第12話 光を呑む

 開かれたウィンドウに示された選択。試すような二人の目線。そして、不安と期待の入り混じったコンコルドの瞳。

 パーティに入る。この三人と、このゲームをプレイする。それにどれだけのメリットとデメリットがあるのかを俺の思考が演算して、それに対して俺の心は矢継ぎ早に、この提案を受け入れなくていい理由を考える。


 オルソン公国へ行く理由が無いとか、俺の今の目標はネビュ・レスタだからとか、時間が遅いからとか、レベル差があるからとか、そんな下らない理由を喉奥に弾込めして、舌の根がそれを押し止める。

 自分のことだ。自分が一番分かってる。そんなのはこの提案を断る理由になり得ない。


 今の俺に目標はあってもタスクは無い。やりたいことはあっても期限は無い。平気で100時間連続でINし続けられる俺に時間は関係ない。レベル差なんて、正直あって無いようなものだ。


「……」

「み、ミツクモさん……?えっと……やっぱり何かありましたか?クエストを受けてるとか……それか、今日は時間的にとか」


 不安そうにコンコルドが俺の目を見つめる。エミリアの言葉を借りるなら、口が上手いほうじゃないコンコルドが俺をこうして誘うのには、それなりに勇気が要るのだろう。


 遅れた思考がこの三人とのゲームプレイを演算する。それはきっと……きっと、とても面白いものになるだろう。コンコルドは今時珍しい程に素直で愚直な良い子だ。エミリアとグラシエルも、話した限りではトゲや毒を感じない。

 きっとこの三人との冒険は新鮮で、刺激的で、新しいものを見つけては立ち止まって……そんな時間になる。


 これだけ考えても断る理由も何も無いのなら……この奇妙で不思議な出会いに身を任せてみるか。


 俺は震える指で『はい』に手を伸ばして――その腕が固まった。息が詰まって、目線が一定に定まらない。なんてことはない、慣れ親しんだ『硬直』だった。ただ、戦闘中以外で起こる硬直を、俺は体験したことが無い。

 困惑に揺れる俺の耳元で、誰かが囁いた。


『また、繰り返すのか?』

『思い出せよ』

『誰のせいだった?』


 ――俺のせいだ。


「ッ……」

「え?……ミツクモさん?」


 誰かの声だった。自分の才能に酔いしれた俺が蔑ろにして、その信頼を裏切った誰かの声だった。そうだ、俺は……俺はもう、誰かとゲームをプレイしちゃいけない。

 俺はきっと、『あの時』と何も変わっていないから。だからあの時と同じように動いて、同じように誰かを傷つけて……また同じように自罰に浸る。


 心配そうに俺を見つめるコンコルドの顔に砂嵐めいたノイズが走って、そこから底冷えのする言葉が投げ込まれた。


『ミツクモさんって、全部一人でやっちゃうんですね』

『私達、居ても居なくても変わらないですし』

『そういうのが好きなら、マルチじゃなくてもいいじゃないですか』


 目眩がして、大きく後ろに一歩を踏む。肺の奥に砂を詰められてしまったようで、軽く息を飲み込む以上に酸素を取り込めない。

 明らかに異常な俺の様子にエミリアとグラシエルは組んでいた腕を解いて俺に近寄り、一番近くに居たコンコルドは焦ったような表情で宙ぶらりんだった俺の手を握る。


「えぁっ……ぇ?」

「……」

「あら……」


 ――その瞬間に、俺は反射で手を引いて、三人から距離を取った。今度はコンコルドの手が宙ぶらりんに彷徨って、掴む先を見失っている。

 重い沈黙が俺たちの間に横たわっていた。エミリアとグラシエルは静かにコンコルドの両隣に立ち、俺を見つめているが、やはりその表情は砂嵐めいたノイズに隠されて見えなかった。


 システムが俺の意志を汲み取ったのか、パーティ加入ウィンドウは【いいえ】を選んで消え去り、代わりに視界の真ん中に【ログアウトしますか? はい/いいえ】のポップが浮かんで消えない。

 頭の中で【いいえ】を選んでウィンドウを閉じても、すぐに次がポップする。二、三度同じことを繰り返した俺の耳に、コンコルドの萎れた声が入った。


「あの……やっぱり、迷惑、でしたか?いきなりその、パーティとか」

「……」

「私、いつもそうなんです。人見知りであんまり誰かと仲良くなれないから……偶然出会えた人との付き合い方が下手で、でももっと仲良くなりたくて……こんな感じになっちゃうんです」

「……」

「それに、その……実は、私、男の子の友達が……一人も居なくって。ゲームでもリアルでも上手く話せないし、だから男の子の身体ならもっと気軽に話せるかなって思って、それが成功したのがすごく嬉しくて……また色々、変なことをしちゃいました」


 ごめんなさい、と声が聞こえた。その言葉に、ドロドロになった理性の中から『俺は何を謝らせているんだ?』と言葉が湧き出る。

 そうだ、俺は……こんな良い子に何をさせている? 自分が傷付かないように考えるばかりで、結果的にコンコルドを傷つけていた。


 目線を上げてもう一度見たコンコルドは、伏し目がちに小さく笑っていた。自嘲の篭った笑みだ。それを見た俺の口が、慌てたように自分の機能を取り戻す。


「……い、いや……違、う。その……ただ、体調が」

「……えっ?」

「リアルの体調が、あまり良くないみたいで……アバターが上手く動かせないんだ」


 だから、と口にする。目の前の邪魔くさいウィンドウを【いいえ】で閉じ直して、俺はコンコルドへフラフラの頭を下げた。


「コンコルドは何も悪くない。俺の方こそ……ごめんなさい。ただ、今はどうしても、一緒には……出来ない」

「い、いえっ!そんな、頭を下げないでください!確かにミツクモさん、顔が真っ白ですし、白を通り越して土みたいな色ですから!」


 俺の言葉に何を思ったのか、コンコルドは戦士然とした大柄な身体を屈めて、俺の両肩を持ち上げる。見上げる澄んだ黒い瞳に、いかにも気絶寸前といった風体の『ミツクモ』の姿が見えた。

 彼の顔を覆うノイズも身体の硬直も消えていたが、それらが俺に残した爪痕はあまりにも大きい。息を深く吸って、吐いて、なんとか普通の様子を取り繕う。


「ふ……ぅ……本当にすみませんでした。急に取り乱してしまって……」

「いえいえ、その……ミツクモさんは人が沢山居るのが苦手だって分かってたのに、私の方こそすみません」


 コンコルドと二人で謝り合いながら、俺はちらりと左右のエミリアとグラシエルの様子を見た。エミリアは心配半分、疑り半分の微妙な表情で俺を見上げており、グラシエルは変わらない微笑を浮かべているため内心が分からない。

 二人からは一応は俺を心配する雰囲気を感じるが……とはいえ、勇気を出してパーティに誘ったコンコルドに対する俺の態度には思うところがあるはずだ。


 二人の視線に晒されるだけで、彼女らへの申し訳無さと気まずさで体調が悪くなってくる。だから俺は額の汗を拭って、コンコルドへもう一度はっきりと口に出す。


「……こうして時間を使わせてしまって、申し訳無いです。ただ、やっぱりどうしても体調が優れないので……また、今度――」

 

 そこまで口にして、しまったと思った。また今度……基本的にログアウトする誰かを見送ることが多かった俺にとって馴染みのある言葉だった。プラクティスルームから抜けていくチームメンバーや、交流戦を終えた相手チームに向けて口にしていた言葉が、無意識に零れ出てしまったのだ。


 慌てて取り消そうとするが、『また今度』を取り消す言葉なんて思いつかない。あなた達とは無理?次はないです?いやいや、どう口にしても最低な言葉になる。

 焦る俺の前で、コンコルドは目を見開いて……心底嬉しそうに破顔する。


「は、はいっ!是非次の機会にっ!」

「あっ、えっと……自分はオルソン公国方面に向かう予定が無くて……」


 俺に出来る最大限の促しだった。そっちに行く予定は無いから次は無いかもしれない、という意図を込めていたのだが、コンコルドは笑顔で「はいっ!」と口にする。駄目だ、絶対に伝わってない。


「分かってます! だから、次っ! 次また、こんな風に偶然ミツクモさんと出会えたら、それはきっと本当に『運命的な出会い』ですから――その時は、一緒に遊びましょうね、ミツクモさん!」


 コンコルドの言葉に、俺は目を丸くした。……なんなんだ、この子は。どうしてこんな、出会って一日の訳の分からない男にそんなセリフを言ってくれるんだ。

 純粋過ぎるのか、何も考えてないのか……どちらにしても、毒気が抜かれた気分だった。

 俺はこの子の何を恐れ、何を嫌がっていたんだ? 内心で面倒だとか理解出来ないとかを思って、ずっと真っ直ぐにこちらを見てくれていた彼の何を疑っていたんだ?


 黙る俺に、自分の口にしたセリフが恥ずかしくなったらしいコンコルドが顔を徐々に赤くする。


「あ……えっと、運命的な出会いっていうのはその、シエルがちょっと言ってたような、素敵な出会いという意味で、あいや、素敵な出会いっていうのも本当にその通りの意味で――」 

「……はい。わかってます。大丈夫ですよ」


 正直、根負けに近い気持ちだった。だが、それ以上にコンコルドに対する申し訳無さと、清々しい思いがある。最初に偶然出会って別れ、またこうして偶然出会って別れて……その上でまたばったり出会うようならば、もう諦める他に無いだろう。


「次また偶然顔を合わせたら……その時は、パーティを組みましょう。約束します」

「――っ! は、はいっ!約束ですっ!」


 コンコルドは目を輝かせて、左右の二人に目を向ける。そこでようやく、彼はパーティメンバーであるエミリアとグラシエルに何の了承も取っていないことに気付いたらしい。ハッ!と顔を青くすると、弱々しい声音で「エミリー……」と口にする。


「……まあ、別に好きにしたらいいと思うけど。コンコルドが誰か誘うのとか初めて見たし、良いんじゃない?」

「私も全く問題ありませんよ〜。ミツクモさんはしっかりしていますし、何よりミツクモさんと居ると、より面白いコンコルドちゃんが見れますから〜」

「お、面白い私って何? やっぱり私変だったのかな?」

「ほらシエル、余計なこと言わない。コンコルドは本当に経験足りてないんだから、そのまま捉えちゃうでしょ」

「あら、失礼しました〜。コンコルドちゃんが元気で嬉しくなる、という意味ですよー」

「そうなの?それならいいけど……」


 また楽しそうに談笑を始める三人を見て、今度こそタイミングを逃さないように俺の方から口を開く。


「……それじゃあ、自分はここで落ちます」

「あっ、はい!お疲れ様でしたー!」

「ん、お疲れ。また会ったら……よろしく」

「お疲れ様でした〜。ゆっくり休んでくださいね〜」


 なるだけ柔和な笑みを浮かべて手を振り、三人と別れる。システムが俺の意志を汲み取ってログアウトを始め、静かに俺の意識と肉体は仮想空間から掻き消えた。




「……はぁ」


 軽量化に軽量化を重ねても、どうしても野暮ったいゴーグルを外して、ゆっくりベッドの上で座り込む。俺の部屋は灯りの一つもなく、締め切ったカーテンからは月明かりさえ差していない。

 電源の入ったVRゴーグルの緑色のランプだけが、微かに部屋の輪郭を象っていた。


「……俺は、何をしてんだろうな」


 両手で顔を覆って、長過ぎる前髪を後ろに掻き上げた。耳元にブゥー……ンと虫の羽音がして、一瞥もせずにそれを握り潰す。

 俺は何をしているのか。何をしたいのか。何度も考えた事柄だ。昔は自分のことなら何でも分かっているつもりだった。


『good knight』。世界最強のプロゲーマー。人外めいた反射神経と超精密なメカニクス、超常的な勘の良さを武器に電脳空間を破壊していく『天才』。

 それが今や、この有り様だ。自慢のPSは形無しで、ギアが上がった途端に『硬直』して、調子よく回ってた舌はろくに動かない。


「なんなんだよ、マジで。俺は何と戦ってんだよ……」


 こうして一人きりになると、冷めた思考回路に自己嫌悪が雪崩込んでくる。ラクトの口車に乗せられて始めたこのゲームで、神の幸運といってもいいほど純粋で善良な子に出会って……俺は何をした?


 内心で邪険に扱って、気を遣わせて、友人の前で気まずい思いをさせて、意味のわからないことで謝らせて。


「俺はクソ人間だな、マジで。今更か?いや、そうじゃないだろ……」


 自分を貶しても先には進めない。それは俺が長い引きこもり生活で手に入れた数少ない知恵の一つだ。ただ、光を見て前に進もうとするたびに、後ろから知らない誰かの声がする。誰のせいだった? と繰り返す。


 俺は、怖いのだ。もう一度失敗するのが怖い。


「もう、誰にも迷惑をかけたくない……。誰にも傷付けられたくない」


 誰にも関わらないでいれば、植物のように誰の目に届かない場所でひっそりと生きていれば、それが叶うような気がしている。

 それでも、俺がそうしなかったのは……ひたすらにスポットライトの下にしがみついていたのは……どうしてだったか。


 ゆっくりとベッドから立ち上がって、弁当の空き箱やペットボトルで埋められた床を踏み、閉め切られたカーテンの前に立つ。そしてそれをしっかりと握り締めて……そっと手を離した。離した手は、笑えるほどに震えている。


「俺には――それしか無いから」


 俺から『good knight』を取ったら、本当に何もなくなってしまう。俺は空っぽな人間で、ゲームの世界以外で生きる術を何一つ持っていない。


「俺は、どうしたら……元に戻れるんだ?」


 真っ暗な部屋で、閉められたカーテンの前で呟く。その答えを知る者は現れず、放置されたゴーグルが静かにランプを消灯させた。

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