第8話 Rank:Predator
夜の森を進み、数十分後――
「はは、これはヤバいな」
笑いながら見据える先には、大量の蜂が飛んでいた。一体一体が人間サイズのスズメバチの群れだ。
『マシンガン・ホーネット Lv.16』
『マシンガン・ホーネット Lv.16』
『マシンガン・ホーネット Lv.15』
『マシンガン・ホーネット Lv.16』
『マシンガン・ホーネット Lv.17』
………
……
意気揚々と凸った森の奥、聞こえた羽音に、これはナイトリッパーだろう、と奇襲を掛けようとした結果、対面したのがこの状況だ。
ヴーン、ヴーン、と人によっては耐え難い羽音が響いており、時折カチカチと威嚇するように顎を噛み合わせる音が鳴っていた。
目測でざっと九体のマシンガン・ホーネットがこちらを警戒しており、それらの先には家屋に近いサイズの巨大な巣があった。
外の喧騒を感じ取ったのか、そこからまた蜂が飛び出し、これで現状は1対10。
いやはや、やはり楽観は良くないな。どう考えても数と質の暴力で轢き潰される未来が見える。名前からして遠距離攻撃持ちだろうし、下手な行動を取った次の瞬間には文字通り蜂の巣確定だろう。
だが、蜂どもは俺をじっと見据えて動かない。噛み合わせたら腕の一本二本は千切れそうな顎をガチガチと鳴らして、威嚇するだけだ。
少なくとも数では勝っているのだが、目の前の群れからは、この場を穏便に納めたいという意志を感じる。
「……」
無視して突っ込むか、それとも引き下がるか。一瞬思考が混ざって、俺はゆっくりと後ろに下がった。二歩、三歩と下がって……呟く。
「『ウィンド』」
重厚な羽音が微かに緩んだ瞬間、不意打ちの魔法を叩き込んだ。真正面からそれを受けたマシンガン・ホーネットはHPを二割近く持っていかれながらノックバックする。
不意打ちだからか思ったよりもダメージが入ったな、と感心する俺に対して、群れは一気に攻撃態勢に入った。左右と正面に散開し、照準を合わせるように針をこちらへ向ける。
【戦闘を開始します】
「何があるのかは知らないが……」
俺はゲーマーだ。敵が居るなら戦って、それに勝つ。素早く身を落として、木立の間に体を滑り込ませる。途端にダダダダダッ!!と掘削機を動かしたような銃声が響いた。
身を隠した樹が揺れて、枝と葉が落ちてくる。
(レートは割と遅めか。威力も弾速も思ったほどじゃない……ただ)
射手の機動力がヤバいな。羽音が響いて、遮蔽に隠れる俺の両サイドを蜂が取った。クロスを完全に組まれる前にローリングで遮蔽を移ったが、これまた別の蜂がスリーマンセルで強引に攻めに来た。
「『ストームウォール』、『エア・スラッシュ』」
背中を樹木に付けて他からの射線を切りつつ、二匹が構える左サイドに壁を展開。右に飛び出してきた蜂に一撃を当てた後、その射撃を避けながらのウィンド。
パスパス、と背後の壁が攻撃を防ぐ独特の音を後頭部に受けながら、ストレート・エアで一気に集団から距離を離す。
一人で集団を相手にするときは、必ず射線を切りながら引き目に、一体一体確実に処理していかなければならない。
少しでも欲張ればその瞬間に囲まれて死ぬ。
「懐かしいな」
少しだけ浮かんだ笑みを噛み殺し、樹木からのリーンで相手の陣形を見る。FPSは俺の主戦場だ。銃一本で1v10なんて日常茶飯事だし、そこに爆撃、戦車、ジャミングが加わることだってあった。
キルログに俺の名前が流れた瞬間、明らかにその戦場が殺伐とし始めるからな。
「AIに負けたらFPS畑出身を名乗れなくなるな」
小さく笑いながら引き撃ちに引き撃ちを重ねて、相手の陣形を縦長にしていく。遅れを取り戻そうと無理矢理詰めてくる後衛へ向けてノックアップ・エア、すかさず針を乱射し始める数匹へ巻き込むようにストレート・エア。残る蜂にはわざと手を出さず、壁を展開しながら遮蔽伝いに逃げ回る。
これで後ろは遅れ、前が援護無しに深追いする形になる。本来なら、堅実に待ちの姿勢を取るべき状況だが……俺はたった一人だ。
弱々しい人間がたった一人、アウェイな森の中を逃げ回っている。分断されようと、残る数匹で充分に押し切れる。だから当然――
「追ってくる」
目先の利益に釣られるのは、人間も機械も同じだ。さあ、後衛は今から十数秒、こちらへ追い付くので手一杯だ。スリーマンセルで意気揚々と突っ込んできたマシンガン・ホーネットに対して、ウィンドとカッティング・エアの同時――
「……ッ!」
体が、動かない。頭もだ。三体で同時に攻撃を仕掛けるマシンガン・ホーネットに対して、遮蔽無しの棒立ち。クソが……やっぱり、固まるのかよ。
歯を食いしばって無理矢理体を動かそうとするが、そもそもその行為自体が出来ない。心拍数が急激に跳ね上がって、目の前の三匹が……バラバラに切り刻まれた。
「……はっ?」
あまりに唐突な出来事に、固まっていたはずの喉が音を吐いた。先程まで俺に向けて王手を掛けていたマシンガン・ホーネット。それが、真っ赤なダメージエフェクトを花火みたいに散らしながら、黄色いポリゴンになって弾け飛んだ。
何が起こったのか。それを考えるより先に、本能が目の前に立つ『ソレ』の動作を目で追う。
鎧袖一触、一瞬でレベル16のMOB三体を切り裂いたソレは、黒い
その目で見られた彼らは先程までの殺気をかなぐり捨てて、蜘蛛を散らすように敗走を始めた。
あまりにも潔いその選択は、しかし既に手遅れであったらしい。ソレが両の手の鎌を
見えない力で引っ張られた、というよりかは、まるで強制的にテレポートさせられたかのような歪な引き寄せだ。
ホーネットらは引き寄せられた自分達の死を悟りつつ、最後に一矢報いるつもりで針を構えて……瞬きの間に、全滅した。
花火のように散るダメージエフェクトを頭から浴びながら、ソレは勝利の余韻に浸るでもなく、無機質に鎌を舐めた。
漆黒の体と両腕の鎌。無機質な眼光は黒い体の中で唯一の真紅。3メートル近い巨躯のカマキリが、鎌の手入れを止めて、赤い瞳でじっと俺を見た。
「……冗談キツイな」
【エネミーが乱入しました】
【エンカウント:
【『霧の凶星』"
【警告:エネミーのレベルが高過ぎます。撤退を推奨】
その目で見られた瞬間、ゲーム由来の強烈な悪寒が体を走った。目の前に居るのは、この森の頂点捕食者だ。本能でそう理解して、同時に悟った。
他のプレイヤーがこの森に近づかない理由。森の規模に対して、あまりにも生き物の気配が少ない理由。このカマキリだ。コイツが全ての元凶だ。
今の俺にクワトロスコアをつけても余りあるレベル。正体不明の瞬間移動。そして、尋常ではない速度の即死攻撃。
赤い瞳がエサを見る目で俺を眺めて……フッと逸れた。
【エネミーの全滅を確認】
【戦闘が終了しました】
【職業レベルが1上昇しました】
【下級風魔法 4→5】
魔法を習得:『ダウンバースト』
【精神統一 4→5】
【魔術理解 3→4】
パッシブスキルを習得:『魔力障壁』
【以下の称号を獲得しました】
『希少種との邂逅』
「は?」
目の前のカマキリは俺への興味を失ったとばかりに鎌を舐めている。その姿は実に無防備で、自然体に近かった。戦闘終了の通知が流れ、目の前のエネミーは呑気に武器の手入れをしている。
要するに、だ。
「俺は、敵でさえないってか」
いや、そう考えたのであればまだマシか。最悪のパターンは、『さっきの蜂でお腹一杯だからコイツはいいや』とでも考えられていること。
目の前の俺は『エサ未満』。戦闘が成立するレベルではない。システムの判断か、目の前のカマキリの判断か。……どっちだっていい。
「――ふざけてるのか?」
久々に、こめかみの辺りに青筋が浮かんでいるのを感じる。
プライベートのゲームで屈伸煽りだのファンメだのを貰うことはよくあったが、大抵は負け犬の遠吠えだった。勝てないヤツが自分を慰めるために必死になっているだけだ。だが、久々に受けた煽りは過去のトラウマと絡んで倍々に威力を高め、思っていた以上の火力になっている。
何よりあると思っていた煽り耐性が長いプロシーンで薄くなっていたのも相まって、一気に脳天が熱くなる。このカマキリはこれが当然の行動だと思っている。俺がエサ未満の雑魚であると信じて、まるで疑っていない。
「お前が強いってのは見ればわかる」
だとしても、と付け加えた。どれだけレベルが高かろうが、どれだけシステム上は強かろうが、知ったことではない。
「その選択、後悔させてやるよ――『カッティング・エア』」
大気が揺らめき、捻れて、真空の刃になる。威力で言えば先程のマシンガン・ホーネットの外骨格がザックリと割れる一撃が、ネビュ・レスタの頭部に吸い込まれ……パチン、と弾けた。
瞬間、全身に鳥肌が立つ。頭の先から足の小指まで、ゲームから押し付けられる強制的な『怖気』。
鎌を舐める動作が止まり、赤い眼光が俺を見た。頭上に現れたのはネビュ・レスタの名前と微かに削れた体力ゲージ。他の雑魚敵と異なって、その色は青紫だ。
1秒か2秒、ネビュ・レスタの赤い複眼と睨み合う。やけに周囲が静かで、なんの音もしなかった。
「――」
俺は頭を左に傾け、右半身を大きく引いて、半身になる。先程まで右半身があった場所に黒い風が抜けて、後ろで樹が倒れる音が聞こえた。
初撃を避けた俺に、片手の鎌を振り抜いた姿勢のネビュ・レスタが黒い触覚を動かした。
【エネミーとの戦闘を開始します】
初撃は避けたが、油断は出来ない。予想を超えて化物めいた一太刀の速さだ。これまで通り見て避けるんじゃまるで間に合わないだろう。なら、やることは単純――見る前に避ける。
半身の姿勢で腰を落とし、微動だにしない巨大なカマキリに対面する。深く息を吸って、脳に酸素を送り込んだ。瞬きの刹那、大きく後ろに引いて、獣のように四足でしゃがむ。
目の前に黒い軌道が流れ、十字を切るように頭上が斬り裂かれた。
「『ウィンド』」
放った魔法は次の瞬間に鎌に叩き落とされ、反撃が来る。微かな踏み込みに合わせて横にローリング、それを狩る鎌を予想して早めの『ストレート・エア』……を詠唱しながら保険の『ノックアップ・エア』をネビュ・レスタに打ち込む。
「っと」
初撃を避け、追撃を回避した次の瞬間、いつの間にか俺のすぐ目の前に巨体が迫っていた。黒い壁がせり立っているようだ。靄の掛かった黒い鎌が二つ、大きく頭上に構えられており、それが
それにより鎌の軌道がズレて、俺の両耳のすぐ横を冷たい風が通り抜けた。大きく、大きくバックステップをして距離を取る。その最中にシステムUIを呼び出して、痛覚フィードバックを初期値から上限まで引き上げた。
瞬間、肌に触れる布の感触や、吐いた息が大気を揺らす感覚が蘇る。目の前で浮いたネビュ・レスタが音もなく地面に着地して、ジッと赤い瞳が俺を見た。
正面から相対すると理解できる。まるで隙が無い。魔法発動の為の詠唱にしても、安易にすればその瞬間に切り捨てられるだろう。
威力からして、一撃でも当たれば確定死。当たり所によっては即死を避けられるか? いや、残存HPは20%を割っている。ゲーム的処理を考えればカス当たりでも即死に違いない。
ネビュ・レスタの体力ゲージは一ミリ削れているかどうか。削り具合はドット単位と見ていい。要するに、この攻撃を避けながらあと数百発直撃させてやっと、といった具合だ。
考える俺に対して、ネビュ・レスタが動いた。どう考えても届きそうもないこの距離で鎌を振りかぶり――いつの間にか俺は、ネビュ・レスタの真正面に立っていた。
「――ッ!」
反射でしゃがみ、首刎ねの一撃を回避する。その場から跳ねるように右へローリング。地面から足が離れた影響で強化された動体視力で次の攻撃を見る。
ネビュ・レスタはその場から動かない。一歩として動かず、両腕の鎌を恐ろしい速度で振り回し始めた。
微塵切りに空間を塗りつぶす黒の線から、無理矢理に身体を逃がす。どう考えても今の俺の速度で回避が続く攻撃じゃない。とにかく射程圏外へ逃れる為に全ての神経を研ぎ澄ませる。動作の起こりを見た瞬間には既に体勢を入れ替え、そのまま次の動きを見る。勘と経験をフルに回して、攻撃が来る前に回避を成立させる。
俺の命に触れようとする黒い鎌が肌の数ミリ手前を切り裂く度に、減ったMPとリキャストが回復していく通知が視界の端に映ったが、それを見ている余裕などない。それどころか、魔法を唱える隙がない。
脳のリソースを回避以外に回した瞬間、全身がバラバラに裂けて死ぬ。一撃一撃が瞬きを許さない癖に、時折ディレイを込めて拍子をずらしてくるのがあまりにも最悪だ。
避けた鎌が硬い地面を豆腐のように削って、ふらりと落ちてきた葉が十字に千切れた。振り下ろされた鎌がまつげとまつげの間をすり抜けて、ヒヤリとする。
「……シッ!」
凶悪な密度の連撃の隙間。常人には隙間に見えぬ文字通り刹那の間。少し重めに入れられたディレイが二回続いたその瞬間に、地を蹴り大きく距離を取る。感覚はさながら大縄跳びだ。
バックステップで距離を取り、追撃に胸元を切り裂こうと伸びてきた鎌をバックスウェーで仰け反りながら避け、それでは足を、と鎌が伸びる前にブリッジの要領で腕を地面に着いて、後方転回しながら更に距離を取った。
ようやく射程圏外に出た俺を逃さぬとばかりにネビュ・レスタはまた、虚空を切り裂く――その前に、俺の唇が震えた。
「『ストレート・エア』」
ネビュ・レスタの鎌が何もない空間を引き裂いた瞬間、黒い軌道が宙を食い潰して、俺の視界がネビュ・レスタの黒い巨体で埋まる。
そのまま先程の連撃に……は繋がらない。
引き寄せ読みのストレート・エアが俺の背中を押して真横に吹き飛ばす。ネビュ・レスタはど派手に振りかざした鎌を数度空振らせて、ぎょろりと真紅の複眼が俺を追った。
あまりにも感情らしい感情の見えないそこへ、『ウィンド』を叩き込む。当然ネビュ・レスタはそれをはたき落として――同時に詠唱し、ウィンドの裏に隠していた『カッティング・エア』が顔面に直撃した。
チリ、と紫色のHPバーが削れる。削れはおおよそ0.5%程度。綺麗に目ん玉に直撃させれば、それなりにダメージが入るようだ。
「ふぅ……充分だ」
これまで止めていた息を深く吐いて、呟く。0.5%でも削れるんだろう? なら、勝てる。ユニークだかネームドだか知らないが、ダメージが通るなら必ず倒せる。
もう一度息を吸い直して、赤い瞳を下から睨めつける。
「――俺が勝つ。お前はここで負けて死ね」
俺のセリフを挑発と取ったのか、ネビュ・レスタは四つに割れた顎を噛み合わせて、両腕を構える。時刻は夕頃を越えて夜に入る。その黒い巨体は、闇夜の森に溶け始め、けれども赤い瞳が宿す死の気配は、まるで衰えることがなかった。
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