第16話 死ぬにはオススメしない夜

 ――その昔、熾烈な戦争があった。


 広大な砂漠の僅かな物資を奪い合い、砂が硝子に焼け焦げるまで、砂丘が黒く染まるまで、人々は砂漠で命を散らしていた。

 今よりも技術が、魔法が、見聞が、ありとあらゆるものが劣り、閉じていた砂漠の戦争は続き、やがて一つの国が頭角を現す。


 アズラハットの名を持つその国は、小さなオアシスに縋る弱小国家だった。国家を名乗るのもおこがましいほど貧相な経済基盤は戦士達の略奪によって辛うじて成り立っており、いずれは砂嵐にすり潰される人の群れに過ぎなかった。

 それを知らぬはずも無いアズラハットの人々は、砂嵐から逃れるために――許されざる禁忌に手を伸ばした。


 誰の入れ知恵か、あるいは悪知恵か。アズラハットは死した戦士の魂を、天国ではなく伽藍洞の鎧へ縛った。鉄の身体を与えられた戦士達は死を恐れることなく、祖国の為に略奪と紛争に明け暮れた。


 こうして不死の軍勢を手に入れたアズラハットは瞬く間に頭角を現すが……所詮はただの『不死術ネクロマンシー』だ。禁忌に手を染めたアズラハットは砂漠の全ての国家によって不死の軍勢を打ち砕かれた。

 因果応報に全てが終わる瀬戸際に、アズラハットはまたもや禁忌を冒す。


「――国の全ての戦士達を集め、国に残る全ての鉄をかき集めて大鎧を造りました。そして……口にするのも憚られる儀式によって、彼らを一つの『騎神』に変えようとしたのです」

「……」


 ガタガタと大きく揺れて砂埃を巻き上げる列車の中で、アリスは目を閉じながら静かに語る。……変えようとした、ということは、その試みは上手くいかなかったのだろう。

 アリスはしばらく口を開かなかった。一分、あるいは二分。それだけのあいだ閉口して、暗赤色の瞳を開いた。


「……その儀式は、失敗しました。全ての戦士達の勇猛な魂と戦いの記憶を兼ね備えた『騎神』は生まれず、出来損ないの半端者だけが産まれ落ちました」


 そこまで語ると、再びアリスは沈黙した。なんとなく話の結末が見えてきた俺は、揺れでズレた座席に深く座り直して、目線でアリスに続きを促す。


「……『騎神』となるはずの器の大鎧には、戦士達の魂が根付かなかった。器の大きさが足りなかったのか、それとも結果を急いだために定着の時間が足りなかったのか。結果として産まれた『成り損ない』は何一つ力を得ず、ヴィラ・レオニス勇獅子の名前に泥を塗る有り様でした」

「……」

「決死の秘策が失敗に終わったアズラハットは滅びました。大悪は誅され、砂塵に消え、めでたしめでたしで全てが終わるはずでした」


 ――あの大聖堂跡地で、『アレ』が目覚めるまでは。アリスは座席に寝かせていた大剣の鞘を白い指先でなぞる。複雑な紋様の刻まれた大剣を見つめる彼女の瞳にはいくつもの感情が渦巻いているが、俺にはそれを読み取れない。

 ここにエミリアが居たら、違っていただろうか。降って湧いた思いつきに下唇を噛みながら、アリスの話を聞く。


「それは、かつて『騎神』となるべく造られた伽藍洞の大鎧です。アズラハットの神官たちの儀式は失敗したはずでしたが……きっと、戦士達の強靭な魂は、その結末を認めなかったのです。砂嵐と乾いた風の下で永い時間を経て、彼らはもう一度産まれ落ちました。肉の四肢を捨て、勇猛なる魂を束ね――今度こそ祖国を救うために」


 もうそこに、何も無いとしても。アリスはそう言って、昔話を締めくくった。アリスが語ったのは、俺が次の目標に定めようとしていたユニーク・ネームドモンスター、ヴィラ・レオニスにまつわる物語だろう。

 俺はその物語を飲み込むように沈黙を保った後、慎重に口を開いた。


「勝手な予想を重ねて聞きます。あなたの目的は、そのヴィラ・レオニスを倒すことですか?」

「はい」

「その理由を聞いても?」

「……私は、アズラハットで最後に産まれ、生き延びた者なのです。産まれてすぐに滅びた国だとしても、私にはアズラハットの全ての責任を取る義務があります。……たとえ正しいものではなかったとしても、全てを賭して国を守ろうとした意思が、決断が、人をしいする兵器として後世に遺ることなど看過できません」


 そっとアリスは自身の胸に手を当て、俺の目を見た。相変わらずに瞳は昏いが、深紅のそれには血潮にも似た決意が渦巻いているようだった。

 彼女がヴィラ・レオニスを倒そうと考えていることは察していたが、その理由についても納得がいった。

 アズラハットの最後の生き残り……俺ならば産まれただけの国など忘れて、明日を生きる事を優先するが、アリスはそれを選ばなかった。慣れない鎧を着て、身の丈以上の大剣を抱えて、祖国が過去に遺したものを清算しようとしている。その意思と勇気に賛辞が贈られるべきだが――


「話を聞く限り、ヴィラ・レオニスは貴方が剣を振り回して倒せる相手には思えないです」

「……はい、それは理解しています。私は……弱い。アレの前に立つことは出来ても、討ち滅ぼされるのは私です」


 ヴィラ・レオニスの攻略推奨レベルは40。アリスの種族レベルはたったの6だ。いくら崇高で偉大な勇気があったとて、勇気で刃は防げない。まずまずして、勝てない相手に武器を担いで死にに行くことを勇気とは呼ばないだろう。


 目前のアリスは俺から何かしら強烈な否定が飛び出してくると身構えているらしく、華奢な肩を縮めて目を伏せている。……少し遠慮ない物言いだったか。反省を込めてため息を吐くと、ビクリとアリスが震える。

 それになんとも言えない思いになりつつ……俺が彼女に『貴方は強いですか?』という問いに答えた際の通知を見る。


【ワールドクエストが発生しました】


 クエスト名:『瓦芥ガラクタの勇気に喝采を』

 推奨レベル:40 推奨職業:戦士 拳闘士

 クエスト報酬種別:アクセサリーまたは■■■■■■■■

 クエスト報酬: 未確定


 クエスト達成目標:『フェリシア・アリス』とパーティを組んだ状態で特異変異種ネームド・ユニークモンスター"四肢粉塵パルヴァライザー"ヴィラ・レオニスを討伐する


 クエスト失敗条件:『フェリシア・アリス』が死亡する


【注意:ワールドクエストは受注しなかった場合失効し、再受注出来ません】

【注意:ワールドクエストは達成、未達成に関わらず終了時にワールドストーリーが更新されます】


【クエストを受注しますか? はい/いいえ】


 そのまま通知に目を滑らせると、俺が彼女の質問に答えた時点で『はい』を選択したことになったらしい。この世界で記念すべき初クエストを受注した訳だが、その内容は尋常ではない。


 ヴィラ・レオニスという存在の成り立ちは理解した。アリスの意志も理解した。だが、目の前の彼女を連れてボス戦を行うというのは、流石の俺でも無理がある。

 相手が誰だろうと負けるつもりははなから無いが……それは俺と相手が一対一の関係にあるときだけだ。仮想敵としてヴィラ・レオニスを上回る危険度のネビュ・レスタを考える。


 今の俺ならあのカマキリ相手でも日が昇るまで耐久戦が出来る。が、そこにアリスが居たらどうか。

 無理だろう。確実に無理だ。彼女のレベルが低いことはこの際置いておくとして、戦いの心得がまるで無い初心者なのがマズすぎる。彼女が大剣を振りかざして振り下ろすまでに、ネビュ・レスタは冗談抜きに彼女を百分割出来るだろう。


 俺がどう立ち回っても彼女が死ぬ未来しか見えない。こんな無理ゲーが推奨レベル40なのは何かの冗談だと思いたいが……そうか。何かしらのギミックがある可能性を考慮していなかった。

 例えばそう、アズラハットの最後の民であるアリスはヴィラ・レオニスからターゲティングされないとか。そうでも無ければこのクエストは詰んでいる。


 黙り込んで深く考える俺に、アリスは剣を抱き寄せながら震えた声で呟いた。


「……やはり荒唐無稽だと思いますか」

「このままだと、そうですね」

「このままだと?勝つ算段があるのですか?」

「やってみないと何も言えないですが……俺は『勝てないはずの相手に勝つ』ことなら、何度かやってきましたから、今回も同じようにやるだけです」


 人間には倒せない、人類には早すぎた。そんな肩書のバケモノ共を俺は何度となく屠ってきた。今回も少しばかり勝手は違うが似たようなものだ。とはいえ流石に、ワンパンで蒸発するであろうNPCの介護は経験したことがない。

 そう思っていると、対面のアリスは光の無い瞳を見開いて、困惑した表情を見せる。


「今回も同じように……?あ、貴方もヴィラ・レオニスに挑むのですか?」

「ん……?あぁ、そうか。はっきりと口にはしてなかったですね。俺はあなたに協力するつもりです。これだけ話を聞いて、散々な啖呵を切っておいて、さっさとサヨナラは笑えないですから」

「そんな、希薄な理由で?私の話を聞いていましたか?」

「てっきり手助けを願って話をしてくれたものだと思っていたんですが……違うんですか?」

「いえ、それは……はい。ですが、『ヴィラ・レオニス』の名を出せば手を引いてしまうだろうと思っていたので」


 言いたいことは分かる。散々に色々啖呵を切っている俺だが、一応種族レベルは8だ。目の前のアリスと2しか変わらない。普通に考えればレベル6と8のパーティで推奨レベル40のクエストに挑戦するなど気が狂っているだろう。

 とはいえ、俺は自分を『普通』の枠にカテゴライズするつもりはない。


「では、誤解を生まないようにはっきりと言いましょう。俺は、あなたが言う『荒唐無稽』な戦いに手を貸したいです。理由は単純。あなたが決死の覚悟を決めていて、来訪者の俺はそれに感化されたから。俺は純粋に、目の前のあなたに死んでほしくないと思ってるんです」

「……貴方は、口が上手いんですね。一体どれだけの数、そうやって人を口説いてきたんですか?」

「……『その質問に答える義務はありません』なんて返したら、怒りますか?」


 どうやら俺のキザなロールプレイがお気に召したらしいアリスに、少しだけ茶目っ気を込めてそう言うと、氷のように固い無表情を少しだけ緩めて、「いえ」と口にした。口角が僅かに動いた程度の動きだが、もしかしたら彼女にとっての『笑み』なのかもしれない。


「ただ……とても奇妙な縁だと思って。……今夜、私は死ぬのだと、そう思っていましたから」


 そう口にするアリスの目の奥には、再び感情が渦巻いていた。少しだけ距離が縮んだからか、今度は俺にも理解が出来る。

 紅い瞳に渦巻く感情は、恐れだ。死にたくない。死ぬのが怖い。それらは切実で真っ直ぐなのに、それを隠そうとする思いが彼女の中にあるらしい。最初の彼女の態度が極端に冷ややかでトゲトゲしかったのは、それらの鬱屈とした思いの影響だったのかもしれない。


 そんな時、俺の耳の裏にピンと張り詰めるような感覚があった。なんとも形容しがたい感覚に驚いていると、システムが控え目な通知を出している。

 ああ、そうか。そういえばそんなスキルがあったな、と思い返しつつ、彼女が抱える不安や恐れを軽くしたいと願って口を開く。


「ああ、それなら……今日は死ぬにはオススメしない夜ですね」

「……良縁に巡り会えたから、ですか?」

「いえ――1時間後に、短いですが雨が降るようなので。星が見えない雨の中で死にたいと思うなら別ですけど」

「それは……そう、でしたか。それなら、はい。今日死ぬのは止めておきましょう」


 今までろくに役に立ったことのない種族固有スキル『風読みの民』の効果の一つである

 『貴方はフィールドの天候が変化する1時間前に、次の天候が分かる』

 がこの場で活躍してくれたらしい。俺の言葉にアリスは一度訝しむように目を細めてから、俺の素性ハルファスの民を思い出したのか小さく頷く。


 そして、何かを決心したように席から立ち上がると、片腕で大剣を抱えながら、俺に白く美しい手のひらを差し出した。

 雲から透けた月光がその横顔を照らして、整った顔の稜線を際立たせる


「貴方が、死を恐れない勇士であるのなら、私のような出来損ないの臆病者に心を動かしたのなら……、よろしく、お願いします」


 少しつっかえ気味なアリスの言葉に合わせてシステムがウィンドウを開く。


【パーティへの招待を受け取りました!】

【パーティへ加入しますか? はい/いいえ】


 ……パーティへの招待から逃げてゲームをしていたのに、またしても招待が飛んできてしまった。もしかしてこの因果からは逃れられないのか、なんて大仰なことを思い、脳裏に一瞬だけコンコルド達のことを思って――俺は静かにその手を握った。

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