第38話 Good Night,good knight

 黒い残像が迫ってくる。他にもスキルを併用しているのか、元々の基礎速度が高過ぎるのか、比喩抜きで舞う雪の間と間を抜けてしまえるほどに加速したグッドナイトは、殺気立った眼光で俺を睨みつけ、速度を活かして左右にステップする。

 二つの残像を置いてド派手に雪面を蹴り、一気にこちらの背後を取った。



 隣のたこらいすは大口切った俺に合わせて笑った顔のまま、表情を強張らせて残像を目で追っている。それを尻目に、俺は首と目だけを動かして背後を見た。

 スティレットを構え、連続殺人鬼さながらの狂笑を浮かべていたグッドナイトが、俺の目を見てギョッとした顔をする。


 確かに、速い。それは認めよう。動きは良い。それも認める。だが――


「それだけか?」

「ッ……!? 『カッティング・エア』ッ!」


 バクスタを避けられると思ったのか、グッドナイトは即座に距離を取って俺の魔法を放つ。が、首を傾けて不可視の風刃を躱した。頬の辺りを鋭く抜けた風が、産毛と睫毛の先端を軽く撫でる。……大丈夫だ。落ち着け、落ち着け。心臓は今にも割れそうな程に高鳴って、不整脈が全身を強張らせている。

 それでも、避けられている。あの『good knight』からの攻撃をしっかり避けている。今からでも背中を向けて逃げ出したい足の裏に力を込めて、確かに戦えていた。


「技量見せて煽ろうってか?舐めるなよ……!」

「うぉぁっ!?」

「……『死界踏破』、『ノックアップ・エア』」


 グッドナイトの背後の腕が動く。投げたチャクラムが四枚に分裂して空を切り、鎖が雪原に潜って恐ろしい速度で俺達に迫る。

『勇気の証明』は喚び出さない。俺の武器を見て「解析完了アナライズ」と告げたことからのメタ読み――奴が扱う胸裏『無貌の騎士シェイプシフター』がコピー出来るのは、恐らく目で見た対象だけだ。


 でなければ早々に『勇気の証明』を携えて『四肢粉塵』を試し打ちしていただろう。それが無いということは、装備制限でコピーした『四肢粉塵』が使えないと見るのが一番理にかなっている。


(俺の心識はコピーされているか? 手持ちの他の装備は? 冷静になれ。恐怖に震えてもいいから、考えを止めるな)


 上昇気流が俺の体を押し上げ、三本のチャクラムが即座に追尾してホーミングする。一本がたこらいすに向かって、彼はそれを斬馬刀で逸らドッジした。同時に雪原から黒い鎖が雪を捲り上げながら飛び出して、俺の足を狙った。

 即座に『ストレート・エア』で後ろへブリンクし、同時に『ダウンバースト』でチャクラムを叩き落とす。鎖が執拗に俺の足を狙うが、『隼の流儀』で更に距離を取ると射程限界に達したのか、糸のようにピンと張り詰めて追撃を止めた。それを確認してから着地し、たこらいすに寄る。


(鎖のせいでたこらいすと距離を離された。早くカバーに――)


 轟轟と鳴る風切り音。遠くで微かに響く雷鳴。それに混じって、押し殺された踏み込みの音が聞こえた。即座に身体を捻り、勘で頭への『突き』を回避する。俺の延髄があった場所に『慈悲の十字架』が突き立てられ、俺の左耳のすぐ下を貫通する。

 ヒヤリ、と背筋に通った怖気を押し殺して、左手を動かす。


「はァ!? 『隠密ステルス』なのになんで――」

が良いんだ」


 お前と同じでな、と呟き、突き出された右手を掴む。即座に腕を引こうとする力に逆らわず腕を引っ張られ、その勢いで振り返りながら右手のスティレットを手首のスナップで真上に放った。


「パチモン、組み技は得意か?」

「……ッ!」


 グッドナイトの目線が上に逸れた一瞬を逃さず、空の右手の四指で黒衣の襟を掴んで釣り上げる・・・・・。ごく自然に生まれた右組みの形。俺の動きから全てを察したグッドナイトが、青筋を浮かべながら俺の釣り手を掴み、同じくスティレットを手放して襟へ手を伸ばそうとする。が、引き手で袖を絞って下に引き下ろし、相四つは組ませない。


 俺が得意とする超接近戦の代表格――組み技での勝負だ。格下の魔導士の俺と、格上の二次職のグッドナイト。ステータス的にどちらの筋力が高いかなど考えなくても分かる。が、組み技における筋力は使い方が肝心だ。


 グッドナイトがプライド剥き出しで同じ土俵での勝負を挑んでくるが、どうやら組み技は得意ではないらしい。無理矢理押し倒すことばかりを意識した雑な立ち回りを丁寧に封じて、滑らかに体重を滑らせる。


「お前……ッ!柔道経験者かよ!」

「あぁ。通信教育VR格ゲーで覚えた」

「そんな馬鹿な話が――」


 怒りの形相のまま、遂に背後の四本腕を動かそうとしたグッドナイトの後頭部に――俺が放った『慈悲の十字架』が直撃した。

 偶然ではない。投げた時点の風の向き、強さを計算して、それに合わせて手足を掴んだまま落下地点に引き寄せた。


 猛吹雪で加速したスティレットが見事な縦回転をしながら叩きつけられ、真っ赤なダメージエフェクトが散る。

「きゃぁっ!?」と一瞬ロールプレイが剥がれた女声が飛び出し、その隙を逃さず右足で一気に懐へ滑り込む。深々と雪を踏みしめ、下から潜り込むようにして密着。釣り手で引き付けながら手首を返し、流れるように引き手を落として、崩れた身体を背中に背負う。


「ッがはっ!?」


 VR格闘ゲームで身に付けた背負い投げ。いくら雪が積もっているといっても、雪の下は石畳だ。受け身も取れずにそこへ叩きつけられたグッドナイトは大きく呻き、HPが削れる。

 即座にバックステップで距離を取って、投擲したスティレットを拾い上げた。


(……近接は技量でどうにかなる。問題なのは……純粋なスペックの問題だ)


 手足が震える中でも決まった完璧な一撃。スティレットの投擲も含めて削れたHPは……二割が精々。装甲貫通無しの魔導士の攻撃では、積み重ねたステータスの壁を超えられないようだ。

 ゲホゲホと咳き込みながら立ち上がったグッドナイトが俺を睨み、背後の四本腕が金の杖を煌めかせた。同時に再びチャクラムが投擲され、鎖が蛇のようにうねりながら迫ってくる。


(『魔力視』が働かない。詠唱も無い。あの腕の魔法には要注意だな)


 予備動作無く発動されたのは『ストームファング』。俺の真正面に、頭から脛までを噛み砕くような上下の風が迫る。目を細めヒットボックスを見極めてから最小限のバックステップ。このまま距離を離されて魔法引き撃ちされたら『四肢粉塵』が無い以上、為すすべが無い。


「『ノックアップ・エア』、『ストレート・エア』」

「……『ブラストストーム』!」


 眼前で上下に咬合した風の牙を確認すると同時にノックアップ、前ブリンク。上から距離を詰めに行く俺に対して、グッドナイトは胸を押さえながらダメ押しの魔法を詠唱した。正面からチャクラム四本、下からは鎖と球形に固まった暴風ブラストストーム

 それに対して一切焦ること無く、滑らかに身体を前傾に倒す。傍目には、水泳の飛び込みのような姿勢だろう。


「……!?」


 空中で刻まれた一秒。視界の隅で『隼の流儀』のスタックが溜まるのが確認できた瞬間に、空を。急激な加速が俺の白髪を掻き上げる。滑らかに、緩やかに、頭を先頭に首と肩を捻って、腰を回し、四本のチャクラムとブラストストームを回避。

 即座に『ダウンバースト』と『ストームウォール』を詠唱して地上に降下する。背後から追いすがる鎖が風の障壁に弾かれる音を聴きながら、真正面から走り込んだ。


 グッドナイトは舌打ち一つに右手を虚空に突き出すと、そこからドロリと黒い液体が滴る。それはスライムのように形を変えると、先程彼女が投げ捨てた『慈悲の十字架』の形を模倣した。

 どうやら胸裏で生成した武器はいつでも再生成が出来るらしい。


 走る俺の瞳と待ち構えるグッドナイトの目線が交錯して、言葉の無い会話が成立した。


 ――ぶち抜いてやる。

 ――来いよ。


 お互いに武器は同じ。ビルドもほぼ相似。あちらにはステータスのアドバンテージ、こちらには経験のアドバンテージがある。

 どちらにしても、お互いの狙いは同じ――パリィ。


 深く集中する。右手に構えたスティレットの先端を軽く震えさせ、突きを誘う。微細なり足の動きと体重移動。グッドナイトが魔法を詠唱して俺の『魔力視』から攻撃を誘うが、釣られない。一步引いて体重を後ろに預け、回避の体勢を取る。それを見てグッドナイトは『詠唱破棄』で魔法をキャンセルし、再び読み合いの形になった。

 二人の間に空いた絶妙な隙間を詰めては引いてで奪い合い、狙いを澄ます。


(……うまい。いや、俺が冷静じゃないのか? 踏み込む隙間が悉く潰される。無理に踏み込んだら後の先を抜かれる。後ろの杖と鉈があるせいで余計に詰めにくい……)


 一瞬を喰らい合う心理戦。プレイヤーの技量と度胸が試されるパリィの読み合いは、互いに攻め手を欠いていた。『good knight』を名乗るだけあって、彼女の動きにはおびただしい経験と鋭いセンスの片鱗が見える。


 下手に動けばパリィからの大ダメージ。俺は食らえば即死し、グッドナイトとて受ければタダでは済まない。吹雪の中の読み合いに切れ目を入れたのは――足裏から感じる鎖の動きと、背後から聞こえるチャクラムの回転音。


「ッ……!」

「――ッハハ!」


 この読み合いは時間稼ぎか。道理で釣られない訳だ。

 俺の動揺に合わせてグッドナイトが前にステップし、前後から絶妙なタイミングで挟み撃ちが来る。


 どちらかを防げばどちらかで死ぬ。回避しても四つ腕の杖と鉈が追い打ちを決める。

 脳裏で各部位で攻撃を受けた場合のダメージ計算が走り、軒並み『バツ』が並ぶ。受ける選択肢は無い。なら、回避からの魔法?間に合わない。

 パリィからの回避も間に合わない。取れる行動は一つだけ。避けなければいけない攻撃は三種類。


 ――やるしかない。今しかない。


 不意を突かれた表情のまま、後ろを振り返るモーションと織り交ぜて……虚空から『勇気の証明』を召喚する。「は?」と掠れた声に被せるように、口を開いた。


「『四肢粉塵パルヴァライズ』」


 タイムラグ無しの瞬間移動テレポート。0.5秒間の『不可視インビジブル』に合わせて、即座に『勇気の証明』を虚空に返す。

 目の前にあるのは、見慣れた背中。何度この姿を見ただろうか。大会のPVで、優勝後のハイライトで、キルモンタージュの中で……数え切れないほどに見てきた。その背中へ、全身全霊のバックスタブを決める。


「ガハッ!?」


 クリティカル、装甲貫通、その他諸々が乗った一撃がうなじに刺さって、グッドナイトの身体が吹き飛ぶ。同時に、背後に浮かんでいた四本腕が黒い煙となって消滅し、こちらへ迫っていたチャクラムと鎖も霞のように消えた。……発動から一定以上のダメージを受けると解除されるタイプのスキルなのか。


 油断無くスティレットを構える俺の眼前で、HPを五割以上削り取られたグッドナイトが、蹲りながら後頭部に手を当てている。

 防御特化の胸裏を発動させているプレイヤーですらワンパンで八割近く持っていく攻撃のはずだが、グッドナイトのHPはまだ三割近く残っている。余程ステータスが高いのか……はたまたまだ見ぬ『心識』の効果かもしれない。


「何が……クソ……!」

「……っ」


 倒れ伏すグッドナイト。首から流血し、目を回しながらも必死に膝を立てて立ち上がろうとしている。追撃すべきだ。ここで押し切れば勝ちが見える。なのに……足が、動かない。

 歯を食いしばって、こちらを睨み上げるその顔が、目が、脳に焼き付いて、全身から血の気が引いてしまう。


 ――『good knight選手、絶体絶命!!万事休すか!?』


 遠く、聞こえるはずのない実況の声が聞こえる。俺が、倒すのか?俺が倒して……そうしたら、それは……いや、違う。コイツは俺じゃない。分かっているはずだ。

 瞬きの一瞬で脳裏に去来したのは、積み重なった敗北の記憶。それに足を止めた数秒が、転換点だった。


「――来い、『貪食の魔槍ラヴァナス・インペイル』!」


 素早く掲げられた左腕に、曇天を裂いて赤雷が落ちる。グッドナイトの左腕が焼けて、服の袖が弾け飛んだ。落雷の火花と衝撃波が暴風を打ち消して、神秘的な赤い稲妻が空気を割く。そうしてグッドナイトの右手に握られたのは、稲妻そのもの。不定形に形を作った紅蓮の雷霆が槍として握られていた。


(ッ!? マズい、後手に回った! あのモーション、十中八九投擲が来る!)


 無意識でストレート・エアをキャストする。が、どう見てもグッドナイトが雷霆を放つ方が速い。脳が回避のモーションを組み立てる。カス当たりでもレベル差的に即死。『四肢粉塵』は使えない。『勇気の証明』を盾にする?いや、その時間で『解析』が完了する。


 あらゆる思考が高速で流れる渦の中――それを裂くように、気の抜けた声が響いた。


「ちょいちょい〜!」

「ッ!?」


 次の瞬間……吹雪の向こう側から、大盾を持ったたこらいすが飛び出した。彼は何らかのスキルによって身体から炎が噴き出しており、『行動妨害無効アンストッパブル』のバフを受けている。


「『シールドバッシュ』っ!!」

「ごァッ!?」

「俺のこと忘れてたでしょ。失礼過ぎるね〜」


 重装騎士の全力タックルが、大盾の重さを活かして叩き込まれた。鈍い音と共に、冗談のような勢いでグッドナイトの身体が吹き飛ぶ。さながらストライクの決まったボーリングのピンだ。

 たこらいすは雪原を転がるグッドナイトに鼻を鳴らして、同時に垂れてきた鼻血を拭った。


「やば、血垂れてきた」

「たこらいす……!」

「あ、お兄さん。どう?イイ感じのカバーじゃない?」

「……最高だ。本当に助かった」


 たこらいすには本当に、助けられてばかりだ。俺の言葉にたこらいすは目を丸くすると、少し照れた様子で「良いとこ取りしてるだけなんだけどね」と笑う。


 極限まで悪い見方をすれば確かに『いいとこ取り』なのかもしれないが、それが無ければ俺は更に不利な状況に陥っていた。……一撃も貰うつもりはない、なんて啖呵を切っておきながら、情けない有様だ。まともに力の入らない両手をキツく握って、無理矢理息を吸い込む。


 たこらいすが心配そうに口を開いたが、すぐに閉じて目線を動かす。


「ぁ、あァ……あぁ……ッ!ご尊顔が、good knightのお姿に、傷が……!」


 たこらいすが見据える先、雪原に跪いたグッドナイトは、顔面を蒼白にして両手で額や鼻から流れる血を拭う。ボソボソと何かしらを呟くと緑色に両手が輝き、小さな傷が癒える。がしかし、ざっくりと裂けたこめかみの裂傷は塞がらず、ポタポタと顎を伝う血が雪道を赤く染める。


「駄目、あっあぁ!ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

「……」

「……彼女、ちょっとヤバい感じじゃない?」


 果たして"ちょっと"で済むだろうか。滑舌の悪い地声で何かを呟き続ける彼女の瞳孔は開き、血に塗れた両手で黒髪を掻き毟っている。見るからにまともな呼吸が出来ていないようで……その姿を見ると俺の気分まで最悪になってくる。


(本当に、なんなんだコイツは……ただの厄介なりきりプレイヤーかと思えば、それなりに経験とセンスがある。ただ、今の姿は狂人にしか見えない)


 頭を抱え、蹲り、グッドナイトは早口で何かを語り続ける。


「駄目です、駄目なんです。貴方だけが光なんです。私の、絶対の光。貴方が居てくれたから、貴方が、貴方が……私の太陽で、私は貴方を……」

「お兄さん、さっさと殺っておかないとヤバい気が――」

「――お前。お前、お前、お前……ッ!」


 たこらいすが武器を大盾から大弓へと切り替える。引き攣った顔で矢を構えるたこらいすの敵意に反応したのか、グッドナイトはビクリと背中を震わせて、顔を上げた。たこらいすを見据える瞳は、悍ましい程に光を反射していない。渦を巻く奈落のような、底抜けに光を吸う黒い瞳。


 殺気、敵意、そんな生易しいものではない。それはまさしく人外化生が放つ魔性の憎悪だった。それを向けられたたこらいすが、思わず一步後ろに下がり、俺は即座にたこらいすの前に出て視線を庇う。


「お、ぉおぅ……マジ?そんなに怒る……?」

「ただの雑魚が、端役のモブが……あのお方の顔に傷を付けた。万死に値する。万死に、値する」


 ……本当に、このプレイヤーは何者なんだろうか。だが、何者であろうとも俺がやらなければいけないことは変わらない。

 深く息を吸って、どこまでも暗い瞳の奥を見据え、魔法を詠唱した。


「『カッティング・エア』」


 不可視の風が跪くグッドナイトに迫って――その首を。ゴトリ、と首から上が落ちて、雪原に転がる。


「は?」

「……え?」


 見間違い、幻覚。……いや、違う。どう見ても、グッドナイトの首が落ちている。首の無い身体が祈るように跪き、後頭部で一つに結んだ黒髪が風に靡いていた。


 目の前の光景の衝撃に言葉を失い、しかし俺の中に根付く本能が最大音量で警鐘を鳴らした。


 良く見ろ。固まるな。


 グッドナイトのHPは二割残っている。アストラルカウントは増えていない。そして何より、落ちた首から流血していない。

 それら全てに気づいた瞬間、俺とたこらいすの背後、あるいは頭上から、心底愉快そうな笑い声が響いた。


 ――アハッ、ハハハッ……アハハハ!


「冗談キツくない……? このゲームのジャンルってサイコホラーだっけ?」

「……っ」


 響く笑い声の正体は、背後にも頭上にも居ない。それはギロチンさながらに転げ落ちた、グッドナイトの生首から発されていた。雪に埋もれた生首が大口を開けて笑っている。

 俺はスティレットを握り、後ろへ一步引いた。良くもまあそこまで脈打つものだと思ってしまうほど、心臓の音がうるさい。これがゲームでなければ即座に胃の中身を全て吐き出していただろう。それだけ目の前の光景は、俺にとって最悪だった。


 嗤うグッドナイトの目が、ギョロリとたこらいすを見据える。続いて俺を一瞥し、笑い声が止んだ。ふっ、と静寂が訪れる。

 周囲の戦いの音も、吹雪の風切り音も、その全てが消える。耳鳴りがするほどの静寂に何か反応をする前に、愉快そうに目を細めたグッドナイトが囁くようにこう言った。


「――『融心アスラヴァルナ』『円卓夜光Nights of The Round』」

「……ッ!?」

「マジ、か」


【フィールドを変更:『いと貴き夜ノーブル・ナイト』】


 瞬きの一瞬で世界が変わる。身を凍えさせる一面の銀世界から……静謐な夜の墓地に。


 そこは、荒れ果てた墓地だった。剥き出しの土、ひび割れた石畳、好き放題に伸び切った雑草。等間隔に並ぶ墓石は半ばから砕けていたり、クモの巣めいたヒビが入っているものばかりで、まともな手入れがされていない。

 どこまでもどこまでも続く荒廃した墓地。その世界の夜空には。ただただ黒炯々とした闇夜の天幕が広がっていて……その中心に、煌々と照るものがある。


「――太陽だ」


 唖然と口を開いて、たこらいすが言葉を漏らす。黒一面の夜空を照らす一つだけの『太陽』。目を焼かれるほどに強く光っているのに、広がる夜を照らすことはない。

 もはや悪夢の中の方が整合性が取れているであろう『夜の太陽』を見上げながら、俺は浅い呼吸を繰り返した。全身に鳥肌が立っている。凍えるほどに寒いと感じるのに、頭の中は沸騰していた。


(駄目だ。嫌な予感、なんてもんじゃない。俺はここに来ちゃいけない。そんな気がする) 


 一步、二歩、足が後ろに下がる。が、どこまで下がろうともこの空間に端は見えない。これがこのゲームにおける『幽星装』の極致、『融心アスラヴァルナ』なのか?


 何もかもが未知で、理解の外だ。俺とたこらいすは言葉無く自然と背中合わせの形になって、身構える。虫の音さえも無い静寂の中、通知が幾つかのテキストを並べる。


【ああ、神様。夜の太陽。真の恒星】

【貴方様だけなのです】

【悪意や理不尽、不運。冷たく凍えたこの世の闇】

【それら全てでさえも手が届かないのは。何もかもを振り切ってしまえる絶対者は】

【なのに……一体どこへ行ってしまわれたのですか?】

【粗悪な私が、塵芥に過ぎない私が、貴方の仮面を被り歩けば】

【私を罰しに来てくださいますか?】


「フフ……アハハ……!」

「っ!?お兄さん、こっち!」

「分かってる」


 たこらいすが構える先、いつの間にかそこには『首の無い』グッドナイトが居た。俺の姿を寸分違わず再現して、完璧に模倣した生首を胸に抱きかかえている。見れば見るほど、目の位置や髪の生え際さえ間違いの無い生首は、眠るように目を閉じていた。


 嗤うグッドナイトの首の断面からは、絶えず黒煙が立ち上っており、不気味にも程がある。目を凝らし、残りHPを確認しようとしたが、そもそもプレイヤーとしての判定が無いのか名前さえ見えない。

 たこらいすが緊張した面持ちで短弓を構え、矢をつがえる。


 俺もスティレットを構えグッドナイトに向き直ろうとして……鋭敏な聴覚が第三者の足音を捉えた。一人、そして二人。三人、四人……増える、増える。数え切れない数の足音と気配。


「嘘でしょ……」

「ッ……!?は、はッ……ぁ、あ……!」


 遠い夜の闇の中から溶け出すように現れるのは、全て『good knight』の姿をした偽物達。全員が『good knight』を完璧に模倣した姿形で、手に様々な形状の武器を握って俺達を取り囲む。

 地獄だ。それしか言葉が見当たらない。百人近い『俺』に取り囲まれ、目眩と吐き気、頭痛が止まらない。思わず膝から力が抜けて、下を向いたまま目線を上げられなかった。


「ぁ、あ……ッ!」

「お、お兄さん……!?クッソ、なんかの効果?マジヤバいって」


 俺の様子など目もくれず、一人だけ首抱きかかえているグッドナイトは恍惚とした声音で言葉を紡ぐ。


「アハハ……あぁ、本当に……幸せです。こんな素敵な光景が見られるなんて」


 その言葉を皮切りに、『good knight』達が武器を構え、背後のたこらいすがゴクリと唾飲む音が聞こえる。そうして、太陽輝く夜の墓地で……トラウマと向かい合う地獄の一戦が幕を開けた。


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