第20話 『勇気の証明』討伐隊

『勇気の証明』が陣取るアズラハット大聖堂跡地は、セントラル共和国とス・ラーフ商国を結ぶ直線上から少しばかり外れた場所に存在している。

 その為、土龍列車を用いても中継駅で降りて砂漠をしばらく歩いていかなければならない。


 散々な心識の解放を経た後、軽い調子で話していたのが嘘のように無言の時間が続き、それは中継駅で降りるタイミングまで続いていた。

 列車から降りたアリスは、同じく列車から降りて散り散りに歩いていくプレイヤー達の後ろ姿を眺めた後に、遠慮がちに口を開く。


「……それでは、行きましょうか」

「ああ。……申し訳ないな、少し変な雰囲気になって」

「いえ、気にしていません。私も……ミツクモに会うまでは、きっとそんな雰囲気でしたから」


 いつも通り淡々と抑揚の無い声でアリスは言う。ただ、その顔には微笑が浮かんでおり、これでは最初と逆だな、と俺は気持ちを入れ替えた。


「地図的には大体……こっちの方角だろうな」


 俺が地図の画像から現在の位置を予想して大聖堂跡地の方角を指差すと、アリスは少し目を細めた後に俺の手に触れて、少しだけ方角を修正する。


「正しくはこちら、です。砂漠は広大ですから、少しのズレが命取りになります」

「……そうか。コンパスを買っておけばよかったな」


 まあ、コンパスを買えるような金は無かったが、とどうでもいい思いを飲み込んで、ちらりとアリスの目を見る。少しのズレが命取りになるというのなら、そのズレを精確に理解しているアリスはなんなのだろうか。

 これもイベントNPCの特権か?とメタな読みを働かせつつ、アリスと共に砂漠を進む。多少なりとも道中で戦闘が起こるものと俺は考えていたのだが……どうやらその可能性は無さそうだ。


「……凄まじいですね」

「死体が残っていれば死屍累々だろうな」


 少し高めの砂丘を越えた先、一面の砂漠には激しい戦闘痕が残っていた。抉れて消えた砂丘、黒々と濡れた砂の塊、あまりの火力にガラス化した砂漠の上には蜃気楼が残っており、そのすぐ近くには砂漠にも関わらず青々としたツタが生えていた。


 間違いなく、俺たちより先にヴィラ・レオニスの元へ向かった討伐隊によるものだろう。砂漠には他にも点々と氷の彫像や帯電した大岩が残されており、それらを追ってアリスと歩く。


「辺りに生き物の気配がありません。彼らは進路上の全てを薙ぎ払っていったのでしょう」

「彼らのレベルになれば、この辺りのモンスターなんて草と変わらないだろうし、言い得て妙だな」


 特にあの『エンデ』というプレイヤー……レベルは俺が今まで見てきた中でも最高の41だ。纏う雰囲気や存在感はその他大勢とは別格だった。

 少なくとも彼らは負けを算段に入れて計画を立ててはいないだろう。十全に計画を練って、不安要素を潰し、入念な準備と打ち合わせを経て、人の少ない完璧な時間帯に勝負を決めようとしている。


 俺は隣を歩くアリスを一瞥したが、視線に気付いたのか彼女の目が俺を見つめ返す。


「……言いたいことは分かっています。私も頭では同じことを思っているのです」

「ただ、心では違うと」

「……」


 黙りこくるアリスに、俺はやはり今からでも引き返すべきかと思考を回した。クエスト的にはここで進むのが正解なのだろう。俺の勘もそれを後押ししている。ただ、どうしても嫌な心地が抜けない。何かを見落としているような、大きな間違いをおかしている気分だ。


「……」

「ミツクモは……大きな勝負から、逃げたことはありますか?」


 一人悩む俺に、ふらりとアリスは言った。その表情は変わらぬ無表情だが、一瞥した篭手はぎゅっと握り締められていた。いつも通りの様子を保って、その実、内心は大きく荒れているらしい。

 俺は目線を進む先の空に移して、小さく頷いた。


「……そうですか。ミツクモ、そうなのですね」

「……アリスが想像しているような立派な戦いじゃない。ただ、俺にとっては……いや、今の俺にとっては、絶対に逃げちゃいけない戦いだった」


 思い出したくもない。記憶から消してしまいたい。だが、蹲った布団の外でひたすらに鳴り響く電話のバイブレーションが、聞き慣れた着信音が、まだ鼓膜に残っている。

 俺の表情を見たアリスが、小さく息を吸う。


「……私も、大きな勝負から逃げたことが、あります」

「……」

「私の全ての勇気を振り絞りました。一歩を踏み出す為に、沢山の決意を固めました。ですが結局――私はここに立っています。

 ……いっそ失敗覚悟で一歩を踏み出し、そこで死んでしまえたのなら、今ほどの恥辱を思うことは無かったでしょう」

「……」

「もう一度足を踏み出す為に必要な勇気は、一度目とは比べ物になりません。どうにかその負債を帳消しに出来ないかと、私はずっと彷徨って時間を浪費してきました」

「その先に続く言葉は、俺にも分かる。……結局、時間は何も解決してくれなかった」

「……はい。ずっと、そうでした。これからも、そうなのだと思っていました」


 俺は一瞬だけ足を止めて、すぐにもう一度歩き出す。俺より半歩前に立つアリスの目を見ることは出来ず、短い銀髪が乾いた風に揺れているのを見つめるだけだった。

 続く言葉を待ったが、アリスは何も語らない。俺は少し間をおいて、口を開いた。


「……今は、違うのか?」

「分かりません。ですからその答えを、今から見に行くのです」


 あまりにも言葉足らずなアリスに続けて質問をしようとしたが、何かに足が引っかかって口が閉じる。見ればそこにはひび割れた白い大理石の塊があり、目を凝らせば俺達の向かう先に点々と同じようなものが落ちている。

 再び大きな砂丘を越えて……その先にあるものに目を見張った。


「ここは、アズラハットの外郭です。少し進めば、聖堂も見えてくるでしょう」


 そこにあったのは、アズラハットの残骸だった。恐らくは長い時を経たそこに残っているのは傾いた大理石の柱や崩れかけの壁、地面に埋め込まれたタイル状の石材ばかりだ。それらがまばらに点在し、砂の中に埋もれている。


 途端にシステムが控えめな通知を流し、この場所の名前を告げる。


【ロケーションを発見】

『廃都アズラハット』


 目の前に広がるのは、巨大な都市の残骸だ。不死術ネクロマンシーにより、一度この砂漠を席巻したとされるアズラハットの現在の姿だった。

 自身が生まれた故郷を一望したアリスは、しかしなんの言葉も無く砂丘を下って前に進んでいく。

 俺もアリスを追って廃都と化したアズラハットの内部に踏み込んだ。


 都市の外郭は風雨や砂塵で風化しているが、中核に進むほど克明に形が残っている。今にも崩れ落ちそうな大理石のアーチをくぐって、綺麗にマス目分けされていたであろう石畳の床を踏みしめる。


 所々、風化ではなく何かしらの破壊を加えられたような痕跡があり、ちらりとアリスを見たが彼女は周囲を眺めもしていなかった。懐かしむ様子も無く、都市の中央に向かい続けている。

 と、そこで俺の聴覚が何かを捉えた。アリスも足を止め、俺と目線を交わらせる。


 二人して頷き、アリスは動く度音の鳴る篭手と肩当てを外して、恐らくは彼女のアイテムボックスか何かに格納した。俺達は足音に注意しつつ、音の方角に忍び寄る。

 崩れかけの家屋の壁の穴から覗いたそこは、恐らくかつて市民の憩いの場として作られた広間で、中央の枯れた噴水や石造りの長椅子に腰を下ろすプレイヤー達の姿があった。


 どうやら戦闘開始には間に合ったらしい。彼らはリーダーであるエンデの話を聞きつつ、ポーションやスクロール、スキルで自分たちにバフを盛り込んでいる。


「アズリエルさん達のパーティはバフ盛り、充分か?」

「あと一分ください。拳闘士ってフルバフ乗せるのに手間がかかるんですよ」

「しっかり時間を使って大丈夫だ。勿論分かってると思うが、戦闘が始まったらバフは厳禁だからなるべく長めのバフを積んでほしい」


 アズリエルと呼ばれたプレイヤーは頷いて、パーティメンバー達にそれぞれアイテムを手渡し、最大限にバフを盛る。その間に、エンデはアイテムボックスから取り出した羊皮紙を広げ、それぞれのパーティのリーダー格を手招きで集めた。


「今のところで不安な要素や確認しておきたいことは?」

「……うちからは無い。事前にガッツリ話は聞いてるからな」

「ごめん、一点だけ確認。第二形態移行の時のバックアップ体制について確認したい。即座にサブタンクとスイッチ、他のプレイヤーは自傷でスタック溜めつつシールドウォールのスクロールで軽減張って様子見で合ってる?」

「様子見のタイミングでそれぞれツーマンセルでヴィラ・レオニスを囲む位置に移動してほしい。今分かってるモーション的に固まるのは愚策だが、背面テレポのギミックは残るものと予想しているからな。あと、『勇心』のスタックは出来ればアイテム無しで最大を維持していてほしい」

「ん〜……中々無茶を仰る。タンクと戦士はまだしも、拳闘士と求道者は前出てスタック稼ごうとすると事故るんだよなぁ」

「恐らくは形態移行時の全体攻撃はスタックが一定値以下、最低でも『疑心』ゼロの状態でないと即死の疑惑が出ていますから、なんとかする他無いですね。最悪は各人に提供されている『黒い藁人形』と『カウンターレゾナンス』のスクロールを切っても良いと思いますよ」

「一人四回までだからあまり第一形態の時点で使って欲しくはないが、死んで戦線が崩壊するよりマシだな。状況を見て柔軟に使ってくれ」

「了解〜」


 そこでエンデはアズリエルのパーティがバフを盛り終わったことを横目で確認し、手を叩いて全員の意識を集めた。


「注目!これから俺達は迅速に戦闘エリアに入る!事前のバフが切れたら求道者の『ますたー』さんか『アクト』さんに即申告すること!そして何度も口酸っぱく言う注意してほしいことが二つ!」


 エンデは指を一本立てて大きな声で言う。


「戦闘中の許可無しのバフと回復は絶対に厳禁! ギミックまで待つこと!」


 もう一本の指を立て、エンデは全員の顔を見回した。


「二つ目! ヴィラ・レオニスは性質上タンクがヘイトを稼ぎ続けるのは不可能だ! 特に序盤はスタックの関係で誰がタゲになるか未知数! 全員が次の瞬間にはターゲティングされる可能性があることを意識しろ! タゲ取り時は絶対に申告を忘れるな!」


 全員が頷き、エンデも頷くと虚空から銀色の双剣を呼び出して両手に握った。そして颯爽と都市の中央へ向けて走り出す。同時にパーティの面々が剣を大槌を、槍を、細剣を、大盾を、拳を握ってエンデの背中を追う。

 俺とアリスは目を合せ、足音が遠くなるまで待機した後、小走りで彼らの後を追う。


 都市の中央に近づけば近づくほど、周囲の残骸の数は増えていく。砂混じりの石畳を踏んで進行方向に目を凝らしていると――前方から、雷鳴のような咆哮が轟いた。


 ―――オオオオォ゙ォ゙ォ゙ォ゙ッ!!


「っ……!?」

「……アリス」


 それはまさしく、地獄の底から響くような咆哮だった。それを聞いただけで、何も知らない俺でさえシステム由来の震えと怖気を押し付けられている。そしてアリスは咆哮を耳にした途端に足を止め、白い肌を土気色にして後退りを始めた。

 ……流石に察しがついていた。アリスが逃げたという大きな勝負。それは、ヴィラ・レオニスとの戦いなのだろう。その見開かれた深紅の瞳には克明な恐怖が渦巻いており、ある種のトラウマを踏んだ人間特有の浅い呼吸を繰り返していた。


「や……ぁ……わ、たし……」

「……」


 膝が震えている。心が萎えている。見れば一瞬でそれを理解できた。その足がさらに後ろへ二歩引いて、肩が振り返るための予備動作に入った。

 俺はずっとそれを見つめて、ただ一言だけ「アリス」と名前を呼んだ。


「……ミ、ツクモ……私は」

「……」

「怖い。息が、出来ない」


『一度撤退しましょう』という言葉が俺から出るのを、彼女は待っていた。だから俺は何も言わない。目の前の震える少女の姿に一瞬だけ自分の姿を重ねる。「奮い立て」とも、「逃げよう」とも俺は言わない。俺が後押しをすれば、それは彼女の決断にならない。逆も同じだ。

 アリスは今後ずっと、誰かの後押しを求めるようになる。今日のことを思い出す度に、一人で決断出来なかった自分が嫌いになる。


 だけれど、それじゃあ一人で頑張れ、だなんてことが無理だってのは、俺が一番理解していた。

 だから、俺はそっと彼女の側に寄って、傷一つ無い手を握る。それを引っ張ることも、何かを言う事も無い。


「……ミツクモ」

「……」

「貴方は……私に選べと言っているのですね」

「……」

「無理です。私には、出来ない……!逃げたくてしょうがないのです。やはり時間は私の恐れを拭えなかった。それだけが結論なのです」


 陶器のように美しい手のひらは小刻みに震えていた。アリスは涙目になりながら俺の手を握って、しばらく浅い呼吸を繰り返す。遠くから、剣戟と喧騒、爆発音が響いている。ヴィラ・レオニスと討伐隊の決戦が始まったらしい。

 ぎゅっと、アリスは俺の手を握った。そして何かに気付くと、その目を見開く。


「……ミツクモも、怖いのですか?」

「……」

「そう、でしたね。貴方も、怖いと感じると言っていました。きっと、その恐れは私のそれと違うのでしょう。だけれど……」


 彼女がこのまま恐れに負けてしまったら、俺はどうすればいいのか。俺はこの子に何をしてあげられるのか。いつのまにか親しくなってしまった彼女に訪れている大きな分岐に、俺の手は汗ばんでいた。

 アリスは俺の手を握る力を少し強めて、しばらく息を整えていた。


「ミツクモ……私の手を握っていて、くれますか?」

「ああ」

「……ありがとう」  


 俺はただ手を握っているだけだった。そこになんの力も込めず、引きも押しもしなかった。その上でアリスは静かに……一歩前へ足を進める。腰の引けた、小さな一歩だった。体重は後ろに掛かったままだ。けれど時間を置いて、もう一步が前へ出る。

 二歩、三歩。そうして前に進んだアリスは、俺の手を引っ張る。


「――行きましょう、ミツクモ」


 嬉しいような、恐ろしいような、相反する二つの感情をい交ぜにした微笑で、アリスは言う。俺はいつの間にか止めていた息を吐いて、彼女の隣に立った。


「もう、大丈夫か?」

「いえ、全く。気を抜けば今すぐにでも走り出してしまいそうな程です」

「……そうか」

「はい。ですから、ずっと握っていてください。臆病な私が、逃げてしまわないように」


 誰が臆病なものか、とそんな言葉を飲み込んで、俺は固く彼女の手を握る。するとアリスは安堵したような笑みを浮かべ――そして、ゆっくりと戦闘音の鳴り響く都市の中央に歩き出した。


 その時、俺はちらりと視界の端に表示された通知に目を向ける。


【パーティメンバーのレベルが上昇しました】

『フェリシア・アリス』 

 種族レベル:8

 職業レベル:1→2

【条件を満たしたため、『フェリシア・アリス』の■■■■■が変化します】

【条件を満たしたため、ワールドクエスト『瓦芥ガラクタの勇気に喝采を』を進行します】


「……」


 彼女が何者なのか。この先に何があるのか。それらの疑問を飲み込んで、俺の手を引くアリスの歩みに合わせて、視線を前に向けた。



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