第23話 ガラクタの勇気

 産声は、絶命の叫びと共に上げられた。

 最初の一步は、生暖かい遺灰から這い出るために踏み出した。


 これは望まれた命ではない、と生まれた瞬間に『私』は理解しました。


 目や鼻から血を流しながらも儀式の祝詞を唱えていたアズラハットの神官達。私の背後でピクリとも動かない白銀の大鎧。

 この身に向けられた視線に宿る絶望と、胸中に渦巻く溢れんばかりの恐怖が、その証左でした。


『勇なる騎神』ヴィラ・レオニス。祖国を救うために、焼けた炉に身を投げた戦士達の勇気は、純粋ではなかったのです。


 恐ろしい。

 苦しい。

 怖い。

 助けてほしい。


 死に直面すれば沸き立つ、当たり前の感情です。けれど、それなら……そこから生まれた『私』は、一体どうすればいいのでしょうか?

 儀式によって生まれた私は、何一つ戦士達の力を得られなかった。代わりに押し付けられたのは純粋な恐怖と、『死にたくない』という思いから生まれた強靭な身体。


 そして――恐怖から逃げ出すための、逃げ足でした。


 儀式のやり直しを執り行おうとする神官達や、遠くから聞こえる戦火の音。それら全てから、私は逃げ出しました。恐怖に迷い、恐れに狂い、無我夢中で砂漠を駆けて……そして振り返った時には、全てが終わっていた。


 逃げ出すべきではなかったと分かっています。そのままもう一度死ぬか……それとも奮い立って剣を握れば、どれだけ誇り高く死ねことが出来たのでしょうか。

 ……でも、恐ろしかった。怖かった。生まれた意味さえも超越してしまえるほど、それは原始的で強大な恐怖だったのです。


 それから私は……あてもなく砂漠を放浪しました。崩壊したアズラハットの残骸を呆然と眺め、時折襲い来る魔物から逃げ、人の目を避けて時間を浪費しました。


 私はどうするべきだったのか? 答えは明白です。

 私は何故奮い立てなかったのか? そういう存在として産まれたから。

 では私は、これからどうすればいい? ……答えは分かりませんでした。


 ならばもう死ぬ他に無いと、始まりの場所で最期を迎えようとしました。焼け果てた祭壇で、自死のために一本の騎士大剣を握って……私の手では、それを抜くことが出来なかった。


『あぁ、私は……恐ろしくて死ぬことも出来ないのですね』


 当たり前の話でした。私は生にしがみつく存在だから。だから……だから、その日から私の生きる目的は、『死ぬ為の勇気』を得ることになったのです。

 この剣が抜ければ、きっと……ようやく、アズラハットは正しい終わりを迎えることが出来る。


 そして、勇気を求めて砂漠を彷徨い続け、数百年。放浪にも疲れ果て、もう一度残骸となった故郷に戻ったその時――私は、相対したのです。


 真の勇気、その証明と。


『我こそは、勇気の証明。かつて炉の中に身を投げた戦士達の、純なる勇気の化身』


 それは私など及びもつかない勇気の化身でした。私というふるいを抜けて純化された、真の勇気によって産まれた存在でした。

 ヴィラ・レオニス。かつて私に与えられた名前。それを威風堂々と名乗ったそれに……私は何も言葉を返せなかった。


 ただただその強大さを、私には無い勇気を恐れ……また、逃げ出したのです。


 最早私は、ヴィラ・レオニスを名乗ることさえも出来ない。その日から、騎士大剣に刻まれた名前を借り、ひたすらに逃避と迷走の日々を続けました。

 死ぬ勇気は得られないまま、アズラハットの人々が託した最後の勇気が、後世の人々の障害となるのを見ていることしか出来なかった。


『私は、一体何の為に――』


 最初は、人々を救うことを期待されていた。その後は、忌むべき儀式の記録を残さない為に消えようとした。

 私は産まれた瞬間から今に至るまで何一つ成せず、誰かに迷惑を掛け続けている。生きている意味など無いのに、死ぬ勇気さえも無い。


 ならばせめて……自分の不始末を、産まれた責任を果たさなくては。期待された役割は果たせなかったとしても、誰かに迷惑を掛けないように、アズラハットの最後に泥を塗らないように死ななければ。


 震える手足を引きずって、何度もそれに相対するために列車に乗っては、何も出来ず引き返して……そうして、出会ったのです。


 ――良い、剣だと思いまして。目が惹かれていました。


 最初に目を合わせた瞬間に理解しました。彼は、真に卓越した戦士だと。威風堂々の佇まい。常に弛緩しつつも、鋼めいた芯を持つ四肢。

 妬ましかった。恐ろしかった。一瞥だけで私の在り方を見抜いてしまうその目が。恐れ無く他人に踏み込めるその勇気が。


 ――『俺』は強いですよ。間違いなく。


 結局、彼が私に何を見出してくれたのか分かりませんでした。常に怯えている私を哀れんだのか……それとも、彼の言う『高嶺の花といった感じ』に興味を惹かれただけなのか。なんにせよ、初めてでした。


 心強い仲間を得ることも、自分の恐怖を誰かに吐き出すのも……そしてそれに、確かな答えを返されることも。


 ――勇気があることと、恐れが無いことは別なんじゃないかって思います。

 ――怖くて仕方が無いのに、それでも一歩踏み出せるなんて、それこそ勇者みたいじゃないですか。勇気だけ純粋にあるなんて、俺には逆に虚勢っぽく見えますね。


 ……嘲笑われるのが当然だと思っていました。「臆病者め」と「奮い立てよ」と否定されるのだとばかり思っていました。けれど、そうはならなかった。

 私が抱える『恐怖』。捨てられない呪い。それを抱えていても……勇者になれるのだと。そう彼は言ったのです。


 見つめた彼の瞳の中には、確かに恐れがありました。死ぬことなど毛ほども恐れていない彼は、それでも何かに怯えていました。きっとその恐怖は、私と違う恐怖です。

 だとしても、それを抱えながら、彼は私の手を握っていてくれました。それを引っ張ることも、何かを言う事もなく、ただ私の答えを待っていてくれた。


 その手の温かさが、じわりと滲んだ汗が……どれだけ私の心を支えてくれたのか。


 それからもずっと、彼は私を見捨てなかった。私のせいで始まった突発的な戦いで、怯えて足手纏いにしかならない私をずっと守ってくれました。

 相手は遥か格上なのに、杖さえ無い魔導の者だというのに、ずっと私の前に立って『答え』を待ってくれていた。「逃げろ」とは決して言わなかった。


 だから……手足が竦んで何も出来ない私を庇って腕を失った彼が、それでも私のことを案じてくれた彼が、意識さえも定かでない瀕死の彼が……それでも私の前で剣を構えた時、分かったのです。


 ――これが、『勇気』なのだと。


 私は、それに応えなければいけない。途方もない彼の献身に、正しいものを返さなければいけない。


 恐ろしい。

 怖い。

 逃げ出したい。


『勇気の証明』と向かい合った途端、胸裏に響く消えない声。これを消したくて堪らなかった。これがある限り、私は臆病者のままなのだと思っていた。

 でも、それでもいいとミツクモは教えてくれたのです。


 私は――臆病者のままでいい。手足が震えても、恐怖で視界が霞んでも、前へ歩いていく。それが、貴方の教えてくれた勇者、なのだから。




 ――――――――


 


 俺の目の前で、アリスがヴィラ・レオニスと向かい合う。相変わらず、その足は震えているが……その手には抜き身の騎士大剣――真の勇士にしか抜けないという『不滅の滅剣』が握られていた。

 降り注ぐ陽光を受けて輝く銀の刃は、気を抜けば見惚れてしまうほどに美しい。


 ヴィラ・レオニスは射程圏内にアリスを収めながらも、じっとその姿を見下ろしている。静かな戦場に、風にさらわれる砂の音が流れ……数瞬の間をおいて、荘かな声が響いた。


『我らに、挑むか。臆病者が。全てから逃げ出した成り損ないが』

「……はい」

『……』

「恐れはあります。臆病者のそしりも相違はありません。……ですが、私はもう逃げません」

『なれば……示せ。その身に宿る勇気を。我々が辿り着く答えを』


 言うや否や、ヴィラ・レオニスはゆらりと四本の大剣を左右に広げ、空に浮遊していく。同時に砂漠が沸騰したように泡立ち、再び廃れた鎧や武器が砂上に浮かび上がった。同時に、システムが通知を流す。


【条件を満たしたため、ワールドクエスト『瓦芥ガラクタの勇気に喝采を』を最終フェーズに移行します】

【ヴィラ・レオニスが示す勇気が共鳴する】

【数世紀を経て不変の勇気が、名無しの大鎧に火を着けた】

【四肢がるなら、喝采を。臆病な勇者に喝采を】


 鎧の残骸から立ち上る火の粉がヴィラ・レオニスに収束し、燃える天輪と灼けた大剣を生む。そして文字通りの『騎神』として、空からアリスを睥睨する。アリスはそれをじっと見上げ、静かに抜き身の騎士大剣を両手で祈るように握ると、深く息を吸った。


 次の瞬間、ヴィラ・レオニスとアリスが同時に声を放つ。


『来たれ、"不滅の滅剣Eternal=Annihilation"』

「来たれ、"不滅の滅剣Eternal=Annihilation"」


 空に裂け目が生まれ、そこから漆黒の騎士大剣と、銀色の騎士大剣がそれぞれ降り注ぐ。それらはアリスとヴィラ・レオニス、互いの背後に整列して四枚の翼になった。


 そしてヴィラ・レオニスは静かに四本の大剣を胸の前で交差させ、形態移行時の大技である"勇心礼賛BraveHeart"の構えに入る。

 十字に構えた大剣の中心に、綺羅星めいた輝きが収束していく。それを見たアリスの不滅の滅剣が、アリスの背中を離れてヴィラ・レオニスの巨躯に殺到した。


 銀の刃が飛翔し、大鎧の関節、兜の隙間を串刺しにする。鉄の擦れ合う音が響き、大量のダメージエフェクトが散るが、ヴィラ・レオニスは大剣を構えたまま微動だにしない。生み出された綺羅星の輝きが更に強まり、それを見上げたアリスが真っ直ぐにヴィラ・レオニスへ突き進んだ。


 当然のようにヴィラ・レオニスの背後に携えられていた不滅の滅剣がアリスを貫こうと接近する。しかしアリスは一切躊躇いなく踏み込み、大きく騎士大剣を一振する。

 数本の滅剣がそれに弾かれて空を舞い、その他がアリスの身体を切り裂くが……ガキン!と硬質な音が響き、パリィでもされたように刃が弾かれた。


 アリスはそれを一瞥すると更に大きく踏み込む。その速度は、以前俺のパリィ練習に付き合ってくれた時の比ではない。『勇心』のスタックが累積しているから? いや、それでは説明がつかないほどのステータスの上昇だった。


 向けられる剣閃を弾き、押し返して……アリスは砂漠を踏みしめ、真正面からヴィラ・レオニスに肉薄した。

 凄まじい跳躍だが、巨躯に加えて滞空を行うヴィラ・レオニスの手元には届かない。そこへ漆黒の滅剣が殺到し――アリスは身体を捻ってそれを躱すと同時に、滅剣を踏み付けて更に跳躍した。


 あの動きは……俺がデザートイーターやヴィラ・レオニスとの戦いで見せた動きと瓜二つだ。俺が唖然と見つめる先で、ヴィラ・レオニスの構える綺羅星の輝きが臨界に達する――その刹那、アリスはそこへ渾身の突きを放った。


『四肢がるなら、喝采を。"勇心Brave――』

「はぁっ!!」


 裂帛の声と同時に、キィー……ン、と澄んだ音が響く。一瞬だけ戦場から一切の音が消え、極限まで凝縮された破滅の白炎が……ヴィラ・レオニスへ向けて炸裂する。

 砂漠を全方位に焼き尽くすはずだった炎の波を一身に受けたヴィラ・レオニスは明確な怯みモーションと共に高度を落とし、ズシャン!と白い砂漠に墜落した。


 エンデ達はあの"勇心礼賛BraveHeart"を勇心スタックの累積によって軽減できると考え、実際にそれは正しかった。しかし……恐らく最適な回答はそうではないのだろう。

対空したヴィラ・レオニスが放つ渾身の大技。それに死を恐れず斬り込み、逃げずに立ち向かい、そして真正面から刃を振るう。


 『汝らよ、勇気を示せ。これより先は勇猛果敢の頂点に立つ者のみが生き残る』……形態移行時のこの台詞は、まさしく言葉通りの意味だったということだ。


 全身から白い煙を上げながらダウンしているヴィラ・レオニスにアリスが『不滅の滅剣』を再度招集して斬り込む。

 大技に対する強烈なカウンターとアリスの猛攻で、ヴィラ・レオニスの残りHPは三割弱まで削られている。


「ふ、ぅ……ふー……ポーション……いや、駄目か」


 俺は失った左腕の痛みに呻きつつ、残る右手で低級のポーションを持ち出した。五本しか無いが、それだけあれば六割まで戻せる……そう考えていたが、そもそも『勇心』スタックの影響で最大HPが大幅に上昇しているため、低級ポーションではまともに回復出来ない。

 何より、ポーションを使って回復をした瞬間、鋭い痛みと共に左腕から出血を示す赤いエフェクトが現れ、白い砂漠を赤く染めると共にHPが三割を割る。


(『出血:大』か……そりゃあ、当たり前だよな)


『決死の牙』が無ければ、俺は出血ダメージでとっくのとうに死んでいるはずなのだ。ただ……だからといって、このままミミズみたいに砂漠を這っているつもりは無い。


「『混乱』は……消えた。『朦朧』は、もう少し残るか……」


 右手で白い砂漠を握りしめて、無理矢理身体を起こす。先程まであった手足の無制御感や凄まじい揺れと吐き気、頭痛は消えた。ただ、未だに視界はうっすらけているし、耳は遠い。

 そこで視界にベタリ、と赤いものが垂れた。砂漠にポタリと一滴だけ赤い雫が垂れる。


(……左腕だけだと思ってたが、ぶっ飛ばされて転がってる間にこめかみが切れたか。鼻は……この感じ、折れてるだろうな)


 満身創痍だった。荒く息を吐いて、分析すればするほど、その四文字に辿り着く。やはり左腕の喪失と受け身の失敗が痛かった。普通のプレイヤーならば痛みと朦朧でまともに動けないだろう。

 だが――


「――『俺は強い』んだろ……なら、やれるよな……」


 かつて夜の土龍列車でアリスに放った言葉を反芻する。顔を上げれば、ダウンから回復したヴィラ・レオニスとアリスが不滅の滅剣をぶつけ合わせ、大剣と騎士大剣で熾烈な打ち合いをしている。

 凄まじい強化を受けているアリスだが、やはり元の技量のせいで防戦気味だ。四本腕の手数も相まって、ひたすらにそれらを逸らし、耐えることが手一杯のようだった。


「覚醒して、楽勝でGG……なんて、甘くねえよな……」


 震える手で慈悲の十字架ラスト・スティレットを握る。視界の左端が赤い。足元が定まらない。だとしても……戦わなくては。

 恐怖に負けず踏み出したアリスの、その勇気に応えなくては。


「ふぅ……はー……行くか」


 右手で鼻血を拭って、『死界踏破』を起動し、無理矢理に両足を回す。そうして、視線の先で繰り広げられる勇気のぶつかり合いに、瀕死の身体で走り込んだ。

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