第35話 天下無双と一等星
背後から慌てた様子のたこらいすが迫ってくる気配を感じながら、一步を踏みしめる。良く
冷え切った四肢にゆっくりと力を込め、悴んだ指先の感覚を確かめる。そうして深く、深く、深く息を吸う。肺胞の奥まで酸素を取り込み、意識を明瞭に保つ。
これはゲームだ。この深呼吸は形式的なもので、どれだけ息を吸っても脳に血液は回らない。それでもその行為には、俺とって確かな意味があった。
目を一瞬閉じて、全ての思考を切る。イメージは必要無い。世界最強を思い描く必要は無い。
――俺が、世界最強だ。
俺の一挙手一投足が理論値だ。俺が思い描き、反射する全てが完全だ。思考が完全に切り替わる瞬間――空を切って光線めいた矢が俺の顔に突き刺さった。
「ッ!? ケリアッ!」
「リーダー!感動の再会は良いけど、忘れないでよ! 周りは全員敵で…………は?」
「何を……?」
ホワイトスターの射手を務めるケリアというプレイヤーの職業は『拳闘士』だ。だというのに彼は弓を引いている。このゲームは職業によるスキルの取れる取れないが存在しない。魔法使いが『剣術』を習得することも、精霊術師が『下級土魔法』を習得する事もできる。単にステータスの補正が受けられず、成長の曲線が低いだけだ。
面白いビルドのケリアに目を細め、見つめ返す。彼は幽霊にでも会ったような顔で俺を見て、その顔色に振り返ったエンデが目を丸くした。
続けて、精悍な顔の口元に挑戦的な笑みが浮かぶ。
「本当に怪物なのだな、君は」
失礼な、とは思わない。自分自身で異常だとは思っているさ。俺は口で咥えた矢を左手で持って、小さく息を吐く。チラリと見た黒い鏃には俺の歯型がしっかりと残っている。
ダメージはゼロ。シールドが僅かに削れただけで、それどころか『勇気の冠』によって『不屈』のバフが乗っている。
戦場の全員が、俺の次の動きに手足を緊張させていた。俺はそれを崩して、静かに矢を空に放った。戦場の誰もが一瞬だけ目を動かして――たった一人だけ、途絶えぬ目が俺を射抜いていた。
それに対して、俺は囁くようにこう言った。
「《
「……!」
降りしきる雪が俺の居た場所をすり抜けた。視界が切り替わり、はためく銀のマントと周囲を彩る星座が見えた。心識の関係でバフは機能しないが、それを気にしては攻撃も出来ない。俺は最速最短の角度をもって、右手のスティレットを押し込む。
エンデの反応は間に合わない。間に合うはずが無い。背骨のすぐ横、肋骨の間を抜くような突きが刺さって……その一瞬、首だけを振り返らせたエンデの目が、確かに俺の目を見た。
「ぐッ、ぁ……あぁッ!!」
ダメージエフェクトが散って、エンデの身体がよろめく。けれどもその左手が即座に剣を捨てて、俺の右手を掴んだ。そしてわざと押し込むようにして、スティレットを抜かせない。
「……!」
「――前々から、考えてはいたんだ」
エンデの身体が二重にブレる。口の端から血を垂らしながら、エンデは獰猛に笑った。続く台詞は、その身体から生み出された分身が引き継ぐ。
「"四肢粉塵"を受けきれるプレイヤーは居るのか、と」
これは……エンデの胸裏における第三篇、『
エンデの分身が片手に持った銀の剣を俺の喉元へ突き入れる。コイツ、俺の行動を見た瞬間に全てを捨ててパリィを封じやがった……!
回避が間に合わない。そんなのは見れば分かる。エンデのレベルはあの時より上がって45。胸裏を考えれば『死界踏破』状態の俺以上の速度だろう。
一般には見えない刹那の突き。それを……残された左手で掴む。
左手が引き裂け、肉が抉れ、骨まで達する。それでも決死の力を込め、その剣先が俺の喉を浅く貫いて止まった。
べっとりと俺の血を垂らした銀の剣から、赤い雫が垂れる。その瞬間、俺を見下ろすエンデが堂々と笑った
「私を殺すには、あと三撃ほど足りないな」
「――ははっ」
あぁ、いいな。強い。一点の疑いも無い強さだ。直後に外野が俺の瞬間移動に気付いて目を剥く。俺はダガーを捨ててその場から飛び退いた。途端に大盾が間に割り込んで、俺の頭があった場所を槍の穂先が抉り抜く。
「エンデッ!」
「チッ! 何処に目玉ついてんだコイツ!」
「ふー……『ハーミット・アロー』!」
背後からの狙撃。鼓膜と肌で投射物の位置と速度を捉える。右腕だけ動かし、後ろ手でそれを掴んだ。強烈な回転と衝撃が右腕に掛かるが、どうでもいい。
「は……ぁ……? 不可視の、矢ですよ……?」
そうなのか。どっちにしろ、見る必要は無い。掴んだ矢を一瞥して、独り言のように呟く。
「……『ダウンバースト』」
最初に俺が放った矢。それが遥かな放物線を描いて、描いて……急降下する。それは唖然と固まるケリアの頭に突き刺さり、見事なヘッドショットになった。
「あがっ!?」
「『ストレート・エ――」
「させると思うか?」
右手の矢を握りしめ、突風と共にケリアへ突撃する。が、その軌道上にエンデが割り込んだ。血が無い。分身か。即座に『詠唱破棄』でストレート・エアを中断。背後から迫る
キラキラ、と冗談のような音を伴いながら、俺の背中があった場所をエンデの双剣が貫く。前と後ろで挟み込み。ほんの一瞬でも判断をミスれば即死は間違いない。
「ォ゙オラァッ!」
「『ストームブレイド』」
俺の技量を見て、スキルによる攻撃を控えたか。喰らえば頭から踵までグチャグチャになる振り下ろしを半身になって回避。ギリギリの回避によって髪の毛が切れ、降る雪と混ざって散っていく。
俺の右手には緑の刃、そして左手には――握り込んだ血液。
「うがっ!?」
赤黒いそれをカリフラワーの目元に放る。目潰しだ。戦いに卑怯も汚いも無い。そんな言葉は死んでリスポーンに戻ってから好きなだけ喚け。
びちゃり、と俺の血で目が潰れたカリフラワーに肉薄し、晒された喉元を深く風の刃で抉る。同時に『ノックアップエア』をキャストして、その身体を俺ごと打ち上げた。誰にも背中を向けないことを意識し、地面と平行に身体を倒す。
それに合わせて『勇気の証明』が吹雪の中を飛翔し、カリフラワーの身体を狙う。が、当然のようにエンデが動いた。分かってはいるが、尋常ではない速度だ。
『死界踏破』、出血により発生した『勇心』、称号による加速。それらを受けても背後を取られれば彼のほうが遥かに速い。
またしても分身と同時の挟み撃ち。面倒だが『勇気の証明』を足場にその場から飛び退くしか――
「何だか知らねえが……」
「チャンス!」
「ッ……!」
「横槍か」
忘れてはいない。ここは戦場。そしてバトルロワイヤルの真っ最中だ。空中に巻き上げられたカリフラワー、俺、エンデに対し、魔獣使い集団のキメラがワイバーンの口を開けてブレスの構えを取る。喉奥に火花が見えて……開いていた口が、強引に下から閉じられた。
ガチンッ!!と鈍い音が鳴り、キメラの頭の一つが目眩を起こしたように白目を剥いた。
「コラコラぁ〜!! 俺達脇役が、主役の邪魔しちゃ駄目でしょーが!」
たこらいすだ。両手に持ったスレッジハンマーめいた大槌で、下からキメラの頭をぶち抜いたのだ。それを見た瞬間、俺とエンデの目線が交錯する。
――やるか。
――賛成だ。
「『アッドスペル』『カッティング・エア』!『カースドウィンド』!」
「「『
俺とエンデは即座に攻撃の対象を怯んだキメラに向け、俺の風が魔法を詠唱していたヤギの頭を切り裂く。同時に新しく習得していた『カースドウィンド』が黒い風となってキメラの身体を包み、『衰弱』の状態異常を与えた。
ハッとした顔のたこらいすが得物を大槌から槍に変えると、怯むキメラのワイバーンの頭にそれを突き刺して動きを止めた。
ギリリ……と弓の弦が引き絞られる音が響く。見れば右目から流血したケリアが歯を食いしばって、鈍く輝く矢を構えている。
「『シューティングスター』ッ!」
放たれた矢は一筋の流星となり、進路上の全て――キメラの頭から尻尾までを貫通して、更にその先の家屋や石像さえも撃ち抜いた。
「なっ!?はぁッ!?」
「やばいって!一瞬で……!」
遅れた風がキメラのライオンの頭の鬣を揺らして、その巨体が紫色の血の海に沈む。あのキメラはよほど負け無しの魔獣だったのだろう。魔獣使い達はアワアワとムチを片手にシステムコンソールを開いて何かを話しているが……そこへ突き進む影が一つ。
「さーて、脇役諸君? 俺と遊ぼうか〜」
「『ウェポンディーラー』……!?二次職持ちだ!」
「クソッ!舐めんな!」
エンデの真似事か、双剣を持ってたこらいすが無防備な魔獣使い達をキルしていく。彼らは慌てて残りのマーマンや騎士鎧、人形を呼び戻そうとするが、先ほどまで壊滅寸前だった二人パーティがここぞとばかりにゴーレムを動かし、ヘイトを吸って行動を阻害し、妨害の限りを尽くす。
暴れに暴れて、ヘイトを稼ぎ過ぎたパーティは狙われる。バトルロワイヤルをやるなら、必ず知っておきたいルールの一つだ。
ある意味自然の摂理に則って壊滅したパーティを尻目に、俺はその場から飛び退く。ドォン!と鈍い音が鳴って、黒い槍が石畳を派手に砕いた。深々としたヒビがクモの巣状に広がって、衝撃からか近くの彫像の一つが崩れる。
「……ハハハッ!クソッ!見えねぇ!マジでお前強ぇなっ!最高じゃねえか!」
カリフラワーは俺の血で視界の殆どを奪われつつも、それを拭うことさえせず、満面の笑みで槍を担ぐ。ハハハッ!と心底楽しそうな笑みで、勘を頼りに俺へ槍を突き出した。
一、二、三。一撃一撃が空気を割る豪快な突き。そのどれもが正確に俺の頭の位置を捉え、俺はそれを冷静に回避する。
そして僅かな隙を見て一歩前進し、カリフラワーの足元を蹴りで
「氷と盾職は相性がいいんでな……重宝してるよ」
マナリアの言葉に目を細めつつ、視界の端で、エンデを見た。どうやら潜伏していた戦士と求道者、そして不死者を操る吟遊詩人にたこらいす共々絡まれているらしく、こちらへは来そうにない。
それを確認し、即座に駆け出す。
「逃がしませんよ!『アローレイン』!」
「合わせるぞっ!『ダンブルウィード』!」
範囲攻撃なら勝ち目ありと踏んだのか、ケリアが空へ向かって一本の矢を放つ。同時にマナリアが地面に大盾を押し付け、俺の足元に何かを送り込んだ。
上と下、完璧なタイミングでの範囲攻撃。そしてそこへ――
「っしゃあ!行くぞォ!!『
胸裏の発動。カリフラワーが槍を放り捨て、両拳を突き合わせてニヤリと笑う。その身体が黒化、石化、硬化のプロセスを経て、あのヴィラ・レオニスの剣戟さえ防いだ堅牢なる岩の巨人が生まれた。
「あぁ、本当に……」
いいな、この感じは。向けられる敵意や、彼らから感じる戦意、積み重ねた努力の成果。そして目まぐるしく回る戦場で、焦りや経験、発想の坩堝から絞り出された選択の数々。
これほどまでに背筋を震わせ、脳を痺れさせるものは無い。それは、NPCやBOTと戦っていては得られない……戦いの昂揚感だった。
空から降り注ぐ矢の雨。身を捩って数発を避け、一発を頭で受け、空中を踏む。迫る巨人へ向けて最高速の『勇気の証明』を叩きつけて足を止め、空を泳ぐように身体を捻る。
「なっ……!」
「ハハハッ!」
「マジか……なんで」
当たらない、当たらない。よしんば当たっても計算済み。百本近い矢が降り注ぎ、俺に当たったのはたった四本。与えたダメージはたったの40。エンデとの接触を含めても、まだまだHPは半分以上残っていた。
滑らかに矢の雨から脱し、地面に手から着地してロンダート。そして、地面から手が離れる寸前に『それ』を回収する。
「どんなに逃げてもブチかませば死ぬだろ!」
逃げる俺に、カリフラワーは全身全霊のタックルを放った。ゴォ、と空気が押し出され、巨大な岩石が高速で突っ込んでくる。何もしなければ
それに対して笑みを浮かべながら、俺は囁いた。
「――《
「ッ!?」
先程まで好戦的な狂笑を放っていたカリフラワーが息を呑む。俺が拾い上げたのは、黒い十字架。エンデが俺に肉薄するに当たって放り捨てた『慈悲の十字架』だ。
そして先程までの戦闘と、度重なる回避により『無冠の曲芸』のリキャスト短縮は発動し続けている。
視界が切り替わり、大粒の雪が俺のうなじに触れる感触があった。三メートル近い巨躯となったカリフラワーが俺の居た虚空をタックルで押しつぶし、雪を周囲に撒き散らす。その無防備な後頭部に、上から降り注ぐ形で全身全霊のバクスタを叩き込んだ。
「が、ァァッ!」
『勇心』『不屈』『無防備』『スロー』『防御強化解除』『部位破壊属性』『装甲貫通』の乗ったバックスタブ。本来武器や刃物など通りようもない巨岩の鎧が、部位破壊と装甲貫通でいとも容易く貫かれる。同時に、紫色のエフェクトが弾けた。ここで……天然のクリティカルか!
彼岸花めいて大ダメージを示すポリゴンが飛び散り、純戦士職のカリフラワーのHPが四割強消し飛ぶ。同時にその身体を覆っていた大岩が『防御強化解除』によって剥がされた。
砕け散った岩がゴロゴロと転がる音に合わせ、カリフラワーが地面を転がり蹲る。
――ヒュン、と俺の後頭部を狙ってスキル無しの狙撃が飛んだが、一瞥もせず掴み取った。最早誰も驚くことはせず、マナリアがガシャガシャとカバーのために走り込む音が聞こえるが、もう遅い。
「『アッドスペル』『ストームブレイド』」
「カハハ……! マジ、強すぎ……!」
頭を抑えながらよろよろと起き上がるカリフラワーが、笑いながら俺を見上げて……その目が見開かれる。
「『獅子奮迅』、『不撓の肉体』――『重崩黒掌』ッ!!」
最後の最後まで、自バフを盛って相打ち狙いの肉薄。恐らくは拳闘士が習得するであろう徒手空拳のアクティブスキルで、どこまでも貪欲に勝ちを狙っている。文字通り全身全霊が篭ったソレを――俺のスティレットが正面から弾く。
金色のエフェクトが散って、大きく仰け反ったカリフラワーが赤い瞳を見開いた。
「ここで、パリィ、かよ……!」
ハハッ……!と最後まで笑ったカリフラワーの身体を『勇気の証明』が貫き、そのHPを全損させる。戦場の藻屑となって消えていったカリフラワーに、マナリアとケリアが息を呑んだのが聞こえた。
ふう、と軽く息を吐いて振り返る。矢の雨、植物の群生、大岩の突進で、最早大広場は運動場めいて開放的だ。
「僕、どうしたらいいかな……『胸裏』使っても見切られそうだし、出来ることが無いんですけど」
「それは俺の台詞だ……盾役だけど、どう考えてもあんなの凌ぎ切れる気がしない」
ケリアとマナリアの弱気な台詞に何を思う事も無く、前へ歩き出し……遠くから弱気なたこらいすの絶叫が響いた。
「わ〜っ!お兄さん! エンデは流石に俺じゃ無理ー! ごめーん!!」
空を切って、彗星が鋭角に俺へ迫る。あまりの速さに、マントのはためきと星座の残像だけが目に映る。エンデ……!もう別パーティを仕留めてきたのか!
「『斬空』ッ!」
戦士が扱うスキルの一つ、斬空。空から急降下しながら双剣の剣先が俺の首を刎ねようと迫る。愚直で、だからこそ恐ろしい太刀筋に合わせてバックステップ。僅かな距離と時間を稼いでスティレットでのパリィ。
与えられた
そのまま踏み込……まない。視界外から、微かに雪を踏みしめる音を捉える。即座に右手を戻すが、間に合わない。『勇気の証明』を動かすよりもずっと速く、エンデが俺の頸動脈を抉るように突きを放った。
食らう?避ける?逸らす? 三択が脳を駆け抜けて、俺は首を大きく仰け反らせた。俺のアバターのヒットボックススレスレ、首の産毛に刃が触れるほどのギリ回避をキメて……大きく口を開く。
「なっ!?」
そうして俺は、全力でエンデの直剣を噛む。目を見開いたエンデが即座に剣を引くが、俺はそれに合わせて軽くステップし、釣られた魚のようにエンデの引く力を利用して接近する。
刃を咥える口の端が軽く裂けて、首と顎からミシリ、と音がするが気にしない。そうして俺はエンデの下顎から頭蓋に向けて貫通する、渾身の突きを放った。
――瞬間、エンデの姿が消える。
「……は?」
粗雑なホログラムのようにノイズを混じらせて、『分身』が消えた。コイツ……まさか、本体を先行させて、分身に本命を打たせたのか。それだけじゃない。消えていく分身の口元にはドロリと血が溢れている。俺が目を離した隙に、分身に自分の血を塗りやがった……!
全てを理解した瞬間、首筋にゾワリと鳥肌が立つ。真正面から、深い踏み込みが聞こえる。鋭い殺気が俺の身体を射抜いていた。
即座に喚び戻した『勇気の証明』をエンデに放つが、当然のようにマナリアが大盾でカバーを挟む。
「――最終篇『
大技が来る。俺が首を振り戻す一瞬すら与えない、超高速の斬撃。パリィは間に合わない。回避は出来ない。詠唱も差し込めない。脳内のダメージ計算が、迫る攻撃に対して『
万事休す。打つ手無し。……本当に?
「――ハハッ」
俺は思わず笑って、目だけを動かしてエンデを捉える。彼は俺の笑みに顔を強張らせて、目を見開いた。ああ、そうだ。お前は強いよ。どれだけ自分の戦い方を磨いてきたんだろうな。この日まで、何度も練習を重ねてきたんだろうな。
だから、お前は――俺の一手が見えてしまう。
「
「ッ!? 後ろ――ッ!?」
残念。ハズレだ。俺の口の動きを見た瞬間、エンデは全ての推進力を犠牲にして背後へ振り返った。銀の軌道を描く双剣が美しい軌道を描き、豪快に空を斬る。振り抜いた斬撃の余波だけで遠方の建物が斜めに断裂して、瓦礫が降り注いだ。
『四肢粉塵』を知っているからこそ、エンデだからこそ刺さるフェイク。俺の『四肢粉塵』のリキャストは2分以上残っている。だから俺は、「
全てを理解したエンデが目を見開く。マナリアは『勇気の証明』で足止めをされている。ケリアは射線にエンデとマナリアが居るせいで射撃が出来ない。
エンデ、お前は本当に強かった。だから――死ぬんだよ。
俺は無防備に背中を向けるエンデの後頭部へあらゆる効果の乗ったスティレットを振りかぶって――全身が『硬直』する。
(は……ぁ……!? ここで、かよ……!ふざけんなッ!)
動けない、動けない。スローになった世界で、ゆっくりとエンデが俺へ振り返ろうとする。体勢を立て直して、右腕を滑らかに振るおうとする。それに対して、反応が出来ない。
そんな俺の右手に、後ろから伸ばされた手が重なった。荒々しくささくれ立った、鍛冶師の手。
いつの間にか俺の傍らに走り込んでいたたこらいすが、スティレットを振りかざして固まった俺の手を両手で掴み……それをエンデに振り下ろした。
「っせぃッ!」
「ガハッ!?」
瞬間、エンデのHPが消し飛び、その身体からパリン!とガラスの砕け散る音が響いた。周囲を周回していた星座がチカチカと明暗し、消える。
ドサリ、と雪原にエンデが倒れ込む音が響いた。
「リーダーッ!」
「エンデ!!」
「うぉっ!?」
エンデが倒れて開けた射線に、ケリアが矢を通す。それは俺の隣のたこらいすに直撃し、彼を大きくノックバックさせた。
同時に、マナリアが『勇気の証明』に背を向けてエンデに走り込む。その瞬間、俺の脳に血が巡った。一秒近く硬直していた身体が解れて、悴んだ手足の感触が戻って来る。
(……ッ!蘇生ッ!)
まだそれを扱うプレイヤーを見たことはない。だが、彼らならばあり得る。硬直していた身体の全てに力を込め、魔法を詠唱しながら全力でマナリアに突っ込んだ。
「『カッティング・エア』!『ストレート・エア』!」
「くっそ! 『アルカナシールド』!」
マナリアは切り裂く風を紫色の障壁で受けたが、続く風に押し込まれてたたらを踏む。再びケリアが二の矢を構えるが、即座にマナリアを間に入れて射線を切った。
「マズい!マナリアさん!」
俺の間合い、超至近距離だ。幾ら鎧を着込んで、大盾を構えても俺に対しては意味が無い。マナリアは吹雪にも関わらず冷や汗を垂らしながら、必死に俺へシールドバッシュ、盾殴りを駆使して距離を取ろうとするが、無駄だ。
この距離での読み合いに、俺が負けるはずが無い。振った盾をスレスレで回避して、シールドバッシュのリキャストを読んで同じ距離だけバックステップ。傍目には茶番のように見えてしまうほど、あるいは台本を疑うほどの戦い。
マナリアが喉奥に引っかかるような、掠れた笑いを上げた。
「は、ぁ、はは……なんだよコレ……何が見えてんだ」
全部、というのは些か言い過ぎか。その目線、手足の動き、次の一手に迷う爪先、必死に隠そうとしている下半身の体重移動に至るまで。
俺には見えている。あるいは見る必要すら無い。何合か、俺とマナリアは攻撃を撃ち合って、その度にマナリアのヘルスがゴリゴリと削れていく。
どうやらマナリアには『胸裏』が無いらしい。あるならばとっくに切っているだろう。あるいは……エンデに走り出していった行為、それがマナリアの『胸裏』に関係しているのか?
どちらにせよ、詰みだった。マナリアは何一つ俺に当てることなく、ただただHPを擦り減らして、遂に膝を着いた。
「これは、もう……しょうがない、わ……」
無理だ、と呟いて、その身体が消えていく。一瞬だけ息を吸って、顔を上げた。そこではケリアとたこらいすの戦いが起きており、俺のヘッドショットで片目を失ったケリアが劣勢だった。
何より……MPを使い切ってしまったのか、彼は拳闘士のスタイルに戻って、たこらいすと打ち合っている。二人のレベルはほとんど差が無いため、スキルの有無を考えればたこらいすに軍配が上がるだろう。
しかし、ケリアには『胸裏』がある。優勢に立ち回るたこらいすも、『心識』のデメリットを突かれれば苦しくなるだろう。加勢のために足を前に進め……俺の背後で、ザク、と雪を掻き分ける音がした。反射で振り返り、驚きに目を見開く。
「ここは……そうか」
「……HPはゼロに見えるんだが」
「あぁ、これは私の『心識』だよ……『騎士の誓いと焦燥の星』といってね……こうして死の間際に、ある程度の時間をくれるんだ」
俺の目線の先、後頭部と背中、そして口元から出血したエンデが寝そべっていた姿勢から起き上がり、あぐらを
既にそのHPバーは赤一色で、崩れて戻らない体幹や焦点の合わない目を見るに『朦朧』の状態異常に掛かっているようだ。
背後でケリアとたこらいすが鎬を削る音を聞きながら、俺はエンデに向き直った。見た限り、彼にはもう立ち上がる余力も残されていない。それでもこうして俺の前に居るのは、何かしらの理由があってのことだろう。
「ミツクモ君……まずは、おめでとう。君達の勝ちだ。ケリアは粘るだろうが、さしもの君達には適うまい」
「……そうか」
「面白い、戦いだった。君の実力は正直言って、計算外も良いところだったが……本当に、楽しかった」
エンデが困ったように笑って、乱れて目にかかった髪を軽く横に流す。ピキリ、ピキリ、と耳を澄ませばエンデの身体には小さなヒビが入っており、そこからは青々とした光が漏れ出ている。
俺の目線に気付いたエンデが小さく笑って、俺の目を見た。快く晴れた空を思わせる、碧空の瞳。それに映る俺の顔は……どうなっているんだろうか。
それは少なくとも、エンデほど晴れやかな笑みでは無かったらしい。彼は目を細め、穏やかな口調で言った。
「君も、楽しんでくれたか?」
「……あぁ。良いゲームだった」
「ふふ……そうか」
エンデは目を閉じて微かに笑うと、ゆっくりと仰向けに倒れる。大の字に空を見上げ、エンデは目を閉じたまま俺に言った。
「君は――ゲームを、楽しみたくないのだな」
「……」
「楽しいと思う気持ちはあって、実際に楽しんで……それでもそれに、何かを思っている。……勝手な予想だがね」
エンデは俺の方を見ない。勝手な独り言のような声音で、降る雪に身体を埋められながらも、言葉を紡いだ。
「私には君に何があったのか分からない。けれども……せめて、笑顔で私達の先に向かってほしい。勝者がそんな顔をしていては、私達は浮かばれないよ」
「……善処する」
俺の言葉にエンデは小さく笑って、瞼を上げた。その身体を覆うヒビは全身に広がっており、パキリ、と白い頬にもそれは伸びていく。
エンデはそれに目もくれず、ただ鈍い曇天を見上げていた。そして……ポツリと、こんな事を言う。
「なぁ、ミツクモ君。最後に一つだけ」
「……」
「もしも私が……アルトリウスだったら。このゲーム最強のプレイヤーだったら、君に勝てただろうか?」
もう少し私が強ければ、とエンデは呟く。俺はしばらく押し黙って、口を開いた。
「……誰が相手でも、俺が勝つ。そのアルトリウスってプレイヤーが相手でも、俺が勝つさ」
「ははっ……そうか……そうなのか」
それなら、仕方ないか……と、エンデは朗らかに笑った。どうしてか、憑き物が落ちたような笑みだった。そうしてエンデの身体がヒビに覆われ、砕け散ちる――その寸前に、彼はボソリと呟いた。
「ありがとう、ミツクモ君」
その身体が砕け、青い燐光となって空に消える。ただ唯一、心臓のあった場所に残る光だけは消えず、吹雪の中で光り続けていた。
同時に後ろで続いていた激戦に終止符が打たれ、たこらいすが歓喜の勝鬨を挙げる。
「っしゃああああーぃ!!勝ったー!危な〜っ!」
自慢の鎧から大量の黒煙を上げ、根本から折れた大剣を掲げるたこらいすを一瞥して、もう一度エンデの居た場所を見る。再び勢力を増した吹雪が彼の痕跡や残った光を覆い隠し、既に血の跡でさえも曖昧だ。
俺はそれをじっと見下ろし……口に片手を当てて、下がっていた口角を上げた。そうして作った笑み崩さぬまま、言葉を残した。
「『落日』の次は『落星』か……なかなかどうして、物語みたいだな」
俺は口の端を押さえる手を離して振り返り、そのままの笑みでこちらへ駆け寄るたこらいすに一步踏み出した。
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