第32話 One step from back

『私』の前で、彼が大きく一步を踏む。喉元へ迫る矢を片手で掴んで、心臓を狙う刃に一瞥さえしない。

 それは、完璧な戦いでした。演劇を思わせるほど、舞踏と見紛うほど、彼の一挙手一投足は世界の先を見ていました。


 建屋を思わせる岩の巨人も、十の腕を持つ殺戮人形も、深い混沌の獣でさえも、彼の身体には傷一つつけられず、迷宮の塵になっていきます。

 迷宮に潜む悪辣な罠にも、彼は眉一つ動かすことはありません。

 無双。その二文字がこれ程までに似合う人間が居るのでしょうか。決して世界最速ではない。決して頂点の怪力を持っているわけではない。


 なのに……その平凡な背中には誰一人追いつけないのです。


 未来が見えているだけならば、きっとこうは動けないのでしょう。もっと、より戦いの本質に近いもの――あらゆる力と、速さの描く双曲線。彼はそれを捉えている。

 そう思わなければ説明がつかないほど、ミツクモという個人は圧倒的でした。


 一体、どれだけの数の戦いを経験すればそうなるのでしょうか。どれだけ膨大な研鑽を積めばそこに到れるのでしょうか。向かい合う相手との絶妙な距離感。水のように滑らかな体重の移動と、ほんの数センチ引いた利き足。注視すればするほど、その美しさにため息が出てしまいます。


 ――だからこそ。


「……ッ」

「ミツクモっ!」

「……助かる」


 だからこそ、目立つのです。何もかもがどうしようもないほど完璧で、鬼神の如き貴方だからこそ、時折見せるその『強張り』が、一点のシミになって見えてしまう。

 戦いを終えた貴方が見せるのは朗らかな笑みではなくて、苛立ちとやるせなさばかりが滲んだ苦渋の顔。


 彼はずっと、何かに急かされているようでした。何をしていても、何を思っていても、不安と焦燥が口の端に滲んでいます。

 私と出会ったあの夜には無い、げるようなあせり。


 どれだけ私が言葉を尽くしてその戦いを褒め称えても、その瞳に滲む焦燥がやわらぐことはありませんでした。


「相変わらず、素晴らしい足捌きでした」

「……ありがとう。ただ、もう少し……いや、何でもない」


「ミツクモはもう、相手の手元を見る必要も無いのですね。まるで精密な機械のようでした」

「昔の勘が多少は戻ってきたかな。……ただ、昔の俺ならそもそも攻撃なんてさせなかったかもな」


「あの一瞬の動きから、隠していた弱点を見抜いたのですね。どこまでも鋭い観察眼です」

「……ありがとう。もう少し気付くのが早かったら、アリスに攻撃が向くことは無かったんだが」


 ずっと、その琥珀の瞳はどこかを見ていました。どれだけ完全な動きでも、非の打ち所の無い勝利でも、その目の中にある天秤が『満足』に傾くことはありませんでした。


 私には……彼の焦りが理解出来ません。私の視座と彼の視座は、あまりにもかけ離れています。ただ、彼の見据える先、歩んでいく先に満足のいく答えがあるとは、どうしても思えませんでした。

 冬の夜、吹雪の中を一人で進んでいくような、光を反射しない沼にゆっくりと沈んでいっているような、見過ごせない危うさが今の彼にはあります。


 それにどれだけ手を伸ばそうとしても、届かない。届かないのです。彼の背中は……私にとってあまりにも遠すぎる。あれだけ側に居たのに、肌に触れるほど近くに居たのに、こうして刃を握った彼にはとても追いつけない。

 私の足音など聞こえていないように、振り返りさえしてくれない。


「ミツクモ……」

「……ん? どうした、アリス。何か見つけたか?」


 私が溢した言葉に、ミツクモが小さく微笑みながら振り返ります。続く言葉を喉の奥につがえて、口を開いて……けれど、どうしてもそれが出てきません。


 ミツクモ――どうか、頑張り過ぎないでください。


 そんなことを、貴方にはどうしても言えないのです。こうして努力を重ねる貴方の全てを、私の言葉が否定してしまうような気がして。

 だから全てを飲み込んで、ただ一言だけ、心にも無い事を言いました。


「少し、疲れたかもしれません。休憩をしても良いですか?」

「……そうだな。かなりぶっ続けで潜ったし、少し休むか」


 私には、貴方の焦りを取り除く力が無い。目に見えない何かに急かされる貴方を包み込むだけの知恵が無い。ただ、貴方の歩みを少しだけ緩めて、一息を吐いてもらうことしか……私には出来ないのです。



 ――――――――――



 ――調子が悪い。動きが鈍い。そう感じてしまう。冷静な脳が、そんなことはないと言葉を返す。第三者のアリスも、良い動きだったと褒め称える。

 身体の反応と反射が出す答えは鈍ってはいない。それなら……もっと良い動きが出来るんじゃないかと思ってしまう。


(駄目だ。いつもの調子じゃない)


 もっと俺の踏み込みは深かった。反射は鋭利で、化け物じみた勘が常に働いていた。飯を食って少し休めば動きが良くなるか?

 いや……昔の俺なら三日三晩INし続けても、ゾーンに入ればまるで関係のないように動けたはずだ。


 イベントに向けて、自分の動きに向かい合えば向かい合うほど、足りないものを知っていく。一戦一戦を終えた後の脳内反省会では、数多の俺が肩を竦めて『バツ』のプラカードを掲げていた。


 じゃあもっと良く、もっと良く、なんて考えても、そう簡単に修正なんて出来たもんじゃない。完璧を『より完璧』に仕上げるには、99を100に変えるのとは桁違いの労力が掛かる。

 99と100の間にあるのは、1から98までの間に積み重ねてきた全てだ。そして100と101の間にも同様に、途方も無い積み重ねがある。


 常人なら、そんな苦行には耐えられない。だが俺は……『good knight』だ。俺には出来てたはずなんだ。

 ――じゃあ、その頃の俺と今の俺の何が違う?


 迷走ばかりだった。けれども決まって、答えは同じだ。。裏切ったのは、俺の方なのだ。


「……」

「……」


 取り戻さないと。俺が投げ出した全てが、過去のものになって消えてしまわない内に。


 固く『慈悲の十字架』を握りしめて、ヒビ割れた砂岩の壁に体重を預ける。一週間。一週間だ。一週間で、戻せるのか? ……いや、戻さないといけない。俺にはもう、後が無いんだ。


(俺はもう、二度と負けられない。次に負けたら、俺の心は二度と形を保てない)


 何となく、心の中で理解していたことだ。これまでそれがあまりにも恐ろしくて、だからこそ誰かとの戦いをずっと避けてきた。

 アリスから貰った勇気でそれに踏み込んだのなら、もう俺には勝ち続ける以外の選択肢など無い。


 勝たないと。次は勝たないと。その次も勝たないと。敗北ほど恐ろしいものは無い。想像するだけで肋骨の裏から酸っぱいものがせり上がって、過呼吸になる。耳朶の奥から残響が鳴る。


『あんだけイキっといて負けは草』

『good knightも負けるときは負けるんだな』

『ダッサw』

『【悲報】最強プロゲーマーgood knightさん、ゴミになってしまうwww』

『good knightとかいう承認欲求の塊マン。負けたらマジで何が残んの?w』

『スカッとした〜!今日はめっちゃ眠れるわ😆』


「……ッ」


 考えるな。思い出すな。頭に過るこの不安を消すために、今を積み重ねろ。出来うる限りの研鑽を積んで、無駄を削ぎ落として、より完璧な形に戻るんだ。


 深く、深く息を吸い込んで……俺はただひたすらに続いているダンジョンの暗闇を見つめていた。



 ―――――――――


 ――――――


 ――……



『さあさあ!来訪者の皆様!遂に、この日がやってきました!戦いの準備は、楽しむ覚悟は、充分に出来ていますか!?』


 9月24日 、土曜日。閉店の看板を掲げた『たこらいす工房』で、喜色に富んだ女性の声が反響する。がらりと静かな店内で、たこらいすが自身の武器を一つ一つ点検していく音だけが響いていた。

 直剣、短剣、両手剣、刺剣、薙刀、両刃剣、大槍、短槍、ナイフ、短弓、大弓、小盾、大盾、大槌、片手槌、拳鍔、爪、縄、糸。


 おおよそ武器と呼べる武器の殆どが長机に並び、一つ一つ磨かれていく。その間も、システムコンソールから開いたイベント配信画面で、派手な格好をした女性のキャスターが弾んだ声でイベントについての話や、このゲームについての話を並べていく。


『このゲームが始まって、本日がおよそ一ヶ月! 皆さんのレベルは如何いかがでしょうか? イベントに向けてレベリングをした方も多いでしょう! 心識、胸裏、あるいは融心! このゲームきっての特殊なシステムである『幽星装』に振り回されてはいませんか? 皆さんが積み重ねてきた強さ、努力、そして――『心』。それが今日、この日にぶつかり合います!』


 女性キャスターの口上にたこらいすの手が止まって、ちらりと俺の方を見る。システムコンソールからの音声が聞こえていないアリスは椅子に座ったまま、膝の上に乗せた『不滅の滅剣』を見つめていた。


 ……一番最初にパーティを組んだ時の和気あいあいとしていた空気は、もうどこにも無い。限界まで膨らんだ風船のような、張りつめた緊張感だけがそこにある。

 その原因は、分かりきっている。俺だ。この空気感、口を噤んだたこらいす、目を伏せるアリス。その全てが俺の責任だ。


 ――日が経つにつれて、上手く笑えなくなっていた。いつしか愛想笑いでさえも浮かべられなくなって、ひたすらに周回を重ねるだけの機械になってしまっていた。無言、無表情で常に進み続ける俺との周回はきっと、大層つまらなかっただろう。

 それだけの行いを重ねただけあって、種族レベルは37、職業レベルは35まで上がっている。


 これが、俺の限界値だった。たこらいすやアリスの事を考え、ダンジョンの15層で目についた全てのモンスターに挑み、倒して、進み続けた結果だ。

 俺やアリスはまだしも、たこらいすは時折ミスをしてデスしてしまい、蘇生アイテムで起こされる度にたこらいすは申し訳無さそうに謝罪をしていた。


 謝るのなら、俺の方だというのに。彼は俺のワガママに付き合っているだけだ。その気になれば、いつでも『もう疲れた』と言うなり、フレンドを切ってログインしないなりが出来たはずだ。

 それでも俺に付き合って、戦えるギリギリの場所で長い周回を続けてくれた。


 彼には頭をどれだけ下げても足りないほどの借りが出来た。このイベントが終わった後に、雨あられの如く感謝を伝えなくてはいけない。

 俺と目線を交わらせたたこらいすがパチパチと目を瞬かせ、不安そうだった表情に笑みを浮かべる。


「お。久々にお兄さんと目が合った気がする」

「……本当に申し訳ない。どうしても気が張ってしまって」

「いいっていいって。顔を見てればすぐに分かるよ。色々あるんでしょ、お兄さんにも」


 ただやっぱり、寝てはおいたほうが良かったんじゃない? とたこらいすが苦笑する。……一般的にはそうだな。でも、寝ようにも寝られなかったというのが本音だ。常に目が冴えてしまっていて、手足と神経が『まだやれる』と訴えてきてしまう。

 過ぎていく日々と膨らんでいく不安。二次関数的に上がりにくくなっていくレベルが拍車を掛けて、ベッドで横になっても取り憑かれたようにVRゴーグルに手が伸びるのだ。


 でも、問題は無い。コンデションに悪影響は無い。手足も頭も、問題無く動いている。


「……大丈夫。不甲斐ない所を見せるつもりは無い」

「そりゃあ、お兄さんがミスしたりボコられるなんて思ってないけどさ――まず一番は、楽しんでほしいなって」

「……」

「このゲーム始まって以来の大型イベントで、何十万人のプレイヤーでバトルロワイヤルだよ? こんなの面白くならない訳がないじゃん? あっちこっちで馬鹿みたいな大騒ぎになってさ、胸裏とか見たことないスキルとか魔法がビックリ箱みたいに飛び出してくるんだ。俺はもう楽しむ気マンマンだよ!」


 だからさ、とたこらいすは俺の目を見て笑う。赤茶色の瞳には、死んだように無表情な俺の顔が映っていた。


「ほんのちょっとだけ、肩の力を抜いてさ……目の前のモノを楽しんでいこうよ。そんで、楽しんでる間に優勝しちゃいましたってなったら、マジ最高じゃん!」

「……」


 たこらいすの言葉は、間違いない。それが出来れば、それが一番だろう。……ただ俺には、それが出来る気が微塵もしないのだ。


 目の前の戦いを楽しんで……そして、負けたら?それは真剣に挑んで負ける以上に屈辱的で、悔やみきれない敗北だ。最初から真剣に挑んでいたら?楽しむ余裕を削ぎ落として、その分を戦いに注いでいたら?


 脳内で何度も何度もそんな疑念が空回って、俺はただ小さく「そうだな」と答えた。


「そう思えるように頑張るよ」

「いや、頑張るっていうか……うーん」


 困ったような顔で頬を搔くたこらいすが何か言葉を探るが、そうして開いた会話の隙間に女性キャスターの声が割り込んでくる。


『――さて、長々とした前語りはここでオシマイ!早速、本イベント「find well heart」の概要を話していきましょう!まずはこちらのムービーをどうぞ!』

「お?」

「……」


 キャスターが笑顔で画面外に手を伸ばすと、システムから自動で別ウィンドウが開かれる。一面の闇を映すウィンドウがカンカン!という甲高い音と共に、木槌で机を叩く誰かの手元が映った。

 引いた絵図に映るのは、中心に地図を引いた円卓と、。そして、そこに掛ける老若男女。彼らはそれぞれ王冠や王笏、宝珠を手に持ち、お互いを牽制するように視線のやり取りを行っていた。


 彼らの内の一人、入道雲を思わせる白髭を蓄えた老人が再び木槌を振るうと、重々しく口を開いた。


「それではこれより、七界決議を執り行う。議題は、この世界における平穏と安寧の象徴――私が治めるセントラル共和国の統治についてである」


 老人の言葉を待っていたとばかりに、残る六人の男女は挙って口を開いた。


「我がス・ラーフ商国は近年ますます、人、モノ、情報が行き交い、栄華の頂点を極めている。荒れた砂漠を踏みしめる戦士たちの精強さからも見て取れる通り、我らこそがセントラルを治めるに相応しい」

「いいえ、違いますわ。ワタクシ達のマルコシア連邦こそ、真の富国強兵を抱く理想の地。極寒を物ともしない北征騎士団の偉業は、各国の知るところでしょう。神話の龍さえ屠るマルコシア以外に、どこがセントラル共和国を治めるというのですか?」

「砂漠も極寒も、初めからそうであったから人は精強にならざるを得なかっただけの話。私のヴェスワーナテイトを見よ。広大な国土、肥沃な大地、文化の満ちる人々の群れ! 豊かさからこそ、繁栄は生まれる。セントラル共和国がカジェルクセスに帰属するのは自明の理だ」

「……お主ら、今日こんにちの世界がどれだけの魔法に支えられているか理解しておるのかね?儂らが積み重ねた魔法の数々が人々を夜闇から守り、魔物の牙から守り、今日の繁栄がある。よぉく、考えるべきだろう」

「下らん議論だ。貴公らはオルソンの治世を忘れたのか?一度世界を掌握し、民草のために富と土地を分配した聡明なる王の慈悲を覚えていないと?神王曰く――"繁栄とは血と歴史である"。身の程を弁え、オルソンに全てを譲るが義であろう」

「皆さん、落ち着きましょう。武力や脅しで全てを決めようとするのは愚かなことです。ここは一度、世界中の人々による多数決を行いましょう。人々の意思無くして、どのように中央国を治めるというのですか? エルコシアのように、人々の合意と協力を信じるべきです」


 六人の男女はそれぞれ身を乗り出し、腕を組み、目を閉じて議論を重ねる。そこで老人は再び木槌をついて、重々しく語った。


「『ス・ラーフ商国』『マルコシア連邦』『ヴェスワーナテイト』『カジェルクセス』『オルソン公国』『エルコシア自治共和国』……それぞれこの世界を治める国なれど、セントラルの地が持つ重責を背負うに値するかは不明瞭だ」


 なればこそ、見定めねばならぬ、とセントラル共和国の王は言った。


「――これより『儀式』によって、汝らの国にて、来訪者の頂点を定める。それぞれの国が持つ魅力、国力、資源に差異はあれど、空を巡る来訪者の目は平等なり。そして、各国に彷徨う来訪者は、皆一様な力を持ってこの世に生まれ出ずる。より強き来訪者が訪れ、そして育つ国。それこそが来訪者の入り口たるセントラルを治めるに値する」


 セントラルの主の眼光は重厚で、反論や小細工を弄する邪心を払うに足る力があった。しん、と静まり返った円卓の中で、がたりと一つの椅子が音を立てる。

 エルコシア自治共和国の代表たる男は円卓の面々をじっと見つめ、静かに踵を返した。


「……いくらこの議決に価値があろうと、私達の都合で遠き友人たる来訪者を争わせるなど、恥を知りなさい。エルコシアの人々を代表し、我々はこの議決に白紙を返します」


 エルコシアの男は去り、場に残されたのは五人の王。彼らは顔を見合わせ、そして誰かがこう問うた。「いつまでに、何人を定めるのか」と。


 画面が暗転し、ムービーが終わる。開いていたウィンドウが閉じて、女性キャスターが童心に返ったような声で『いかがだったでしょうか!?』と言う。


『セントラル共和国を巡る各国の駆け引き。それに巻き込まれた来訪者の皆様!皆様には今宵、五つのブロックに分かれ、バトルロワイヤルを行ってもらいます!』


 ……ムービーを観る限り、俺とたこらいすが予選を戦う場所はス・ラーフ商国になるのだろう。そして上位5%に入れば本戦に出場し、もう一度同様の戦いをする。それに勝ち抜けばス・ラーフ商国の代表として、ワールドクエストを受注出来るというわけだ。


『今回イベントに参加したのは、なんと約5万のパーティ!参加人数は13万人を超えています! そんな皆様を5ブロック、1万パーティずつに分割し、そこから更に500パーティごとの予選グループを作成します。予選を勝ち抜けるのは、最後まで残った25パーティのみ! 本戦では各予選グループを勝ち抜いた500のパーティが激突し、五つのブロックで頂点が決まります!』

「ん〜……前々から思ってたけど、『最後まで残ったパーティ』が選ばれるなら、勝ち抜きじゃなくて生き残りの狙いのパーティとかめっちゃ居そうじゃない?」

「市街地戦だから、そうだろうな。普通のバトロワなら、エリアが徐々に縮小していくから、最後まではハイドはしてられないが……」


 そもそもどうやってエリアが縮小していくんだ?セントラルの主は『儀式』を行うとぼかしていた。俺達来訪者をふるいにかけて、最も強い来訪者を有する国がセントラルを治めると。

 だが……まずまずして、前提がおかしい。


「……今、セントラルに居て、イベントに参加した来訪者はどうなる?」

「……あ。確かに。ランダム抽選? セントラルが一番人口多いから、普通に考えたらブロック分けしにくいよね」


 俺達の疑問に答えるように、進行を務めるキャスターがスタジオのディスプレイに資料が投影される。


『さあ、気になる皆様の振り分けですが……事前に皆様が登録したフォームから抽選番号が返ってきていると思われます。アルファブロック、ベータブロック、ガンマブロック、デルタブロック、イプシロンブロック! それらが皆様が今宵戦う国と対応しています!』


 以下が対応表です! と映し出されたのは、簡素な対応表だった。


 αブロック  ス・ラーフ商国

 βブロック  マルコシア連邦

 γブロック  ヴェスワーナテイト

 Δブロック  カジェルクセス

 εブロック  オルソン公国


「あれぇ……?カジェルクセス? めっちゃ寒いとこじゃなかったっけ?」

「……ス・ラーフじゃないのか。地の利が使えないようにするためか?」

「運営なりのハイド対策ってこと? まあ、ふらふら色んな所に行ってるプレイヤーとずっと同じ国に留まってるプレイヤーだと差がありすぎるけどさぁ……」


 たこらいすの言いたいことは分かる。ランダムに振り分けられることは当たり前だと思っていたが、流れていたムービーの内容とは中々に食い違う部分がある。

 このゲームの運営は世界観を重視しているようだから、均等に、ランダムにプレイヤーを分散させることに関してもきっちり世界的な理由を作ると思っていたが……。


 俺達の違和感には答えないまま、資料が次のページに映る。大見出しには、『イベント中の特殊仕様』とあった。


『さて、最後の説明に移ります。本イベントでは、皆様が鍛え抜き、向き合った『幽星装』の使用が……限定的に制限されています』

「え?」

「……」

『心識、胸裏そして融心。これらを再び皆様の手に取り戻し、"より善い心"を手にするには、その他の来訪者の心を越えていかねばなりません! イベント中、他の来訪者を倒す度に『アストラルカウント』が1ずつ上昇し、カウントが『心識や胸裏、融心を開放した時の種族レベル』に達すると、一つずつ使用が解禁されていきます!』


 ……早い話、高レベルプレイヤーへの対策だろう。融心についてはあまりよく分かっていないが、恐らく胸裏以上に強力な何かだ。それらを持ったプレイヤーがイベント開始から大暴れしてイベントそのものが潰れてしまわないように、制限を設けているのだろう。

 とはいえ、完全に制限するとプレイヤーからは不満が出るだろうし、そもそもこのゲーム一番の目玉である幽星装が使えないイベントというのは意味不明だ。そういう所を加味して、キルカウンターによる制限を設けたに違いない。


 俺の制限は心識1を解放した種族レベル11と、心識2を解放したのは種族レベル20だ。


「元通りに戻すだけで20キル要求か……」

「『胸裏』持ちとか『融心』持ちは4、50キル近くしなきゃいけないんじゃないかな〜。低レベルにもしっかりチャンスがあるのはいいね。完全に使えなくなる訳じゃないし、いい調整じゃない?」

『また、本大会は各ブロック、各予選グループを生中継で配信しております!コチラの公式チャンネルは勿論、お招きした人気ストリーマー達による同時視聴ウォッチパーティも行われています!イベントに参加されない皆様もポップコーンと飲み物を両手にご覧ください!』


 更に更に、とキャスターはSNS連携イベントやコメントへの回答を続けている。時刻としては18:55なので、このコーナーが終わればイベント開始だろう。


 深く息を吸って、吐いて、両手の指を一本一本折り曲げた。手首、肘、肩、肩甲骨を軽く動かして、目をぎゅっと瞑る。……大丈夫。耳や肌から得られる位置情報に乱れは無い。両目が潰れても、問題無く戦闘を続行できる。


『勇気の証明』を一瞬だけ呼び出し、すぐに戻して、『慈悲の十字架』を握った。その感触を確かめ、最後に周回用に変えていた称号を付け替える。



 称号:『落日神話イカロスの証人』

【取得条件】

 自分より種族レベルの高いエネミーとの戦闘中に、地上10キロメートル以上から落下攻撃によるクリティカルヒットを発生させ、かつ落下ダメージで死亡しない。

【効果】

 地上から離れている間、VITが減少し基礎速度と認識速度が上昇する。この効果は地上からの高度により増減し、その上限は±100%までである。



 ヴィラ・レオニスの『落日讃歌』を凌いだタイミングで入手したこの称号は、兎にも角にもステータスへの影響が一番大きい。発動の条件も地上から離れるだけで、VITの減少はシールドや『四肢粉塵』でどうにでも出来る。

 ダンジョンでは天井があるせいで碌に使いこなせなかったが、市街地戦なら使いやすいことこの上無い。


 全ての準備を終え、俺は一度だけアリスの方を見た。俯いていたその顔が、俺の目線に気づいて上がる。光を吸い込んでしまうような深紅の瞳が俺を捉えて、すぐに逸れた。

 何かを言い淀むように黙るアリスへ、言葉を掛ける。


「アリス。そろそろ俺達は行ってくる」

「……戦いに向かうのですね」

「負けずに、帰ってくるよ」

「……帰ったら、話を聞かせてください。ミツクモとは沢山、話したいことがあるのです」


 絞り出すようなアリスの言葉に小さく頷いた。同時に、キャスターの声が高々と響く。


『さあ、ご準備を!来訪者オービター!天を這うもの、地を巡るもの、その頂点が今決まります!コメント欄の皆様もご一緒にテンカウント!』


 10! と張りのある声が響く。画面の左側にあるコメント欄では、読めないほどの速度でコメントが流れ、それにゾクリと背筋が震える。


 9! というカウントに合わせてたこらいすが武器を全てアイテムボックスにしまい、大槌だけを両手に持つ。


 8、7、6、5、のカウントで、脳裏に移動後のチャートを組み立てる。向かう先はΔデルタブロック、未だ見ぬカジェルクセスの土地。地図上ではほぼ最北端の雪国。すぐに高所を取って地形と広さの確認が必須だ。


 4、3、2の声にじっと身構えて、1のカウントで目を閉じた。0は、聞こえない。一瞬の浮遊感。下から上へ撫で付けるような風。全身の毛が逆立って、手足に力が籠もる。

 その強張りをわらうように、俺の背後から誰かの声が響いた。


「――酷いじゃないか。界決議に僕達を呼ばないなんて」


 ハッと振り返って右腕を振り抜く。しかしそこには何も無い。一面の果てしない暗闇と、俺の手元があるだけだ。困惑した俺の目の前に、チリン!と通知が差し込まれる。


【イベント開始!『find well heart』】

【『セントラル共和国国王』ロドリゲス・フーガ・アルマンドにより、貴方は強制転送されます!】

【――Loading――】

【八つの玉座、七つの王冠、一つの空席】

【『空座の王』は、大仰に嘆いてわらう】

【世界は平等に、公平に、そして何より面白くなくっちゃね】

【貴方は『大災厄ワールドボス』にエンカウントしました!】

【《物質主義Qimranut》の『郢晢スォ郢晏生ホ懃ケァ?ェ――】

【Object type Error:0】

【――Loading――】

【"Unknown Object"により、貴方は強制転送されます!】

【ロケーション:魔導都市カジェルクセス】


「――は?」


 瞬きの一瞬さえ無かった。モニターの出力を切り替えたように、目の前の景色が一変する。先の見えない暗黒から、まばゆいほどの銀世界へ。

 ふわり、と羽根のような雪が振り切った右手の甲に触れて、柔らかく溶ける。目の前にあるのは、雪国の街並み。イギリスに良く似た、黒を基調とした街並みだ。

 降る雪と、煙突から昇る煙に唖然とする俺に、通知が無慈悲にイベントの開始を宣言した。


【イベント開始!『find well heart』】

【残り時間:59分】

【予選グループ:Δー1ー389】

【パーティ名:『メインディッシュ』】

【残りパーティ数:500】

【アストラルカウント:0】

【現在順位:  位】




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