第33話 嵐の目、竜巻の背骨

 身を切るような寒さだった。素肌に焼けた鉄を押し付けられたような極寒。吐息は白んで視界に掛かり、降る雪が髪に掛かって温く溶けていく。


(何が、起きた?)


 思考が追いついていない。けれども張り詰めた俺の神経は俺自身よりも素早く反射して、虚空から呼び出された『勇気の証明』が俺の背後を守る。


「なっ、えっ? ちょ……お兄さん!」

「たこらいす……そうか、一応二人揃っての転移か」


 俺の背後から素っ頓狂なたこらいすの声が響く。俺と同じく通知や『声』、そして急な転移に目を回しているのだろう。

 用心深く周囲を確認し、近くにプレイヤーやNPCの姿や気配が無いことを確かめる。


「……周囲に人の気配が無い。これだけの規模の街で、そんなことはありえないはずだが」

「ここがカジェルクセス……?街並みは思いっきり都心って感じなのに、確かに誰も居ない。ゴーストタウン?」

「俺達と入れ違いで転移か……? いや、そもそもあの『声』は何だ?」

「俺もビックリだよ。まーじで焦った。てか、今回のイベントで国がランダムなのってコレ見越してってこと?」


 目、耳、鼻、肌、勘。それらが周囲に敵性存在が無いことを示している。目の前にはただ、黒檀や黒鉄を建材とした美しい街並みが広がっているだけだ。そこに本来居るべきであるNPCは誰一人見当たらず、百貨店らしき店舗は『OPEN』を掲げながらもぬけの殻になっていた。


 油断無く武器を構えつつ、たこらいすの言葉を考える。このイレギュラーは運営にとって想定内か想定外か。


(十中八九……想定内だろうな)


 理由は幾つか考えられるが、たこらいすが口にしたことが一番大きい。あの思わせぶりなムービーからのランダムな振り分けのバトルロワイヤル。イベントにおける肝心な部分は常にぼかされた説明。


「参加したプレイヤー全員を狙った、派手なドッキリってところか?」

「だったら『大成功』の看板片手にささっと出てきてほしいところだね〜。……てか、アレ何?」

「……あれが今回のバトルロワイヤルにおける『エリア』なんだろうな」


 引き攣った笑みで遥か遠方を指差すたこらいす。その先にあるのは、サイケデリックなオーロラめいた『壁』。極彩色に揺らめくそれは、徐々にこちら側に迫ってきているように感じる。

 このカジェルクセスの都市をぐるりと、その『壁』が覆っていることを考えるに、これがエリアの収縮で間違いなさそうだ。


こういうのバトロワって普通、収縮エリアとかプレイヤーの位置がわかるマップとかあるんじゃないの?」

「普通はそうだな。今回は……システムコンソールを確認してもマップは出てこない。無いものと考えていいはずだ」

「げぇ〜……え、てかこの壁……真円じゃない?」

「そうだな。湾曲してる部分がある。場所によって進みの遅い早いがあるから、何も考えず街の中心を取ろうとするプレイヤーへの対策だな」


 そう分析しつつ、俺はスティレットを片手に街中に転がっていた酒樽を足場に壁を蹴り、適当な建物の屋根を掴む。そのまま身体を引き上げ、屋根の上に昇った。

 雪国なので屋根の傾斜がキツく、家屋の間も広い。屋根上で戦うのはコツが居るな。


 所々雪を残した三角屋根を踏み越え、天辺の風見鶏を左手で掴む。ギィ、と掠れた音を聞きながら、周囲を見回した。


「お兄さーん、なんか見える〜?」

「あまり大きい声を出さないでほしい。……見たところは何も。遠くに城と時計塔……幾つか目立つ建物があるくらいだ」


 軒下から張り上げられたたこらいすの大声を嗜めつつ、目を細める。黒が多いカジェルクセスの街並みから大きく浮いた、純白の巨城。そしてそれさえ凌駕してしまえるほどの高さの『時計塔』。

 魔導都市と銘打つだけあって、その他にも街中に森のようなものや、複雑な水路、蜃気楼が揺らめく巨大な建築物が見える。


 もう少し詳しい状況を確認しようとより高い建物へ足を伸ばした時、見渡していた景色の一箇所に雷が落ちる。紫色の雷が一発、二発、三発……それに反撃するように、空へ向けて流星のような矢の群れが打ち上がる。


「もう始まったか」

「うぉっ……? な、なんかヤバーイ感じの音が……」


 それが皮切りになったのか、あちこちで爆発や魔法陣の展開、使役している魔物の咆哮や空を飛ぶ謎の円盤。まさしくバトロワと言うべき混沌とした戦場が幕を開けていた。


「うお、すっご……あのUFOレーザービームで爆撃してる……あ、撃墜された」

「アレはグリフォンか?上を取られると厄介だな」

獅子大鷲ヴァンガードコルトってヤツだね〜。……加速形態しか見たことなかったけど、戦闘形態ヤバヤバのヤバだ。猫パンチ一発でUFOベコベコじゃん」


 カジェルクセスを囲む壁やイベント開始を告げる通知に、いよいよ他パーティも状況を飲み込み始めたらしい。視界の端では『残りパーティ数』が少しずつ減少を始めている。

 さて――


「お兄さん、どうしよっか。俺はマジでノウハウゼロだからついてくことしか出来ないけど」

「大丈夫だ。それでいい。……もう都市の大体の地形の把握と最終円の予測が出来た。移動しよう」


 俺は一度はっきり記憶すれば大抵のことは忘れない。最終円はじっと壁の動きを見ていれば大体分かる。最終円に入る方向に動きつつ……『アストラルカウント』を稼ぐことにしよう。

 俺の言葉に「お兄さん、冗談とか言わないタイプだよね?」と良くわからない確認をするたこらいすを尻目に、切り札である『勇気の証明』を見せないよう虚空に返す。


 深く息を吸えば、肺の奥底に凍えた空気が沈んでいくのを感じられた。コンデションは、悪くない。この寒さも大して動きに影響は出ない。大丈夫だ。やれる。俺は……戦える。

 たこらいすを後ろに、駆け足で街中を進む。目の前のT字路を、花屋のある方へ曲がろうとしたが――伽藍洞の花屋の薔薇がパン、と弾けて、何かが俺に迫る。

 

「ん……たこらいす、敵は三人。戦士、斥候、魔法使い」

「は……? す、素手で……?」

「お兄さん、ナチュラルに矢を掴むのエグいって……」


 俺の首を撃ち抜くように迫っていたのは、弓矢だった。事前に視線と空を切る音から予測が出来ていたので、左手で掴む。

 ……この矢、毒が塗られてるな。鏃が濡れている。


 背後でたこらいすが武器を大槌から盾と直剣に切り替える音を聞きつつ、不意打ちを仕掛けてきたパーティへ目を向けた。


【プレイヤー名:トロイア Lv23】

【二つ名:『無限の槍手』】

【職業:戦士 Lv19】

【アストラルカウント:0】


【プレイヤー名:まるざ Lv21】

【二つ名:『無影』】

【職業:斥候 Lv20】

【アストラルカウント:0】


【プレイヤー名:レイジ Lv27】

【二つ名:『王殺し』】

【職業:魔導士 Lv25】

【アストラルカウント:0】


 ……俺のレベルを見ても仕掛けてくるだけあって、三人ともレベルが高い。カウンターで魔法を詠唱したいが、手足が震え始めて言葉が出ない。

 最初に弓を放った斥候のプレイヤーが唖然としているが、その隣の魔導士は冷静に魔法をキャストしている。『魔力視』で見たゲージの色は金、速度は――速い。


「『ライトニングタクト』ッ!」

「……っ」

「速すぎんだろ。アイツマジで魔導士か?」


 レイジというプレイヤーが放ったのは、金色の雷撃。普段の俺なら目線から狙いを読み、サイドステップで回避出来たが、今回はワンテンポ遅れている。迷わず『死界踏破』を切ってその場から飛び退くと、バチッ!と俺の足があった場所の雪が弾け、その下の白い石畳が黒焦げになった。


 ……落ち着け。大丈夫だ。対人戦だからって、相手は世界王者でも何でもないんだ。俺は強い。ここで戦えないようじゃ……俺は何者にもなれない。


 深く息を吸って、俺は今度こそ魔法を詠唱する。相手は三人のプレイヤー、俺との距離は空いているが、三人とも固まった場所に立っている。ならば使うのは――


「ッ……! 風属性、あのレベル帯でこの詠唱速度……『サイクロン』だ! 離れろ!」

「了解です!」

「おけまる!」

「……『サイクロン』」


 下級風魔法にて得られる最後の魔法。これまでの魔法とは比べものにならない詠唱時間と攻撃範囲を兼ね備えた『サイクロン』だが、どうやらあのレイジというプレイヤーは中々に対人慣れしているらしい。


 サイクロンが発動し、周囲の雪がざわりと捲れ上がる。花屋の花が軒並み暴風で引きちぎられ、風見鶏が一斉に一定の方角を指し示した。

 即座に散開した三人の居た中心地に、巨大な竜巻が生まれる。雪を纏い、大きく膨れ上がった竜巻は家屋の高さを超え、さらに成長し……そこへ、凛とした声が響いた。


「『バリアブル・ディスペル』!」


 リィン、と澄んだ音が響く。その瞬間、竜巻の中核にあった暴風の均衡が崩れ、その成長が止まる。あっという間に俺のサイクロンはその勢いを失って、ただの北風に戻っていく。

 どうやら『バリアブル・ディスペル』というのは魔法を打ち消すか、発動を取り消すかする魔法らしい。それを詠唱したレイジが……俺のを見て、目を見開く。


「は?どこ――」

「ト、トロイア! 後ろ! 『ペネトレーションアロー!』」

「『ストームウォール』」


 サイクロン自体は、うまくハマろうがハマらまいがどうでも良かった。はっきり言ってこの魔法は燃費、詠唱時間、持続時間が終わっている。範囲と威力は大きいが、そのせいで迂闊に撃てない部分もマイナス。ただ……こうして相手の意識を逸らす煙幕として使う分には、それなりに悪くない。


 サイクロンに紛れて、槍を持つプレイヤーの背後へぬるりと滑り込む。慌てて斥候が矢を放つが、ストームウォールでそれを止めて、スティレットを構えた。

 トロイアと呼ばれたプレイヤーは魔導士である俺の『慈悲の十字架』に目を見開きつつも、素早い動きで懐から短刀を取り出す。懐に入られた時の対策はバッチリらしい。


 わざと大振りにスティレットを構え、反射で短刀の差し込みを誘発する。なんとか後の先を差し込もうとする稚拙な突き。

 本来なら、それで間違いない。魔導士が接近してくる事自体はイレギュラーだが、こうして近接攻撃が届けば後は何も出来ない。パリィなんて、思考の隅にも無い。


 キィ……ン、と鍵を落としたような音が響く。同時に短刀を振ったトロイアの腕が大きく後ろへ弾かれ、その目が唖然と見開かれた。


「パ、リィ……?」


 言葉は正解で、判断は不正解だ。金の火花が咲き誇る中、俺はトロイアへの追撃をせず、ぐるりと首を傾けた。視界に捉えたのは、呆けた顔のレイジ。同じ魔導士として、理解が出来なかったのだろう。


 これから行われるのは、理不尽極まる初見殺し。瞬間移動テレポート不可視インビジブル、確定クリティカル、部位破壊、装甲貫通、防御強化解除、スロー、無防備が重なった攻撃の


「――《四肢粉塵パルヴァライズ》」


 視界が切り替わる。降り注ぐ雪がうなじに触れて融けるのを感じる。戦場の誰もが、雪面に残った俺の足跡を見つめている。その場の全員を置き去りにして、俺は右手のスティレットをレイジの後頭部に――


『おおっと!?ここで『good knight』選手、急に動きが……?』


「……く……ッ」



 遠く幻聴が聞こえて、四肢が硬直する。手足が凍って、指先が固まる。差していた潤滑剤が切れたように肘が、膝が動かない。俺はスティレットを振りかぶったままの姿勢で硬直し、全員がそれに気がついた。


「レイジッ!」

「テレポート!?」

「ッ!?『バースト――」


 動け。動け――『勇気の証明』! 虚空から呼び出された白金の大剣が滑らかに空間を抉る。レイジの頭上に何かしらの魔法の詠唱が見えるが、大剣がその体を貫く方が余程速い。パリン!と何かガラスが割れるような音が響いて、土手っ腹に大剣が突き立てられた。


 ダメージエフェクトと出血のエフェクトがレイジの腹部から背面に向けて弾け、緑100%だったHPバーが一発で真っ赤に染まる。

 残る二人には何が何だかさっぱりだろう。ヴィラ・レオニスの"四肢粉塵"を受けたプレイヤーは、全員同じような顔をしていたに違いない。


「な、に……が」


 真っ赤なエフェクトの海に沈んだレイジの身体がポリゴンとなって砕け散る。同時に俺の身体の硬直が解けた。身を切るような寒さだと言うのに、この身体にはじわりと汗が滲んでいる。

 それを拭うことなく、もう一度呟いた。


「《四肢粉塵パルヴァライズ》」

「は?」

「連――」


 今度こそ、抵抗の猶予は与えない。斥候のプレイヤーの背後にテレポート。トロイアは即座に俺の行動に気付いて武器を構えるが、先程のサイクロンでお互いに距離を取っている。カバーはどうやっても間に合わない。


「『ストームブレイド』」

「ッ!? 『空蝉』っ!」


 無防備な背中にスティレットとストームブレイドを突き立てようとしたが、次の瞬間にその身体が黒い霧になって消える。空振った俺の身体に、頭上からの影が掛かっていた。


「『アーケイン・ボ――ぐぁっ!?」

「『ダウンバースト』」

 

 頭上からキラリと閃光が走った。恐らくは弓のスキル。近距離なら散弾系か? 即座に左手のストームブレイドを手首の動きだけで背面に投擲する。恐らくは頭か首に当たったようで、構えていたスキルがキャンセルされる。

 続く下降気流が怯んだ身体を地面に叩き落とし、それに噛み合わせる形でスティレットを振り抜いた。


 先程の投擲で『四肢粉塵』のバフは切れている。『慈悲の十字架』のバフに関しても同様だ。斥候は魔導士より多少耐久があるようで、HPが三割ほど残る。が、即座に俺の背後から飛翔した『勇気の証明』がその身体を貫き、HPを全損させた。


「マジ、かよ……なんでもアリか?」


 残されたトロイアが引き攣った笑みで俺とたこらいすに槍を向けるが、その穂先は震えている。俺は額の汗を拭って、深く白息を吐き、進む一步でそれをかき分けた。

 


 ―――――――――



 ポスリ、と雪面に槍の落ちる音がした。続いてトロイアの身体が膝から崩れ落ち、その身体が消えていく。さして苦労のない勝利だったというのに、全身の汗が止まらない。息が震えている。きっと顔色は青を通り越して土気色だろう。


勝った。勝った。。何年ぶりの勝利だろう。あれだけ覚悟を決めて、この一週間で必死に心を固めたというのに、やはりこの身体は人間を相手にするとまともに動かない。それでも、勝てたのだ。


「相変わらずエッグいね〜、お兄さん。ダガーパリィミスった所見たことないんだけど……」

「あぁ……まあ、そうだな……」


 昔の俺なら、と反射で口に出そうとした。だが、遠方で凄まじい爆発音が響き、遠くに見える城の城壁から黒煙が上がる。


「わ〜……ぼちぼち本格的にパーティの数が減り始めてるねぇ」

「……見た限り、壁の縮む速度も上がってる。本番開始だな」


 震える手を震える手で抑えながら、深呼吸した。冷え切った身体に雪混じりの冷気が入り込んで、思考を更に冷ましていく。大丈夫、大丈夫……俺は、『good knight』なんだ。このレベルの相手なら、鎧袖一触で倒せて当たり前。世界大会でもないんだから、身体が固まってもリカバリーは効く。


 俺の様子にたこらいすが口を開き、そして何も言わずに閉じた。その気遣いに感謝しながら、最終円の中心へ歩みを進める。降る雪は益々勢いを増し、カジェルクセスの空に集った鈍色の雲は、猛吹雪の予感を見せていた。


【残り時間:52分】

【予選グループ:Δー1ー389】

【パーティ名:『メインディッシュ』】

【残りパーティ数:457】

【アストラルカウント:3】

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