第12話 あの時、届かなかったこの手を

 夕暮れ。


 昼間は晴天だった空が今はどんよりとしている。今にも一雨きそうだ。朝のラジオでは一日中快晴が続くとの予報だったが、山の天気は変わりやすいと聞く。吹いて来る風は湿気を帯び、身体にまとわりついてくる。


 交流会も終わり、みんな帰り支度をしている。僕たちは予定通り会場の敷地内を見回り、ゴミ拾いをしていた。最初は楽だと言われたのに、終わってみれば結構な重労働だった。一雨来る前にこのゴミ拾いも終わらせたい。ゴミは思ったよりも少なく、大体下を見ながら歩いているだけで済みそうだ。


 ゴミ拾いを終えて管理棟に戻ると、入口に立ってある案内図が目に入った。ここはキャンプ場として普段は運営しているようで、キャンプ場案内図と書かれている。改めて見ると、ここはかなり広いようだ。遊歩道が外周を囲んでおり、案内図には遊歩道を一周の所要時間は約一時間と書いてある。


 管理棟に入ると、自由解散のようで、帰る人や互いにあいさつを交わしたりする人がいたりと様々だ。その一方で日野先生が老婦人や数人のお母さんたちと話し込んでいる。日野先生は真剣な表情をしていた。


「先生たち、どうしたんだ?」


 僕はすでにゴミ拾いを終えて戻っていた楓に声をかけた。


「それが、かなちゃんだっけ? 春人はるとにあめをくれた子、姿が見えないみたいなの……」


「みんなと帰ったんじゃなくて?」


「かなちゃんはあのおばあちゃんと一緒に来たみたいなのよ」


 楓は日野先生と話をしている老婦人に視線を向けていた。老婦人は取り乱したりはしていないものの、悲痛な表情を浮かべていた。


「どうしたの?」


 ゴミ拾いを終え、戻ってきた雪乃ゆきのが異変に気づいたようだ。


「それがね――」


 楓が答えようとすると、日野先生はこちらを見るなり向かってきた。


「みなさん、ちょっといいですか?」


 僕たちの視線は日野先生に集まった。


「姿が見えない子が一人いるの。申し訳ないのですが、少し帰る時間を遅らせてもいいですか? 場合によっては付近を捜索する必要があるかもしれません」


「それはいいですけど」


「あたしたちも探しましょうか?」


 雪乃とかえではそう答えると日野先生は首を横に振る。


「いいえ、山中の捜索は大変危険です。あなたたちはここで待機していてください」


 確かに危険だ、一歩間違えたら僕らも道に迷ってしまうかもしれない。だけど、先ほどの案内図ではこのキャンプ場の敷地だけでもかなり広い、どこかにいるのではないだろうか。たとえば不意に入ってしまって出るのに時間がかかっているとか。


「先生、キャンプ場の敷地内だったらいいですよね?」


「敷地内……ですか?」


「このキャンプ場はかなり広くて、遊歩道に囲まれているみたいなんです。遊歩道を全部歩くのに一時間かかるみたいで、もしかしたらそこに入って、抜けるのに時間がかかっているのかもしれません」


「んー、ちょっと待っていてください」


 日野先生はそう答えるとキャンプ場の受付の女性と話し始めた。遊歩道について何か聞いているようだ。そして話を終えて戻ってきた。


「では、遊歩道を出口から入っていってください。かなちゃんと会えるならそっちのほうが早く会えるでしょうし、何かあった時のためにフォローできるように三人で行ってきてもらえますか? もし、かなちゃんが戻ってきたら連絡するので、早坂さん、連絡をとれるようにしていてくださいね」


「わかりました」


 楓はそう答えるとスマートフォンを確認した。僕も自分のスマートフォンを確認する。電波は入っているようだが少し弱いか、山の中だから入るだけマシなのかもしれない。


「遊歩道は整備されていて安全とのことでしたが、もし何かあったら無理しないで戻ってきてくださいね」


 僕たち三人は管理棟を出て遊歩道に向かった。日野先生に言われた通り遊歩道を出口から入り本来の逆ルートを辿たどった。


「かなちゃんだっけ? 大丈夫かしら……」


「途中にいればいいんだけど」


 雪乃と楓はしゃべりながら周りを見渡していた。僕はどんよりとしている空を見て、傘を持ってくればよかったと今更ながらに後悔した。遊歩道は地面の土が固められていた。それに進行方向がわかるように目印が立てられていたので道に迷う心配はなさそうだ。もし、かなちゃんがここに入っているのなら、迷うことなく進んでいるはずだ。と思いたい。


 しばらく歩いた。だいたい四十分くらいだと思う。さすがにあたりは少し暗くなってきた。そして山の上のせいか少し肌寒くなってきている。速度を上げて完全に暗くなる前に遊歩道を抜けたほうがいいのかもしれない。それに、かなちゃんがこの遊歩道に入ったならすでに出会ってもおかしくない。二人にそのことを伝えようとしたとき、川の音が聞こえた。遊歩道の少し外れたところに川が流れていた。


「川か……」


 僕は少し嫌な感じがした。川へは遊歩道から少し外れれば簡単にいけそうだった。


「ちょっと川のほうに行ってみないか? 少し気になるんだ」


「え、大丈夫かな……」


 楓は遊歩道のルートから外れることに難色なんしょくを示した。たしかに興味本位で少しルートを外れてそのまま遭難なんてよく聞く話だ。


「もしものこともあるから、二人で行ってきて、私はここで待ってるから」


 雪乃も三人でルートを外れることに思うところがあるようだ。彼女がいう通り、ここで待っていてくれれば目印となりルートに戻ってくることができる。


「じゃあ、あまりルートから離れないようにね。結衣が見えるところまでよ」


 僕と楓は川に向かった。その川は思ったよりも大きく、中心は水深が結構ありそうだ。


 川の底が黒く見えた。風に乗って聞こえる草木の音が、どこか悲しげに聞こえた。新緑には灰色が混ざり、なんとも不気味だった。


 そして雨が振り出してきた。顔にかかる雨は思いのほか冷たかった。


 川……雨……あの時と一緒だ。


「春人……平気?」


「うん、大丈夫……」


 楓は少し僕を気遣うようだった。楓は知っている。母さんが死んだ理由を。


「かなちゃん、見つかるよね……」


 楓も僕と同じ気持ちなんだろうか、彼女の声は行き場を失った小動物のように不安そうだった。


「見つかるさ、絶対」


 かなちゃんは、今日初めて会った子だ。言ってしまえば赤の他人だ。だけど、この手を伸ばして届くなら、届いてすくいあげることができるなら……。絶対に見つける。いや、絶対に見つけなきゃだめなんだ。じゃないと……。


 僕は川に向かって手を伸ばした。あの時、届かなかったこの手を。




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