第7話 call of eyes

 ――死闘が始まった森から遠く離れた北の荒れ地にて、二人の男女が古びた砦の防壁の上に佇んでいた。

 陽の光が差さぬ曇天の下、身を裂くほどに凍えた風に前髪を揺らしながら男が口を開く。


「いやぁー……あれ、どーするよ。『変異種ユニーク』も『特異種ネームド』も真っ青。正直ここ突破されたら、もうお手上げなんだよねー」


 困り果てたような苦笑を浮かべる男の見つめる先には、異形の怪物と数百人のプレイヤー達による大規模レイド戦……いや、一方的な蹂躙が広がっていた。

 見上げるほどに巨大な、赤黒い肉体。シルエットだけをみるならば、二足歩行のドラゴンといった具合だろうか。

 腕があるべき場所からは無数の黒い触手が伸びており、一本一本が竜の尾のように揺れてはプレイヤーを弾き飛ばしていた。


 雄々しく立つ竜体の胸部には巨大な『眼』があり、それに見据えられたプレイヤーはもがき苦しみながらデスポーンした。

 竜の目や口からは絶え間なく黒い液体が流れており、その有り様は魔物というより怪物の二文字が相応しい。


「『王類種オーヴァード』の『特異災害ネームドボス』の魔王化個体とかさぁー……もうこいつがラスボスで良いでしょ。火力ヤバ過ぎて第一線級のタンクが紙クズみたいに消し飛んでるし」

「魔王化してるのがせめてもの救いでしょうか」

「そうねー。時間が経ったら寿命使い切って勝手に死んでくれるし。持久戦が丸いかなぁ〜。普通に倒すのは……まあ〜無理でしょ」


 男の隣に立つ女は、風に揺れる白い長髪を軽く手で押さえて、切れ長の目で男を見据えた。


「今、ラクトさんが考えていることを当てましょうか?」

「……ん? どしたの、急に」

「『good knightなら勝てるかもしれない』」


 感情を感じさせない冷えた声だった。それを聞いた男――ラクトは目をまんまるに見開いた後、笑いを堪えきれないとばかりに噴き出した。

 ひはははは! と独特の笑いを一頻り上げた後に、ラクトは半笑いのまま言葉を返す。


「違う違う! 最終関門ここに詰めた爆薬と俺の『胸裏インスリット』直撃させても止まらなそうだし、面倒だけど『融心アスラヴァルナ』切ろうかなって考えてただけだよ」

「……そうですか」

「シュラちゃん、めっちゃ対抗心メラメラじゃん」


 シュラと呼ばれた女は笑うラクトにムッとした表情を浮かべたが、反論すること自体が負けを認めるようで、結局黙ってしまう。

 機嫌悪そうに戦場へ目を向けたシュラの耳にまた笑い声が聞こえて、少しの間を置いてから「でもまあ〜」とラクトが言った。

 その声にはいくつもの感情が籠もっていた。羨望、畏れ、信頼、呆れ、確信。それらを一緒くたに煮詰めて、ため息のようにラクトは言った。


「――実際勝つでしょ、アイツなら」


 思わずシュラがラクトへ振り返って、その表情を目に映し……不快の極みのような顔をした。無表情が似合う端正な顔には激情が滲んでいる。


「勝つ? アレに勝てるんですか? 適正レベル100オーバーのあの化け物に? 純粋なステータスでは準『大災厄ワールドボス』クラスのアレに?」

「んー? 勝てるんじゃない?」


 あまりにもふわりとしていて、そのくせ断定的な言葉に、シュラは言葉を失った。薄い唇が微かに震えては、言葉の始めをなぞって、やがて閉じられてしまう。


「……そんなに、強いんですか」

「強い強い。マジでめっちゃ強いよ。……『神の眼』なんて大層な呼ばれ方してる俺だって、アイツが動く度に見えてるもの全部ぶっ壊されて頭抱えてたし」

「……」

「チームメンバーの『α−ALアルファール』はクソほど練習して必死にアイツに食らいつこうとしてメンタル折れまくってたし、『かすてらいおん』はIGL《司令塔》なのに「とにかくgood knightを援護するぞ」しか言えてなかったよ。

 ……『PianoPピアノピー』なんて途中からリプレイ映像を見やすくするために煙とか明るさの調整始めたのに、アイツそれも織り込み済みで動いてて『やることねえんだけど』って爆笑してたし」


 苦い思い出を語るような口振りのラクトの顔には、満面の笑みが浮かんでいた。思い出すだけで楽しくてしょうがないと言わんばかりの笑みだ。

 その笑みに固まって動けないシュラへ、ラクトは笑う目元を細めて、「それでもさ」と言う。


「俺らがてんやわんやしてたアイツの無茶苦茶なプレイって……手加減されてたんだよ」

「えっ……」

「手加減……いや、手加減って言い方は良くないか」


 言うならば、魅せプだな、とラクトは言う。


「アイツは徹頭徹尾、全力で観客をせるプレイをしてたんだよ。避けられる爆風を上手く食らってミリ耐え、一人で戦ったほうが楽だろうに俺達に足並み揃えてスーパーコンボ……そんな風に、手に汗握る接戦を作ってたんだ」

「……」

「周りの目を見て、俺達のことを見て、対戦相手からも目を逸らさずに、ギリギリの戦いを続ける。百点満点の戦い方だよ」


 それがどれだけの技量を必要とするのか。どれだけ深い視野を要求される芸当なのか。ただ相手を蹂躙し、何もさせずに一方的な勝利を得るほうが、よっぽど簡単だ。

 けれども『good knight』はそれを選ばなかった。より繊細に、より綿密に調整を重ね、その上で相手の作戦を鮮やかに打ち破り続けた。


「そんなアイツがさ。本気で、何も遠慮無く拳を握ったら――」


 勝てるやつなんて、居る訳がないんだよ。遠方にて猛威を振るう竜の姿の怪物を見据えながら、誇るような口調でラクトは言った。

 けれどもその顔には、先程までの笑顔が無い。空を覆う鈍色の暗雲のような、濁った硝子のような表情だけがあった。




「だから俺達は……アイツは、あの夜に負けちまったんだ」




 ―――――――――




【エネミーの全滅を確認】

【戦闘が終了しました】

【種族レベルが4上昇しました】 

【職業レベルが2上昇しました】

【下級風魔法 2→4】

 魔法を習得:『エア・スラッシュ』

 魔法を習得:『ストームウォール』

【精神統一 2→4】

【魔術理解 1→3】

 アクティブスキルを習得:『ダブルスペル』

 アクティブスキルを習得:『インスタンス・ドロー』

【詠唱加速 1→2】

【条件を満たした為、ユニークスキル《無冠の曲芸》を取得しました】

【条件を満たした為、ユニークスキル《決死の牙》を取得しました】

【以下の称号を獲得しました】

 『死線を超える者』

 『風の猛犬ファウル・ウィンド

 『孤高の決闘者デュエリスト

 『回避の申し子』

【以下のアイテムを獲得しました】

 ・夜切蜻蛉の甲殻×3

 ・夜切蜻蛉の顎

 ・鼓舞蝶の鱗粉袋(使用回数:残り3回) 

 ・鼓舞蝶の――


「スキップ。リザルトにしても長過ぎる」


 長過ぎる通知をさっと非表示にして、ふぅ、と一息ついた。いつの間にか時刻は夕頃になっていたようで、頭上から注がれる木漏れ日が赤々としている。

 それらが照らす森の先に転がっていたナイトリッパーの死骸が、ポリゴンになって消えていった。


 夕暮れの森を見渡す。先程までの死闘が嘘のように、そこには何も居なかった。重低音を響かせるナイトリッパーも、目に痛い着色のバフ・バタフライも、既にポリゴンとなって散った。

 十数分続いた死闘の勝者は、この俺だ。なんてことはない、いつも通りの戦い方だった。


 加速したナイトリッパーの攻撃を避けて、隙を狙うバタフライの雷を避けて、ナイトリッパーの追撃を避けて、コンビネーションを避けて、避けて、避けて――全部避けて、魔法で削り勝った。


「……それで、いつも通り『固まった』」 


 勝利の道筋が見えた瞬間、あるいは勝利の確信がついた瞬間、俺の体は固まってしまう。息が詰まって頭が真っ白になり、次の瞬間には攻撃を食らっているのがお決まりのパターンだった。

 硬直の時間は大体1秒か、それ未満。今回は雑魚敵が相手だったのと、比較的硬直が短かったからどうにかなったが……一瞬が勝敗を分けるプロシーンで1秒も硬直していれば、大逆転には充分過ぎる。


 原因は分かっていない。分かっていたら、どうにかしていたさ。……一応、予想みたいなものは立っているが、それだけだ。このPTSDじみた硬直を消す道筋は、まるで立たなかった。

 真面目にカウンセリングでも受けるべきか、と思い詰めていた時期もあったが、結局それを悩んでいる内にその必要がなくなってしまった。


 はあ、とため息を吐きながら、先程の戦闘でばっさり斬り裂かれたはずの腹を見る。そこにあるのは傷一つ無い腹部と白の法衣。

 戦闘が終わった瞬間に、服に付いていた血と傷が消えた。ステータスを見ると、HPには【20/173】の表記。装備品にフォーカスすると少しだけ減った耐久値の項目が表示された。消えたのは見た目上の傷と血だけ、という事だろう。


 まあ、リアリティ重視でずっと血まみれのダメージジーンズめいた法衣で戦うのも嫌だし、ありがたいな。


「新しく入ったスキルは……ダブルスペルは同時に二つの詠唱が出来て、インスタンス・ドローは戦闘前に予め魔法を一つ詠唱した状態でストック出来るスキルか」


 同時に詠唱……俺の口は一つしか無いが、どうやるんだ?試しに新しく手に入れた『エア・スラッシュ』と『ストームウォール』を詠唱してみる。


「『エア・スラッシュ』、『ストームウォール』……あぁ、同時にじゃなくて並行して詠唱出来るだけか。まあ、初期のスキルなんてそんなもんだよな」


 頭上にエア・スラッシュの詠唱ゲージが出て、続くようにもう一つストームウォールの詠唱ゲージが出た。……どっちもゲージの見た目が一緒だから、激しい戦闘中は混ざりかねないな。逆に、それを利用して相手を撹乱とか出来るかもしれないが、スキルの使い道としては少し限定的だ。


 ちなみにエア・スラッシュは虚空を十字に切り裂く風の刃が発生する魔法で、ストームウォールは名前通り半透明な風の壁が発生する魔法だ。エア・スラッシュは発生までの時間とリキャストの短さが良いが、消費MPが35と、連射するには燃費がネックだ。

 ストームウォールは発生遅い、MP消費50の二点がデメリットだが……発生する壁の大きさが2×2メートルと防御以外にも使い道がある良い魔法だ。


「当然だけど、腐るような魔法はまだ無さそうだな……」


 ゲームによっては調整が悪いせいで、『救えない』タイプの魔法やスキルが大量発生しており、環境トップのビルドが三竦みじゃんけんを開催していることも多い。


 まあ、それはそれとして……問題は『ユニークスキル』とやらだ。システムの解説では、通常のスキルと異なってスキルポイントを消費しても獲得が出来ない特殊なスキル、としか書いていない。



 ユニークスキル:《無冠の曲芸》

【スキル形式】

 パッシブ

【説明】

 1.両足が地面から離れている間、プレイヤーの動体視力と思考速度を強化する。

 2.攻撃を回避する際、攻撃判定とプレイヤーとの間が2cm以内だった場合、MPを最大値の1%回復し、全ての魔法とアクティブスキルの再使用時間を10%短縮する。



 ユニークスキル:《決死の牙》

【スキル形式】

 パッシブ

【説明】

 自身のHPが30%以下の場合、『即死』『毒』『出血』『気絶』を無効化し、プレイヤーの全ての近接攻撃に『首刈り』を付与する。

 

 『首刈り』:HPが10%以下のMOBを攻撃した際、高確率で即死させる。



「随分厳ついスキルだな……」


 正直、このゲームを始めて数時間の俺から見ても尋常じゃないスキルだ。無冠の曲芸は特定条件下で認識加速とギリギリで回避すればするほどMP回復、リキャスト短縮。決死の牙は30%以下で即死とDoT持続系ダメージと気絶無効+近接に確率で即死付与。


 何がどうしてユニークスキルとやらを手に入れられたのかシステムに確認したが、答えは沈黙だった。


「まぁ、条件が分かれば全員取りに来るだろうからゲーム的にはそうなるだろうが……」


 まあ、細かいことを考えても仕方がないか。後で掲示板でも見てユニークスキルについての情報を集めよう。

 あとは称号だが……ぶっちゃけると大した効果を持った称号が無い。ソロだと全ステータスに+10だとか、被ダメージ時にダメージの5%を時間差で回復など、少なくとも今適用している『死と踊る風』に比べると劣るものばかりだ。

 唯一『風の猛犬ファウル・ウィンド』だけは、風魔法のリキャストと詠唱時間を10%短縮する、と中々に使い道のありそうなものだったが、当面は現状で固定だろう。


 と、そこで唐突にチリンチリーン、と森の中に流れるはずのない電子的な鈴の音がした。反射的に姿勢を低くして構えるが……それを宥めるように、システムがウィンドウを開いた。


【通知:ワールドアナウンス】


【種別:ワールドクエスト達成/討伐報告】


【ワールドクエスト『恢偉なる王の夢幻』が達成されました。】


王類特異災害オーヴァー・ネームドボス『遥けき栄光』レヴァンシスが討伐されました】


【MVPを発表いたします】

 『最後の奏者オーケストラ・ソロ』ラクト

 『生涯未完パーフェクト・ノービス』アルフレッド 

 『来訪者オービター』ああああ

 『終幕の先を知る者カーテンコール・ブレイカー』こんつぇるてぃー


【深き底から目を覚まし、手を伸ばし、友を呼んだ】


【けれどもここには、もう何も無い】


【友も、古き約束も、全ては彼岸の向こうにある】


【であればもう一つ、眠るとしよう】


【かつて栄光を掴んだ哀れな骸は、ここに二度目の終わりを得た】


【マルコシア連邦は未曾有の危機から逃れました】


 流れたアナウンスの内容よりも先に、俺の頭を揺さぶる名前があった。


「ラクト……」


 俺をこのゲームに呼び込んだ張本人。それがまあ、派手な事をしてくれたものだ。良く分からないが、とりあえずとんでもないボスを倒したらしい。

 俺じゃあ無理、なんて言ってたが、そうでもなかったのか? または、それとは別とか……いや、考えるのは後でいいか。


 小さく笑って、目線をウィンドウから森の奥へ向ける。……さて、HPはローも良いところだが、ユニークスキルの関係上、HPは減っていた方が都合が良い。

 色々と検証したいことは多いが……今は少しだけ、運動をしたい気分だ。


 夕日が沈み、夜が満ちていく森の奥へ、躊躇いもなく踏み込んだ。

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