第16話

 朝から運転手付きのリムジンで研究所へ出張だ。

 今朝は警察署でコーヒーをいれずに、無駄を省くことにした。おかげで、朝の捜査会議のあいだもコーヒーが恋しかった。研究所についたら二階の休憩スペースでコーヒーを飲もう。美結ちゃんが勧めてくれたとおり、あのコーヒーはなかなかの味だった。

 今日はもう会議室に控えている必要もないだろう。必要な捜査はほとんど終わっているはずだ。連絡係の必要もない。一日かけて密室問題の謎を解くという特殊任務のために研究所で仕事をする。

 仕事と言えば、昨日一日留守にしたために未処理の書類がたまっていて、捜査会議のあとにさらに残業をしなければならなかった。今日も大量に未処理の書類がたまることだろう。中身を見ずに署長にあげたくなる。そんなことはしないけれど。早めに現場を切り上げて、あきらめてともいうけれど、警察署にもどる心づもりでいる。

 気の利かない運転手は駐車場に車をとめてもドアを開けにこない。職務怠慢と言いたいところだけれど、彼の職務はわたしの監視だ。自分でドアを開けて

 駐車場のアスファルトに靴をおろす。

 コツッコツッ

 立ち上がり、背を伸ばす。

 開けたドアの上に手をのせ、

 キリッと研究所の建物を見上げる。

 うん、決まった。

 映画の主人公みたい。

 カメラは背中からあおり気味でね。

 顔のアップは禁止。


 玄関を入ると警備員の桜井さんが受付の窓から会釈してきた。ショルダーバッグから認証用のカードをとりだしてストラップを首にかける。

「おはようございます。今日もお世話になります」

「おはようございます。副署長さんなんですって?そんな偉い方とはわからなくて、失礼しました」

「いやー、失礼なんて。桜井さんは、いつもこの時間のシフトなんですか?警備員さんは交代制なんでしょう?」

「わたしは八時から十七時で固定なんです」

「夜の見回りとか大変そうですもんね。いいシフトだ」

 にこっと笑顔を作ってうなづく。受付対応要員といったところか。あとで昨日の早朝に警備していた人に話を聞いてみるのもいいかもしれない。自殺幇助の疑いがある。最後にとっておくのがよいだろう。密室の謎を解いてからの話だ。

 仕事に取りかかりますといって、受付をはなれた。カード認証して自動ドアを通り、まっすぐ二階に向かう。

 カップのコーヒーを確保して休憩スペースのテーブル席に着く。

「副署長、今日はどうするんすか」

「とりあえずあの実験室を調べてみる」

「密室の謎を解くんすよね」

 車の中で今日の予定を話したのだ。といっても、研究所へ行って謎を解くといっただけだけれど。

「なにかアイデアある?」

「いや、まったく。なんにも、これっぽっちも思いつかないっす」

 わたしも期待してはいなかったよ。でも、すこしは考えるフリでもしたらどうなんだろう。無能だってことが恥ずかしいことではないという風潮があるように思う。周囲がバカにしてはいけないとは思うけれど、本人には反省してなんらかの努力をしてもらいたいものだ。そうはいっても、わたしにもアイデアはない。

 やっぱり。美結ちゃん。

 いや、密室を口実にして美結ちゃんに会いたいというわけではないのだ。そうではない。ただ、美結ちゃんに会えるのはうれしいという、それだけのことだ。今日も脳のスキャンしてる研究室にいるのかな。昨日姿をあらわしたとき、朝早くから呼び出さないでくれなんて言っていたから、もっとゆっくりかな。でも、夫が研究所に通勤してるんだった。一緒に研究所にきたかもしれない。一気に憂鬱に転落。

「どうしたんすか、副署長。一族郎党の処刑を見てきた帰りみたいな顔してるっすよ」

 どんな顔か見てみたいくらいだ。それに、なぜ自分だけたすかっているんだ?

「そんなに思いつめなくても大丈夫っすよ。副署長ならスパーっと解決できますって」

 のん気なこと言って。のん気にエネルギーを吸いとられる気分だ。

 待てよ?美結ちゃんは脳のスキャンで泊まりだったかもしれない。うん、ヒラメいた。気分が少し軽くなったぞ。美結ちゃんゴメン。

 しぶしぶ重い腰をあげて、まず会議室に落ち着くことにする。今日もお茶セットが用意されている。昨日の事務の人かな、お目付け役くんがアンドロイドっぽいと言った。

 美結ちゃんのお父さんに今日もきたと内線電話で伝えた。

 さて、はじめから美結ちゃんを当てにしては、あまりにあんまりだ。独力で解決する努力をしなければ、どこかの無能と同じ墓穴にいらずんばになってしまう。いや、ひとりで考えているのにボケる必要はない。

 研究室のドアには一応規制線が張られている。きっと今日のうちにテープははがされるだろう。ドアを開けると照明がついていて、正面のスペースでパソコンに向かう助手のイさんの姿があった。

「あ、わたしは仕事があるので、実験室にはいらなければここにいていいっていわれたのです」

「そうですか。どうぞつづけてください」

 イさんのシャベリは自然だ。韓国から仕事のためにやってきたのか、生まれがこの国なのか。血統主義というやつで、この国で生まれても国籍をもらえず外国人扱いをうける人たちがいる。そういう仕組みが国民のメンタルに影響しているのかもしれない。ニワトリとタマゴだけれど。

 さて、ここまでやってきたものの。どうしたらいいだろう。窓をチェックしてみようか。実験室には外に向かって窓はない。無愛想に一面コンクリートの壁だ。研究スペースの窓ひとつが、研究室全体の唯一の窓になっている。開閉は、下側についているレバーを引いてロックを外し、そのまま押し出すと、ばりっと音をたてて、くっついていた緩衝用ゴムがはがれ、窓がいくらか奥に回転する。腕が届く範囲いっぱい押し出したけれどまだ回転しそうだった。これなら窓から人を招き入れることは可能だろう。地面から窓べりまでの高さはかなりあって、大人の男でも腕を伸ばして手がやっと引っかかるくらいだろうか。それに、門をはいったところにある監視カメラの問題は残る。でも、大丈夫。警備員という奥の手がある。窓を閉めるのはお目付け役くんに任せた。

 研究室に入ることができたとして、つぎは実験室から出る方法だ。

 実験室と外側の研究室とは、例の掌紋認証のドアでつながっている。ドア二枚分の幅のある装置になっていて、認証すると金属枠にガラスをはめたドアがスライドして装置の中に飲み込まれるような仕組みだ。ドアの装置と独立して掌紋認証の装置が壁に埋め込まれているのは、すでに昨日見た。

 ドアを押してみたり、スライドさせようとしてみたり。うん、びくともしない。

 ドアは認証しない限り開きそうにないし、ガラス張りの壁、腰の下のコンクリートの壁、不審なところはなにもない。どうやったのだろう。

 護堂さんが中から認証してドアを開ける。幽霊をいれて、ドアが閉り、幽霊が出た。どろろろろ~。そうじゃない。

「愛音ちゃん!」

 美結ちゃんだ。研究室のドアを開けた状態で正面を見ているから、まだこちらに気づいていない。

「美結ちゃん、おはよう」

「いたいた。おはよ。あ、緒沢くんも。おじゃましまーす」

 イさんとは親しくないのか、おじゃましますと言っただけで済ましてしまった。

 おじさんから聞いてやってきたのだろう。お目付け役くんが体をよけて美結ちゃんを通す。

「なにしてるところ?」

「うん、名探偵」

「ホームズ愛音ちゃんだ。さっそく密室の謎?」

 美結ちゃんが勢いよく歩いてくる。床がかたかた音をたてている。下はコンクリートかと思っていたけれど。

「そうだよ、ワトソン美結ちゃん。この床カタカタミシミシ鳴るね」

「いいところに気がついたね、愛音ちゃん。この床はパネルになってて、はがせるのだよ。床下にコードを這わせられるようになってるんだ。だからほら、パソコンの電源は床から出てるコードにつながってるの」

 研究スペースの方にあるパソコン台を指さしている。

「それって、人の体がはまっちゃうくらい深さあるの?」

「そうだよ。でも、残念ながら、壁は床の下までつづいてるんだ」

 かがんでガラス壁の下のコンクリート壁を手のひらでぺちぺち叩く。

「ちょっと試しにはがしてみようか。きっと警察でも同じようなことになってると思うけどね」

 美結ちゃんは壁際に移動した。四角く切られている床のカーペットを一枚ぺりっとめくって金属の床を露出する。カチャッと回転して取っ手が出てくる仕組みになっている。よっこいせと掛け声とともに上に引きあげる。密閉性がけっこう高いみたい。一区画のカーペットと一緒に金属のパネルがふわんともちあがって、下に空間とコンクリートの床があらわれた。うへーと、お目付け役くんが頭を床下に突っ込んで悲鳴をあげる。空間は床の下にずっとつづいているようだけれど、壁はコンクリートの床と接続していて、床下の空間をとおって密室内に侵入することはできない。

「壁が床のところで切れてればね、頭は無理でも体だけなら密室に押し込めそうだけど」

 コンクリートの床に血がのこるし、犯人だって密室側に行けなければとうていパネルの開け閉めをして死体を台の上にのせることはできない。どだい無理な話だった。

 しゃがんだまま上を見上げる。床がダメなら、天井はどうだろう。実験室の死体が横たわっていた台に乗れば天井に手が届くのではないだろうか。天井裏を伝って、研究室なり廊下なりにおりられれば。密室が壊れる。いや、そんなわけないことはわかっている。念のためだ。

「美結ちゃん、天井は?」

「うん。愛音ちゃんが天井のこと考えてるのはすぐわかったよ?でも、壁紙が貼ってあって、天井裏に忍び込めるようにはなってないみたい」

 ですよね。実験室の天井の真ん中に空調はついているけれど、人が入りこめるようなダクトのようにはなっていない。映画とは違う。

「やっぱり、ここか」

 実験室のドアの前だ。

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