緒沢くん、ちょっとここに乗って」

「えっ、そこに乗るんすか?」

「うん、靴脱げばいいでしょ」

「はいたままでも?」

「まあ、あとで拭けば」

「あとで拭くっす」

 こわごわ、台に手をついて足をかけ、上に立ち上がる。

「どう?」

「どうって、眺めっすか?副署長と同じ目線でいたいっす」

「そうじゃないでしょ。手を伸ばして、天井につく?」

「よっ。スーツじゃ腕上げづらいっすね。届きそうにないっす。ここ天井高いっすよ」

「なにか気づいたことはない?」

「わかったっす!」

「なに?」

「死体に肩車すれば手が届くかもしれないっす」

「肩車って。死後硬直で直立させられたとしても、肩に乗っかってバランスとるなんてできるわけない。サーカスじゃないんだから」

「そっすか。そっすよね」

 美結ちゃんが笑っている。いいよ、その発想といってお目付け役くんをなぐさめる。そっすか?ちょっと簡単には思いつかないアイデアだと思ったっす、と効果テキメンだ。腕をあげて乱れてしまったシャツをスーツに押し込んでいる。

 天井に手が届いたとしても、その先に脱出ルートがない。天井はダメだ。

「じゃ、つぎは寝そべって」

「げっ」

「なに?」

「死体の役っすか?」

「うん、そうだよ」

「このあたり血がべっとりだったっすよね」

 お目付け役くんの嫌そうな顔ったらない。感情を表情に出し過ぎだ。

「もう拭いてあるからいいじゃない」

「いやー、でも不気味っすよ」

「じゃあ、別の人に頼むからいい」

「ちょ、ちょーっと待って。やるっす。やるっすよ。寝ればいいんすよね?」

 お目付け役くんをうつ伏せに寝かせる。左手を敷いて顔が台につかないようにしている。ドア側の右腕を引っぱる。ドアに、届くわけないか。一メートル以上足りない。護堂さんの腕も、そおんなに長くなかった。ダメか。お目付け役くんが台から落ちそうになって、もう一方の手と足でしがみついている。首を反らして顔を台につけないようにガンバってもいる。引っぱり過ぎてしまった。護堂さんの体はお行儀よくうつぶせ寝していた。

「愛音ちゃん、試さなくてもわかったんじゃない?」

「まあね」

 実験台が接している壁、研究スペース側のあたりも床下に隙間はない。床下と天井を通ることはできないことを確認した。

 実験室のドアをはいって実験台の奥、研究スペース側によせてロボットアームが床から生えている。わたしの身長くらいの高さに関節があって、さらにその先にもうひとつ関節があり、先端はものをつまめるようになっている。研究スペースから操作するらしい。

 あとは、引き出し。実験室と研究スペースのあいだのガラス壁に引き出し状の装置が作りつけられている。引き出しは実験室側で実験台のうえの装置として、研究スペース側でも同じように奥行きの浅い台の上の装置になっている。実験室でものを引き出しに入れると研究スペースで引き出せる仕組みだ。もちろん逆もできる。引き出しと言っても木製ではない、金属製。

「緒沢くん、これ」

「無理っすよ?」

「まだなにもいってないけど」

「わかるっすよ、副署長の考えてることくらい。この引き出しで頭を外に出せるんじゃないかってんすよね?」

「やってみて」

「無理っすって」

 頭を押さえつけて、引き出しに押し込む。

「あいててて。痛いっす。副署長、痛いっすよ。無理無理。絶対無理っす」

 あきらめて頭を解放してやる。護堂さんの頭も特別小さいということはなかった。引き出しを利用するのは無理だろう。頭もやっぱりスポンジのように柔軟に変形したりはしない。でも、ほかに方法がないと思うけど。

「こんな簡単なことで頭が外に出せるなら、もうとっくにわかってるっすよ。引き出しちゃんと調べたっす。引き出しに血痕なかったっすよ」

「あ、あそう」

 血痕か。生首を置けばすこしは血が垂れるか。クーラーボックスで冷やすくらいだから、血が固まるまで放置してるなんてことはないよね。引き出しに血が垂れないようにするくらいなら簡単だけど、高さが足りなくて頭が通らないのはどうしようもない。だったら、ほかにどうするっていうんだ。

 お目付け役くんは耳の上の頭とアゴをなでている。

「ねえ、美結ちゃん」

「なんだい愛音ちゃん」

「科学ってすっごい進んで、昔エスエフでしかありえなかったことが現実になってたりするよね」

「うん。科学者はガンバってるよ」

「じゃあさ、この実験室の空間とすぐ外の研究室の空間をこう、つなげられたりしない?」

「ワームホール?」

「それだ!」

「無理だよ、愛音ちゃん。宇宙規模のエネルギーが必要なんだよ?映画でもワープするなんて言ったらデッカイ宇宙船のすっごいエネルギーを使ってやるでしょ?こんなちんけな研究所の実験室とガラス一枚隔てた向こうをつなぐって、蚊を殺すために太陽ぶつけるくらいのものだよ」

「そっかー。太陽か。残念。わたしの知らない科学でうまくいくかと思ったのに」

「ほーっほっほっほー。あいかわらずね、愛音ちゃん。ワームホールでガラスを通り抜けるですって?ちゃんちゃらおかしくておヘソがお抹茶たててしてしまうわ?」

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