第24話 落日神話

 砂に塗れた法衣を揺らしながら、アリスとヴィラ・レオニスとの戦闘へ駆け出す。左腕が根本から無くなった影響で、一歩一歩に違和感があった。だが、問題は無い。


(……舐めるなよ。部位欠損時の戦闘くらい対策済だ)


 VRにおいて部位欠損が存在するタイプのゲームは確かに多くないが、珍しいという程でもない。両手両足、五感、それぞれが潰れた時の対策くらい、数え切れない程にしている。

 視線の先、白銀の騎士大剣と漆黒の騎士大剣が剣戟を散らし、ヴィラ・レオニスが燃え盛る大剣をアリスに叩き付けている。


 その横っ面に向けて挨拶代わりの『カッティング・エア』を放つと、パチン、と気の抜けた音と共に見えない目線が俺に向く。


『……奮い立つか。その意気やし』

「ミ、ミツクモっ!? 駄目ですっ!貴方は戦える身体では――」


 アリスが真紅の瞳を俺に向けて叫ぶ。どうやら心配をさせてしまったらしい。その必要は無い、と口にするより前に、ヴィラ・レオニスの滅剣が四本、空を穿って俺へ迫る。

 舞う砂塵さえ切り裂いてしまえるほどの豪速だが……俺からすれば挨拶に挨拶を返すような、生温い剣閃だ。


 首狙いの一閃を横目で見つつ、右手一本で軽くパリィして、縦割りの一撃に合せて半身になる。千切れかけの左袖が法衣から切り離される音を聞きながら一歩前へ。目玉を抉る突きに合わせて軽く首を傾け、返しの右手で四撃目の斬り上げを上から叩き落とすようにして弾いた。


 一瞬の間の後、遅れた旋風と飛砂が俺の前髪を撫で上げる。金色の火花を二つ咲かせた俺にアリスが目を見開いて、続けて笑う。


「貴方という人は……本当に」

「悪いが、よく聞こえなかった。何だって?」

「……ふふっ、やはりミツクモは根に持つタイプなのだと分かりました」


 わざとらしい俺の言葉にアリスは笑った。同時に彼女の背後から、反撃とばかりに銀色の滅剣が飛ぶ。銃声めいた鉄の音が鳴り響いて、剣戟をくぐり抜けた数本がヴィラ・レオニスの鎧に傷をつける。


(……四本腕の手数以外は互角ってところか。まだ良く飲み込めてないが、『ヴィラ・レオニス』としての性能はコイツとアリスでそんなに変わらない? ……残りHPは俺三割、ヴィラ・レオニス三割弱、アリス五割)


 なら、やることは一つ。俺は右手のスティレットの剣先を燃ゆる騎神へ向け、深く息を吸う。


「――片手で充分。かかってこいッ!」

『……しからば、示せ。勇気を。危機死に勝る勇猛を』


 全身にゾワリと鳥肌が立つ。その『視線』に射竦められるだけで、足先から血が引けてくる。白銀の鎧に隠しきれない傷を負いつつも、その威容はまるで衰えず、むしろ夕陽の如く燃え上がってさえいた。

 何かを感じ取ったのか、アリスが歯を食い縛って俺の方へ駆け出す。


 分かっている。この台詞……そして、背後から伝わる炎の熱気は――


「『ノックアップ・エ――」

『"四肢粉塵Pulverizer"』


 詠唱、振り返り、バックステップ、パリィ。四つの行動が同時に流れて、左腕ではなく胴体を叩き斬ろうとする一太刀目をギリギリで弾く。二撃目、スティレットの折り返しは間に合わない。だから、五指に全神経を集中させて、クルリと漆黒の十字架を持つ。


 そのまま振り返りの勢いを乗せて、喉を掻き切るようなモーションで赤い予測線に黒の軌道を噛み合わせた。


 ギィー……ン、と澄んだ音が鳴り響き、弾かれた大剣から炎が溢れる。まだ終わらない、当たれば即死の二連撃。

 右足狙いの一撃、パリィもバックステップも間に合わない。無理に身体を捻れば四撃目で死ぬ。その極限の一瞬――強烈な上昇気流が俺の身体を持ち上げる。不安定な体勢と勢いを活かして身体を捻りまくる。

 気分は殺人的な棒高跳びだ。腰のすぐ下を燃え盛る大剣が通過し、残る一本が即座に俺を斬り上げる軌道を取るが、もう遅い。


「何度目だと、思ってんだッ!」


 息もつかせない四連撃。視界から完全に消える最凶の反則技。だが、この俺にそう何度も同じ技が通じると思うな。ゴリ押しで強技を擦る野郎なんざ数え切れないくらい見てきたんだよ。


 捻った腰が、背骨が、肩が、滑らかにその歪みを逆伝播させていく。『無冠の曲芸』の認識加速の中、胴体を二分割しようとする大剣を、大道芸のコマのように縦回転しながら右手でパリィする。


 常人には許されない極限の反射。何もかもが完璧な肉体操作。誰がそう呼んだか……『理論値の怪物』の二つ名に相応しい完全な捌き。


「――だけで、終わるつもりは無いッ!」


 全ての勢いを活かして自分に『ストレート・エア』。飛び込んだヴィラ・レオニスの鎧の胸板を踏みつけて三段跳び、背後から空を穿って迫る滅剣をノールックでパリィして、『隼の流儀』で更に高くへ飛翔する。


 そのままヴィラ・レオニスの兜へ……クソッ。ほんの少し、高さが足りない。左腕が無い分、踏み込みが浅くなったか。歯噛みしながら『ストームウォール』をキャストする俺の足元に、銀色の滅剣が差し込まれる。


「――ミツクモっ!」


 俺の背中へ迫る滅剣の群れを露払いしながら、一本を足元に差し込んだアリスに目配せして、大きく踏み込む。

 そして下顎から頭蓋を抉り抜くように、白銀の兜へ全力で右腕を押し込んだ。グジュリ、と鈍い感触の後、ガラスを砕くような音と共に紫色の閃光クリティカルダメージが弾ける。


 緑布に包まれた伽藍洞の兜の奥から、重々しい呻きが漏れる。


『……そうか。汝こそ――』


 一瞬、手足が固まる。ヴィラ・レオニスの声はこの戦闘で何度となく聞いてきた。聞く者に畏怖を与え、平伏させる荘厳な声。覇気に満ち、けれどもどこか空虚な戦士の声。しかしその一言だけは、思わず漏れたような『人間らしい』声音だった。


 兜の上の灼けた天輪が照らす中、俺は一瞬の躊躇いの後にそこから距離を取った。即座にアリスの滅剣がヴィラ・レオニスの身体に突き立てられる。

 ゴリッと青紫色のボスゲージが削れて、残り二割半になった。


 その瞬間、ヴィラ・レオニスがこれまでに無い型に大剣を構える。


(クソ……分かってはいたが、まだモーションが残ってるのか。どんだけ化け物なんだよ……!)


 薄々感じていたが、このゲームがプレイヤーに求めるハードルは尋常ではなく高い。ヴィラ・レオニスの熱気にダラダラと汗を垂らしながら、アリスの側に駆け寄る。ちらりと見たヴィラ・レオニスは四本の腕を左右一対、上下に分け、上と下でそれぞれ剣を交差させていた。

 背後に携えていた不滅の滅剣は、全て剣先を空に向けて静止している。


「アリスッ、構えろ!」

「……はい。ミツクモ、どうか私の後ろに」

「っ……分かった」


 真新しい頬の切り傷から血を流すアリスが、真剣な眼差しで俺を見る。一瞬言葉を返しそうになったが、アリスの瞳の色を見て止める。

 アレは私が止める、と光の無い真紅の瞳が語っていた。


 遠方のヴィラ・レオニスが、上下に大剣を重ねながら、大きく天を仰ぎ見る。そこには晴れ晴れと澄んだ青い空と、輝くように燃える太陽がある。

 それを見上げるヴィラ・レオニスの姿には、どうしてか祈りに似た物が見える。


『……しからば、我らは示すのみ。真の勇気を。その在り方を――遠く、わかたれたへ』

「……」

『我らこそ、勇気のれ果て。かつて誤った方法で勇を示した、出遅れの敗残兵。我らが悔恨と忸怩じくじもって、これを勇気の証明とする――』


 ヴィラ・レオニスの言葉が切れた。同時に、上に交差していた大剣を擦り合わせながら振り抜く。モーションに合わせて、背後に携えていた滅剣が矢のように空へ飛翔し……同じく矢のように、弧を描いて俺達に向けて降り注ぐ。


『……"不滅の滅剣Eternal=Annihilation"』

「させませんっ!"不滅の滅剣Eternal=Annihilation"っ!!」


 攻撃自体は第一形態の"不滅の滅剣Eternal=Annihilation"と変わらない。アリスは即座に自身の滅剣で俺と自身に降り注ぐ騎士大剣を弾き返す。俺達の周囲に次々と漆黒の滅剣が降り注ぎ……その最中に、ヴィラ・レオニスが下に交差していた大剣を互いに打ち付けて地面に突き刺す。


『……"審判の咆哮Judgement Roar"――ォ゙ォ゙ォ゙ォ゙オオオオッ!!』

「連発……ッ!?」

「くっ!」


 不滅の滅剣に噛み合わせての、"審判の咆哮Judgement Roar"。嵐を思わせる音の塊が俺達の身体と空気をビリビリと震わせ、砂漠が海面のように波打つ。


 前回の予想通り、先程のパリィと攻撃で『勇心』のスタックが溜まっていた俺は咆哮によるスタンも速度低下も受けなかったが、発動中の『死界踏破』と『隼の流儀』が解除された。


 恐らくはアリスも同様だろうと考えていたが……降り注ぐ滅剣を弾いていたアリスの滅剣が、ピタリと動きを止めてしまう。見れば、その表情には何かを堪えるような強張りがあり、パーティメンバーのステータス欄には『スタン(小)』の表記がある。


(『勇心』が足りなかった? いや、この感じは純粋に震えて動けないのか? そんなことより、これはどう考えても――)


『……"勇気の証明Proof of Courage"』

「大技のラッシュかッ!」


 ヴィラ・レオニスが四本の大剣で虚空を切り裂き、それらが胸の前で十字に交差する。その瞬間にヴィラ・レオニスを中心に巨大な白い魔法陣が展開された。俺の頭上に見覚えのある白い輪が三重に浮かび、アリスの頭上には白い輪が一つだけ浮かぶ。


 俺は動けないアリスに代わって降り注ぐ滅剣を弾き、あるいは避けて『無冠の曲芸』を発動させつつ、アリスの身体にストレートエアを掛けて大剣同士を結ぶ交点から離した。


「あぐっ!?」

「すまん!その場から動くなっ!」


 次の瞬間、ヴィラ・レオニスが再び咆哮を放ち、俺とアリスの頭上の輪が割れる。合わせて砂漠に突き刺さった不滅の滅剣が黒い網を構成する。


 目測でそれをサラリと避けた俺の身体の痛みが引き、切り飛ばされた左腕がメキメキと音を立てて再生する。


「"勇気の証明"……」


 ステータスを開けば、HPは十割。ご丁寧に朦朧も出血も、あちこちの骨折も完治している。久々な左腕の感触に掌を握ったり開いたりしながら、右手のスティレットを強く握り締める。


 暴走形態なのかフラグなのか知らないが、どう考えても無茶苦茶な大技の連発をしてきやがる。"不滅の滅剣"、"審判の咆哮"、"勇気の証明"……となれば、残っているのはあと二つ。"四肢粉塵"と"勇心礼賛"だ。


("勇心礼賛"の対応はアリスの行動で把握済み、カウンターさえ決められれば大ダメージを狙える。次の"四肢粉塵"を凌げば一気にこっちの有利だ。絶対に弾いてカウンター差し込む……!)


 咆哮と滅剣の雨で舞い散った砂埃の狭間……白銀の大鎧がその姿を掻き消す。来たッ!まずは左腕への一撃を――


『……"落日賛歌Ardent Core"』


 思考回路がショートする。全身の筋肉が強張る。あり得ない、と心が呟いた。あり得ないことではない、と脳が反論する。

 ヴィラ・レオニスの第二形態。そのほとんどが既存のモーションで、増えたのは背後の滅剣による追加攻撃と、燃える大剣の持続ダメージだけ。


 ……よくよく考えれば、そんなはずは無いと分かる。第二形態専用のモーション。ただただ発動条件が成立していなかったが故に見なかった大技。


「――は?」


 俺が振り返った先……そこには何も居なかった。だたただ……。美しい蒼穹、なだらかな砂漠の地平線、薄く伸びた雲。


 ふわり、と風が俺の頬を撫でると同時に、俺の身体に大きな影が差す。俺は目だけを動かしてそれを見上げた。


 天高く、燃え盛る騎神が浮いている。太陽を背負い、紅蓮の大剣を四本、十字に構え俺を見据えている。


(何が、起きた……?)


 どうでもいい、と本能が切り捨てる。この技が何なのかは、今に関係無い。重要なのは、この一撃を防げなければ死ぬということだ。


 俺の身体は超高高度に打ち上げられている。ダメージは無い。デバフもスタンも無い。ヴィラ・レオニスに上を取られている。このまま隕石みたいに俺へ目掛けて一直線に落下するのか?

 回避は出来るか?パリィは?アリスはどこへ?受けて耐えきれる?『死界踏破』はギリギリ上がってない。


 最高速度の脳内演算を切り裂くように、真っ赤な十字の攻撃予測線が俺の身体を四分割する。四本の大剣による同時攻撃……しかもこの予測線は――!


(遠距離攻撃!? パリィは不可ッ! 身体一つで避けるしかない……!)


 バツの字を描いて構えられた紅蓮の大剣が、中心から捲るように振るわれる。その瞬間、剣に纏わりついていた業火が火の鳥さながらに俺へ目掛けて降下した。

 思考ではなく俺の本能が、この場で最も生存率の高い魔法を口にする。


「『ダウンバースト』!」


 落下する。落下する。降り注ぐ天の炎から逃れる為に、風に流され空から堕ちる。砂まみれの法衣がバタバタとはためいて、白い髪の揺れに混ざって玉になった汗が空へ舞う。


 墜落する俺を焼き殺す為に、十字の炎が後を追う。早い……!一瞬で追い付かれる!せめて『死界踏破』か『隼の流儀』さえあれば――


「――モっ!」


 後頭部、恐らくは遥か後方の地上から、張り裂けんばかりの声が聞こえた。殆ど何も聞こえないような、響きだけの呼び声。次の瞬間、俺の目の前まで迫っていた炎へ向けて、四本の騎士大剣が差し込まれた。

 アリスの『不滅の滅剣』だ。恐らくは地上から俺が姿を消したタイミングで空へ放っていたのだろう。


 勇気を示す銀の輝きが、太陽めいた炎の塊を迎え撃ち、そして打ち消す。轟、と灼けた空気の揺らめく音が鼓膜を揺らし、迫る炎が千々に裂けた。

 "落日賛歌"の炎は揺らめく蜃気楼となって空に消え、俺は高速で落下しながら見上げる先の太陽に目を細めた。


「っ……太陽?」


 そんな訳が無い。炎が消えた先、そこにはヴィラ・レオニスが居るはずだ。太陽を背負った騎神が佇んでいるはずだ。それが、見えないのならば。それならば、その理由は一つ。


「ッ!? 後ろ――」

『……"四肢粉塵Pulverizer"』


 俺の落下先から重厚な声が響く。死神の囁きなんて生優しいモノじゃない。正真正銘、俺に死を義務付ける死の宣告だった。

 四本の攻撃予測線がほとんど同時に俺の四肢を剪断する軌道を描く。


 その瞬間、全てが間に合わないと悟った。死ぬ。『隼の流儀』は1スタック……いや、どう踏み込んでももう間に合わない。魔法の詠唱で差し込めもしない。完全に虚を突かれた。反応が遅れた。


 ――なら、どうする?


 カチリ、と脳の中のスイッチが切り替わる音がした。ゴチャついていた脳内がクリアになって、スキルのリキャストが、距離が、時間が、HP計算が、全て白紙になる。


 ――やるしか、ないだろ。


 落下先へ振り返った瞬間に、左腕は根元から切り飛ばされた。それはいい。左腕はくれてやる。その代わりに、右腕狙いの二撃目を受付時間ギリギリでパリィする。

 その瞬間、俺は全てを捨ててヴィラ・レオニスに『隼の流儀』で踏み込んだ。三撃目、四撃目への対策の一切を捨てる。


 ――俺は死ぬ。足掻いても死ぬ。それなら……ダメージを稼いで死ね。味方アリスに少しでも繋いでから死ね。持ってるリソースを全部吐ききって、出せるだけのDPSを出せ。


「ッ……おぉぉッ!」


 柄にも無い咆哮を上げて、右腕一本で俺と共に落下していくヴィラ・レオニスに突っ込む。あと一撃、三撃目より前に叩き込んで死んでやる。

 文字通りの決死の覚悟。これを凌ぎさえすれば、残りHPが二割以下で"勇心礼賛"以外に手札の残っていないヴィラ・レオニスだけが戦場に残される。


 対するアリスは"勇気の証明"でHPを回復している。勝てる。ダメージレースでも正面衝突でも、アリスが勝つ。

 その為なら俺は、と『慈悲の十字架』を振りかざした俺の耳に、深々とした声が響いた。溜め息を吐くような、感嘆の声だった。


『――見事』


 同時に、俺の両足を切断する軌道を描いていた攻撃予測線が消え、ヴィラ・レオニスの動きが止まる。何が何だか分からないまま、俺は反射でヴィラ・レオニスの兜に『慈悲の十字架』を叩き込んだ。

 クリティカル、装甲貫通の一撃が深々と兜の奥に突き刺さり、パリン!と何かが割れるような音が響いた。


 同時にヴィラ・レオニスの巨体が大きく怯み、空中でバランスを崩す。本能で突き刺していたスティレットを引き抜き、ヴィラ・レオニスの体を蹴って飛び退いた。


 長いようで一瞬な空中戦を経て、俺の高度は地平線が見える超高高度から、廃都アズラハットが一望できる程度まで落ちている。

 冷静に自分へノックアップエアを打って落下速度を落としながら降下していくと、真下からドォン……とヴィラ・レオニスの身体が砂漠に落下する音が響いた。


 再び根元から吹き飛んだ左腕を抱えつつ慎重に砂漠へ降り立つ。その少し前から俺を見つけていたアリスは笑顔で俺に駆け寄り、笑みを固くする。


「ミ、ミツクモ……また左腕が……!」

「死んでないだけ万々歳だ。……さっきはこっちに剣を寄越してくれてありがとう。また助けられたな」

「そんな、当たり前のことです。私に助けられたといっても、私は貴方に何十回――」


 そこまで口にして、アリスはハッと口を噤んだ。同時にヴィラ・レオニスが墜落した場所に立ち上る砂煙へ向けて、いつも通り『不滅の滅剣』を構える。

 同時に宙に浮いた『不滅の滅剣』が俺を守るように囲んで配置される。


 派手に立ち上った砂煙の中から、ゆらりと巨大な影が立ち上がる。システムコンソールに映し出されたヴィラ・レオニスの残りHPは……一割以下。

 俺の一撃に加え、まともに受け身も取れず高高度から落下したのだ。いくらヴィラ・レオニスとてタダではすまなかったのだろう。


 俺達が構える先、静かに砂煙の中から現れたヴィラ・レオニスの姿は……有り体に言って、満身創痍だった。

 雄々しく兜から伸びていた大角は根元から折れ、頭上の天輪は消えている。布に包まれた兜の面頬からは、正体不明の黒い液体が溢れていた。

 恐らくは胸から着陸したのか、金の装飾が施された立派な胸板は大きく凹み、その他にも傷が目立つ。


 そして何より、ヴィラ・レオニスの最も大きな特徴であった四本腕……その内一本が、脱臼でもしたようにあらぬ方向へと捻じくれていた。


「っ……!?」

「油断は禁物だ。あれの怖さは、アリスが一番良く分かってるんだろう?」

「……はい。ありがとうございます」


 目を見開いて騎士大剣の剣先を下ろすアリスに鋭く言う。……確かにヴィラ・レオニスの姿は瀕死そのものだ。大きな脅威だった四本腕も、あの様子ではまともに振れまい。

 ただ……それでも、黒ずんだ布に包まれた兜からは、重々しい視線を感じる。空に浮いたその姿からは、褪せない威厳を感じる。大剣に宿る炎が途絶えていようと、背中に剣翼が無かろうと、ただそこに佇むだけで空間を支配する存在感はまるで衰えていなかった。


 五秒、十秒……あるいはそれ以上の時間、俺達とヴィラ・レオニスは向かい合っていた。一陣の風が吹いて、湧き立っていた砂埃が流されていく。


『……我らが同胞よ。思えば、遠くまで来たものだ』

「……」

『百年、二百年。最早我々の名を識るものは居ない』

「……はい。ですから私は今日、それに正しい終わりを刻むために、ここに居るのです」


 ヴィラ・レオニスの言葉は、戦いの最中に発したどの言葉とも異なっていた。機械のように、あるいは怨念に突き動かされる悪霊のように、ひたすらな言葉と試練を口にしていたそれは、抜き身の刃を構えるアリスに、まるで旧友へ語るように言葉を投げ掛ける。


『……そうか』

「はい」

『なればこそ……超えてみよ。示してみよ』


 ギギギ、と鈍い音を立てて、捻じくれていた腕の一本が無理矢理に動く。そしてヴィラ・レオニスは再び威風堂々と俺達に向かい合い……四本の大剣を胸の前で交差させる。

 その構えは――"勇心礼賛"。怒涛に続いた連撃の最後を締めくくる……真の勇者だけが生き残る一撃。


 交差した大剣の剣先に、微かな光が宿る。それを見た俺は即座に右手のスティレットを握り締め、『死界踏破』を発動させたが、俺を囲む滅剣が動いてくれない。


「……ミツクモ。大丈夫です。……我儘を言うようで申し訳ないですが、この一撃は……私に止めさせてください」

「……そうか。アリスがそういうのなら、任せる」

「ありがとう」


 アリスは一度俺に振り返って朗らかに笑うと、真剣な表情でヴィラ・レオニスに歩んでいった。


 かつて祖国があった場所、生まれの地。その成れ果てを踏みしめて、あれだけ恐怖に震えていたアリスが前に進んでいる。

 ヴィラ・レオニスは剣を交差させたまま、何も言わない。じっと自身に歩み寄るアリスに視線を向けていた。


 ヴィラ・レオニスが構える綺羅星の輝きが増し、恒星めいた光を放つ。その真正面に立ったアリスは、静かに『不滅の滅剣』を構えた。

 そこで、ヴィラ・レオニスが重く声を放つ。


『同胞よ。臆病な勇者よ。……一つ問おう』

「……なんでしょうか」

『汝はこの先、何をる?その身に余る恐怖を超えて、正しき勇気を握り、汝は何処へく?』


 アリスはヴィラ・レオニスを見上げ、そして一度だけ俺へ向けて振り返った。はにかむような、穏やかな笑み。それをヴィラ・レオニスに向けたアリスは、再び剣を構えてこう答えた。


「未来のことは、私には分かりません。それに、恐怖を超えた訳ではないです。正しき勇気を握った実感もありません。ただ、一つだけ」

『……』

「星の見えない雨の中で死んでしまわないように、少しだけ未来の見える恩人と……『死ぬのにオススメな日』を、探していきたいと思っています」

『恐怖を超え、より善き死を目指すか。……ならば一つ、勇に縛られし骸から、汝に言の葉を授けよう』

「……」

『勇者よ、恐れよ。しかして揺らぐな。――真の勇気とは、真の恐怖の先にある』


 その言葉を受けたアリスの表情は見えなかった。ただアリスは無言でその言葉を受け取り、そして剣を振りかざす。


「……『ヴィラ・レオニス』。いままで、お疲れ様でした」


 アリスが剣を振り抜くと、キン、と澄んだ音が鳴った。四本の大剣が生む煌めきが一瞬途絶えて……圧縮された白炎の波が、白銀の大鎧を包み込む。

 凄まじい火力に蜃気楼が浮かび、砂漠の一部が溶けたようにガラス化した。


 その最後の一撃をもって、ヴィラ・レオニスのHPが完全にゼロになる。ドンッ、と鈍い音がした。ヴィラ・レオニスが握っていた大剣を取り落とした音だ。


 二本、三本と力の抜けた篭手から大剣が落ち……最後の剣がガシャーン、と音を立てて落ちた後、白炎に包まれた大鎧が端から黒い灰となって消えていった。


 同時に、システムが通知を押し流す。


特異変異種ネームド・ユニークモンスターの討伐を確認】

【戦闘が終了しました】

【MVPを発表します】

『死と踊る風』ミツクモ

【ワールドアナウンスを実施】

【一定の通知量を検知したためピックアップでの通知を実施します】

【一定条件を満たしたため、『心識アヴェーダ3』が解放可能になりました】

特異変異種ネームド・ユニークモンスター討伐MVP報酬を獲得しました】

 ユニークスキル:《四肢粉塵Pulveriz》を取得しました

 ネームド装備:『勇気の証明』を入手しました

【ワールドクエスト:瓦芥ガラクタの勇気に喝采を』をクリアしました】

【おめでとうございます】

【ワールドアナウンスを実施】


【拭えぬ恐れに、そっと手を伸ばした貴方へ、心からの感謝を】


【死を夢見ていた成れ果ては、静かに銀の刃を抜いた】


【恐れを知らぬ勇獅子は、新たな勇者を前に眠りについた】


【四肢が在るなら、喝采を。臆病な勇者に喝采を】


【恐れながら進め。死を想い生きろ。真の勇気とは、真の恐怖の先にある】


 ……ワールドアナウンスで通知、か。その他にも何やら目に付く単語が多い。だが、まあ今くらいは……目の前の景色に浸らせてほしい。流れていく通知の群れから目を離して、前を見る。既にヴィラ・レオニスの巨体は灰となって消え、周辺を支配していた緊迫感は消えていた。アリスは一人ぽつんと、何も無い空間を眺めていたが、やがて俺に振り返った。


 心配性に俺の周囲を守っていた滅剣がそそくさと彼女の背後に戻り、アリスが俺の側に歩いてくる。


「……最後の最後まで、私の我儘を聞いていただいて、ありがとうございました。それに、えっと……その」

「……ワガママって程でも無い。気にしなくていいさ」


 アリスの言葉にこそばゆくなって、わざと早めに返事をする。しかしアリスは俺を逃がす気などさらさら無いようで、俺の目の前にもう一步踏み出して、武器を握る俺の右手を、柔らかな両手でそっと握った。俺が驚いて口を開く前に、アリスはじっと俺の目を見つめる。


「ミツクモには……沢山の物を貰いました。私がここに立っているのは、全部、貴方のお陰です。それで……その……私は口下手ですから、言い切れないだけ沢山の言葉を並べても、きっと伝わりません。だからまずは、はっきり言える分を」

「……」

「――ありがとう、ミツクモ。本当に、ありがとうございました」


 喋り慣れていないアリスが絞り出した言葉は、本人の目論見通り百や千の言葉に勝る温かさと誠実さを持っていた。付け加えて、あまり見せない柔和な笑みもそこにあって……そこでようやく俺は、深く呼吸が出来た。ずっと張り詰めていた意識が緩んで、クエスト完了の実感が湧いてくる。


「どう、いたしまして。……ふぅ」

「ミツクモには私のことで、必要以上に苦労をかけてしまいましたね。身体も、心も」

「まあ……そうだな。アリスのことはどうしても守りたかったし、大切な仲間だったから、その分色々と考えることが多かったな」

「そ……そう、ですか……それは、その、すみませんでした」

「いや、謝ることじゃないよ。最初にも言ったと思うけど、俺が好きでやっただけだから」

「……成る程。列車でミツクモが言っていたのはこれのことだったのですね」

「……? 列車の中で何か言ってたか?」

「いえ、大丈夫です。気にしないでください」


 私の話ですから、とまた笑うアリスに首を傾げつつ……いつになったら俺の右手を離してくれるのか、と言いづらい言葉を込めて苦笑するのだった。

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2024年9月20日 12:00 隔日 12:00

元『全一』のプロゲーマーはVRMMOに挑戦するようです。 棚月 朔 @tanatuki

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