第36話 良い子は寝る時間

「いや〜!まーじで危なかった〜!クッソ強かったわあの子」


『ホワイトスター』のケリアを倒したたこらいすは武器をレイピアに持ち替えながら笑う。その鎧からは絶えず黒煙が上がっており、彼のHPはジワジワと減少し続けていた。

 戦士系に分類されるらしい『ウェポンディーラー』のたこらいすだからこそ涼しい顔をしているが、本体が倒されても身体を蝕み続けるケリアの『胸裏』は凶悪だ。


 俺の目線に気付いたたこらいすがそそくさと鎧を変更し、胸を張る。


「常時不可視で遠距離チクチクとかマジかよーって思ってたけど、なんか『目を瞑ると』姿が見えるっぽくてさ、瞬きで気づいてなんとかなった」

「目を瞑ると見える……?」

「そそ。瞼の裏で白く姿がハイライトされんの。目を閉じて開いてを繰り返してなんとかギリ勝ち。お兄さんが先にMP削って目潰ししてなかったら絶対に無理だったね」


 そう笑うたこらいすのHPは残り四割。確かに危ない所かもしれないが、たこらいすならば完全な一対一でも勝てていたと俺は思う。

 ……と、そんな事を考えている場合ではなかった。


「……ありがとう、たこらいす。途中の手助け、本当に助かった」

「ん……? あー!アレ? 手助けっていうかなんていうか……まあ、うん。とりま、どういたしましてってことで」


 照れたように笑い、それを隠すために冗談めかした態度をするたこらいすに、俺の『硬直』について聞いた。俺の『硬直』について気付いていたのか、どうして先ほどは完璧なタイミングで差し込んでくれたのか。


「ん〜……まあ、気付かないのは無理でしょ。お兄さん、マジで動きが完璧すぎるから、めっちゃ目立つしね。今だって顔真っ白だし、表情も……ん? 珍しく笑ってるじゃん」

「これは、まあ……エンデに言われて」

「ははーん。エンデも見る目あるじゃん?絶対にそっちのがイイって」


 うんうん、と一人頷くたこらいす。相変わらず独特のテンポを持つ彼は、コロリと表情を変えて、神妙な顔をした。


「てか、お兄さん自分の動きが変になるタイミング、自分で分かってなかったんだ」

「……トドメを刺す時と、トドメを刺されそうな時。そういう時に多いってことは分かってるんだが」


 ハッキリとは分かってない。俺の言葉にたこらいすは目を細めた。彼らしからぬ真剣な表情で、どんな時でも口元に浮かんでいた笑みさえ無い。吹雪く風がたこらいすの赤毛を撫で上げるが、彼は瞬きさえしなかった。


「――違うでしょ」

「え?」

「……んー。コレ、俺が言っていいヤツなのかなぁ?……まあでも、言わなきゃ駄目だよなぁ」


 初めて聞く、たこらいすの完全な否定。彼は迷うように深くため息を吐いた後、驚きに固まる俺の様子を見て、小さく頷いた。彼は俺が固まる瞬間を、俺よりも詳しく知っているのか?

 答え合わせをするように、たこらいすは俺から目を逸らして呟いた。


「……お兄さんが動けなくなるのは、勝ちそうな時とか負けそうな時とか、そんな単純な時じゃないよ。――その戦いで一番、楽しそうな時。固まる時のお兄さん、大体目がキラってしてるからさ」

「……」


 一番、楽しそうな時。ぴたり、と何かのピースがハマったような音がした。そうか、だから……なのか。ヴィラ・レオニスと戦った時、あるいはネビュ・レスタと戦った時、俺の身体は固まらなかった。


 ――それは純粋に、戦いを楽しめる状況じゃなかったからだ。


 ネビュ・レスタ戦では怒りと呆れが十割の戦いだった。

 ヴィラ・レオニス戦ではとにかくアリスの事ばかりが頭にあった。


 納得だ。だか、それなら俺は……どうして『楽しいと固まる』んだ? 全ての根源の疑問に至って、俺は……答えが出なかった。何も言えず黙りこくる俺に、たこらいすは目を合わせないまま言葉を続ける。


「理由を聞くつもりは無いけどさ……心配にはなるよ。いっつも無表情か苦しそうな顔しててさ、時々笑ったと思ったら、すぐもっと苦しそうな顔するんだもん。お嬢ちゃんだって、きっと――」


 と、そこでたこらいすが言葉を切る。俺も目線を上げて、それを見た。……完全に崩壊しきった大広場。その物陰から、新たなパーティが俺達に狙いを定めて魔法を詠唱している。


「マジ?今このタイミングで?空気読めなさすぎぞゃない?」

「場所が場所だからな。派手に戦闘して、その音が止んだ所を狙ってきたんだろう」


 俺の予想通り、目の前のパーティの他にも、ポツリポツリと漁夫が沸き立つ。正直、心身が掻き乱されていて気分が良くないが……それはイベントが始まった時からそうだ。

 久々に『良い』と感じる対人戦を経験して、多少はマシになっていただけだ。


 俺はため息を吐いて、たこらいすが微妙な顔をしながら武器を構える。が、俺は「たこらいす」と名前を呼んだ。


「ん?うわ、また別パ……一旦下がる?」

「いや、そうじゃない」


 そう言いながら、俺は空を見上げた。たこらいすが同様に目線を上げて、に気付く。


「あ、やっば――『壁』来てるじゃん」

「ここで戦うと全員潰す前に飲み込まれる。エリアの中心に居るパーティから検問されたり押し返されたら終わりだ」


 戦闘前までは遠くにあった収縮する『壁』が、すぐ目と鼻の先に迫ってきている。忘れてはいない。このイベントは『バトルロワイヤル』だ。トーナメント方式、コロッセオか何かで戦う対人戦とは全く毛色が違う。バトルロワイヤルにはバトルロワイヤルの戦い方というものがあるのだ。


「んじゃ、ここは……」

「とにかく走る。邪魔するヤツは適度に弾く」

「了解!」


 そう言いながら、たこらいすは両手にレイピアでは無く大盾を持つ。背の高いたこらいすの身体をすっぽりと覆い隠せるほどの、長大なタワーシールド。それを物陰から魔法による攻撃を狙うパーティへ向け、スキルを発動させる。同時に詠唱が終わり、広場を埋め尽くす程の火炎の濁流が押し寄せてきた。


「『アッドスペル』、『フルフォース』、『ヴォルカニック』!!」

「『不滅の要塞』!」


 降る雪が一瞬で蒸発するほどの、目も眩む紅蓮の津波。恐らくは中位か上位の魔法の一つだろう。何もかもを炭化させていくそれに対し、たこらいすは広場を縦に分断する巨大な光の壁を生み出した。


「これ5秒も持たないから、レッツゴー!」


 再び武器をレイピアに持ち替えたたこらいすが一目散に走り出す。たこらいすが生み出した壁に業火の波が到達して、数秒の硬直の後に砕け散った。

 広場から抜け出す俺達の背中に、何処からか投げ槍が飛んでくる。赤雷を纏い、美しい放物線を描くそれを、『勇気の証明』で打ち落とす。


 一瞬の均衡があったが、『勇気の証明』には『破壊不可』が付いている。鉄を擦り合わせる甲高い異音の後、弾かれた槍は独りでに遥か遠方へ帰っていった。

 胸裏か、心識か。はたまた武器の性能かユニークスキルか。何にせよ、無茶苦茶な投擲だ。


 背後から伝わる熱気から逃れ、カジェルクセスの路地裏に身体を滑り込ませる。背後から迫る『壁』の収縮は徒歩より早いものの、全力疾走をすれば充分に引き離せる速度だ。

 俺達が消えた大広場から、漁夫を狙ったパーティ同士の『二次会』の音が聞こえる。大砲の発射音、バチバチと威圧的な雷の音、数人の大声。


「結構、バチバチになってきたねぇ」


 たこらいすの言葉に頷いて、システムコンソールを開く。


【残り時間:20分】

【予選グループ:Δー1ー389】

【パーティ名:『メインディッシュ』】

【残りパーティ数:67】

【アストラルカウント:37】


 イベントの残り時間は20分。広大だったエリアはいよいよ人数比で手狭なくらいに狭まっている。だが、それを加味しても少々残りパーティ数が減りすぎだと感じる。ここと同じように激戦区が幾つかあったのか、はたまた上位のパーティが『胸裏』や『融心』でゲームを壊しているのか。


 俺と同様に現在の状況を確認したたこらいすが目を丸くして、「あと20分あって67パーティ……?」と口にする。


 このまま行けば予選を突破するための上位5%に入れそうだが、まだ順位が確定した訳では無い。何より、俺が目指すのは『本戦一位』だ。それが達されるまで、俺は負けられない。勝ち続けなくてはいけない。

 残る67パーティ、その全てを俺が潰す。それだけの気概と決意をもって、俺は拳を握りしめ……そこで、また表情が死んでいることに気付いた。


 せめて、笑顔で私達の先に向かってほしい。エンデの言葉がフラッシュバックする。だが、俺が『硬直』する瞬間が『一番楽しい時』であるとするのなら、俺がやらなければいけないことは単純だ。


 ――楽しまない。ただただ機械のように、目の前の全てを刈り取る。それが出来れば、俺は……。


「まあ全部ぶっ飛ばせば関係ないない!このままガツガツ行こうぜ、お兄さん!」

「……あぁ」


 俺にそれが出来るのか、と問われた気がした。それで良いのか、と囁く声があった。その道を選ぶことは簡単だ。けれど、それは……ずっと俺の隣で笑顔を浮かべて、これまで助け合ってきたたこらいすに、どう見えるだろうか。


 失礼か、無礼か。ただ、その程度で勝負に勝てるのなら、大した問題ではないのではないか。渦巻く疑問に答えは出ず、俺はたこらいすの目を見れないまま、小さく頷いた。



 ――――――――――



『壁』から逃れ、エリアの中心を目指すこと数分。いよいよ天候は大荒れの兆しを見せ、目の前の視界さえ危ぶまれる状況だった。こんな猛吹雪では並大抵のイベントが中止になるだろうに、このバトルロワイヤルは続いている。


 最早戦いは出会い頭の遭遇戦ではなく、それぞれがそれぞれのエリアを守り、あるいは攻め合う攻防戦に代わっていた。猛吹雪の中で深く息を吐き、濃い白息に目を細める。触れた端から息が凍るせいで、頬や睫毛に雪が積もってしまう。


「お兄さん、これ何パーティ目だっけ?」

「16だ」


 視界の取れない吹雪の中、俺達と同じようにエリアの中心を目指すパーティ、あるいはひたすらに順位上げを狙うパーティが背後から、上空からの不意打ちを狙い、それを捌くこと数度、いつの間にか残りパーティは大きく目減りしており、本格的に本戦への道が見えてきた。


【残り時間:15分】

【予選グループ:Δー1ー389】

【パーティ名:『メインディッシュ』】

【残りパーティ数:27】

【アストラルカウント:47】


 パーティの減りが加速している。進む俺達の目線の先に、本当にうっすらと向こう側の『壁』が見える。エリアは遂に街の一角程度まで範囲を狭め、吹雪が逆巻く音の切れ間に激しい戦闘音が響いていた。

 ぞわり、ぞわりと背筋に鳥肌が立つ。もっとも激しい戦いの渦中、それの真ん中に足を踏み入れている感覚がある。


 誰にも負けるつもりは無い。だが、この一位の存在が気掛かりだ。たった5分で何パーティが減った? エリアの収縮は確かに加速しているが、これまでの経験が『早すぎる』と警鐘を鳴らす。


 まさか、どこかが四人パーティを一人ずつで散開させてキルを集めているのか? 嫌な予想に目を細めていると、吹雪の向こう側から何かが走ってくるのが分かった。

 俺の反応にたこらいすが弓を構え、矢をつがえる。俺もスティレットを構えるが……妙だ。向こうからの敵意を感じない。積もった雪を伝って必死な足並みは伝わるが、それだけだ。


 足を止める俺の耳に、じゃらり、と鎖のような音が聞こえた。同時に目の前の影がピタリと動きを止めて……叫び声を上げながら吹雪の向こう側に引っ張られていった。


「うっわぁ……ホラー映画?」

「……嫌な予感がする」


 俺の勘はほとんど当たる。こういう嫌な勘は、特に。吹雪の奥で数合の剣戟の音が響いて、何かが砕け散る音を最後にそれが止んだ。チラリと見ると、残りパーティ数が1減っている。

 強敵の予感と、それ以上に『やめておいたほうがいい』という予感がある。


 だが……理由が無い。エリアは狭まっていく。いずれは倒す敵である。それならば、戦うしか無い。


「たこらいす……行くぞ」

「オッケー。とりま、後ろから援護の形で行くよ」


 雪の絡まった白い髪を揺らしながら、細心の注意を払って前へ進む。目を凝らして見れば、この先は少しばかり開けた場所のようで……恐らくはカジェルクセスの街中にある公園か何かなのだろう。

 強まる嵐の向こう側で、再び戦闘が始まった気配があった。

 脛まで積もった雪を掻き分けながら進み、目の前にそれを捉えた。激しく戦う二人の人影。


 ドォン、と鈍い破砕音が響いて、公園の中にある樹木が薙ぎ倒される。同時にもう一度同じ音が響いて、影の一人がこちらへ吹き飛ばされた。

 ゴム毬のように一度雪原を跳ねたそれは、派手に雪を巻き上げながら俺の前に転がって止まる。


 戦士職のプレイヤーだった。レベルは38。充分に上位勢を名乗れるレベルだ。その身を包むのは、重厚な板金鎧。頭までをすっぽりと覆うその姿は重装騎士そのものだが……分厚い胸板はべコリ、と深く凹んでいる。手に持つのは巨大な戦鎚。先程の破砕音は彼によるものだろう。

 鎧の関節部分から血を垂らし、面頬の隙間からダラダラと血を吐くプレイヤーの名は『マキシマス』。手足を痙攣させつつも、必死に立ち上がろうとするが、どう見ても『朦朧』や『混乱』の状態異常を受けている。


 残り1割を切ったHPも、出血により目減りし、その命は風前の灯火だった。


「ざ、けんな……それ、は……アリなのか、よ」


 肋骨が折れているのか、まともに言葉を話せないマキシマスは、背後の俺など目もくれず、吹雪の向こう側に恨み言を吐いていた。背後のたこらいすがギリリ、と矢を引いて狙いを定める音がする。


 トサ、トサ、と雪を踏みしめる音が前方から響き、もう一人の姿が浮かび上がる。持っているのは……戦鎚? 鎖らしきものを持っている様子は無い。

 俺は身構えて、吹雪の奥から剣呑な『女の声』が響いた。


「まだ死んでないのか。しぶといな。『俺』に勝てる訳無いんだから、さっさと死んどけよ」

「――は?」


 一瞬だけ、猛吹雪が弱まって……白んだ世界の向こう側に、姿が見えた。比喩ではなく頭の中で、プツリと何かが切れる音がする。

 嘘、嘘……だ。いや、違う、何かの間違い?幻覚?分からない。理解出来ない。


 その姿を認識した瞬間、腰が抜けそうになった。幽霊を見た子供のように、目と口を開いて後ろに足を引く。事前に武器を握りしめていなければ、確実に取り落としていただろう。


 『彼』の肌色は日本人離れした褐色だった。髪は黒に近い紫で、ドラマの侍のように長い髪を後ろに束ねている。

 瞳は深い藍色で、日が落ちた後の空を思わせる。右頬に二本、指で引いたようなペイントがあって、左耳には月を模したイヤリングが付いていた。


 俺はその姿を知っていた。誰よりも近くでそれを見ていた。いや、その表現は正しくない。何故なら、それは――


「『good knight』……な、んで、ここ……に」

「ん……また獲物が来たか。その感じ、『俺』のファンか何かか?」


 ニヤリ、と彼は笑う。理解不能だった。その笑みは、確かに俺の笑みだ。まるで生き写しのように、完璧に『俺』だった。また一步、俺の足が後ろに下がる。

 全身の感覚が無い。寒さによるものではなくて、心によるものだ。なのに脳は溶けてしまいそうなほど熱暴走して、目の前の情報を処理出来ない。今なら1+1でさえ答えを誤るだろうと思うほどの錯乱。


「あ、ぁ……ああ……!」

「お、お兄さん……? ちょっ、え?」

「ハハッ! 感動で声が出ないのか? そこまでの反応をされると、悪い気はしないな。特別に、握手でもするか?」


 吹雪の中、『彼』は女の声でそう言った。ニヤニヤと笑う顔には、『俺』に無い喜悦が滲んでいる。恐怖、混乱、絶望。一体どんな言葉が、今の俺の胸の内を形容してくれるというのだろう。俺はあらゆる負の感情の坩堝となって、ひゅっ、と喉が締まる。


 そんな俺の様子に気付かないまま、吹雪の中に佇む『グッドナイト』――元全1のプロゲーマーの姿をした誰かは、黒い革手袋に包まれた手のひらを、俺に向かって差し出した。

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