第15話 勇気の証明

 ふぅ、と辛気臭く溜め息を吐く。ガタガタと揺れる座席のクッションはお世辞にも満足と言えないクオリティで、大きな揺れがある度に尾てい骨に響く。

 ギルドでの冷ややかな目線に耐えてナイトリッパー、バフバタフライの素材を売り捌いた俺は、ス・ラーフ商国行きの土龍列車に乗っていた。


 土龍列車は龍とは名ばかりの、四足歩行の巨大なトカゲに鎖を繋いで運行される列車だ。車両数は五両、一両に乗れる人数は十ニ人。

 一度に六十人を運ぶ土龍列車は想像以上に大きく盤石な事業らしく、セントラル共和国における土龍列車の停車駅には所狭しと各国や各都市へ向かう列車が並んでいた。


 駅に掲示されていた時刻表よればス・ラーフ行きの土龍列車は日中帯であれば20分おきに、夜行便は40分おきに発車しているらしく、深夜だと言うのにそれなりの数のプレイヤーが御者に整列させられた土龍の群れをバックに自撮りを撮影していた。

 俺としては大型トラック並の巨大なトカゲが大人しく人間の言う事に従っている理由が気になる。その気になれば一匹でかなりの損害を出せそうだが、彼らにそのつもりはないらしい。


「……」


 正方形に切り抜かれた窓から顔を出し、俺のすぐ前で列車を牽いている土龍を見る。土龍の頭上には緑色の文字で『土龍アースドレイク Lv.18』の表記がある。

 ドタドタと地面を這って列車を牽く土龍を眺めつつ、俺は視界に映った『所持金:12000イェン』という表記を見た。ス・ラーフ行きの土龍列車が2000イェンほどで、駅の料金表ではそれなりに高い方の金額だった事を考えるに、ナイトリッパー達の素材は中々に良い値段で売れたのかもしれない。


 視線を車両の先頭を這う土龍から、車内に移す。列車と銘打つだけあって、車内の構造はリアルの電車に良く似ている。三人掛けの座席が四つ車内にあるが、車内には俺ともう一人以外、誰の姿も無い。正確に言えば他に二人ほど姿はあったのだが……彼らはそそくさと他の車両に移動してしまった。


 その原因はいくつか考えられる。

 一つ、土龍列車の一両目は土龍の動きの影響をもろに受けてかなり揺れるから。

 二つ、座っている座席が固すぎて嫌になったから。

 そして三つ――


「……」

「……」


 俺の対面に座る女性NPC――フェリシア・アリスにナンパを仕掛け、一刀両断されたから。

 ……どう考えても3だな、と内心で鼻を鳴らしつつ、眼尻でその容姿を見る。


 ふわりとしたボブカットの銀髪は月明かりに調和して仄かに光り、対照的に伏し目がちな深紅の瞳には光が無い。夜闇のせいか瞳孔が開いており、その目は地獄へ繋がる門を連想させた。見た目には15、6歳程度の少女だが、身に纏う空気感は独特のものがある。

 華奢な身体に鎖帷子を着込み、オーバーサイズな赤と黒のサーコートの上に分厚い肩当て、篭手を装備した重装だが、まだ幼さの残る顔貌と体格のせいでちぐはぐな印象だった。


 これだけでも彼女の外見情報は飽和しているが、何より目を引かれるのは彼女が抱きかかえている一本の騎士大剣だ。確実に彼女の身長よりも大きな剣を、細い腕が大事そうに抱いている。

 長い柄に、三日月を思わせる広い鍔。黒鉄で造られたいかめしい鞘には、ぎっしりと鉄細工が施されていた。


「……何か?」

「いえ……何も」


 少し目線が露骨すぎたらしい。こちらに目を向けないまま、アリスは底冷えするほど感情の無い声を出す。そちらに危害を加えるつもりは無いと示す為に、俺も目を合わせず言葉を返した。

 俺の他にこの一両目に乗っていたプレイヤーが二人居たのだが、彼らは俺の前に座るアリスの容姿に分かりやすい程見惚れ、そして彼女の頭上にある『フェリシア・アリス』というプレイヤーには無いファミリーネームを見つけると、キリッとした顔で彼女に声を掛けた。


 挨拶に始まり、簡単な名乗りと質問。それら全てにアリスは一切の反応を示さなかった。まるで陶器で造られた人形のように、瞳を動かすことさえ無かった。

 その反応に彼らは面食らった様子を見せると、必死に自分達が訪問者であること、凄まじい修羅場を潜り抜けてきたことを語った。いわゆる、武勇伝的な話だ。


 長々とした話に相槌の一つもしなかったアリスは、語る話の尽きた二人に目を向けることもなく溜め息を吐いて、「気は済みましたか?」とだけ言った。

 他人事ながら、あそこまで冷え切った対応をされれば気の毒だ。結局、その二人は列車内の空気感に耐えかねて二両目に退散してしまった。


 残された俺の気分の悪さは言うまでもない。が、俺は彼女に何をするつもりもないし、彼女もそうだろう。ならば窓の外でも眺めて、新しい発見があることを祈る方が建設的だ。


 それから数分、列車内の揺れる音だけが響いていた。時折二両目からゲラゲラと笑うプレイヤー達の談笑が聞こえ、少しばかり大きく車両が跳ねて車体が軋む音が鳴る。

 そして列車がス・ラーフに向かうまでに立ち寄る中継駅に辿り着くと、止まった車両からぞろぞろとプレイヤー達が抜け出ていった。


 土龍列車は列車と名が付くだけあって、目的地までにいくつか小さな駅を経由する。それはエリアとエリアの境目であったり、小さな村であったり、あるいは人気の無い遺跡のような場所にある。

 駅の目印となる掲げられた篝火に、アレのメンテナンスは誰がやっているのだろうか、と思いつつ、再発車した列車の衝撃に少し身体が傾いた。


「……っ」


 身体が傾くだけで済んだ俺とは違い、身の丈以上の大剣を抱えていたアリスは慣性に引っ張られて、大きくつんのめる。

 焦った様子で剣を抱きしめ直した彼女は、少し怯えたような目で俺を見た。そんな目で見たって、俺はそれを盗むつもりも彼女を馬鹿にするつもりもない。


 それからまた時間が過ぎて、五分、十分と時が過ぎる。その間に駅に停まることは無く、先程まで騒がしかったプレイヤー達の談笑も無くなって、車内は格別に静かだった。

 窓の外はなだらかな草原から岩肌の見える荒れ地に様子を変えており、遠くには険しい山々と砂丘のようなものが見えた。


 土龍列車は乗り心地こそ悪いが、徒歩で一時間以上掛かる道のりを二十分座るだけで移動できると考えれば実用的な移動手段だ。

 ……と、そこで鼓膜に小さな寝息を捉えた。すー、すー、と規則正しいリズムでアリスが寝息を立てている。


 有り体に言って、不用心だった。先程まではNPCならそんなこともあるだろう、と思って気にもしていなかったが……ここまで無防備では心配も出るものだ。大剣に寄り掛かって眠るアリスの肌は強い日差しに縁など感じさせない白さであり、剣を抱く手つきはあまりにも素人味が強い。


 一体この子は、と眉を潜めた時――ガタン!と列車が急減速し、停まる。なんてことはない、停車駅に着いただけのことだ。だが、夢見心地なアリスにその衝撃は大き過ぎる。

 腕の中の大剣が暴れて、華奢な身体が座席に倒れ込む。


「んっ!?」

「……っと」


 黒鉄の大剣が列車の床に叩きつけられる前に、席から立ってそれを抑える。アリスは断りなく剣に触れた俺に何かを言おうと素早く口を開き、そっと閉じた。バツの悪そうな目を俺から逸らすと、小さく「……ありがとうございます」と口にする。

 俺は何も言わず、ただ剣を彼女に戻して席に掛けた。列車が再び動き出し、完全な砂漠へと入り込む。


 俺はセントラル共和国の停車駅に掲示されていた停車駅付きの地図の写真を眺めながら、これは次の駅で降りてヴィラ・レオニスを探すより、一度ス・ラーフに向かった方が良さそうだと考えていた。

 目的の『アズラハット大聖堂跡地』はここから五分程度で到着する中継駅が最寄りなのだが、どう見ても地図で言う所の砂漠のど真ん中に降りることになるし、ここからス・ラーフまでは二十分程度だ。


 ス・ラーフからセントラル共和国向かいの列車に乗ったとしても、手持ちの金は充分余る。何かあったときに備えてセーブとチェックポイント無淵墓地の解放はしておくべきだろう。


 そう考えている時、目の前からカチャカチャと物音がした。見ればアリスが大剣を座席に置き、腕に取り付けていた篭手をぎこちない手つきで外しているところだった。

 なんとか篭手から引っ張り出した左手には汗が垂れており、何より取り付けの具合が悪かったのか、白魚のように美しい手には篭手が食い込んでいた跡がある。


 あまり見るものではないと頭では分かっているのだが、どうしても彼女の手指の白さ、柔らかさに目を取られた。刃物どころか拳さえ握ったことが無さそうな手だ。

 俺の不躾な目線が不快だったらしいアリスが、光の無い真紅の瞳で俺を見る。


「……何か」

「いえ、何も」

「それにしては、随分な目ですね」


 刺すような声音だった。だが、節々に無防備で女々しい様を見ている俺には、そのトゲトゲしさが小動物の威嚇のように見えて仕方無い。自身を大きく見せるための、反発めいた威圧だ。

 俺は小さな溜め息を吐いた後に、昏い紅色の瞳を見つめ返す。


「……良い、剣だと思いまして。目が惹かれていました」

「そうですか。不愉快なので止めてください」


 もう片手を篭手から引き抜くために腕を動かしながら、アリスは言う。あまりにも鋭利な言葉の投げナイフだ。キャッチボール代わりに投げてくるには遠慮がなさ過ぎる。

 少し……ほんの少しだけそれに思うところのあった俺は、彼女から目を逸らしながら口火を切った。


「その剣の柄は、あなたの手には大きすぎる。そもそも、鞘から抜くのに腕の長さが足りていません」

「……急に何を」

「気になった事を口にしただけです。その剣は、貴方のものですか?」

「……その質問に答える義務はありません」


 その言葉が、ある種の答えのようなものだった。彼女自身もそれを理解しているのだろう。言葉尻には不安と緊張が滲んでいた。

 ……どう考えても、何かしらの『事情』があると見ていいだろう。もう一度、右手の篭手を外そうと悪戦苦闘するアリスの頭上を見る。


『フェリシア・アリス Lv.6』

【二つ名は隠蔽されています】

【職業レベルは隠蔽されています】


 厄介事イベントの臭いしかしない。これはどうするべきか、と俺の脳が一周思考を巡らせて、『NPCなら問題無し』と回答を出す。中身が居る人間ならともかく、中身の無いNPC相手であれば少しは心にゆとりを持って接することが出来る。


 深く息を吸って、吐いた。大丈夫、俺はゲーマーだ。これはゲームで、目の前にそれらしいNPCが居る。なら、取る行動は一つだろう。


「……その篭手、恐らくは手首の辺りに締めの金具がありますよ」

「…………どれですか」


 突き放す言葉を吐いた手前、言いづらそうにアリスは俺を聞く。俺は席を立ってアリスの前に膝をつき、断りを入れてから手首の外側にある金具を緩めた。


「……ありがとうございます」


 分厚い篭手から手を抜いたアリスは、相変わらず目を逸らしながら礼を言った。不服そうなその礼を聞き流して元の席に戻り、両手の篭手を膝の上に置いたアリスへ言葉を掛けた。


「篭手の付け方や外し方も分かっていないのに、夜更けに一人旅ですか」

「……貴方には関係の無い話です」

「そうですね」


 さらりと肯定して、一拍置く。やけに素直な俺の言葉にアリスが顔を上げるのを見計らって、目を見ながら語りかけた。


「私は『ミツクモ』。来訪者です」

「急に、何ですか。私は貴方が来訪者だったとしても――」

「そうですね。貴方には関係の無い人間です。嫌われ者のハルファスの民で、この世界のこともまともに知らない異邦人。私以上に、この世界で貴方と距離の遠い人間は居ない」


 俺の言葉に、アリスは怪訝な顔をした。俺が何を言っているのか、何を言いたいのか掴みかねているようだ。彼女の底が見えない瞳をじっと見つめ、少しだけ軽い調子でこう言った。


「限りない他人だからこそ、話せることがあります。貴方の事を何一つ知らない私は、その言葉に肯定も否定も返せませんし、何の偏見も色眼鏡もありませんから」

「結局、何が言いたいんですか?貴方に……たまたま乗り合わせただけの知らない男性に、自分のことを話せと?」

「言いづらいなら、嘘の話でもいいですよ。何せ私はハルファスの民ですから、フィクションでも喜んで楽しめます」

「……意味が分かりません。何故?私にとって貴方が他人であるように、貴方にとっても私は他人のはずです」

「それに関してはもう答えてますよ。私は来訪者です。この世界の全ての人間は、私にとって他人。それを考えれば、同じ列車に乗り合わせただけでも充分話を聞く理由になります」

「…………私は、違います」


 アリスは震えた声でそう言った。……ここまで押して無理なら、どうやっても無理だろう。条件があるのか、それとも俺のロールプレイが下手なのか。まあどっちにしろ、話は終わりだ。

 肩をすくめて、後ろの壁に背中を預ける。俺個人としては中々な口説き文句なつもりだったんだが、少しグイグイ行き過ぎたか。


 反省会がてらに目を瞑って――「あなたは」と掠れた声が響いた。瞼を上げた先、震える手をもう片手で抑えながら、アリスが俺を射抜くように見つめている。


「あなた、は……強い、ですか?」

「……」

「来訪者。天を廻る者。一騎当千の申し子。あなたにその強さは……勇気は、ありますか?」


 システムが、何かしらの通知を訴える。だが俺はそれを見ることなく、真っ直ぐにアリスの目を見返した。俺が強いかどうか。この俺に、それを聞くのか。


「――『俺』は強いですよ。間違いなく」


 俺は、と折り重なったゲーマー達の頂点だった。今は腐りに腐った引きこもりだが、腐っても鯛だ。一騎当くらい、はっきりと名乗ってみせる。

 迷いなく即答した俺にアリスは目を見開いて……そうしてどこか諦めたような笑みを浮かべた後に、辿々しく彼女の話をし始めた。

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