第45話 Come back,good knight
鬱蒼とした森を前にして、じっと目を細める。目の前に広がるのは、生き物の気配を失った夜の森。『ミルドラークの森』の名を冠するそこからは暗雲にも似たモヤが垂れ流されている。
(もう完全に、この森は自分のものって感じだな)
目線をシステムに移す。現在時刻は20時28分。たこらいすから武器用のアイテムボックス――インスタンスボックスというらしいポーチを受け取り、その中に何本か武器を仕舞い込んで、ここまで全力疾走をしてきた。
脳内に思い描く最短経路を最高速で走って、ス・ラーフの無縁墓地からファストトラベルをしてセントラルに飛び、そこからまた全力で走ってきた。
鬱蒼とした森は文字通りネビュ・レスタにとって最高の環境で、俺はどうしようもなく時間に追われている。視界の無い場所で格上相手にタイムアタックなんて、狂人の考えることだろう。
ただ、それでも――
「面白そうだと思った時点で、行かざるを得なくなっちまった」
生放送で流れていたハイライト。プレイヤー達の全力のぶつかり合い。それを見て、俺も同じように暴れたいと思った。俺の中にある全部をいつかのように振りかざして、グチャグチャな戦場の一番熱い場所に居たいと思った。
強欲だな、と自分でも思う。負けたらどうする?と嘯く声も聞こえる。だが、ずっと抑え込んでいた衝動はそう容易くは消えてくれない。
どんなネガティブな声よりも、声高に『ネビュ・レスタのユニークスキルとネームド武器を手に入れたら、死ぬ程面白いんじゃないか?』と提案する声がある。
それに従って……一步、草原を踏みしめて森の奥へと進む。夜風が頬を撫で、揺蕩う黒霧が首に触れた。夜の森という時点で視界は最悪だというのに、霧がかかると文字通り一寸先も見えたものではない。微かに差す月明かりだけが疎らに足場を証明している。
見るからに最悪なフィールドだが、問題は無い。
「目が見えないくらいじゃ、ハンデにもならないな」
小さく笑って、落ち葉を踏みしめる。クシャリと乾いた音が鳴って、その反響で周囲の状況を知る。首元、手の甲を撫でる大気の流れから、大まかに森の構造を感じ取る。鼻先を匂いの濃淡で樹木の位置が分かる。
……あぁ、問題無い。思う通り動ける。スティレットをインスタンスボックスから取り出して、虚空から『勇気の証明』を喚び出しながら、颯爽と駆け出した。
時間が無い。手探りで森を歩いていたら、文字通り日が昇ってもネビュ・レスタには出会えないだろう。
木立の間を駆け抜け、『視界踏破』を発動させながら木々の間を飛び回る。視界は最悪だが、嬉しいことに移動用の足場には事欠かない。ノックアップ、ストレートエア、ストームウォールを順に回して、『勇気の証明』を目前の木に突き立てる。そしてその刃を踏んで滞空時間を稼ぎ、『隼の流儀』で空間を飛び回った。
(さっさと出会わないと、本格的に時間が――
頭上から、ブゥ……ゥン、と重厚な羽音がした。空を裂き、高速で何かが迫る感覚がある。それに見向きもせず、片手を頭上に振るった。キィン……と澄んだ音色が響いて、頭上の気配が押し返される。同時に飛翔した『勇気の証明』がその甲殻を貫通し、間髪入れない薙ぎ払いで『ナイトリッパーだったもの』が真っ二つになって砕け散る。
【エネミーの奇襲を看破しました】
【戦闘を開――
【エネミーの全滅を確認】
【戦闘が終了しました】
(さて、前回はどこで出会ったんだったか……)
確か、マシンガン・ホーネットの巣に無理凸をしたタイミングだったか。もう少し先に進めば近しい場所にたどり着ける筈だ。
空を踏んで、時折奇襲を仕掛ける邪魔者を軽く散らす。ここのレベル帯のモンスターでは、既にまともな経験値にさえならない。
霧の向こうから放たれたバフ・バタフライの雷撃をエアリアルカームで逸らして、スティレットを進行方向に投げ捨てる。同時にボックスから一本の槍……『乾坤一擲』を取り出して投擲する。
黒霧を抉りながら放たれた槍が何かを穿つ音を聞くと同時に、空いた手のひらをぐっと握り込んで槍を呼び戻す。
(投げても戻って来る槍……扱いやすくていいな)
今は借り受けているだけだが、イベントが終わったら正式に購入を申し出てみよう。そう思いつつ、投擲の軌道を綺麗になぞり返した槍を手中に収め、ボックスに仕舞う。合わせて、足を止めず前に進んで投擲したスティレットを綺麗に掴み直した。
一秒のロスも無い完璧な走り打ち。たこらいすが見たらまたドン引きされるだろうか。それとも慣れた様子で苦笑するだろうか。そう思いつつ、森の気配を探って……足を止めた。
「……」
辿り着いた。俺がこのゲームを始めた初日、大量のマシンガン・ホーネットで埋め尽くされていた巨大な巣。そこは――グチャグチャに破壊され、大木に建造されていた巣はどれもこれも大穴が空いていた。
足元に目を凝らせば、マシンガン・ホーネットの屍か、あるいは幼虫の屍らしいきものが散乱している。ゲーム的に考えればポリゴンになって消えるはずだが……何かしらの理由で死骸が残っている。もしかすればオブジェクトとして判定をされているのかもしれない。
一面の景色は暴虐、蹂躙……そして収穫の結果だった。随分と派手にお楽しみだったらしい。数えるのが鬱陶しいくらいだったはずの群れは一匹残らず消えていた。
一呼吸置いて、崩壊したマシンガン・ホーネット達の縄張りに入り込む。一つ二つ三つ、目につく巣はどれもズタズタだ。こんなことが出来る存在がこの森に二つと居るとは思えない。
濃密な黒い霧。針のように差す月光に目を細めながら奥へと進み……俺の感覚が気配を捉えた。
うなじの毛が逆立って、足の指に力が籠もる。俺が勘付いたんだ。アイツが俺を気取れないはずもない。霧の向こうに、爛々とした赤い輝きがある。それは遠目から俺を観察し……その目線が身体の上を這う度に、その部位が切り裂かれる感触があった。
ゾワリ、とゲーム側からレベル差由来の
殺戮の化身。あるいは捕食の権化。どちらにしても――
「随分、カリカリしてるじゃないか。腹が減ってご機嫌斜めなんてことは無いだろうに」
不気味なほど静まり返った空間に、俺の声がよく響く。キィ……とネビュ・レスタの触角が動く音がした。次の瞬間、霧を裂いて何かが飛び込んでくる。
ストレートエアで横にブリンクしてそれを避け、同時に霧の向こうへカッティング・エアを叩き込む。
霧を抜けて俺を狙ったのはネビュ・レスタお得意の『鎌鼬』で、夥しい数の黒の斬撃が地面を抉って掘削音を響かせる。返しの魔法は容易く弾かれたようで、パチン!と風の破裂する音が響いた。
【エンカウント:
【『霧の凶星』"
通知を横目で見る。レベルが前より上がっている……が、それは俺も同じことだ。前まではあったはずの撤退を推奨する通知は無い。あろうが無かろうがやる事は一つだが、少しだけ気分が良い。
スティレットを片手に一歩目を踏み出した……その時だった。
「――ははっ、そうか」
覚えてんのか、俺を。目の前の霧が僅かに薄まって、見覚えのあるシルエットが浮かぶ。漆黒の体と両腕の鎌。無機質な眼光は黒い体の中で唯一の真紅。3メートル近い巨躯のカマキリが、二つの鎌を左右に大きく広げて……全力の威嚇を行っていた。
同時に通知が答え合わせを行う。
【『霧の凶星』は生まれたその瞬間から、すべてを喰らい、収穫し続けた】
【眼の前に立つすべてを、エサとしか認識していなかった】
【だがしかし、それは既に過去のこと】
【貴方は
【死力を尽くすに値する、
「俺も同じ気持ちだ」
この世界で初めての敗北。この世界で一番の怨敵。お前に勝つ為の力を求めて、ようやくここに帰ってきた。あの日、『獲物でさえ無い』と見逃された瞬間の怒りを今でも鮮明に思い出せる。
だから、『根に持つ』俺は……少しだけ意趣返しをしてやろう。
「――けど、生憎忙しいんでな。イベントのついでで、収穫してやるよ」
言葉の通じる通じないは既に関係が無い。この戦いはそういった次元を飛び越した。俺が向けた敵意と挑発に呼応して、ネビュ・レスタが動く。同時に俺は右半身を後ろに引いて首を左に傾けた。
常人なら何が起きたのか理解さえ及ばない神速の一太刀。それは俺の身体を縦割りに裂こうとして空振り、鋭利に裂けた空気の流れが背後の樹木を叩き斬る。
(相変わらず、一撃でも食らったら即死のオワタ式か)
スティレットを片手にストームファング、ウィンドを詠唱するが、児戯とばかりに右の鎌がそれを切り裂いた。お返しとばかりに放り込まれる二連『鎌鼬』を大きく動いて回避しながら、脳裏にプランを組み立てる。
――ネビュ・レスタ。超高速の斬撃と馬鹿げた装甲、どうしようもないフィジカルの塊の癖をして、引き寄せや鎌鼬のような凶悪な技を持ち合わせている。
無意識にヴィラ・レオニスが比較の対象として出てくるが……コイツとアイツとでは、あまりにも条件が違い過ぎる。
「ふっ!『ストームウォール』!『アッドスペル』……『サイクロン』!」
俺の動きを精確に予測した『鎌鼬』をストームウォールで一瞬止めて回避し、前と同じくガン待ちを決め込むネビュ・レスタへ最大火力のサイクロンを放った。
溜め込んだ黒霧が布のように巻き取られ、渦巻き、一帯を磨り潰す暴風が芽吹く。俺のステータスは以前の戦いとは比べ物にならない。俺の種族レベルは37。魔力は装備補正込みで800を超え、生半可な敵なら一撃で即死させられる。
微かな自信が過って……次の瞬間、渦巻く風が十字に叩き斬られた。乱気流に霧が飛び散って、捻くれた暴風の中心で威風堂々とネビュ・レスタが鎌を振り抜いている。
「……相変わらず、無茶苦茶だな」
純粋なステータスだけで言えば、ヴィラ・レオニスの方がネビュ・レスタを上回っているだろう。あれは文字通りの荒神で、攻撃の規模から何まで規格外だった。
だが、ヴィラ・レオニスには確かな『攻略法』があった。ヤツはシナリオに沿うことを想定されたボスで、ギミックやアリスという鍵をもってして倒すのが模範解答だ。
対してネビュ・レスタは……真逆だ。コイツには攻略法も何も存在しない。ギミックの一つもありはしない。ただただ純粋な数字の暴力。ステータス、フィジカル、プレイヤースキル。それらでねじ伏せる事が答えで、それが出来ないなら死ねとプレイヤーに叩きつけている。
小細工抜きで真正面から打ち破る。それ以外に道は無い。なら――
「俺の得意分野だッ!!」
僅かに晴れた霧。捉えたネビュ・レスタの頭に『勇気の証明』を飛ばす。轟、と空を穿つ白金の大剣をネビュ・レスタが鎌で叩き斬ろうとしたが、残念だったな。その武器は『破壊不可』だ。
十字に振った両手の鎌と『勇気の証明』が鍔迫り合いをした一瞬。それを見逃さずにスキルをキャストする。
「《
散々に引き寄せで獲物を刈り取ってきたネビュ・レスタに、今度は俺から肉薄する。切り替わった視界一杯に広がるのは、ネビュ・レスタの巨体と後頭部。
完璧な不意打ち。反応しようのないバックスタブ。小さな頭蓋にスティレットが叩き込まれ、クリティカルと装甲貫通のエフェクトが飛び散る。ガクン、とネビュ・レスタの頭が前に倒れて――首が180度こちらへ振り返る。赤い複眼が俺を射抜いて、『勇気の証明』が弾かれた。
反撃が来る。ネビュ・レスタの間合い、一撃一撃が必殺の連撃。
「『ダウンバースト』……!」
下降気流で即座に地面へ着地。先ほど首のあった位置を水平に切り裂く斬撃を回避。ネビュ・レスタの体勢が動いて、俺を正面に捉える。
さぁ……本番だ。ここからは集中を切らした瞬間に四肢がもげて挽き肉未満になる。
目を見開いて、肩の動き、関節の角度、鎌の速度から次の一手を先読みする。以前と違って、俺の基礎速度は魔導士のそれを大きく上回っている。以前のように無様なギリ回避にはならない。
攻撃を予測し、反射し、対応する。縦横無尽に刈り取る黒の軌道を限界ギリギリの距離で回避し続ける。
しゃがんで、膝を落として、肩を引いて、首を傾けて、後ろに上体を倒して……きっと、傍目には回避をしているようには見えないだろう。ネビュ・レスタがわざと攻撃を外しているような、そうでなければ辻褄が合わないと思えるほどの立ち合い。
一秒の間に十を超える斬撃が俺を襲って、そのどれもが霧を裂く。ならばと構えたゼロ距離の鎌鼬は音とモーションで『四肢粉塵』をキャストする。
『無冠の曲芸』のリキャスト短縮とネビュ・レスタの超高速の連撃は相性があまりにも良い。意識を向ける余裕は無いが、視界の端で夥しい数のスキル発動通知が流れている。
胴を断つ唐竹割り、左右から挟み込む袈裟斬り、足を潰す掬い上げ。見えている。見たことがある。その手は前回――今よりも悪い状況でさえも対応出来た。
わざと後ろに大きくステップして引き寄せを誘い、引き寄せられたゼロ距離でのバーストエア。ダメージに仰け反りながら振り回す鎌を『勇気の証明』で受けて、即座にもう片腕が構える鎌鼬に対してノックアップエアで空を舞う。
狙いを俺に合わせて上向きに鎌鼬を放つが、それは悪手だ。この森がお前の縄張りであるように、この空は俺のものだ。
「『乾坤一擲』……貰ってけッ!」
空を踏んで雑な軌道の鎌鼬を回避し、近くの樹木を足場に三角飛びで更に高所を取る。そしてそこから、全力で振り絞った投槍がネビュ・レスタの頭部に叩き込まれた。
ギィン!ととてもではないが生物の身体から鳴らない音と共に『乾坤一擲』が弾かれ、ネビュ・レスタが大きく仰け反る。
ドロリとした青紫色の血が地面に垂れ、殺気の籠もった眼光が俺を射抜く。
「悔しかったら本気を見せてみろ。一度出した技で俺を殺せると思うな」
風で空を舞って、槍を手元に戻しながら呟く。ネビュ・レスタ。確かにお前は頂点捕食者だ。並大抵のプレイヤーじゃお前に触れることも、まともに姿を見ることも叶わないだろう。
だが、それは俺も同じだ。俺はお前よりも速く、強く、理不尽な化け物に出くわした事がある。そして、ソイツを倒したことも。
運営が作った調整ミス。あるいはプレイヤーに課す最終試練。人間じゃ反応できない攻撃、人間では勝てない相手。それに俺は反応してきたし、勝ってきた。
その時ほど身体が動く訳じゃないが……一度見た攻撃が通るほど、『元全1』の看板は安くない。
木々の間を飛んで上空から魔法を降らせ、たまらず俺を引き寄せるのと同時にノックアップでネビュ・レスタを浮かせる。踏ん張りの利かない空中を狙ってストレート・エアで加速させた『勇気の証明』を叩き付けると、ネビュ・レスタの巨体が冗談のように吹き飛ばされた。
進行方向の先にあった樹が一本薙ぎ倒されて、けたたましい轟音が響く。同時にふわりと薄くなった黒霧に鼻を鳴らして、槍をボックスに仕舞った。
「超高速の斬撃。変幻自在の引き寄せ。超火力のホーミング付き飛び道具。視認困難な霧。それで、ネビュ・レスタ……これで全部か?」
これで全部なら、もう死ぬしかないぞ。スティレットを片手に霧の向こうを睥睨する。考えれば、当たり前の話だ。
種族レベルも職業レベルも10に満たない初期装備で第二形態まで持ち込めたんだ。レベルも装備もスキルもある状態ならこうなるに決まってる。
目線を上げて見たネビュ・レスタの残りHPは五割。残りの時間は……13分。
何事も無ければ、ここからは一方的な蹂躙だ。10分もしない内に片が付く。さて、と一息をついた俺の鼓膜に……聞き慣れない重低音が響いた。
ヴ、ゥ゙ゥ゙……と否応無しに生理的な警戒を促す羽音。まさか、と脳裏に言葉が過る。ナイトリッパー、じゃない。そもそもこの辺りのモンスターはまるっきりネビュ・レスタの腹の中だ。
であるならば、答えは一つ。
「空はお前のものじゃないってか?」
濃い霧の奥、俺の目線よりも遥かに高い場所から敵意に満ちた目線を感じる。見上げれば、揺れる巨大な影と深紅の目が宙に浮いている。
ここに来て、飛行か……。空から縦横無尽に鎌鼬を振り下ろしながら、タイミングを見て俺を空中に引き寄せてくるつもりなのだろう。
時間も無いのに、ここに来てまた一段と面倒になってきた。……だが、そうこなくちゃ面白くない。
月の明かりさえ届かぬ夜の森で、言葉無く空から見下ろす深紅の目線へ、笑いながらスティレットを突きつけた。
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