第22話 『ヴィラ・レオニス』

 見上げる程の巨体が大剣を振りかざして迫ってくる。それだけで前方の空気が押し出され、白い前髪が揺れた。


 俺は一瞬アリスの様子を目尻で捉える。……完全に腰が抜けてるな。あわよくば安全な場所まで距離を取るか、俺の側に寄ってほしいが……無理だろう。


 視線を戻して、息を吸う。初手は右腕の袈裟斬り。速いが、『死界踏破』中なら見えないことはない。魔法を詠唱しながら当たれば即死のソレを完璧なタイミング、完璧な角度でパリィする。


 エフェクトが弾けて、ヴィラ・レオニスの右腕の一本があらぬ方向に逸れた。続けて上と横から同時に降り注ぐ左腕二本の斬撃を詠唱していたストレート・エアで後ろへ距離を取って空振らせる。


 轟、と空を断つ大剣が揺れる俺の前髪の間を掠めて、横振りの大剣が俺の法衣の袖を浅く切り裂いた。

 ミリ単位での完璧な回避。それが成立しうるのはひとえに、俺の胸裏『天の瞳と鉄のえだ』が効果を発しているからだ。


(大剣の攻撃範囲がデカすぎて範囲攻撃扱いになってるからか、事前に剣線が見えてるな……)


 引き絞った右腕から繰り出される豪速の斬り上げ。それが放たれる一瞬前に、俺の胴体を二分割する赤い線が見える。滑らかに弧を描くそれの軌道に重ねて、慈悲の十字架を振るう。


 ギィ――ンッ!と耳障りな音が響き、ヴィラ・レオニスの腕が真横に弾き返される。それを一瞥しなが、俺は視界に映った青紫色のHPゲージを見る。


(残り七割……いや、リジェネか何かで八割がた残ってるな。魔法でチクチク削り切るつもりなら夜まで殴り合うハメになる)


 そう思いつつ、俺はガラ空きになった右の空間に踏み込んで――目を剥く。


「はっ……?」


 速い。ヴィラ・レオニスが、ではない。俺だ。全力で踏み込んだ瞬間、俺はヴィラ・レオニスのド真ん前まで飛び込んでいた。目を白黒させながら、反射で右手の十字架を構えて剣先を押し込む。

 装甲貫通効果の乗ったクリティカルヒットが、巨体の腰で発生した。赤と紫のエフェクトが散って、手首に固いものを貫いた感触が伝わる。


 即座にその場からバックステップして追撃の一太刀を避け、着地地点に置くような形で放たれた大剣の突きを見て俺も突きを構える。


「シィ……ッ!」


 俺に与えられた4フレームで鮮やかに大剣の突きを押し返して、即座に『カッティング・エア』を詠唱する。大鎧の兜に新緑の風が叩き込まれ、恐らくはクリティカルヒットを示す紫のエフェクトが散った。


 カウンター気味な左右からの振り下ろしをステップとノックアップで避け、空中の俺に待っていたとばかりに四本目の大剣が迫るが、冷静に空を踏んで距離を取る。


 勢いを殺さず、砂漠に手から着地してロンダートの要領で更に距離を取った。ヴィラ・レオニスが俺に追従する一瞬を逃さず、即座にステータスを確認する。


 そして『基礎速度:288』の表示を見て困惑した。


(は……?『死界踏破』と『隼の流儀』を合せても最大加速は80%……216が俺の上限のはず。他に何かあるとすれば――『勇心』か)


 特殊状態『勇心』:1スタックにつき基礎速度を含む全ステータスを10%向上させる。最大5スタックまで累積。

 現在:5スタック


「なるほどな……」


 討伐隊の面々が稼げと口にしていた『勇心』の影響らしい。このボス戦限定の特殊状態として、俺のステータスを50%も引き上げている。


 勘だが、『疑心』はこれと真逆の全ステータスダウンの特殊状態だろう。要するに、ヴィラ・レオニスは『正面から潔くぶつかれ』というコンセプトのボスなのだ。最低限のステータスは特殊状態で担保するから、狡い手を使わずPSでなんとかしろ、と。


「上等だ……!」


 向けられた大剣を弾き返して、ストレート・エアを放つ。合わせて同時詠唱、アッドスペルを重ねた新魔法『ブラストストーム』を放った。これまでの魔法に無い長めの詠唱の後、俺の目前にネビュ・レスタが放っていた『鎌鼬』のような斬撃の塊が生まれた。

 緑色に渦巻くそれは弾丸めいた速度でヴィラ・レオニスの胴体に叩きつけられ、ガガガッ!と多段ヒットして消えた。


(ダメージとスピードはありそうだが燃費は悪いな……詠唱も時間が掛かる。大人しく慈悲の十字架で貫通クリティカルを出したほうがDPSは高いな)


 ふぅ、と息を吐いてヴィラ・レオニスに肉薄する。迫る大剣の軌道をよく見てギリ回避。ノックアップを詠唱しながらスライディング、左右からのクロスで迫る首刎ねを避けて空へ。

 飛ぶ鳥を撃ち落とすどころか木っ端微塵にしかねない縦割りを真正面からパリィして、同時にストームブレイドを詠唱。右手に振り抜いた慈悲の十字架と左手に風の刃を握った二刀流で、ヴィラ・レオニスの頭部へ踏み込む。


 数々のスキルの恩恵を受けた今の俺の速度は尋常ではない。第三者からすれば瞬間移動に見えるほどの加速で空を舞い、両手の得物を真正面から兜に突き刺す。

 全体重と全速度の乗った装甲貫通・クリティカルの突きが布で覆われた兜の面頬に突き立てられ、即座に左手のストームブレイドが弾けた。


 赤、紫、緑の光が弾けて、スティレット越しに濡れた布を貫くような感触が伝わる。即座に両足でヴィラ・レオニスの兜を踏み、距離を取る直前――暗く伽藍洞な兜の奥に、重厚な視線を感じた。

 一人、二人、三人。数え切れないほどの複数人の視線。それが束ねられ、一斉に俺を見据えている。


 全身に鳥肌が立ち、冷や汗が浮いた。間違いなく俺はコイツの動きを見切っている。一撃も受けずに押し返している。なのに、それさえも『試練』の一つだと錯覚してしまう。

 声は無かった。だが、俺にはヴィラ・レオニスの視線が、確かにこう告げたのを感じた。


 ――越えてみよ。我らが全てを。


 目の前から、ヴィラ・レオニスが消える。反射でダウンバーストをキャストし、ヴィラ・レオニスから飛び退いた姿勢から足を振ってそのままバク転の要領で上下反転で後ろに振り返る。

 空を舞う俺の更に上、太陽を背に背負った白銀の騎神が四本の大剣を滑らかに構える。


『――"四肢粉塵Pulverizer"』

「ッ!?」


 来る。超高速の四連撃。あまりの速さに、胸裏が描く攻撃予測線さえ一瞬塗り潰されていく。


 一撃目、右足狙いの攻撃を十字架で弾く。

 二撃目、右足で砂漠に向けて落下するように空を踏み込み攻撃を躱す。

 三撃目、追いすがる左腕への突きを身体を捻って避けつつ、ダウンバーストの加速で更に砂漠へと降下して攻撃範囲から遠退く。


(四撃目ッ!この距離は届かない!射程は抜けた!反転のノックアップを掛けて落下の衝撃を殺す!)


 引き攣った笑みで口を開き、一気に離れていくヴィラ・レオニスの巨体に安堵する。同時詠唱でカッティングウィンドを構え、クリティカル確定の一撃を狙う。


「『ノックアップ・エア』!『カッティング・エ――」


 眩しい、と反射で目を細めた。放ったカッティング・エアが空を切って、太陽へ向かう。太陽?空?

 一瞬思考がショートした。本能が警鐘を鳴らす。理性が追い付いて、全てを理解した。


『勇猛、果敢。なればこの剣戟、恐るるに足らず』


 背後からの声。俺の四肢を剪断する軌道の赤い予測線。無茶苦茶だ。そんな馬鹿げた――二連の"|四肢粉塵"なんて、回避できる訳が無い。


 死ぬ。一撃目と四撃目は捌けても他で死ぬ。三撃目は避けられる?いや、二撃目で足が死ぬ。ノックアップはリキャスト、ストレートはもう詠唱が間に合わない。『隼の巡礼』はさっきの落下でスタックを使い切った。『死界踏破』込みでも二発貰えば絶対に死ぬ。


 生き残るなら、やるしかない。脳裏で行動を組み立てる。一撃目を弾き、二撃目を完全に捨てて最速で三撃目を弾く。同時に四撃目で腕を完全に切り飛ばされないよう身体を捻って直撃を避ける。これ以外に選択肢は無い。


「ッ……!」

『"四肢Pulve"――』

「――ああああぁぁっ!!」


 振り下ろされる一撃目。俺の命を刈り取る四連撃。それらと俺の間に、足音も無く何かが割り込む。情けない咆哮を上げて、それでも俺を庇った何か――アリスは、恐らく鞘に収まった騎士大剣で一撃目を受けた。その反動で吹き飛ばされ、落下中の俺に身体がぶつかる。


「がッ!?」

「あぐっ!?」

『……』


 いつかと同じように、俺とアリスは二人揃って砂漠を転がった。慌てて空中で受け身を取る俺と異なって、アリスはゴロゴロと砂漠を跳ねる。

 俺は反射で顔を上げて追撃に構えたが、ヴィラ・レオニスは"四肢粉塵"のモーションの途中、三本の大剣を残したまま静止していた。


 まるで彫像のようにその巨躯は固まり、兜の中の目線は、咳き込みながらなんとか起き上がったアリスに向いていた。


 静かな睨み合いの最中、俺はアリスのHPを見る。……信じられないが、最大体力の2、3%といったダメージしか受けていない。


(……固すぎる。俺は足に掠っただけで五割消し飛んだってのに)


 未だジクジクと血を流す左足を一瞥して、動きの無いヴィラ・レオニスからジリジリと距離を取る。戦いに熱中し過ぎて忘れるわけにはいかない。俺の目的はアリスを無事に帰すことだ。

 アリスが庇わなければ今の一撃でデスしていた。なんとか残ったこの命、無駄にする訳にはいかない。


『……奮い立つか。臆病者が、命惜しさに国を捨てた裏切り者が』

「……」

「ゲホッ、ゲホッゲホッ……分かり、ません。身体が、勝手に動いて……」

『……情けない。それが勇士か。ただの反射か。ならば――』


 ヴィラ・レオニスは憤懣やる方ない声音で、四本の大剣を空に掲げた。そのモーションは……『不滅の滅剣』だ。


『死せよ。怠惰に生きる生命よ。アズラハットの汚点よ。く死せよ――"不滅の滅剣Eternal=Annihilation"』


 そのモーションを見た瞬間に、俺はアリスへ向かって走り込んでいた。『死界踏破』は切れているが、問題無い。この一瞬で繋ぐ。『不滅の滅剣』は攻撃範囲と威力こそ尋常ではないが、空を踏める俺には大して刺さらない。降り注ぐ騎士大剣の落下予測地点を正確に躱して、アリスの頭上に降る大剣をストレート・エアでこちらにアリスを引き寄せながら回避させる。


 このタイミングしかない。ヴィラ・レオニスはモーション中、アリスとの距離も空いていない今なら、『流転の水晶』で帰還が間に合う!


 アイテムボックスから『流転の水晶』を取り出して踏み込む。しかし、その瞬間……ガクリと身体が重くなった。


「ッ……そうか。『勇心』が」


『勇心』スタックの累積条件は恐らくヴィラ・レオニスに正面から向かい合うこと。或いはデバフの掛かった不利な状況でも戦い続けること。敵前逃亡など、それらを殴り捨てるような行動だ。

 フルスタックだった『勇心』が消え、一気に速度が落ちる。即座に降り注ぐ剣をわざとギリギリで回避してリキャストを短縮し、『死界踏破』を強引に再発動した。


 降り注ぐ滅剣に手足を軽く斬られながら右往左往するアリスの側に駆け寄り、アイテムを握った手を伸ばす。


「アリスッ!これをッ!」

「ミ、ミツクモ……その、私は……」


 なんとか間に合った、と安堵する俺と対照に、アリスは心臓にナイフを突き立てられたような悲壮な表情で俺を見る。なんだ?この一秒が惜しいタイミングで何を迷っている?さっさと『流転の水晶』でここから逃げれば俺達の勝ちだ。ここから逃げ、れば……。


「……逃げたく、ないのか」

「……」


 アリスは何も言わなかった。ただ恐れの混じった目で俺を見ていた。俺の真後ろに騎士大剣が降り、白い砂が舞う。


 ――何を馬鹿なことを。さっさと逃げろ。

 ――アレに二人で勝てる訳が無いだろ。

 ――次、作戦を練って戦えばいいんだ。 

 ――俺との約束はどうしたんだ。


 思考が加速して、当然の反論を繰り出す。戦って分かった。ヴィラ・レオニスは対策をすれば、俺の地力が上がれば勝てる。

 だが、今は無理だ。この状況は最悪にも程がある。もしまた、二連"四肢粉塵"が来たら?それよりも凶悪な攻撃が残されていたら?


 蘇生が出来ない。保険も無い。一度きりの大勝負。……リスキーだ。やるべきではない。

 でも、と俺の心が言う。俺の目が彼女の表情を見る。


 それらは、俺の都合だ。アリス本人の気持ちを全て無視した、勝つための行動だ。俺はこの戦いが始まってから一切、彼女のことを考えていない。

 いつも通り……そう、これまでと同じように、俺が俺の考えで『勝てるムーブ』をして、それを他人に押し付けていた。


 悪い癖だと自覚していた。それでもこれまでは周りが合せてくれていた。……だから、今回も同じことをするのか? アリスにアイテムを握らせて『黙ってさっさと逃げろ』と言えば……いいのか?


 降り注ぐ騎士大剣が、止まった。俺はハッとして、周囲を見回す。そして即座に騎士大剣の配置からアリスが大剣を結ぶ交点に立っていることを察知し、反射でその体を押し飛ばす。


「えぁっ!?」

「『ノックアップ・エア』!」


 騎士大剣と騎士大剣を結ぶ空間に線が走り、黒い網が生まれる。ノックアップ、ストレートエアで滞空時間を延長し、更に空中を踏んでそれを回避した。

 数秒で黒い線は消え、降り注いだ騎士大剣も灰になって消えていく。

 俺は砂漠に着地しながら、深く息を吸って覚悟を決めた。このアイテムは、アリスに渡す。だが……逃げろとは言わない。俺は、彼女の判断に任せる。


(落ち着け。やることは変わらない。俺は俺の全力で、ヴィラ・レオニスに挑む。ヘイトは多少アリスに向くだろうが、あの感じからして集中しすぎなければ即死は無い)


 範囲攻撃のモーションを終え、ヴィラ・レオニスがこちらに突撃してくる。その残りHPは6割強。思った以上に削れているが、まだまだゲージは残っている。

 俺はへっぴり腰でヴィラ・レオニスへ大剣を構えるアリスの側に寄って――そこで、ヴィラ・レオニスがピタリと動きを止めた。


「アリス――」

『勇無き者は音に聞け。勇なる者は我に挑め。――"審判の咆哮Judgement Roar"』


 ヴィラ・レオニスは四本の大剣を全て砂漠に突き立て、全力の咆哮を放った。いや、咆哮というと少し過小な表現だ。それは、小規模の嵐だった。

 広大な廃都アズラハットを揺らす音の嵐。『勇気の証明』で放つ咆哮よりもより猛々しく、最早それは怒号と形容していいだろう。


『ォ゙ォ゙オオオオ――ッ!!』

「く、ぁ……っ!?」

「ッ……ダメージ、は、無い……が……」


 巨大な空気の振動。砂漠が派手に波打って、俺達の背後の建物が音だけで倒壊し始める。この"審判の咆哮Judgement Roar"には、恐らくダメージが無い。俺のHPは微塵も減少せず……代わりに俺の『死界踏破』がキャンセルされ、スタックしていた『隼の流儀』が全て解除される。

 更に視界の右上に『スタン(大)』の表記と、『速度低下(大)』の表記が現れた。


(回避不可の強化解除、スタン、速度低下とか、ふざけんな……!)


 恐らくは『勇心』をスタックしていればスタン、速度低下の影響を受けないタイプの攻撃だろう。さっきの敵前逃亡で『勇心』がゼロになったからトリガーを引いたのか、なんにせよ無茶苦茶な攻撃だった。


 手足が動かない。呼吸は出来るが深くは吸えない。完全に硬直した俺達に、ヴィラ・レオニスの巨体が迫る。右腕二本が砂漠の砂を巻き上げながら斬り上げの軌道を取る。


 そうしてそれは――俺の前で硬直していたアリスの体を砂漠から打ち上げた。


「がっ!?」

「……!」


 ガンッ!という音と共に、無防備な身体が大剣に斬り上げられ、視界の隅でアリスの体力がゴリッと減少する。マズいどころの話ではない。さっさと動けと身体に力を込めるが、最早吐いた息を吸い直すことさえできず、目を剥いて目の前の光景を見ることしか出来ない。


 打ち上げられたアリスの身体にヴィラ・レオニスの連撃が迫る。左腕の二本が袈裟と逆袈裟にそれぞれ華奢な身体を切り裂き、先程振り抜いていた右の大剣が二本同時に振り下ろされる。

 一太刀ごとに一割、凄まじい速度でアリスのHPが減り、砕け散った篭手と鎖帷子の破片が砂漠に散る。


 ――そこでようやく、俺の身体が自由を取り戻した。もう頭の中には正常な思考などほとんど残されていない。速度低下のせいで重りを付けられたように体が動かないが、本能と衝動が俺を突き動かす。


「『ストレート・エア』ッ!『カッティング・エア』!」


 ゴム毬のように砂漠を跳ねるアリスにさらなる追撃を構えたヴィラ・レオニスに対し、即座にアリスの身体を風で射程外に突き飛ばす。

 入れ替わる形で飛び込み、ガラ空きの兜に斬撃を叩き込んで、吼えるように挑発する。


「動けない女一人に四本腕でフルボッコか!大層な『勇気』だ!俺は感動したねッ!ヴィラ・レオニス!!」

『……』

「言い返せねえならかかってこいよ!お前の『勇気』を見せてみろ!!」


 アッドスペルを掛けてストームブレイドを詠唱し、左手で掴む。重かった身体が、『勇心』のスタックで軽くなるのを感じる。早くなったり遅くなったり忙しない身体だが、この程度の変速で狂うような三半規管は持ってない。


 一秒でも長くヘイトを受け持つためにウィンドを詠唱して正面から突っ込む。ヴィラ・レオニスは無言で俺のウィンドを切り裂くと、左右から挟み込む袈裟斬りを放つ。胴体を四分割する赤い軌道に恐れずさらに踏み込み、スライディング。

 そこからノックアップ・エアを詠唱するが、その手は見たとばかりに真上から残る一本が振り下ろされる。


 即座に新しく習得した『詠唱破棄』でノックアップエアをキャンセル。真正面からパリィを決め、ノールックでバックステップする。

 そして同時に『ダウンバースト』をキャストして、完全に弾いた腕を下に引き寄せる。


 強烈な下降気流で砂漠に落ちた大剣の刃を踏んで、ヴィラ・レオニスが持ち上げる力を利用して飛び上がる。即座に反撃の突きが放たれるが、もうその動きは見切った。4フレームだろうが1フレームだろうがパリィはしくじらない。


 刺し穿つ大剣を同じく突きでパリィしながら『ストームウォール』を詠唱。僅かな詠唱時間と自由落下の後に俺の足元に半透明な風の壁が生まれる。それを踏みしめ、さらに上昇。

 最初の二本腕が大剣を折り返して左右から逆袈裟で俺の両足を狙うが、既に滞空時間一秒は経過している。『隼の流儀』で更に空へ高く飛び、ギリギリで回避する。


 その回避で『無冠の曲芸』のリキャスト短縮が発動。先程のスライディング回避と合せて4回分の短縮により『死界踏破』が発動可能になった。

 四本腕を正面から全て捌いて加速し、ついにヴィラ・レオニスの目線の高さに辿り着く。

 そして丁度このタイミングで――


「リキャストタイミングッ!『ストレート・エア』ッ!」


 完璧に計算され尽くしたコンボの最後。真後ろから突風が俺を突き飛ばす。右手のスティレット、左手のストームブレイドを構え、全力で突き立てた。

 大輪のように咲くダメージエフェクトの中で、更に『ブラストストーム』と『ダウンバースト』を詠唱し、兜からスティレットを引き抜いて、後ろではなく更に前へと踏み込む。ヴィラ・レオニスの背面に回り込み暴風の塊を後頭部に炸裂させると、追撃から逃れるためにダウンバーストが俺の身体を砂漠に撃ち落とした。


 勇心によるバフ込みで、今の俺が繰り出せる最大火力。それを最適な形でブチ込んだ。削りはおおよそ一割強で、ヴィラ・レオニスの青紫色のHPバーが五割まで削れている。

 このまま削り抜いて、第二形態への移行タイミングでアリスに『流転の水晶』を渡す……!


 歯を食いしばってスティレットを構え、バックステップである程度の距離を取る。ヴィラ・レオニスは当然俺の方へと振り返……らない。その巨体は石像のように固まって、俺の本能が『走れ』と耳元で囁いた。


「ッ!? クソッ――」

『――示せ。勇気を。危機死に勝る勇猛を』


 その台詞は……"四肢粉塵"! ヴィラ・レオニスは固まってたんじゃない、ターゲットを変更しただけだ!

 走り出した俺の目前で、ヴィラ・レオニスの巨体が消える。討伐隊のプレイヤーも叫んでいたが、コイツはヘイトの概念がぶっ壊れている。普通この場面で狙われるのは俺だろう。


 だが現実は、アリスをターゲットに定めている。俺がストレート・エアで射程圏外に押し飛ばしたアリスはふらふらの足でなんとか起き上がり、素手で騎士大剣を握ったばかりだ。その残りHPは五割。

 "四肢粉塵"ではギリ死なないだろうが、続くコンボで確定死だ。


「アリスッ! 後ろだッ!」

「は、はいっ! 後ろ……!」


 アリスの背後にテレポートしたヴィラ・レオニスが、四本の大剣を構える。狩人が弓を引き絞るように、狙撃手が引き金に指を添えるように、強い力が緩やかに張り詰める。

 最悪だ。二連の"四肢粉塵"を警戒してヴィラ・レオニスの背面に回ったのが悪手だった。アリスと俺との距離が開きすぎて、この速度でもカバーが間に合わない。


 脂汗を垂らす俺の前で、ヴィラ・レオニスが重く吼えた。


『――"四肢粉塵Pulverizer"』


 一撃目、アリスの左腕を狙う斬撃は、アリスの『不滅の滅剣』によりなんとか逸れた。

 二撃目、一撃目で体勢の崩れたアリスの右腕に大剣が直撃する。

 三撃目、怯んだアリスの右足を斬り落とすように大剣が振るわれ――俺の詠唱したストレートエアがアリスの身体を俺の方に引き寄せる。掠めた大剣はアリスの右腿を軽く切って砂漠に叩きつけられた。


 そして、四撃目。風によって距離を離したアリスに向けて放たれた渾身の突き。アリスは受けたダメージと死の恐怖、突風による怯みで倒れ込んだまま動けない。


「いや……っ!」

『死せよ』

「させねえよッ!!」


 アリスがこちら側に倒れ込んだ。ヴィラ・レオニスが大剣を振り抜きではなく突きに変えた。

 未だ鋭い痛みを放つ左腿を気にすることなく、文字通りの死力で踏み込んでスティレットを構える。野球の盗塁ばりの飛び込みで無理矢理、大剣の軌道に身体を割り込ませて右腕を――


(駄目だ、間に合わない……!)


 俺の正確無比な目が距離と速度の比較で答えを出す。俺がアリスの前に割ってパリィをするのは無理だ。

 じゃあ、どうする?求める結果に辿り着くには?


 このダメージは甘んじて受けさせる?

 武器を投げる? 魔法は? スキルは?

 ヴィラ・レオニスの四撃目は突き。それならアリスの身体が突きの軌道から外れればいい。アリスの身体を右か左に突き飛ばせば……いや、そんなことをしたらパリィが出来ない……!


 出来ない……出来ない、が――


「これしか、無いッ!」


 左腕を伸ばし、アリスの首元を掴んでをこちらに引き倒す。ダメ元で突き刺したスティレットが、押し込まれる大剣に触れて……弾かれた。パリィの失敗、それが俺の脳に届いた瞬間、左腕の感覚が無くなる。


「ッがぁ!……ぁ゙ッ!」


 クルクルと舞う俺の左腕。抉れた左肩からは流血を示す赤いエフェクトが一瞬だけ流れて止まった。『決死の牙』の出血無効が発動しているのだろう。


 もろに突きを受けた衝撃で身体が砂漠に叩きつけられ、軽く転がる。すぐにスティレットを握った右腕で砂漠を引っ掻いて止めるが、そこから顔を上げられない。


「なん……俺……目が――」


 視界が二回、三回と回っている。目眩なんてカワイイもんじゃない、気絶する寸前って感じだ。目眩だけじゃない、吐き気と頭痛、酩酊感が凄まじい。身体が左右に揺れ続けている感覚で、右と左が分からない。

 慌ててシステムコンソールを開くと、そこには『朦朧』と『混乱』という状態異常があった。加えて、俺のHPは真っ赤な「1」。『死界踏破』こそ解除されていないものの、速度が俺のHPの代わりにゴリッと目減りしていた。


 状態異常は……短期間にダメージを受けすぎたのか、それとも血を流しすぎたのか。どちらにしてもまともに立ち上がることさえ出来ない。荒く息を吐きながら、砂漠に寝そべったままなんとか首だけを動かして前を見る。


 すると、地面を伝う……恐らくは誰かの走る揺れが伝わり、次の瞬間俺の頭が両腕で抱きかかえられた。


「――クモっ! ミ――! 駄――す……死――」


 息を吐いて、少し吸って、吐いて、少し吸って。そんな死戦期呼吸めいたことをしながら、前を見る。白い髪に、赤い瞳。ボロボロの鎖帷子に砕けた篭手。傷一つ無かった白い頬や腕には、深く切創が残っている。

 アリスだ。彼女は俺の頭を抱きかかえて、必死に俺の名前を呼んでいた。吹き飛ばされた俺の左肩を押さえ、恐らくは止血をしようとしている。そんなことをしても血は流れていないはずなのだが、グラグラの視界に映るアリスの表情は……悲壮と絶望で歪みきっていた。無表情がデフォルトの彼女でも、そんな表情が出来るのだな、と思いつつ、右手に握った慈悲の十字架を捨てて、混濁した意識で『流転の水晶』を握る。


「ア……リス」

「ミツクモっ! ごめ――!ご――さいっ!私が、弱い――」

「アリス」


 静かに名前を呼んで、水晶を彼女の目の前に差し出した。……危ないところだった。少しでも判断ミスをしていれば……例えば彼女の身体を引っ張るのではなく押し飛ばしていれば、もうその時点で詰んでいた。

 だが、この勝負は俺の勝ちだ。俺は目を見開いて固まったアリスの手に、そっと水晶を置く。


 そして空いた右手で、先程慈悲の十字架を捨てた辺りの砂漠をまさぐる。


「ミツ、クモ……?」


 あった。意識はめちゃくちゃだが、身体は動く。吹き飛んだのもしっかりと左腕だ。震える右手で慈悲の十字架を握り直すと、俺は砂漠を片手で這いずって、無理矢理目線を上げる。


 大丈夫。目は見える。耳もなんとか戻ってきた。この酩酊感にもすぐ慣れる。


 目だけで見上げた先、偉大なる騎神は四本の大剣を携えたまま俺を見下ろしている。俺は深く息を吸って、砂漠に半分顔を埋めたまま、震えるスティレットの剣先をヴィラ・レオニスに向ける。


「――」


 背後でアリスが息を呑むのが伝わった。……出来れば彼女には早急にこの場から撤退してほしい。アイテムを渡した以上選択は委ねるが、俺もここから長生きは難しい。低級のポーションはいくつか買ったが、それをこの場で使う時間は無いし、その必要も無いだろう。


「ア、リス……俺が……あと一太刀、防ぐ……早く、決断、してくれ」


 震えているが、右腕は動く。揺れているが、目は見える。そして何より――俺は生きている。それならば……あと一太刀くらい、パリィしてみせる。一秒でも長く時間を稼ぐ。


 俺の決意に呼応したのか、ヴィラ・レオニスが動く。太陽を背負ったその威容は、まさしく死神の風格と形容してもいい。


(来いよ……ヴィラ・レオニス。あと一太刀、右腕一本で充分だ。完璧に見切ってやる。絶対に弾いてやる……)


 ヴィラ・レオニスが俺達に接近し……そして、その歩みが途中で止まった。


「……?」

「……ミツクモ。もう、大丈夫です」


 背後から声が聞こえた。未だ水中のように音は曇っているが、それでも聞き取れる程にハッキリとアリスは語る。そしてアリスは俺の直ぐ側に寄って腰を下ろし、固く握った俺の手を優しく撫でた。

 一体何を、とそれを口にすることも出来ない俺の目の前に、アリスはそっと『流転の水晶』を置いた。


「……」

「私の決断を信じてくれて、ありがとう。私の為に戦ってくれて、傷ついてくれて……ありがとうございました」

「……」

「貴方は私に、沢山の話をしてくれました。沢山の話を聞いてくれました。そして私を否定することもなく、強引に導くこともしないで、ただ待っていてくれた」


 俺の見つめる先、ヴィラ・レオニスは動かない。四本の大剣をそれぞれ構えたまま……こちらを睥睨へいげいしている。


 何が起きている? 何一つ状況が飲み込めていない俺に、アリスは小さく呟く。


「貴方が私に『逃げろ』と言わないでくれて、本当に助かりました。……ミツクモとの約束は、絶対に破りたくありませんでしたから」


 そう言いながら、アリスはゆっくりと立ち上がり、ヴィラ・レオニスの元へ歩いていく。……どこをどう見てもしっかり破っているが、確かに俺は彼女に『逃げろ』と直接は言っていない。それにしても、『ヴィラ・レオニスとは戦わない』を破っているが。


 アリスは深く息を吸って、深く吐いた。傷の刻まれた白い手が、漆黒の騎士大剣を握っている。


「……ミツクモの言いたいことは分かっています。本当は、全てが終わってから話そうと思っていました。私は臆病で、怖がりだから……貴方に嫌われるのが怖かった」


 ですが――もう大丈夫です。アリスはそう言って、一人ヴィラ・レオニスに向けて歩いていく。「一つ、昔話をしましょう」とアリスは言った。短く切り揃えられた銀髪が風に揺れ、傷だらけの後ろ姿に言い知れぬ『重さ』が纏わりついていた。


「アズラハットの神官達が最後に施した儀式には、大きな欠陥がありました。

 死した戦士の魂を鎧に宿す不死術を、彼ら誤った形で応用しました。……生きた戦士達を焼ける炉に飛び込ませ、その魂を騎神の器に縛ろうとした」


 そこで初めてヴィラ・レオニスがゆっくりとアリスに向かって前進を始める。


「どれだけ勇猛果敢な戦士であっても、死の瞬間にはおそれを抱きます。自分の意思で命を散らすことに、鉄騎に生まれ変わることに、絶命の苦痛に、こらえようのない恐怖を」


 アリスの言葉が詰まった。その視線は真っ直ぐヴィラ・レオニスを見ている。俺はアリスの言いたいことが理解できなかった。だが、続く言葉に答えがあるという予感がある。

 再び息を吸って、アリスは言った。


「――私は、その恐怖から産まれ落ちました。『死にたくない』『肉の体を捨てたくない』それらの意思が、魂を鎧ではなく、彼らが捨てた肉体に再び宿しました」

「……」

「勇猛なる魂の負の側面。純粋な恐怖と畏れを宿して、私は彼らの遺灰の中から産まれたのです」

「……ッ!?」

「……ずっと、隠していてすみませんでした。『フェリシア・アリス』は、私の偽りの側面です。……今こそ、私の真名まなを明かしましょう」


 そう言いながら、アリスはその歩みを止める。ヴィラ・レオニスは止まらず、その刃の射程圏内にアリスを捉えた。

 だが、アリスは静かに騎士大剣を地面と水平に構え……そして、その鞘を掴む。戦いなど知らなそうな、陶器めいた五指に力が入って、ズズ……と重い音がした。握った騎士大剣、その柄から銀色の光が漏れている。


 あまりの情報の渦に何一つ理解が追いつかない俺を更に置いてきぼりにするように、アリスは『不滅の滅剣』を完全に鞘から抜き放って、ヴィラ・レオニスに向き合った。


「私は、アズラハットの最後に産まれし者。忌むべき儀式よりでた、『勇なき騎神』。

――”失敗作のエラータイプ”ヴィラ・レオニス」

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