第34話 融ける心
ふぅ、と深く息を吐く。白息は瞬きの間に横殴りの風に巻き取られて消えていった。同時に俺の足元で倒れていたプレイヤーが這いつくばりながら俺に手を伸ばし、ボソリと呟く。
「チートじゃ……ないのか……」
極まった技術は、魔法と見分けがつかないという。そして極まった魔法は、時に違法を思わせるほどに理不尽だ。チーター、BOT、あるいはTAS。まだ俺がただのゲーマーで、あちらこちらを荒らしまくっていた時に良く言われたものだ。
俺の動きや感覚は、一般のそれとはあまりにも違いすぎた。スクリプトを疑われるほどに、俺は全ての攻撃を髪一重で回避する。時にはゲーム上のヒットボックススレスレに回避を決めるものだから、オープンVCからは『なんで今のが当たってねえんだよ!』と怒鳴り声が聞こえることも珍しくなった。
俺は伏せていた目線を上げる。女性のプレイヤーが二人……一人は両手にダガーを、もう一人は肩口に赤、青、緑の光の玉を浮かべている。職業は狩人と、精霊術師。レベルは20で、俺に対して後退りをしている。
その手元や唇が震えているのは、恐らくは寒さによるものだけではないはずだ。
「あ、ぅ……」
「私が、先にエンゲージするから……私ごとやって」
「テラちゃん、駄目――」
俺は両手をだらりと垂らして、緩やかに歩みを進める。右手にはスティレット、左手側には『勇気の証明』が浮いている。
吹雪を裂き、決死の覚悟で飛び出した狩人が両手のダガーに炎を宿し、左右に放る。瞬間、降る雪を一気に昇華させてしまうほどの火炎が翼のように噴き出して、その矛先が俺に向かった。
「『バックドラフト・プロミネンス』!」
凄まじい火力だった。やはりこのゲームは尋常ではない作り込みをしている。先ほどから何パーティと相手しているが、誰も彼もがオンリーワンなアビリティとスキル、武器を持っている。油断も隙もあったものではない。毎度毎度対応をする度に集中力が削がれる。
「ちょっとは削れたでしょ……」
「テラちゃん!下っ!!『カレントウォーター』!」
「『ストレート・エア』『エアリアルカーム』」
手のひらの熱で雪が溶けて感覚が痺れていく。俺は迫る炎を地面に深く這いつくばって躱し、クラウチングスタートの要領で動き出す。同時に俺の身体が更に加速して、視界の端から高水圧のレーザーが発射された。
が、俺の身体の周囲に強烈な風の流れが生まれ、レーザーの矛先を僅かに逸らす。首を傾けて水流を避け、慌てて炎の翼をダガーに戻した狩人に肉薄した。
舐めないで!と吼えながら突き出されたダガーに対して左前に深くダッキング。右肩のすぐ上を貫く二本のダガーを一瞥して、『勇気の証明』で遠方の精霊術師を牽制する。
同時に左手で突き出された手首を掴み、左腕の下から隠すようにしてスティレットを無防備な腹に突き立てた。ダメージが入るが、流石に魔法使いの近接でワンパンされるほど狩人は柔らかくない。
即座に振りほどいた狩人の腕が滑らかに俺の頭部に切り払いを入れるが、首を僅かに後ろへ動かして回避。
「ッ!?『四速連斬』!」
スキルによる流れるような四連撃。首、腹、肩、心臓へ、突きと薙ぎ払いが組み合わさって迫りくるが……それは先程のパーティの狩人も使っていた。一撃目を避けてカウンターの突きを腹へ叩き込み、二撃目で一步前へ右足が出るモーションを確認し、それを前蹴りで崩して転ばせる。
戦士や狩人……いや、これは職業にとらわれず、全ての職業に言えることだが、攻撃を行うアクティブスキルは全て、一定のアシストに従って体を動かしている。あのヴィラ・レオニスが扱った"四肢粉塵"でさえもそうだった。
どんなド素人でも、運動音痴でも、その動きに従えばある程度の動きが担保される。だが、俺に言わせればそれは、恰好のカモだった。
「んッ……!?」
「……ふ、っ」
スキルが強制中断され、両手をバタつかせながら前へ倒れ込む背中へ、呼び戻した『勇気の証明』と共にトドメを放とうとしたが……動かない。
ギリギリ、と奥歯が噛み締められる音がする。手足が鋼鉄になって、機能停止する。即座に『勇気の証明』が無防備な背中に二連撃を叩き込んでトドメを刺し、固まる俺の身体へ蒼い火球が放たれた。
完全な回避は間に合わない。魔法の詠唱も間に合わない。そもそも口も喉もマトモに使えない。だから『硬直』の終了に合わせ、俺は更に一步踏み込んだ。そして正面から、その火球を頭で受ける。
「や、やった……!」
「――《
凄まじい火力を内包した火球が頭に直撃したが、受けたダメージの殆どがシールドに吸収され、それを割るに留まる。『勇気の冠』によって結局、受けたダメージ自体は50が精々な所だった。
喜ぶ無防備な背中に特殊効果が盛られたスティレットのバクスタが刺さり、そのHPの八割が消し飛ぶ。悲鳴と共に小さな身体が雪原に叩きつけられ、女性プレイヤーは必死に両手で這って俺の方を見る。どうやら俺の『心識2』によって背中を向けていると回復が出来ないことに気付いたらしい。
荒く息を吐く彼女の肩口で緑色の光が強く煌めき、そのHPを大きく回復させる。精霊術師は使役している精霊の種類によって、様々な魔法を扱えるらしく、彼女が手にしているのは水、火、そして回復の精霊のようだ。見た限り、詠唱が極端に短く、MPの消費がほぼ無いという点で魔導士との差別化を図っているが……彼女らには一つ致命的な弱点がある。
「――あ」
背後から迫る俺の『勇気の証明』。それに対して女性は咄嗟に反応し手を向けたが……魔法が出ない。精霊術師は恐らく肩の精霊を媒介に魔法を扱っており、使える魔法の種類やその
彼女はすでに使える魔法の全てを使い尽くした。何よりそれを彼女自身が把握していないのが、致命的な隙だ。
(次に精霊が扱えるようになるのはそれぞれあと2秒、4秒、8秒後だ。それと別に扱っていた土魔法のリキャストも一番速いもので1秒以上残っている。何よりキャストしても発動までに間に合わない)
俺の脳内には、常にその場に居る全員のスキルリキャストがカウントされ続けている。先程の炎の翼のように特殊なスキルでもなければ、俺のカウントが狂うことはない。
何一つ打てる手が無くなった精霊術師が絶望の声を上げる。しめやかにその身体が袈裟斬りにされ、雪原の一部が赤く染まった。金色のポリゴン塊になって消えていく精霊術師を一瞥して、止めていた息を吐いた。同時に軽く目眩がして、目を細める。
「……これで8パーティ目。カウントは26」
少しだけ。ほんの少しだけ、小さな勝利に息を吸って、すぐに目線を上げる。壁の収縮は更に早まり、エリアはおおよそ半分にまで狭まっている。
おかげで周囲から破砕音だの咆哮だの爆発音が絶えず聞こえ、張り詰めた神経が休まる所を知らない。
「お疲れ様。お兄さん、体術もバッチリじゃん……俺が入り込む隙が無くてちょっと気後れしちゃうな」
「いや。今回は最初に一人受け持ってもらえたから助かった」
「3対1でフルボッコにしてるお兄さん見てると、自分の仕事があるのか心配になるよ〜」
珍しく泣き言を言うたこらいすだが、彼の働きは俺の予測を上回っている。四人のパーティが現れた時、あるいは相手に魔獣使いが居て人数が大きく不利な時は、たこらいすの出番だ。俺のレベリングに付き合っていたこともあって、彼の地力はそこらのパーティに引けを取らない。
確かに戦闘経験の浅さが如実に出ている部分はあるが、今の所彼がタイマンや2対1で押し負けている所を見たことはない。
まあ、俺が何を言ってもお世辞か嫌味にしかならないか。周囲に散った血の跡や戦闘痕が吹雪に消されていくのを尻目に、システムコンソールを開く。
【残り時間:32分】
【予選グループ:Δー1ー389】
【パーティ名:『メインディッシュ』】
【残りパーティ数:249】
【アストラルカウント:26】
「……半分近く残ってるな」
「とりあえず上位50%以内! やったねお兄さーん!あと200ちょいシバいたら本戦だよ!」
たこらいすがテンション高めにサムズアップする。それに苦笑を返しながら、深く息を吸った。
(本当に、調子が悪いな……)
このパーティを含め、アストラルカウントは26に達した。8回の戦闘があって、その全てで俺は『硬直』した。幸いにも、俺達に挑んだパーティ、俺達が挑んだパーティは軒並み格下だった。
戦闘経験も乏しかったし、対人勢は紛れていない。何より『心識』や『胸裏』、『融心』を用いてくるような相手とは戦っていない。
だから、どうにかなっているのだ。俺はただ、格下を狩って小さな勝利を積み重ねている。勝って当然の戦いを繰り返している。
(……落ち着け。深く考えすぎるな。俺が本調子じゃないのは当然だろ。だって俺は……ちょっと前までは、ゲームに触れることさえしてなかったんだから)
ブランク、感覚のズレ。それらは俺が思っている以上にあるはずで、何よりこの『硬直』があるのは分かりきっていたことだ。
吹きすさぶ暴風と殺すような冷気に目を細め、睫毛の上に乗った雪を瞬きで払う。
「……次へ行こう」
「おっけー。俺はお兄さんが行くとこなら、どこだってついてくよ〜」
「……ありがとう」
本当に何気無く言葉が漏れた。俺にとって珍しい、無意識の台詞だ。たこらいすは目を丸くしてカチカチに固まり、続いて両手サムズアップを構え、にぃっ、と大きく歯を見せて笑った。
「もち! お兄さんが気にすることなんてなんもないんだから、ガンガン行こ! ガンガン行ってダメだったら、一緒に
「……慰めて貰えるか?」
「たぶん無理! 二人して
だろうな、と小さく笑った。いつの間にか滲んでいた汗が凍り、小さく身震いする。見上げた空は鼠色の雲がぐるりぐるりと渦を巻いており、その早さは少しばかり異常だ。
荒れ狂う天候に幾つか思考を巡らせつつ、街中を進む。あちこちで起きた戦闘の影響で、家屋や店が倒壊している。中には地区の一角を丸ごとガラス化させていたり、解き放たれた小型の魔物が闊歩している場所もあり、やりたい放題の一言に尽きる。
(これはちゃんとイベント終了時に元に戻るんだろうな?)
余計な心配をしていると、前方で鼓膜を劈くような咆哮が響いた。通常の生き物や獣とは違う、甲高く聞き馴染みのない咆哮だ。
「うぉ……魔獣使い?この感じは……ワンチャン、キメラ系かなぁ」
「戦闘中だろうから、漁夫るぞ」
「おけおけ。バトロワ感マシマシだねー」
うきうきとした小声でたこらいすが笑う。どうやら機嫌が良いらしい。それを尻目に激しい戦闘音が響く街の一角へ身を滑り込ませた。二階部分が丸ごと消し飛んでいる宿屋に背中をつけ、慎重に戦場を覗き見る。
そこはカジェルクセスにおける大広場の一部らしかった。らしかった、というのは、すでにその原型を留めないほどに破壊の限りが尽くされていることによる形容だ。
開けた空間に、殆どが砕け散った石像の数々、根本からネジ曲がった街灯に、水の干上がった噴水。整然とした赤レンガの地面は血潮と雪解け水で無茶苦茶になっていた。
そんな広場で激戦を繰り広げているのは、恐らく四つのパーティだ。一つは戦士と求道者の二人パーティで、広場の石像の陰に隠れながら様子を窺っている。
2つ目のパーティは既に壊滅寸前で、ボロボロの盾使いがムチを持った魔獣使いを庇いながら、巨大なキメラとゴーレムを戦わせている。
3つ目のパーティは……凄まじい構成だ。全員ムチを持っており、彼らを中心に巨大なキメラ、樹で出来た人形、槍を持つ
そしてそんなパーティと対抗しているのが、4つ目の……個人だ。彼は片手にリュートを持ち、黒いオーラを纏っている。彼がリュートの弦を弾く度に、地面からスケルトンやゾンビが沸き立ち、それらの群れが魔獣使い達の魔獣と戦争を繰り広げていた。
「うっわ……運営が見たかった戦場って感じのカオス」
「あのキメラが一番存在感があるな。さっきの爆発もアレのせいだろう」
「ヤギ頭とライオンボディとヘビ尻尾とサソリ尻尾……マジ?ワイバーンの頭あるじゃん」
戦場はまさに泥沼だった。恐らくこの感じは、漁夫に漁夫が重なって、この広場が激戦区と化しているのだろう。バトロワでは良くある光景だ。
そして、こういった場合は往々にして……最後の美味しい所を掻っ攫うのが定石だ。この戦いが佳境を迎え、収束する所を狩る。実際、1つ目と2つ目のパーティはそれを狙っているのだろう。もしかすれば、俺達と同じように戦闘音に釣られた他パーティが、今も虎視眈々と狙いを定めているのかもしれない。
と、そこで戦場の中心、四人の魔獣使いから構成されたパーティの一人が、控えさせていた魚人を、石像の後ろに潜んでいたパーティへ突撃させる。漁夫を警戒し、不安要素を排除しようとしたのだろう。
それにより小規模の戦いが始まり、同時に……四人パーティを囲む魔獣の壁が薄くなる。
その隙間を通すように蒼い閃光が走った。彗星めいたそれは鋭角に空を劈き、銀の光が軌道を描く。
「うぉっ!?何だ!?」
「剣士だッ!突っ込んできやがった!!」
「やっべ!すぐマーマン戻す!リュロもさっさとキメラ下げろ!」
俺はそれに、見覚えがあった。思わず、
「『
「『
黒髪青目、銀色の双剣、周囲を巡る幾何学な星座の紋様。並み居る魔獣の群れと
合わせて、彼の周囲にレーザーめいた矢の雨が降り注ぎ、大槍を担いだカリフラワー、大盾を持つマナリアが左右に降り立つ。
「リーダー、流石に凸りすぎだぜー?」
「大盾のカバーにも限界があるんだ……胸裏でぴょんぴょん跳ばれたら何もできん」
「はは……皆なら合わせてくれるだろうと思ってな。実際合わさっただろう?」
「それ、なんとか合わせただけなんですけどー!?」
まさか、こんなに早く出会うことになるとは思わなかった。ランダムな抽選形式も相まって、別のブロックに配置されてもおかしくはないと思っていた。『勇気の証明』討伐隊……いや、『ホワイトスター』の面々が、俺の前に立っている。
「うげ……!エンデ……!」
「コイツ、掲示板で噂になってた……は?レベル45!?」
「やっば、やっば、やっば、再召喚遅すぎ問題」
「俺のカオスキマイラで止まるか……?」
「マジ〜? 僕の駒がゴミみたいに……これは逃げるが勝ち?」
「なんか来たぞ……!?」
「馬鹿、顔出すなって……! 他同士でやらせとけばいいんだよ」
「うまく脱出したいが……俺が
「アタシだけ生き延びても仕方ないっす。ここは覚悟決めて行くしかないっすよ」
「さて、皆さんどうも。私達は『ホワイトスター』。この名を覚えて……帰ってもらおうか!」
双剣が煌めき、魔獣が吼え、リュートの弦が張り詰める吹雪の戦場。それぞれの思惑と敵意が交差するそこへ、また一つ影が歩み寄る。
「うぇっ!?お、お兄さん!?」
「……」
『黒暗の舞踏服』のベルトや袖口がはためいて、長い白髪が後ろに流れていく。杖は無く、片手に持つのは魔道士に似合わない黒のダガー。
――俺はいつの間にか……混沌極まる戦場の真ん中に歩みを進めていた。理由は、分からない。メリットやデメリットを考えた行動ではない。それを考えれば、前に出ることなど自殺行為も良いところだ。
(なのに、どうしてだろうな)
俺の足は前に出ている。思考に反して身体を晒している。新たな敵襲に戦場の全員が俺を見て、唯一『ホワイトスター』のメンツだけが目を見開いて固まった。
「はぁ、嘘だろ!?ここで!?」
「ハハッ!最高じゃねえか!! バカ寒い僻地にぶっ飛ばされた甲斐もあるってもんさ!」
「えぇ……? り、リーダー、撃って良い?」
「君は……ははっ!そうか! 本戦で会おうと言ったが、まさかここでとは……!」
固まったり勝手に動いたり、俺の身体はつくづく、俺の言うことを聞くつもりが無いらしい。ただきっと、俺の身体は『ここしか無い』と思っているのだろう。
冷え切ったこの身体。『当たり前の勝利』を重ねては募るだけのフラストレーションを解放できるのは、この場しか無い。
もう一度、全力で……いつかのように戦えるか。
彼らにきっちりと証明できるか。
俺こそが、『勇気の証明』を倒したのだと。
これだけの力を以て、勝利したのだと。
かつて幾度の戦場を渡り歩き、その全てで勝利の栄光を掴んだ『最強』。それが今日、この夜に再び舞い戻るのだと、俺が俺に証明するのだ。
横殴りの猛吹雪が一時的に穏やかになる。それは晴れに向けてではなく、これから更に勢力を強める為の『溜め』だ。風切り音の響く戦場で、俺はスティレットを握りしめ、啖呵を切った。
「――星を見るには、天気が悪過ぎると思わないか」
「逆だよ、ミツクモくん。天気が悪いからこそ、星を見るんだ」
現役時代によく口にしていた、キザったらしいトラッシュ・トーク。
それにニヤリと笑って言葉を返すエンデへ狙いを定め、俺は雪面を強く踏みしめた。
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