第25話 Hello World
遠く、北の果て。粉々になった城塞を解体するNPC達を眺めていた一人の男が、面白そうに鼻を鳴らした。
「へぇ〜……?『ミツクモ』、ねぇ。記憶違いじゃなかったら、『勇気の証明』って大層なボスだった気がすんだけど」
愉快そうに歪む瞳は、結露した窓のように濁った白色。濡羽色の髪を掻き上げた男は、ぐっと大きく背伸びをして、口元にニヤついた笑みを溜める。
「偶然? 勘違い?……ひはっ、ひははっ……!どっちにしても面白い。コレがアイツだったら、
ギョロリ、と白濁した瞳が見開かれる。一人で独特の笑みを浮かべる男は、傍目から見て異常者だ。しかし、周囲のNPCやプレイヤーは彼の独り笑いを一瞥すると、慣れた様子で作業に戻る。
男はそれらを気にせず一頻り笑うと、スッと冷静な態度に豹変する。
「まあなんにしても、いずれ分かる……もしも本当にアイツだとしたら、すぐに尻尾は出るだろうし」
あぁ、楽しみだ。そう口にした男は深く息を吸って、相棒のヴァイオリンを片手に前へ歩き出した。
―――――――――
血と、砂と、折れた奥歯の散らばる闘技場。その中心に立つ赤髪のプレイヤーは、虚空を見上げて口笛を吹く。
「ヒュ〜……すっごいね〜。オレ、対モンスターはからっきしだから憧れちゃうな〜」
にこやかに、人馴染みの良い笑顔を浮かべるプレイヤーは、手に巻いていた厚皮のセスタスをキツく巻き直しながら、次の挑戦者を待つ。闘技場の彼へエントリーする鉄の大扉は、ここしばらく開いていない。
プレイヤーはニコニコと笑いつつ、少しだけ眉を潜めた。
「……あちゃちゃ〜、ちょっと暴れすぎちゃったかな〜。噂が独り歩きして、だーれも相手してくれないね」
アルフレッドも来てくれないし〜、とプレイヤーは犬歯を剥き出しにして苦笑する。ギギギ、と鈍い音を立てて巻き直されたセスタス。調子を確認する為に、彼は拳同士を突き合わせた。
瞬間、彼を中心に周囲の砂が爆発したように四散し、ありゃ、と気の抜けた声が響く。
「スキル切り忘れてた……ん〜、駄目だなぁ。気が抜けちゃってる。退屈って猛毒だ〜」
はぁ〜、と深く溜め息を吐いたプレイヤー。しかし何かを思い出したのか、すぐにその顔が満面の笑顔になる。
「まっ、『次のイベント』までの余暇ってことにしよう! あ〜!もうっ、楽しみで寝れないよ〜!早く一週間後にならないかな〜っ!」
あははっ!と無邪気に彼は笑う。血のように赤い瞳にキラキラと期待が宿って、彫刻のように鍛え抜かれた身体を震えさせる。明日の遠足を待ち望む子供のように、そのプレイヤーはただ一人、闘技場の中心で笑みを浮かべ続けていた。
――――――――
「……お前、舐めてるだろ?」
雪の降りしきるカジェルクセスの路地裏で、一人のプレイヤーが言う。彼の姿は、プレイヤーであれば誰もが足を止めるものだった。それは派手な装備によるものでも、特別な外見によるものでもない。
彼の肌色は日本人離れした褐色だった。髪は黒に近い紫で、ドラマの侍のように長い髪を後ろに束ねている。
瞳は深い藍色で、日が落ちた後の空を思わせる。右頬に二本、指で引いたようなペイントがあって、左耳には月を模したイヤリングが付いていた。
『good knight』――ゲーマーならば誰でも知っている、電脳世界の覇者。彼の姿はまさしくそれだった。寸分の狂いもなく、コピー&ペーストされたような姿だ。
それ故に、道行くプレイヤーは全員彼の顔を見ては立ち止まり、或いは声を漏らし、慌てて握手を求める。
そんなアバターを持つ彼の前には、同じく黒髪、藍色の瞳、ペイントとイヤリングを装備したプレイヤーが尻餅を着いている。
不思議な光景だった。まるで生き別れた双子が路地裏で再会したような、その上でカツアゲをされているような光景だ。
「い、いや、俺は……別に……てか、それ言い出したらお前、ボイス女――」
「舐めてんのかって、聞いてんだけど?」
脅しを掛ける『good knight』が、尻餅を着く『good knight』の頭のすぐ横に足裏を叩きつける。ドッ、と鈍い音が鳴って、石造りの壁に深々とヒビが入った。ヒッ、と情けない声を上げる『good knight』に向けて、深い溜め息が吐かれた。
彼の……いや、正しくは彼女の声は、平均より少しばかり低いものの、確かに女性の声だ。どれだけ精巧に似せたアバターを身に纏おうと、その声が全てを崩してしまう。
しかし彼女は、そんなことなどどうでもいいとばかりに口を開いた。
「情けない。恥を知れよ、凡人が。その姿はな、お前みたいな目立ちたがりのクズが真似して良いもんじゃないんだよ」
「ひっ……お、お前だって女声でgood knightのなりきりアバターを使って――」
「分かってないな。なりきりするなって言ってんじゃねえの。あの方の威光を陰らせるような雑魚が、覚悟の無いお遊び野郎が、その姿で人前に出るなって言ってんだよ」
捲し立てるように『good knight』は言う。続けてその目が細められると、至極当たり前の常識を教え込むような声音で、こう言った
「あの方はな――この世の『光』なんだよ。この世界で唯一の、確かな『光』なんだ」
「……は?」
黒い瞳が蕩けるように細められ、苛立ちの籠もっていた口元はだらしない笑みを浮かべる。唖然として向けられる目線など気にも留まらないとばかりに、彼女は甘く言葉を続けた。
「誰にも手が届かない、空の星。いや、夜空そのものを支配する絶対者。駄目だな、うまく言葉が纏まらない……ふふっ。とにかく、あの方は神にも等しい、唯一の星なんだ。……それを、お前は汚した」
恍惚とした笑みが消えて、殺気の篭った真顔になる。この世の全ての光を吸い込んでしまいそうな、暗い藍色の目。それを目の前の『愚か者』に向けた彼女は、吐き捨てるように言った。
「あの方を汚すな。あの方の偉業に傷を付けるな。お前の一挙手一投足、その全てが神への不徳だ」
プレイヤーの名は、『グッドナイト』。この世界最強のプレイヤーの名前と姿を騙る、歪んだ狂信者。彼女は未だ探している。忽然と消えた『本物』を。
その瞳の深淵を奥の奥まで焦がした、太陽の如き光を。
――――――――
「ウッソでしょ!? え、マジで?」
「あらあらあら……」
「ふふふっ……! ね、言ったでしょ――エミリー。わ……俺の勘、大当たりだろう?」
鋼鉄と魔導の国、オルソン公国。その町中で、エミリアは限界まで引き攣った笑みで虚空を見上げている。隣のグラシエルは驚いたような言葉こそあれど、あいも変わらずに穏やかな笑みを崩さない。
そしてコンコルドは精悍な顔つきに『してやったり』なニヨニヨとした笑みを浮かべ、肘でエミリアをつつく。
「……ナチュラルに友達の功績で有頂天になってるじゃん。てか、勘で言うならあたしのも大当たりじゃない?」
「むぅ……た、確かに。『見えてる世界に敵なんて一人も居ないって感じ』って言っていたな」
「ふふっ、エミリアちゃんの勘はやっぱり当たっていたんですね〜。では、明日は折りたたみ傘を準備しなくて大丈夫そうです」
「槍が降るとか意味分かんないこと言ってた癖に、折りたたみ傘で耐えようとしてたの?」
「鉄製ならいけるんじゃない、か?」
「重量が……って何の話?意味なさすぎるから」
はぁ~、と深く溜め息を吐いたエミリアと対照に、グラシエルとコンコルドは心底面白そうに、或いは嬉しそうに笑みを浮かべている。
「やっぱり早起きは三文の得!」
「あたしは寝てないんだけど、この場合三文の得は得られると思う?」
「プラスマイナスゼロでしょうね〜」
「え。またエミリー徹夜?シエルも?」
「じゃないとあたし達がこんな時間にIN出来てる訳ないじゃん」
「エミリアちゃん、そんなセリフで胸を張らないでください。あと、私はしっかり早起き出来ますよー?」
グラシエルの指摘に、エミリアは不機嫌そうに唇を尖らせた。合せてコンコルドが徹夜の悪影響や危険性についてエミリアにくどくどと話を始めるが……エミリアはシステムコンソールを開くと、幾つかウィンドウを開き、コンコルドに見せる。
「徹夜は駄目っていうのは分かってるけど……前も言ったじゃない?一週間後のイベントの話。アレに向けてキッチリ準備しないと。あたしは、やるからには絶対一番になりたいの」
「このゲーム始まって以来の初イベントで……何よりエミリアちゃんが大好きな『PvP』イベントですよね〜」
エミリアが開いたウィンドウには、『idea is you』の運営から全プレイヤーに宛てられたメールと、ホームページに開設されたイベント告知のページがあった。
『idea is you』の大型アップデートと共に実施される、記念すべき第一回イベント――『find well heart』。それを見たコンコルドがお説教のムードを霧散させ、反論の言葉を失う。
「うっ……そ、それは、俺も置いていかれないように、しっかり頑張るつもりだけど……」
「PvPで、しかもバトロワ形式とか、盛り上がらない訳がないじゃん。きっとミツクモもイベント見据えて頑張ってるんでしょ」
「イベント告知で一番テンションが上がっていたのはコンコルドくんでしたね〜」
「あぅ……それはあんまり触れないで……」
コンコルドは大きな身体を縮めて、顔を両手で覆う。昨日の夜、このイベントが発表された時、コンコルドは最初、大した反応を示さなかった。PvPかぁ〜、エミリーがレベル上げの修羅になっちゃいそう、なんてほんわかとした思考しかその頭には無かった。
けれど、その形式がパーティ単位のバトルロワイヤル形式だと聞いた瞬間、彼女の脳裏にミツクモとの会話が過った。
『あー……。ちなみにこのゲームは単一サーバーで、同接三十万人くらい人が居るらしいですよ?』
『……全員で一気にバトロワとかしたら鯖落ちしそうですね』
その時は冗談半分な彼のセリフに、クスクスと笑っていたのを覚えている。そうだ、とコンコルドは理解した。
――もし、そのイベントで最後まで残れたら……ミツクモさんともう一回、会えるかも!
閃光めいた彼との出会いと別れ。偶然に偶然が重なったような、コンコルドにとって奇跡の出会い。思わず飛びついて伸ばした手はにべも無く払われてしまったけれど……その上で、また出会えたら、と彼は言った。その時はパーティを組みましょうと約束した。
昨日今日の約束だ。それに被せてこのイベント……これはもう、本当に運命なのではないか? 純粋で、ファンタジー脳なコンコルドがそのテンションを急上昇させたのも無理は無いだろう。
「徹夜してるのと講義ある日に早起きしてゲームしてるのって五十歩百歩じゃない?」
「ご、五十歩百歩かもしれないけど……わ、俺の方が百歩の方だぞ!」
「いや、そういう話?」
「コンコルドくんはあんまりこういうタイプのゲームにのめり込みませんからね〜。見て下さい、エミリアちゃんの笑顔。嬉しそうですよ〜」
「た、確かに……!」
「あー!うるさいうるさい!もういい、さっさとレベリング!あと二次転職とスキルコイン確保!時間無いんだから効率良くダンジョン回すよ!」
グラシエルの言葉にエミリアは開いていたウィンドウを全て消すと、大股で街中を歩いていく。レベル差があるため、割と洒落にならない速度で開いていく距離に、慌てて二人が追従する。
待ってー、エミリー!と口にしながら、コンコルドは内心で固く決意を握る。
(私はミツクモさんと違って強くないし、ゲームも上手くないし、みんなに助けてもらってばかりだけど……今度会う時は、私のカッコいい所、見せられるように頑張らないと!)
ゲームでもリアルでも、コンコルドに男の子の友達は居ない。それどころか……エミリアとグラシエルを除いた友人さえ居ない。
――ずっとずっと、そうだった。そうならざるを得なかった。だけれど、これからもずっとそうあり続けるつもりは無い。
止まってしまった一步をもう一度踏み出すために、大切な親友である二人に心配をかけない為に……そして何より、とても冷たい目をした『友達』へ、堂々と手を伸ばすために、彼女は愚直に前へ進んだ。
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