第41話 夢幻を超える者
目を細めずにはいられないほどの猛吹雪。逆巻く北風は舞踏服の袖やベルトを引っ張り、呼吸の度に刺すような痛みが肺から伝わる。
斜めに降り注ぐ雪の間を縫うように、蕩けた笑顔のグッドナイトが肉薄してきた。レベル差に伴ったステータスの差は圧倒的で、踏み込みの音が遅れて鼓膜に届く。
(怒ったり狂ったり憎悪したり……最後の最後は満面の笑みか)
理解の出来ないプレイヤーだった。何が目的で、俺に何を求めているのか。彼女の何がgood knightへの崇拝を生んだのか。何一つ理解は出来ない。ただ、一つだけ通ずるものがあるとすれば――
「アハハッ!!」
「ッ……はは……!」
この瞬間を楽しもうという意思。何もかもを吸い込む深淵めいた瞳に、それが揺らめいているのが見える。
最速、最善の踏み込みでスティレットの剣先が空を穿つ。それは先程までの中身の無い分身とは訳が違う、正真正銘の研鑽が滲んだ一撃。
瞬きの油断で心臓が抉り出されるであろう一撃に対して、バックステップで後ろに距離を取りながらのパリィ。精密機械が白旗を上げる完璧なタイミング、間合い、角度、速度でスティレットが弧を描いて、掬い上げるように一撃を弾く。
吹雪に混じって金のエフェクトが弾け、グッドナイトの笑みが深まった。何かを狙っている目だ。重く凍った空気を割く音が鼓膜に届く。
コピーした『勇気の証明』による攻撃。それに合わせてグッドナイトの頭上に『魔力視』による魔法の
前兆が現れ、俺の『心識』が俺の足元を赤くハイライトして範囲攻撃の規模を示した。
(この詠唱速度、範囲――『サイクロン』!)
振り抜いた腕を滑らかに引き戻しながら、『ストレート・エア』をキャスト。同時に吹雪を割って迫りくる『勇気の証明』に俺の『勇気の証明』を叩きつけて相殺した。
踏み込みの一步が軽い雪を固く踏みしめて、足裏に軋むような感覚が伝わる。パリィは決まった。背後は取られていない。グッドナイトの残りHPは三割。急所なら一撃で落とせる。
俺の殺気にグッドナイトは目を細め――頭上の詠唱がパチリと止まった。同時に攻撃の予測範囲が消えて、発動した『ストレート・エア』が俺の背中を押す。
(ッ……!?『詠唱破棄――)
「――《
初手のパリィ、『勇気の証明』、魔法の詠唱で俺を釣っての『四肢粉塵』! タイムラグ無しの瞬間移動でグッドナイトの身体が正面から掻き消え、鋭敏な感覚が背後からの気配を訴える。
俺のバフが全て無効化され、張られていたシールドさえも消え失せた。一撃を貰えば即死は免れないだろう。だが……甘い。
初めて使うスキルに適応する時間。
直前までの崩れた体勢を戻す時間。
極限まで圧縮された一瞬だ。一秒と無いその時間で即座に上体を捻って、左手を伸ばす。『四肢粉塵』に付随した0.5秒の『
「ッ……!?あ、あっ……アハ――」
伸ばした左手が透明なグッドナイトの手首を逸らして、俺のこめかみのすぐ横を不可視の突きが貫通した。『不可視』の効果時間が終わって、グッドナイトの姿が浮き彫りになる。黒い瞳は心底楽しそうに俺を見つめて、歪んだ三日月を描く口元から白い吐息が漏れた。
それを一瞥して、後の先を抜くカウンターを最高効率でグッドナイトの喉に叩き込む。パリィは間に合わない。『勇気の証明』は俺の『勇気の証明』で弾く。『四肢粉塵』はもう使った。
この一撃は避けられない――その予想に反して、グッドナイトは大きく口を開けた。それはまるで何かに噛み付くような動作で……脳内演算が即座に『突きを止めろ』と叫ぶ。が、間に合わない。
吸い込まれるように喉へ向かうスティレットの先端。グッドナイトはそれに向けて顔を突き出した。そして全力の突きを口で受け止める。
ガッ!!と気の抜けた音が鳴って、俺の右腕が強張った。
「……随分、行儀が悪いな」
言えた口では無いが、言わずには居られなかった。グッドナイトは俺の突きを歯で噛んで止めている。幾らSTRがあるとはいえ、前歯四本はへし折れるはずだが……どうやら、何かしらのパッシブスキルが発動しているらしい。剥いた歯が全て銀歯めいて輝いている。
(俺のスキルをコピーしておきながら、自分のスキルは使えるってか……反則もいいところだ)
脳裏で悪態をつきながら、一瞬右腕を引き……頑として動かない感覚に、スティレットから手を離す。まるで岩に刺さった剣を抜こうとしているようだった。
振り返った上体に合わせて完全に振り返りながら、今度は左手を伸ばす。狙いは勿論、俺の得意……超近接戦の組み技だ。
襟を掴み上げた俺の動きにグッドナイトは一瞬で判断を下した。自身のスティレットを手放し、口に咥えたスティレットを首を振って後方に放り捨てる。
……どうやら、武器を捨ててでも俺と勝負がしたくてたまらないらしい。向かい合って互いの襟を掴み合う形になったグッドナイトは、元に戻った白い歯を剥きながら嬉しそうに笑う。
「行儀の悪い子には罰を与えないと、ですよね?」
「欲しがってんのは罰とは言えねぇな……」
組み合った手足から感じるのは、凄まじい膂力と体幹。どうやら先刻のように冷静さを失って簡単に投げられてはくれないらしい。
(頭のネジがトんでた方が手強いってのは、訳が分からんな……)
フィジカルで勝っているのはグッドナイトだ。気を抜けば一瞬でぶん投げられる。この膂力で地面に叩きつけられたら、スプラッター映画さながらに首の骨がへし折れるだろう。
強引に身体を掴んでそのまま持ち上げようとする動きを体を捻って阻害する。時折足を掛けて意識を下半身に寄せ、同時に襟を掴む位置を調整。
一瞬だけ力を抜いて、わざと力負けしたように体幹を崩す。即座に軸足を払って押し倒そうとするグッドナイトに合わせて自分から後ろに倒れ込む。
「ッあはっ!」
巴投げだ。前掛かりな重心、後ろに倒れ込む重力。それらを生かしてグッドナイトを引き倒し、雪原に叩き付ける。同時に手を離して素早く身を起こしたが、即座にグッドナイトはノックアップ・エアで倒れた姿勢から打ち上がり、体勢を整えながらのストレート・エアで強引に距離を詰めてくる。
スティレットによるパリィ、バクスタのコンボさえ避ければ削り勝ち出来るという想定なのだろう。
彼女は子供のような笑顔で両拳を握り、乱れた黒髪の隙間から奈落を思わせる瞳で俺を見つめていた。
そんなに、遊びたいか。それなら……いいぜ。相手をしてやる。
「――掛かってこい」
「アハハッ!!」
ステゴロの殴り合い。幾千と繰り返したあらゆる戦いが脳裏を過る。数え切れない数の研鑽と勝利を経験したこの身体が、本能が、理論値の動きを構成する。
こちらへ伸ばされる拳、足捌き、目線の誘導は全て一級品。だが、俺は文字通りの超一級だ。
速さで劣っている。力で劣っている。リーチで劣っている。その程度の差は関係無い。振り抜かれる拳を髪の毛一本分の隙間で躱して、巧妙な掴みを片手で
グッドナイトが大振りと小振りを混ぜた拳で一発逆転を狙うが、そんなものが俺に当たるはずもない。
体重移動を隠したステップで、数手先まで読み切ったフェイントで、ミリ単位の間合い管理で的確にグッドナイトの膨大なHPを削る。
純戦士職のグッドナイトと、準魔法職の俺の殴り合い。一度、二度と読み合いが交錯する度にグッドナイトの顔面や手足にアザが増え、口の端が切れて鼻血が垂れる。幾ら俺のSTRが低いとはいえ、同レベル帯の魔導士に比べれば充分にSTRを盛っている方だ。
「ガハッ、ハッ、ハ……ァ!」
「……もう終わりか?」
荒く息を吐いて、グッドナイトが片膝を着く。十数発、的確な打撃が顎に叩き込まれて、流石に脳が揺れたらしい。目を細めて確認すると、『朦朧』の状態異常に陥っている。
対して俺には傷一つ無い。圧倒的、という言葉はこういう時に使うのだろう。一割弱となったグッドナイトのHPに目を細め、深く息を吸う。
その瞬間、吹雪の向こうから目に見えない敵意が俺に向くのを感じた。
反射でシステムを開き、イベントのウィンドウを開く。
【残り時間:4分】
【予選グループ:Δー1ー389】
【パーティ名:『メインディッシュ』】
【残りパーティ数:4】
【アストラルカウント:37】
ハッとして、ほんの一瞬だけ目線を上げる。『壁』が俺のすぐ後ろまで迫ってきている。それだけじゃない。エリアの収縮はいよいよ最終盤。この公園を中心に直径200メートル弱の最終円が組まれていた。
(俺とグッドナイトを除いて、残りパーティはあと2つ――)
コンマ数秒間の思案と目線の移動。それが目の前のグッドナイトに何を与えるのか。いかに俺とて予想出来ない言葉が、膝を着くグッドナイトから漏れる。
「余所見……私以外のプレイヤー……あは、ハハハ……!駄目、駄目ですよ……ちゃんと、私を見て。私にだけ、見せてほしいんですから」
「ッ!? ば、バレたぞ!ソロのパーティ二つ!速攻で潰して別パと構える!」
「ささっとエリアの中心取らないと!」
「『ハイエンハンス』、『ヒート・レゾナンス』、『克己の勇』!フルバフです!行きましょう!」
グッドナイトが再び、ゾッとするほど光の無い目で俺を見つめ――彼女の背後から三人構成のパーティが武器とバフを構えて電撃戦を仕掛けてくる。彼らから見ればボロボロのプレイヤーが二人きり、武器も無しに殴り合っている状況だ。
漁夫に入るなら最高の状況。だが――今回ばかりは相手が悪かった。
グッドナイトが首を傾けて背後のパーティを視界に捉える。服の内側からドロリと垂れた黒い液体が俺のスティレットを
「《
「……はっ?」
「消えた――」
「ッ!?後ろッ!」
一瞬の虐殺だった。魔法職の俺とは比べ物にならないSTRから放たれる絶望的な火力のバックスタブ。呆けた顔のプレイヤーが一撃で心臓を抉られて即死し、反射で振り返って魔法を放ったプレイヤーが再発動のテレポートで背後から喉を穿たれ、なんとか反応を間に合わせて再発動を捌いたプレイヤーの土手っ腹を遠方から飛翔した『勇気の証明』が貫通した。
イベントのウィンドウの【残りパーティ数】が3になって、グッドナイトは吹雪の中で何かを呟く。次の瞬間、彼女の足元に白い魔法陣が展開され、円形の陣に二本、コンパスの針か時計の針のようなものが浮かび上がる。
その内一方は俺、もう一方は吹雪の奥を示しており……グッドナイトは俺に蕩けるような笑みを向けた後、死人のような無表情に切り替えて吹雪の向こうに消えていった。
まさか、と顔を引き攣らせつつ、落としたスティレットを拾ってグッドナイトの後を追う。吹雪を抜け、赤く染まった雪原を踏み越えると、鉄を打ち合わせる戦闘音と、甲高い悲鳴が風切り音の間に聞こえてきた。
「ひぃいい――隠――のにッ!?」
「なん――い!!逃げ――」
視界の隅で、テキストが動く。グッドナイトは俺に背中を向けながら、スティレットに付着した血を払って、荒く上下する呼吸を整えていた。
【残り時間:3分】
【予選グループ:Δー1ー389】
【パーティ名:『メインディッシュ』】
【残りパーティ数:2】
【アストラルカウント:37】
「フッ、フッ……ハーッ……!」
「……とんでもないな」
少なくとも『朦朧』の状態異常には掛かっていたはずだが……グッドナイトの足元には、プレイヤーだったものが色とりどりのポリゴンとなって朽ちている。
執念か怨念か。何がそこまで彼女を突き動かすのか。俺にはさっぱり理解が及ばない。
俺の目線に気付いたグッドナイトがゆっくりと振り返って、血のついた顔で嬉しそうに笑う。
「……フフッ、二人きり、ですね……」
激しい運動により上気した頬。荒く吐かれる白い息。台詞と雰囲気だけはロマンチックだが、生憎目の前の相手は『good knight』の皮を被った血塗れのなりきりプレイヤーだ。
過去の亡霊そのものといったその姿に対面する気分は最悪で、気を抜けば胃の中身を戻しそうになる。
油断無く武器を構え、脳裏にたこらいすの言葉を反芻しながら、心を強く保つ。
「フフ……やっと、やっと会えた……ミツクモ、ミツクモ……今は、ミツクモなのですね……」
「殴られ過ぎておかしくなったみたいだな」
「そんなことは……フフッ、いえ、そうかもしれません。だって本当に」
――ああ、夢みたい。憧れていたヒーローに出会ったような、そんな輝いた瞳が俺を射抜く。
……その目を向けられることは、もう二度と無いのだと思っていた。ベッドの中で懊悩を繰り返して、どん詰まりの日々を消化して、そんな自分に期待しなくなっていた。もう俺は、あの時以上の俺にはなれないのだと、アレが俺の最高到達点なのだと割り切っていた。
……実際、そうなのだろう。俺はきっと、思い描く
だとしても……誰かの助けを借りて、またゲームを楽しめるのなら。
『全世界一位のプロゲーマー』に戻るんじゃなくて、ただの
「……やれるとこまで、やってみようか」
たこらいすの言葉を借りて、彼を真似て笑う。同時にグッドナイトが俺の笑みに目を細め、『勇気の証明』を携えて突撃してきた。
誤魔化しの無い一直線の突撃は、それ故にこれまで以上の速度で俺に迫る。
何もかもを置き去りにする最速の突きに真正面から相対して、こちらも突きを放つ。先の先を抜く一撃と、後の先を抜く一撃。
黒く尖った剣先が互いに貫き合って――同時に大きく弾かれた。
「「ッ……!」」
全く同じパリィ武器。全く同じタイミング。全く同じ判定をぶつけ合わせたが故の、両成敗。ひときわ大きく弾けた金色の花火の中で、俺とグッドナイトの視線が交わる。互いに大きく武器を弾かれた体勢で、二人揃って口を開いた。
「《
「
俺の視界が切り替わる。全ての慣性がゼロになって、チャンネルを切り替えたように、目の前にグッドナイトの背中があった。
ユニークスキル『
彼我の差を分けたのは、スキルの管理とプレイング。無防備なグッドナイトの心臓を背後から貫き……そのHPがゼロを割った。即座に俺はスティレットを引き抜き、雪原を蹴って距離を取る。
グッドナイトの『胸裏』は俺のユニークスキル『
グッドナイトの身体に一瞬青い電雷が走って、胸元に小さな空洞を開けたグッドナイトが俺に背中を向けたまま数秒間立ち尽くす。そして、その頭上に緑色の詠唱バーが発生した。
(魔法……!何が来る? サイクロン? ストームファング? ストレートエアで肉薄か?)
巡る思考の答え合わせをするように、グッドナイトが首だけを動かして俺に振り返る。見慣れた黒い瞳が俺を映して――『カースドウィンド』と呟いた。
「……は?」
カースドウィンド……? 攻撃魔法ではなくて、『衰弱』のデバフを付与する魔法を、どうして今?
加速した時間の中、発動した呪いの風が……俺ではなくグッドナイト自身の身体を包む。
それを見た瞬間、全てのピースがハマった。
カースドウィンドの『衰弱』。
俺の殴打による『出血』と『朦朧』。
俺に背中を向けたことによる『無防備』と『スロウ』。
デバフが五種類累積し、コピーした『勇気の証明』の装備効果で『勇心』が5スタック累積している。
『勇気の証明』の装備効果の三つ目……『勇心スタックが最大まで累積している場合、装備者は全てのスタックを消費してユニークスキル《
効果説明が脳裏を過ぎり、同時にグッドナイトが静かに笑って、『四肢粉塵』と言い直した。瞬間、その姿が消える。背筋にゾワリと鳥肌が立って、背後に透明な気配が現れた。
完全に虚を抜かれた。反応が間に合わない。バフやシールドは剥がされた。こちらも攻撃を受ければ『臨界駆動』が発動する。耐えれば勝ち?
いや、グッドナイトには自前の回復手段がある。それでHPが持ち直せば死ぬのは俺だ。
あらゆる思考と演算が混ざって、決死のパリィが走る。後ろ手にスティレットを伸ばし、向けられる殺気に反応して最適なパリィを……パリィ、を……。
(……殺気が、無い?)
俺が持つ第六感。目線や動き、音や空気の揺れから『殺気』を見て取る感覚が、一切それを捉えない。止まった思考に解を出すように、そっと俺の首と胸に腕が巻き付いた。
「……ッ!?」
後ろから、抱き締められている。そのまま締め上げるでもなく、ただただ抱き締められている。
「――きっと、このまま攻撃をしても、貴方様は防ぎ切ってみせるのでしょう。パリィ、魔法、大剣による防御……どちらにしても、私に逆転の目はありません」
「……」
「だからせめて一つだけ……勝ち逃げを、させてください」
「一体何を――」
ぎゅぅ、とグッドナイトが俺の身体を優しく抱きしめた。小さな震えがそこにあって……俺の質問に答えることなく、その力が抜けていく。チリ、とグッドナイトの身体に走っていた電流が指先を駆け抜け、するりとそこから力が抜けた。
「ずっと、探したんです。ご褒美の、一つくらい……あっても……」
ドサリ、とグッドナイトが後ろ向きに倒れる音がした。俺は唖然として振り返る。その瞬間――うるさいほどに鳴り響いていた風切り音が止んだ。暴風に揺れていたベルトや裾が落ち着いて、斜めに落ちていた雪が散らした羽毛のような軌道でゆっくりと落下していく。
カジェルクセスの首都を襲っていた猛吹雪。それが止んだ瞬間だった。何がトリガーになったのか……答えは明白だろう。言葉無く振り返った先、積もりに積もった雪の中に、大の字でグッドナイトが倒れ込んでいた。
そのHPは変わらずゼロを下回っており、じきに『臨界駆動』の効果も終了するだろう。
俺に穿たれた心臓からは『決死の牙』の効果で血が流れていない。貫かれた胸元に、羽根のような雪が乗った。
グッドナイトの黒い瞳が俺を見上げて……静かに笑う。
「ふふっ……あぁ、本当に……眩しい、人」
そう言葉を残し、グッドナイトの身体が崩れる。手足の端から分解され、黒いポリゴンとなって消滅した。同時に、微速で収縮を続けていたエリアの『壁』が完全に停止し、数秒の静寂が世界を包む。
そうしてリィン、という電子音がやけに大きく鳴り響いて、予選の終了を宣告した。
【予選グループ:Δー1ー389の最終順位が確定しました!】
【各ブロックの順位はイベントホームぺージから確認できます】
【パーティ名:『メインディッシュ』】
【最終順位:1位】
【アストラルカウント:38】
【最終順位が上位5%以内のため、本戦への出場が確定しました】
【予選通過、おめでとうございます】
【最終順位に基づき、獲得できる報酬のプールが変変更されました】
【最終順位に基づき、ワールドクエスト『群雄割拠は王の
【『空座の王』は微笑み、空間が歪む】
【5分後にイベント開始前地点へ帰還します】
【残り時間: 4:59】
通知の流れを一瞥して、視線を前に戻す。そこにあるのは、静かな雪原。グッドナイトが倒れていた場所に、人型の窪みだけが残っていた。
耳鳴りがするほどの静寂の中、降り注ぐ雪がピタリと止まって……重く渦巻いていた鈍色の雲が動いていく。
イベントの予選終了。それを示す天候の変化だろう。俺は深く息を吸って、吐いた。手足にこもっていた力が抜けて、だらりと腕が垂れる。
「本当に、訳の分からない奴だったな……」
そして間違いなく、俺にとって最大の壁だった。どうして勝てたのか、固まらずに動けたのか、今でさえ信じられない気持ちがある。
スティレットを握った右手に目を落とす。……まだ、震えている。まるで恰好がつかない有り様だ。だけれど――
「……今は、これでいい」
雲が割れて、俺の足元に光が差す。雲の隙間から覗くカジェルクセスの空は心なしか澄んでいて、それを見上げながら……『たこらいす工房』に戻ったら何を話そうかと、そんな事を思った。
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