第28話 笑顔が見たくて

 放課後、日野先生に教室の掃除が終わった後、職員室へ来るようにと言われた。日野先生に呼ばれるときは先日のボランティアといい、あまりよい印象がない。なにかまたろくでもないでもないことを言われるのではないだろうかと感じた。


 掃除を終わらせて職員室へいくと、隣の生徒指導室で待っていてくれと言われた。


 なんだろうか、生徒指導室に呼ばれるようなことをした覚えはない、まさか以前のセクハラのことを追及されるのだろうか。その分はすでにボランティアをすることでつぐなったはず……。


 生徒指導室に入り、とりあえず椅子に座った。


 生徒指導室は、部屋の真ん中に机と椅子が四つずつ向かい合うように置かれていた。場合によっては保護者も同席するためだろうか、二つではなく四つだった。しかし、あまり使われていないせいか、ややほこりをかぶっている。この学校は保護者が同伴して、話し合うほどの問題を起こす生徒はあまりいない。雪乃ゆきのの連続ハイキック事件ですら保護者は呼ばれない。もっともそれは日野先生がもみ消し……もとい、調整しているからかもしれないが。


 そんなことを考えていると、生徒指導室の扉が開かれた。


 入ってきたのは日野先生だけだった。手には雑巾と水が入ったバケツを持っていた。とりあえずは安心といったところで、警察も一緒に入ってきたらどうしようかと思った。春人はるとセクハラ事件、なんてこの学校で永遠と語り継がれてしまう。夏樹なつきもこの学校を志望校にしているようなので、それだけはごめんだ。


「んー、やっぱり汚いですね」


 そういうと、雑巾を水に浸してきつく絞り、僕に一つ手渡した。


「椅子と机を拭いてください」


 僕は椅子を拭きながら日野先生に声をかけた。


「先生、今日はなんですか? まさか、ここの掃除のためですか?」


 先生は表情はいつもの親しみやすい笑顔だった。だけど、僕には時々、何故かその笑顔が無理して作られた仮面ように見える時がある。


「それも、いいかもしれませんね」


「ん?」


 日野先生の顔から、いつもの笑顔が消えていた。


「何も、余計なことを考えることなく、ただ、教師をして、帰ったら何も考えることなく、ビールでも飲みながら、映画でも見ていたいですね」


 ここの掃除と先生の今言ったことが、どのようにつながるのか、わからなかった。


「どういうことですか?」


「いえ、なんでもありません。今のは忘れてください」


 僕と日野先生は少しのあいだ無言で机と椅子を拭いていた。そして、拭き終わると日野先生は「よし、終わりましたね、座ってください」と言った。


 日野先生の表情はいつもの笑顔に戻っていた。日野先生は笑顔を絶やさない。そのせいか他の生徒からは話しやすいとか、親しみやすい等と言われている。


 だけど、今日の日野先生の笑顔は、無理してつくられたような、そんな気がした。


「先生、今日はなにかあったんですか?」


 僕はそんな日野先生の仮面のような、無理して作られた笑顔の理由を知っている。


「……ふう、柏木かしわぎ君にはかないませんね。とはいえ、これはどちらにしろ伝えようとしたことです」


 日野先生の表情からは笑顔が消え、真剣な顔へと変わった。


「えっと、なんでしょうか」


 僕はそう言って、日野先生の真剣な表情に思わず、息を呑んだ。


「昨日、早坂はやさかさんと一緒に、雪乃ゆきのさんの家に行きましたね」


「え、はい、行きましたけど」


 何を言われるかと思った僕は、少し拍子抜けしてしまった。でも何で知っているんだ。


「なんで、知っているんですか?」


「驚かないで聞いてください。それとこのことは誰にも言わないでください。もちろん、雪乃さんにも」


 日野先生はそういうと、ゆっくりと深呼吸を一回した。そして再度口を開いた。


「雪乃さんは、なにか事件に巻き込まれている可能性が高いです」


 心臓が大きく鼓動した。僕は少し動揺してしまい、天井に視線を向けた後、窓の外へ目を向けた。一瞬だけど、雪乃の笑顔が遠くなるのを感じ、もう見ることができないと思ってしまった。


「事件ってなんの事件ですか!」


 身体が自然と前のめりになり、声も大きくなった。そして日野先生へと強い視線を向けていた。


「柏木君、落ち着いてください」


「す、すみません、でもなんで、わかったんですか?」


 僕は姿勢を戻して、深呼吸をした。


「実は、警察からわたしに聞き取り調査がきました。学校は通していませんので、このことを知っているのは教師の中でもわたしだけです。担任ということだからでしょうか。警察の方も内密にということでした。昨日警察の方が張り込み中に柏木君たちのことを発見したので、協力依頼が来ています」


「協力ってなにをすれば……」


「いえ、特にありません、ただ、雪乃さんの家には近づかないようにとのことでした」


「……雪乃はいったい、何に巻き込まれているんですか……」


「すみません、そこまではわたしもわかりません、わたしも雪乃さんの何か力になれればいいのですが……」


 日野先生はそういうと、うつむいてしまった。日野先生の腕は少し震えていた。雪乃の力になりたい。だけどなれない。自分の無力さに苛立つように。


「絶対に、去年のようなことは起こしません」


 日野先生はうつむきながら、そうつぶやいた。


「僕だって、嫌ですよ……」


 去年、僕と同じ学年の女子生徒が自ら命を絶った。原因は家庭環境にあったみたいだが、詳しいことは僕たちには伝えられていない。その時の担任が日野先生だった。日野先生は今より厳しく、なんとなく近寄りがたい雰囲気があった。


 先生もまだ新任で余裕がなかったようで、後から思えば、何度かその女子生徒からのSOSが出ていたようだった。日野先生はそれに気づいてあげることができなかったと後悔していた。


 それからのような気がする。日野先生が笑顔を絶やさなくなったのは、そして、生徒のためにプライベートまで時間を使ってくれるとまで言われるようになった。それからの日野先生は以前までの近寄りがたい雰囲気はなくなり、親しみやすいとまで言われるようになった。サバ定食ばかり食べて、年齢をサバ読んでるなんて噂までたってしまうまでにもなったけど、それを聞いて「しょうがないですね」なんて、笑っていたこともあった。


 すべてはあの時から、先生は変わった。でも……。


 でも僕には何故か日野先生の笑顔が、つくられた仮面のように思えてならなかった。


 雪乃に何が起きているのかわからない。だけど……。


「先生、僕も、絶対に雪乃を守ります」


「柏木君、でもどうやって」


「わかりません、でも……僕は」


 どうすればいいのかわからない、でも、僕の雪乃に対する感情は恋なのか、好奇心なのか、同情なのか、今はどうでもいい、今僕が思うこと、それは雪乃の笑顔が見たいそれだけだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る