第2話 その世界では嘘がつけない

 DMで教えてもらったタイトル、『idea is you』を調べてみれば、ザクザクと感想や評価が並んでいた。そのどれもがまず褒めていたのがグラフィックとゲーム内NPCのAI周りだ。これまでの全てのゲームを置き去りにした、だとか、数世代先のハードで実現可能なレベルだと騒いでいる。

 特にグラフィックは空気の粘度、石のひび割れや鉄のサビ具合、地面に生えた苔の根の張り方まで拘られているという話だ。


 アクティブユーザーは国内外合わせて三十万人程度で、発売して二週間の割にはかなり多い。それだけグラフィックやシステム周りの評価が高いのだろう。


 だが、それらはこのゲームにおいて表面的な評価でしかない。『idea is you』を真にこの時代における技術的特異点に変えているのは――尋常ではない精度の脳波スキャンだ。


 このゲームは、プレイしている人間の心が読めるのだという。


 そろそろログアウトしようか、ちょっと音が大きいな、武器を切り替えたいな、回復しよう。そんな一つ一つの行動を、ゲームが理解している。だからその瞬間にはインベントリ等のUIが出ているし、やっぱり要らない、なんて考えてもすぐに消える。

 だから、派手な戦闘中でも腕がもう一つ増えたように滑らかに戦える。のんびり生活しながら、ストレス無くログアウト出来る。もちろん、それが嫌なのであれば設定で自力操作に切り替えることも出来る……と公式サイトには書いてあった。


 このシステムの影響か、このゲームをプレイできるのは20歳以上。さらにプレイにあたって脳波の読み取りを承諾する電子署名が必要らしい。


 この脳波スキャンの精度は他ゲーの比ではないようで、話によればこのシステムの応用でゲーム内での規約違反――チート・グリッチ・ハラスメントなど――を事前に防ぐことも出来ているらしい。

 そしてこのゲームはこれの技術を更に応用し、一つのゲームシステムに組み込んだ。


星幽装アストラルコンバージョン


 このゲームはプレイヤーの心が読める。プレイヤーの思考ではなく、心を深層心理を読むことが出来る。そのプレイヤーが本当は何を望んでいて、何に喜びを見出すのか。

 星幽装はゲーム開始時、全てのプレイヤーに与えられ、一つとして同じものは無いらしい。


 最初は武器などではなく特殊効果バフとして付与され、プレイヤーのレベルが上がればスキルが付与され、次に武器、防具……そして最後に、そのプレイヤーが望む『本当の姿イデア』に変わるのだという。


「『心で戦い、心と戦い、貴方を探すRPG』……か」


 なんとも大層なキャッチコピーだ。だがお陰で、ラクトが俺にこのゲームを勧めてきた理由が分かった気がする。ラクトは俺に、文字通りの自分探しをさせるつもりなのだろう。

 そこから俺に何をさせたいのかまではわからないが、数あるゲームの中でこのゲームを勧めてきた理由は、なんとなく察することができる。


 少しだけ思考を巡らせて、スマホから目を離した。途端に目に入るのは、散らかりに散らかった部屋の様子。カーテンを閉めれば日の差さないこの部屋は、深い穴の底のようだった。

 あの夜の敗北から、どこまでも俺は沈んでいって、いつの間にかここまで墜ちていた。


 この穴の底から見えるものがあるのか、このゲームで言う『貴方を見つける』なんてことができるのか。

 俺にはもう、この穴の底に何も見えない。自分に何が欠けているのかを探しているフリばかり続けて、いつの間にか立ち上がる気力を失っていた。……それでも、この手に握ったスマホの画面には、『idea is you』の攻略情報が映っている。


「……考えるだけ無駄か。さっさと買って、データをダウンロードして……あぁ、ハードはどこに置いたんだっけ」


 最早癖になりつつあるネガティブな思考を無理矢理切って、ベッドから起き上がる。床に転がした物を避けつつ部屋の棚を開け締めして、首を傾げながらVR用のヘッドセットを探す。当時最高峰のブランドにオーダーした一点物のヘッドギアだったんだが……全然見つからねえ。

 そもそも最後にどこへ置いたかさっぱり……最後、最後か。直感に従い寝室から出て、リビングにあるゴミ箱の中を見た。


「……我ながら勘が冴えてんな」


 ため息と共にゴミ箱から黒一色のヘッドギアを拾い上げる。見た限り、目立つ汚れは無い。当然少しだけ臭うが許容範囲内だ。

 最近はゴミ箱にゴミを捨てる気力も無かったので、この程度で済んだのだろう。塞翁が馬塞翁が馬、と念仏のように唱えながら寝室に戻り、ベッドに横たわる。そして重い両手を頭上に掲げると、頭にギアを押し込んだ。



 ―――――



 瞼を上げると、そこは一面の闇だった。上も下も分からないが、背中に硬い感触があるので、どこかに寝そべっているのだろう。

 体を動かそうとしたが、身動き一つ取れない。何も見えないが、感覚で分かる。これは多分、棺桶みたいな狭い箱の中だろう。


「ゲーム開始直後に箱詰めか……」


 プレイヤーが成人してる前提のゲームなだけあって、子供への遠慮みたいなものは無いようだ。癖になってしまったため息を深く吐いて、体を動かせるか試してみる。

 ……まあ、無理か。取り敢えず十八番の脳波スキャンとやらでシステムを開かせてもらおう、と思ったが、それより早く声が響いた。


『ようこそ、来訪者オービター


 声は男とも女とも言い難い声質で、右耳のすぐ後ろから囁かれる形で聞こえている。かなりくすぐったいが、やはり身動ぎが出来ず声も出ない。返事が無い中、独り言めいた口ぶりで声は話を続ける。


『どうやら貴方には、貴方自身についての記憶が無いようですね。そして、この世界についての知識も』


 声は少しだけ寂しそうにそう言った。俺には声の言う記憶も知識も覚えが無い。先程まで見ていたのはあくまでこのゲームの評価なので、世界観やストーリーに関しては「シナリオ本編をほっぽり出して冒険しても問題無し」ということしか知らない。


『残念ですが……無いのであれば、仕方がありません。覚えている限りで良いのです。貴方のことを、貴方の記憶を、私に教えてください』


 貴方は一体、誰なのですか? 声はそう言って、同時に布を擦るような音と共にウィンドウが開く。暗闇に浮かぶウィンドウには『アバター』『ステータス』『ゲーム設定』の項目があり、試しにアバターに視線を合わせると、見知らぬ男の姿が画面に表示された。

 男の右隣には『性別』『髪型』『骨格』『顔』『傷』『種族』などの項目が並んでおり、要するにキャラクリの画面だった。


 いろんなゲームで同じような画面は見てきたが、主人公が見知らぬ声に自分のことを語る形でキャラクリをするゲームは初めてだ。


 ……おぉ。アバターの後ろ姿を見ようと思った瞬間には勝手に……なんだこの感覚は。従来のゲームのように手足を動かしてウィンドウを操作することは一切していない。

 ただ、いつも通りの感覚で動かす『想像』をしただけで、その通りの操作が発生している。それも、ほとんど思考とのラグが発生していない。グルグルとアバターの周りを見回して、軽くカメラを荒ぶらせても、やはり思った通りの動きだ。


 試しに容姿の項目を開く前に髪について『想像』したら、その通りにアバターが変化した。

 確かに凄いな、これは。まるで最初からこの操作を知っていたみたいに違和感が無い。髪の色を変えて、長さを部分ごとに変えて、映ってるアバターにジャンプしてもらったりと軽く動かしてみるが、どれも自分の思った通りの形になる。

 試しに、自分の記憶の中にあるアニメのキャラクターを思い浮かべたら、そのままの形で画面に出力された。


 と、そこで少しメタな事に気が付く。どうしてプレイヤーが開始直後に身動き一つ取れないのか。華やかな街の中のスタートではなく、狭苦しい箱の中からのスタートなのか。それは恐らく、この操作をプレイヤーに体感させる為なのだろう。


 久々に驚きを覚えながら、アバターを作る。……前のゲーム、というか、前まではずっと同じ姿を再現してたんだが――


「……ッ」


 一瞬でも想像をしてしまったからだろうか。ウィンドウ内のアバターの姿が変化していく。リアルの俺と同じ身長、体格で、肌の色だけは日本人離れした褐色。髪は黒に近い紫で、ドラマの侍みたいに長い髪を後ろに束ねている。

 瞳は深い藍色で、日が落ちた後の空を思わせる。右頬に二本、指で引いたようなペイントがあって、左耳には月を模したイヤリングが付いていた。


『good knight』……ゲームを問わず公式戦で記録された優勝や勝利を横並びにすれば、無敗の147連勝という大記録が叩き出される伝説の男。


 その姿を見るだけで、全身から嫌な汗が出て止まらない。俺の中で最も明るく輝く栄光の姿であり、同時に最も暗く沈む無様な姿である。


 ――おおっと!? good knight選手、急に動きが……?

 ――おおぉ!? FamilyA選手攻める!攻める!なんということでしょう!?

 ――大逆転!大逆転です!!good knight、またも勝利寸前に沈んだぁぁぁ!!!


 地面に倒れ、消えていく俺のアバターと、それを覆い隠すほどに流れていくコメントの群れ。無理だ。この姿を背負ってまたゲームをプレイするなんて耐えられない。


 乱れた思考に従って、目の前の姿が素早く別のものに置き換わっていく。数秒で、見知らぬ姿がウィンドウの中に佇んでいた。

 太陽を思わせるような蜂蜜色の瞳。ふわふわとして癖の強い白髪。身長は日本人の平均ちょうどか、少し低いくらい。肌は血色を感じさせないほど白に近かった。


 ……とにかく元のアバターから容姿を外そうとしたせいで、真逆の出力がされたのか。ここからまたキャラクリを進めると、さっきみたいな事故が起きかねないので、もうこのままこのアバターを使おう。


 体が動くのであれば額の汗を拭いたい気分でアバターの画面を閉じ、『ステータス』の画面を開く。開いたウィンドウには幾つもの文字列と空欄があった。


 ――――――――

『ステータス』


 名前:       二つ名:来訪者オービター

 種族:人間族 『ハルファスの民』  種族Lv:1

 職業:       職業Lv:

 HP:120

 MP:200

 筋力(STR):60

 耐久(VIT):40

 魔力(MAG):120

 意思(CON):100

 基礎速度:105


《装備品効果》

  :無し

【基礎スキル】

  :

【種族固有スキル】

 メリット系:

『風詠みの一族』『器用』『弓術補正:小』『風魔法威力補正:中』『毒耐性:小』

 デメリット系:

『異民族』『神に捨てられた民』『信仰減衰補正:中』『虚弱:小』

星幽装アストラルコンバージョン

心識アヴェーダ

 心識.1が開示できます 

胸裏インスリット

 種族レベル■■より解禁

融心アスラヴァルナ

 種族レベル■■より解禁

    

 ―――――――――


 ……何だこれは。ステータスという言葉の意味はもちろん知っているが、それに付随する情報がまるで頭に入ってこない。俺はあまりこのゲームについて事前調査していないので、二つ名とか種族、職業ならまだしも、心識や胸裏というのが何なのかさっぱりだ。


 ちなみに種族も良く分からないのだが……そういえばアバター設定の画面で種族を選ぶ項目があったので、俺の乱れた思考に従って適当なものに決定してしまったのかもしれない。この、やけに白い肌は種族由来のものなのか?


 全然分からないな、と考え込んでいると、またもや布を擦るような音が聞こえてウィンドウが開かれた。見出しには『ヘルプウィンドウ』と書かれている。

 その内容を見ると、先程まで分からないと思っていたことの回答が一つ一つ答えられていた。


 種族というものについてや職業について、それらがステータスに及ぼす影響や、種族選択によって発生する種族スキルについて。

 また、アバターの外見と種族についての相関も記述がある。


 それらについての説明は懇切丁寧だが、星幽装など一部については『記述できる内容がありません』と完全には説明しないようだ。その真相は自分の目で確認しろ、ということなのだろう。

 毎度毎度wikiと顔合わせする必要がないのは本当に助かる。優秀なシステムだな、と思いつつヘルプとステータスの間を何度も往復した。


 種族でアバターの外見、初期ステータスと種族スキルが変わって、職業は汎用のスキルだったり今後のステータスに影響があるらしい。

 俺は種族を適当に選んだ結果、ハルファスの民とやらになっているが、これはどうやら遊牧民……言葉を選ばずに言えば難民みたいな種族だと記述されている。


 スキル構成からして遠距離で戦うようだが……このゲームのビルドの概念は、システム説明を読む限りかなり柔軟だ。

 というのも、このゲームは職業によって取れるスキルに制限がないようなのだ。どんな職業でも街にある修練場や、戦闘、クエストの報酬でスキルを得ることが出来るという。


 要するに魔法使いが剣のスキルを取ることが可能で、その逆もまた然りということだ。


 また、ステータスに関してもそれなりに応用が効く。初期ステータスは選んだ種族によって決められ、今後は種族レベルが上がるごとに自動でステータスが振られていくが、種族レベルと違って職業レベルが上がった場合には好きなステータスに数値を振ることが出来るらしい。


 ロマンビルドにはなるが、その気になれば遠距離主体の種族でも近距離戦が出来るようだ。


 そうなってくると、ここでどんな職業を選んでも最終的にはプレイヤーのスキル構成は横並びになりそうなものだが、そうはならない。

『星幽装』……これがある限り、プレイヤーはそれぞれ似たり寄ったりの構成が組めない。個人個人で全く異なる星幽装を軸にビルドを組む訳だから、スキル的には平等でも、必ずどこかがオンリーワンになる。


 それなりにゲームバランスは考えられていると思っていいか、と考えつつ職業のタブを見てみると、出てきた職業は思ったより少ない。1、2、3……全部で12か。

 戦士、盾使い、魔導士、魔獣使い、精霊術師、狩人、斥候、求道者、僧侶、拳闘士……スキルセット的に農民と吟遊詩人はピーキーだな。その二つは手に入るスキル戦闘系のものが無いように見えるのだ。ラクトはプレイ動画からして吟遊詩人だろうが……『演奏』とか『交渉』で埋められたこのスキル構成で、どうして戦えてるんだ?


 首を傾げつつ、ウィンドウに向き合う。……さて、どうするか。それなりに戦える職業でないと、ラクトに送った『俺の方が強い』って言葉を回収出来ない。

 だが、俺はこの手のMMOはあまり慣れてないし、何よりゲーム自体が久々だ。事前調査もほぼゼロなので、定石みたいなものが何一つ分からない。


 しばらく悩んでから、少しだけ面白いことを思いついた。このゲームのUI操作が柔軟なのは先程まででしっかり体感している。

 だから俺は、職業の欄にあるシークバーを見つめて……それを上下に激しく荒ぶらせた。案の定ぶれっぶれになった職業欄を見つめつつ、適当にどれかを選択してみる。


 ――魔導士か。どんな戦闘スタイルになるかさっぱりだが、どうせ他も似たようなものだ。これにしよう。

 魔導士を選ぶと、ステータスが変化した。



 ――――――――

『ステータス』


 名前:       二つ名:来訪者オービター

 種族:人間族 『ハルファスの民』  種族Lv:1

 職業:魔導士       職業Lv:1

 HP:120 +10

 MP:200 +80

 筋力(STR):60 

 耐久(VIT):40 +30

 魔力(MAG):120 +50

 意思(CON):100 +30

 基礎速度:105 


《装備品効果》

  :無し 

【基礎スキル】

 『下級風魔法 1』『魔力視 1』『魔術理解 1』『精神統一 1』『詠唱加速 1』

【種族固有スキル】

 メリット系:

『風詠みの一族』『器用』『弓術補正:小』『風魔法威力補正:中』『毒耐性:小』

 デメリット系:

『異民族』『神に捨てられた民』『信仰減衰補正:中』『虚弱:小』

星幽装アストラルコンバージョン

心識アヴェーダ

 心識.1が開示できます 

胸裏インスリット

 種族レベル■■より解禁

融心アスラヴァルナ

 種族レベル■■より解禁

    

 ―――――――――



 さて、後残っているのは名前部分だが……名前はひらがな、カタカナ表記のみで被りアリ、と今時珍しいタイプだ。

 だが、それもそうか。俺がこれまで触れてきたタイプのゲームはNPCの概念がまるで無かった。

 ゲームのキャラに名前を呼んでもらうときに、例えば『/\2/\L3/\アザレア』みたいなリート表記の名前だったら、NPCは固まってしまうだろう。


 名前、か。


 一度ステータスの画面を閉じ、適当に作ってしまったアバターの外見を少し眺めた後、またステータスに戻り、空欄に名前を打ち込んだ。


 名前:『ミツクモ』


 ……蜂蜜みたいな色の目と、雲みたいな髪で『蜜雲』だ。安直過ぎて笑えてくるが、このくらいの雑さが無いと、肩の力を抜いてゲームが出来ない気がする。

 少しだけ感傷じみた思いがあって、それが頭に纏わり付く前にステータスを閉じた。


 残っている初期設定は『ゲーム設定』。これは別に後々変えられるタイプの設定だ。開いた項目には音量や明るさは勿論、流血表現の有無やシステムの手動操作切り替え、システムUIの表示方法の設定があった。

 それらを軽く眺めてみるが、特に変更が必要そうなものは……ん?


 痛覚のフィードバック率の設定が初期だと30%になっている。設定を開いて、三割の所で止まっているバーを上限まで上げると、警告文が出てきた。

『痛覚フィードバック率が50%を超えています』の表記と共に、痛覚フィードバック率についてのヘルプが出てくるが、いつも通り100%にする。


 こうしないと、操作感に影響が出るのだ。特にフィードバックが四割を切ってると、肌に触れる物の感触が若干鈍いというか、服を一枚多く重ね着しているような感触になる。

 そうすると、フレーム単位とか当たり判定の±数ミリの感覚でキャラコンを続けなきゃいけない対人では……あぁ、そうか。


 別にこのゲームで、大会とかに出るわけじゃないんだった。これはただのMMOで、俺はただの『ミツクモ』だ。少し考えて、設定欄の『初期設定に戻す』を押した。


 ……さて、これで設定は終わりだ。システムが俺の意図を汲み取ったのだろう。『設定を終了します』とウィンドウが出て、また例の囁き声が聞こえた。


『そうですか、来訪者オービター……貴方の名前はミツクモ、というのですね。ハルファスの魔導士、ミツクモですか。……本当に、残念です』

「……ん?」


 驚きが二重に重なって、瞬きが増える。一つは、いつの間にか声が出せるようになっていたこと。もう一つは、この声のセリフに対してだ。

 淡々と冷たい声音で話し続けていた言葉に、はっきりと失望が滲んでいた。


『やはり、何も覚えては下さらなかったのですね。それとも、その必要は無いと思っていたのですか?』

「何がなんだかさっぱりだな」

『……私は、ずっと待っています。ずっとずっと、待っています。何度空が落ちても、大地が昇っても』


 声は俺の言葉に耳を貸しているのか、貸していないのか、機械的に言葉を続ける。俺には意味がわからないので、先程から動くようになった体で箱の中をもぞもぞ動いている。


『ですから、お願いです。お願い、もう一度――』


 プツリ、とそこで声は途絶えた。反射で右耳の辺りを見たが、当然何も無い。少しの間待ってみたが、囁き声はそれっきり聞こえる事はなかった。

 代わりに頭上からガッ、と鈍い音がして、俺を包む暗闇に白が差し込んできた。

 あまりの眩しさに顔を顰めると同時に、五感へ情報が雪崩込んでくる。


「……凄いな」 

 

 箱の中の空気の埃臭さ、遠くで聞こえる鳥の声や誰かの足音、話し声。背中に触れる何かの冷たさと、僅かに滲んだ汗の感触。

 あまりにもリアルに近いそれらに感心しつつ、正面の光に手を伸ばし、頭上の蓋を横に押しのけた。


 一瞬の眩惑の後に広がるのは、一面の青空。そこに浮かぶ太陽と、その周りに薄く伸びる白雲。そこまでであれば、普通に体を起こせたのかもしれない。

 ただ、俺にそれをさせないものが空に浮いていた。いや、違うな。空に浮いているんじゃない。


「――空、じゃない。街、山……いや……大地か」


 青く透けた空。それらに目を凝らせば、そこには遠く、本当に遠く、大地が見える。ついに頭がおかしくなってしまったのか、と嫌な考えが浮かぶが、何度見てもそこには大地がある。

 空一杯に、目を動かして端を見ても雲で隠れる果ての果てまで、大地がある。


 空の向こうの大地には山と河、湖や海……そして明らかに人工的な街と国があった。目測の距離感は分からないが、現実でこれに近い距離感のものが一つある。

 月だ。まるで月のある場所にもう一つ地球を置いたみたいな光景だ。


「PCとか据え置きなら分かるが、VRゲーでこのディティールは狂ってるな……全然ラグもカクつきも無い」


 勿論これがゲームなのは分かっている。分かっているが、先程から五感に流れ込む全ての情報があまりにも鮮明すぎて、反射でシステムコンソールを開いて確認をしてしまう程だった。

 最近のゲームってこれがデフォなのか? いや、ネットの評価的にそれは無いか……。普通なら、この規模のオブジェクトを視界内に収めると、ガクッとフレームレートが落ちてラグくなるんだが、このゲームに関してはまるでそれが無い。


 よほど良いエンジンを使ってるのか、はたまた上手いことテクスチャの最適化が出来たのか。


 空を見上げながら、ゆっくりと体を起こした。起こして、周囲をぐるりと見回してみる。周囲に広がるのは、海外で見るような霊園だ。蔦だの苔だのが纏わりついた石の棺桶が、等間隔に並んでいる。地面は丁寧に整えられた芝生で、真新しい石畳が道を作っている。

 そうしてその上を、青や赤などの派手な髪色をした老若男女が、自分のように周りを見回しながら歩いていた。


「全員プレイヤー、か?」


 今話題のMMOってのは百も承知だが、こんなに人が居るものなのか。まるで世界大会の観客席に進むアバターの行列だな。

 驚きつつ、癖で後頭部に縛ってあるはずの髪に触れようとして、するりと袖が動く感触があった。


「服は……魔導士だからか」


 俺の服は、白のダボッとした法衣になっていた。形式としては、西洋じゃなくて東洋の物に近い。背広のように羽織って着るようで、長い裾はふくらはぎ程まであった。

 特徴的なのは、肘から手首までの布がやけに余っていることだ。これのお陰で輪をかけて法衣っぽい印象になっている。


 余った袖をフラフラと揺らしていると、またしてもガッ、と左隣で音がした。反射的に石棺の上で片膝立ちの臨戦態勢になったが、見れば隣の石棺の蓋が軽く開いている。

 他のプレイヤーか。しばらくすると石棺の蓋が押し開けられ、その姿が露わになる。


 艶のある黒髪を後ろで一纏めにした、やけに整った顔の男だ。両耳に黒いイヤリングをしているのが微かに見えた。中東に見られるような褪せた青い布服の上に、簡素な皮の鎧を着ている。

 男は眼の前の光景に目を細めたあと、目をまん丸にして固まる。


「……え、嘘っ」

「ん?」

「あ、えっ!?」


 空を見上げた男が発した第一声、それは紛うことなき……女性のものだった。それに俺が驚き、俺の驚きにが驚き、のコンボが決まり、場に静寂が満ちる。


「……ゴホン、あ、あー……えっと」


 わざとらしい咳払いの後、急に声の質が変わった。花のような女の声から、低く落ち着いた男の声になったのだ。

 男は慌てた様子からすっと顔を固めて、口を開く。


「……初めまして、でいいか?」

「今キャラを組むのはかなりキツイ……と思うな」

「ぅ……」


 俺の言葉に男は肩を強張らせて、またしても静寂が霊園に満ちるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る