第30話 自由な空へ

 まったくもって、集中できない。


 僕は本を片手に、学校の屋上のフェンスの前でつぶやいた。


 昨日のかえでの話が頭から離れない。校庭ではサッカー部が昼の練習をしている。うちのサッカー部は残念だけど弱い、毎年、地区予選敗退という成績だ。練習はまじめにやっているけれど……。まじめにやっていても報われなかったり、適当にやっていてもそこそこの成績を残せたり、違いはどこにあるのだろうか。うちの高校のサッカー部を見ているとそんなことを思ってくる。


「本当に、まじめにやってるんだけどな」


 雪乃ゆきのだって、変わってしまった義理の父親を、いつか元に戻ってくれると信じている。どれほど優しかったかなんて、僕にはわからない。本当に変わる保障なんてないのに、まじめに、健気に、透明な殻に覆われて、身動きがとれなくなって、それでもいつかの空を見上げている。


柏木かしわぎ君」


「雪乃?」


「ごめんなさい、読書の邪魔して」


 雪乃はそういいながら、僕のほうへ歩いてきた。風がゆっくりと吹いて、彼女の髪が流れた。


「いや、今は読んでないよ、何か集中できなくてさ」


「そうなんだ」


 雪乃は僕のすぐ横で止まり、校庭を見下ろした。


「サッカー部、今日も練習している」


 雪乃はつぶやいた。


「今年も地区予選敗退、まじめに練習してるのにね」


「もし、今やっていることが無意味だとしたら、柏木君はどうする?」


「え?」


 僕は雪乃の突然の言葉に不意を突かれた。僕も同じことを考え、そして雪乃のことを考えていたから。


「いえ、なんでもないの」


 雪乃はそういうと、振り返ってフェンスに寄りかかった。


「ここにきたのは、啓介けいすけのことなんだけど」


「弟君?」


「うん、啓介から、楓から聞いたんでしょ? 私たちのこと」


 とっさのことで、なんて返せばいいのかわからなかった。でも、ごまかしたところでどうしようもない、それに、これがきかっけで、何か雪乃のためにやれることがあれば。


「ごめん、聞いた。僕にできることはない?」


「柏木君のその気持ちはうれしい、だけど忘れて、私は大丈夫だから、心配しないで」


 大丈夫という雪乃の言葉は、僕に突き刺さった。雪乃は大丈夫しか言わない。楓が言ったように、雪乃はずっと、今まで同じ言葉を繰り返してきた。それが当たり前のように、決められたセリフのように何回も。


「雪乃……」


「なに?」


「つらかったよな……」


「……」


 雪乃は無言のまま、うつむいた。そして。


「――つらいわよ……」


 雪乃の声はとても小さく、そして少しかすれていた。


「なんで……死んじゃったのよ」


 雪乃の声とともに、屋上のコンクリートの地面に雫が流れ、ほんの少し地面を濡らした。


「……どこか、一緒に遠いところへ行こうよ」


 自然に僕はその言葉を発した。自分でも驚くくらい自然な気持ちだった。


「遠いところって、どこにいくっていうのよ……」


「わからないけど、誰にも知られないところ、そこでさ、一緒に暮らそうよ、僕、働くから」


「そんなこと……できるわけないじゃない……学校とかどうするのよ」


「……そうだよな」


 僕から出た突拍子もない言葉に、雪乃は鼻をすすりながら、一つ一つ答えてくれた。もし雪乃がうなずいてくれたら、僕はきっと、多分、本当に。


「ありがとう、その言葉だけでうれしい」


 雪乃はコンクリートの地面から、空へと視線を移した。


「もう終わらせないといけない、いつまでもこんなこと続けてちゃだめよね。今日あの人に伝える」


 雪乃がまとう空気が少し変わった気がした。彼女は今、空に向かって羽ばたこうとしている。


いつか憧れた、自由な空へと。




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