第9話 Get out,good knight

「……ふぅ」


 少しだけ荒れた吐息を整えるように、軽く息を吐いた。見据える先のネビュ・レスタは、全身を覆う黒の外骨格に、無視できない傷が入っている。  

 ちらりと目線を上げれば、半分近く削れたHPバーがあった。思ったよりかは時間が掛からなかったが、それでもここまで削るのに一時間以上掛かった。


 一時間以上、向けられる超高速の斬撃を紙一重で避けて、距離を取り続けて、微かな隙を見抜いて削る。ただただそれを繰り返して、いつの間にかここまで体力を削っていた。我ながらよくやるものだと感心だ。


 無限に近い軌道を持つネビュ・レスタの連撃も、関節の可動域と俺の立ち位置によって少なからず攻撃のパターンにムラが出てくる。ネビュ・レスタに対して左側に立てば右から伸びる斬撃に横振りが増え、左からの斬撃は縦への振り下ろしが増える。

 距離が少し遠くなると左右とも斜めに切り裂く斬撃が増える。

 ほんの僅かに存在しているその癖は、黒い暴風のように荒れ狂う斬撃から逃れるのに役立った。


 攻撃に関しても、一つの進展があった。俺の設定している称号、『死と踊る影』は優秀だ。ここまでネビュ・レスタとのダンスをし続けられるのは、僅かにでも上がった速度の影響が大きい。

 だが、流石にネビュ・レスタへのダメージソースが少なすぎる。出来れば『大物喰らい』の称号を付けたまま戦いたい。


 と、そこで一つのひらめきが降りてきた。


 そうか――攻撃の瞬間だけ、称号を付け替えれば良いんだ。


 懐から逃れる回避を繋げ、魔法が直撃する瞬間だけ、ほんの一瞬だけ称号を付け替える。ダメージが入った瞬間にまた称号を付け替え、回避を再開する。

 普通なら絶対に無理なこの操作も、このゲームなら出来る。そうしたい、と思うだけでシステム側が操作をしてくれるからだ。


 そこからは面白いようにネビュ・レスタのHPが削れ始め、黒い鎧じみた装甲にも目立たないがヒビが入り、何度も攻撃を直撃させた瞳からは、分かりにくいが青紫の液体が出血するように流れていた。


 そうしてようやく、あの膨大すぎるHPの半分を削ったのだ。このまま行けば、あと一時間程度で落とせる、と攻撃を再開して――ネビュ・レスタの体力が半分を割った瞬間、その体が大きく仰け反った。

 ゲーム的なわかりやすい怯みモーションだ。だが、そこへ反射的な追撃を入れようとして……俺の本能が待ったをかけた。


 待て、止まれ。これは怯みじゃない。第二形態への移行モーションだ、と。正解を示すように、システムが通知を流す。


【『霧の凶星』は生まれたその瞬間から、すべてを喰らい、収穫し続けた】

【眼の前に立つすべてを、エサとしか認識していなかった】

【けれども今、目の間に立つ貴方に押され、生まれて初めて怯んでいる】

【故に、ネビュ・レスタは理解した】

【貴方は獲物エサではない】

【死力を尽くすに値する、天敵アークエネミーだ】


「第二形態か……」


 侮っていた訳では無い。可能性が無いと切り捨てていた訳では無い。ただ、こうして『それ』が目の前に出てくると、流石に顔を引きつらせずにはいられない。


 爛々と光る赤い瞳をこちらへ向けるネビュ・レスタ。鎌に纏う黒い靄はより一層濃く、大きく纏わり付いて……それらが地面に垂れた。

 例えるならば、ドライアイスの白煙だ。空気より比重の重い二酸化炭素が地に満ちるように、黒い霧が文字通り暗雲を成す。


 ものの数秒で森を満たし、ネビュ・レスタの体が夜闇と霧の中に溶けて、赤い瞳以外がほとんど見えなくなる。

 まずまずして夜という時間帯の影響で、ネビュ・レスタ本体の視認性が死ぬほど悪い。その上であの速度と引き寄せが組み合わさったら……。


「……『霧の凶星』は伊達じゃないな」


 本能に近い物が、何かが来ると囁いた。速度的に、詠唱はもう間に合わない。全力で体を屈め、右に跳ねる。大地から足が離れ、『無冠の曲芸』の認識強化が発動する。

 先程まで俺が居た場所が、黒い線で塗りつぶされた。それはまるで、子供が黒いペンでぐちゃぐちゃに書いた線のようだった。


 黒い線の塊が空間を切り刻みながら地面に当たり、ガガガガガッ! と掘削機じみた音が響く。そこにネビュ・レスタの姿は無く、つまるところ――


「遠距離攻撃か……」


 ササササ……と、霧の向こうから何かの音が聞こえる。風が渦巻く音、俺が魔法を使うときのような、そんな音だった。

 次の瞬間、黒霧を裂いて黒い斬撃の塊が二つ、俺をピンポイントに狙って突っ込んできた。


「ッ!?」


 反射も反射、完全な勘と運で、その斬撃を飛び退きで回避する。が、同時に右足首が鋭い痛みを訴える。見れば、ふくらはぎから下がズタズタに裂けており、薄く血が流れている。

 横目で確認した残りのHPは【9/173】。ユニークスキル『決死の牙』のお陰で出血こそしていないものの、そうでなければここで終わっていた。


「……尋常じゃねえな」


 あの遠距離攻撃……便宜上『鎌鼬カマイタチ』とでも呼ぶか。鎌鼬は、多段ヒットする視認性最悪の遠距離攻撃だ。しかも、まだはっきりとわかっていないが、微弱な追尾性ホーミングまで備えている可能性がある。

 さながら飛行するミキサーの刃だ。接近した時に聞こえた音的には完全にチェーンソーだったが、どちらも似たようなものだろう。


 そして、通常攻撃さながらのお手軽さで連発が可能……どう考えてもキツすぎる。唯一救いがあるのは、通常攻撃に比べて鎌鼬はかなり遅いということだ。

 通常攻撃が目にも止まらぬ一瞬の斬撃であるとすれば、鎌鼬の速度は精々、一般人の全力疾走程度。それはそれで、空中に残留する時間が長いという事でもあるが……あの通常攻撃並の速度で鎌鼬が飛んでくるのに比べれば、まだマシだろう。

 

 と、考察に回される思考リソースを引きちぎるように、また風の音が響く。今度はストレート・エアとウィンドを詠唱しながら、素早く右へ駆け出した。


「『ストレート・エア』、『ウィンド』……はは、火力どうなってんだ」


 思いっ切り右に走り込みながら、風が動く音と共に左方向への急旋回。いわゆる切り返しで移動する。予想バッチリにネビュ・レスタは右方向へ鎌鼬を放ったようで、誰も居ない空間を黒の線が切り刻む。

 巻き込まれた樹木がシュレッダーに掛けられた紙のように切り刻まれ、倒壊する。


 牽制のウィンドは当然ネビュ・レスタの鎌で叩き落とされたようで、体力バーに変化は無い。


 鎌鼬は、先程考えたようにかなり速度が遅い。なのでネビュ・レスタからしても、若干の偏差撃ちを要求されるようだ。その上、発射してからはキャンセルも軌道変化も出来ないらしい。


 と、そこでまた風を纏める音が響き、俺の顔が引き攣った。単純に、理解したのだ。ああ、そういうことをするのか、と。


「『待ち』かよ……嘘だろお前」


 そう、待ちだ。待ち戦法の有名所で言えば『待ちガイル』。相手と距離を取り、安全圏からアドの取れる遠距離攻撃を連発する戦法。プレイヤーが取る待ちは当然何度も見てきたが、ゲームのAIが待ちを決め込むのは初めて見た。


 思いっ切り走りながら、タイミングを見計らってジャンプする。認識と思考速度が加速した空間で霧の奥を見据え……鎌鼬が見えた瞬間に自分を対象にノックアップ・エアを唱えた。浮遊した俺の足元を絶望的な火力の斬撃が切り刻み、消失する。

 先程の鎌鼬には若干の追尾性があったが、今回にはどうしてか無かった。


「天敵認定からのガン待ちは流石に予想出来なかったな……」


 先程のログからして、どうやらネビュ・レスタ側も全力で俺を殺すつもりなのだろうが、それで取る手段がこれなのは……まあ、昆虫的な目線から見れば正解なのか?

 蜻蛉とか蜂とかはもうちょっとこう……アグレッシブだったぞ?


「……どうするか、これ」


 反復横跳びのように左右に揺れ、発動と共にストレート・エアで鎌鼬を回避し、次はその場でノックアップ・エアを使った直後にダウンバーストで地面に着地して鎌鼬をスカらせる。

 ついでに散発的な魔法を撃ち込んではみるが、どれも効果薄だ。


 ……もういっそ、覚悟決めて正面から行くか? いや、待ち相手に脳死凸は思う壷だ。というか、現状の俺のスペック的にあの斬撃の嵐を避け続けるのは不可能だ。かといって俺から引こうとした瞬間、例の強制テレポートで引き戻される。

 こういう『待ち』相手には丁寧に相手を画面端に追い詰めて、差し返しの読み合いで崩すんだが……画面端なんてここには無い。


 何度目かの回避の直後、また風を溜める音が聞こえ――パタリと止んだ。反射で自身にストレート・エアを詠唱した瞬間、フッと目の前の光景が切り替わる。

 目の前に見えたのは、鎌を振り上げた姿勢のネビュ・レスタ。油断した所を引き寄せたつもりなのだろう。引き寄せ読みのストレート・エアが俺の体を吹き飛ばして……次の瞬間また景色が変わった。


「……ッ!?」


 これは、引き寄せ読みをさらに読んでの引き寄せッ!? 


 振り抜かれた二つの鎌が、折り返して首と胴を狙う。魔法は間に合わない。体勢はストレート・エアで飛んだことで崩れたまま。

 それでも、維持を振り絞って体を捻り、地面に片手を着いて、平行に振られる鎌の隙間に体を――


 サァァァ……と、音が聞こえた。風が渦巻く音だ。同時に砕けたガラスを靴で踏むような、硬く小さな音が聞こえる。これは、と反射で理解した。

 ユニークスキルで加速した動体視力が、二本の鎌に黒い風が纏まりつくのを確認した。


 ガン待ちで俺の油断を誘い、引き寄せ読みを更に読んで、そこから俺が無理矢理近接を潜り抜けることも織り込み済みの……ゼロ距離『鎌鼬』だ。

 それが見えた瞬間、俺の持つ全ての手札が地面に落ちていくのが分かった。どれだけ演算しても、この距離と体勢では完全な回避が不可能だと分かった。


 もし、仮に……体力がフルであったのなら、ギリギリのラインで死なずに済んだかもしれない。コンディションが万全なら、無理矢理急所を外しきれたかも知れない。だが……。


「ふざけ――」


 曲芸じみて捻りまくった体が、いつも通り『固まる』。息が止まり、指一本動かせない。石像のように固まった俺の身体が斬撃に

 ――そうか……鎌鼬に追尾性ホーミングがあるんじゃない。鎌鼬の軌道が曲がったんじゃなくて、鎌鼬近くの物を引き寄せて――




 黒い霧が動けない俺の四肢を切り刻む音が鼓膜に触れて、意識が途絶えた。

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