第13話 在りし日の想いは、今も心の雑踏の中で

 雨が降り始め、僕たちはずぶ濡れになりながら遊歩道を歩いた。あたりは薄暗くなってきて、管理棟に着く頃には真っ暗になっているかもしれない。先程日野先生から、雨が降り始めたから戻って来いとの連絡があった。かなちゃんはまだ見つからないようだ。梅雨明けが近いとはいえ雨が降る山の上、雨が思った以上に冷たく体温を奪い去っていく。僕たちはルートを戻るのではなく、そのまま進み管理棟に戻ることにした。だいぶ進んでいたということと、かなちゃんが途中にいないかと少しの期待もあったが、その期待は叶うことがなかった。


 管理棟に着くと、お年寄りや子供たちの姿はなかった。数名の協力者、そして二人の警察官が来ていた。


「三人とも、大丈夫でしたか? どうでした?」


 日野先生は問いかけると同時にタオルを差し出してきた。


「いませんでした。雨は強くなってきてますし、だいぶ寒くなってきています」


 楓が問いに答える。僕たちはタオルを受け取り髪を拭いた。


「今、警察の方たちに説明しているところです。じきに捜索が始まるはずです。見つけてくれればいいのですが……。それと二人とも、前を閉めたほうがいいですよ」


 日野先生は雪乃ゆきのかえでを見ながら言った。


「ちょっ! 結衣ゆい! 前!」


 楓の声に反応して雪乃へ視線を移すと、Tシャツが雨で透けて少し見えていた。とっさに視線をらすと、その先には楓がいた。彼女のシャツも透けていた。……白と桃色。


「こっち見ないで!」


 楓は僕の顔をタオルでおおった。


 遊歩道の道中ではまったく気が付かなかった。気づいていれば……。現状を考えると不謹慎かもしれないけど少し後悔してしまった。


 タオルが取り払われると僕は雪乃に視線を向けた。だがすでに着ていた黒いシャツの前ボタンが留められていて、楓の青いパーカーのファスナーも閉じられていた。 


 管理棟の受付の人が僕たちの姿を見て、電気式の小さなヒーターをつけてくれた。周りの人には暑く感じるかも知れないが、僕たちは震えるほど寒いかったので助かった。かなちゃんもどこかで震えているのかもしれない。


 ある程度身体が温度を取り戻し、身体の震えが収まると、僕はキャンプ場のパンフレットの案内図を広げた。


「この案内図だと、さっきの遊歩道以外にいた場合すぐに見つけられそうだけど」


「先生たちも敷地内は探したっていうから……敷地の外?」


 楓と雪乃が案内図を眺めながら言った。


「敷地の外なんて行かれたら、どこを探せばいいんだ……」


 僕はそういいながら警察と話をしている日野先生たちを見た。話が終わったのか日野先生たちは互いに一礼すると警察は外へと出て行った。


「先生、捜索が始まるんですか?」


 楓が問いを投げる。


「いえ、捜索はおそらく、明日の朝からになります」


「明日? 今からやらないと……」


「柏木君、気持ちはわかりますが、夜の捜索はいくらプロの方でも危険です」


「だけど……」


 外の気温はだいぶ下がっている。そして雨はさっきより強い。大人で遭難時の知識がある人ならともかく、かなちゃんは小学生の女の子だ。とてもその知識があるとは思えない。それに寒さだけじゃない、もし何かに巻き込まれていたら……。


「三人とも、残念ですがわたしたちはこれで帰宅することにします」


「え……」


 聞き間違えたのかと思った。


「先生、帰るって……」


早坂はやさかさん、残念ですが、わたしたちにはもう出来ることはありません。それに先生にはあなたたちを無事に帰す義務があります。わかってください」


「かなちゃんはどうなるんですか……」


「明日の朝、警察の方たちが捜索を開始します。それに頼るしかありません」


 明日なんて……、今どうにかしないと、手が届くうちに何とかしないと、届かなくなる前に何とかしないと、僕たちはここであきらめてはダメなんだ。じゃないと……。絶対後悔することになる。僕だけじゃない。日野先生、楓、そして雪乃。背負わなくていいものを背負ってしまうことになってしまう。


 僕はゆっくりと一度だけ大きく深呼吸して覚悟を決めた。


「先生、最後にもう一度だけ、探させてください」


「柏木君、何を言ってるの……」


「『力』を使います」


 僕の言葉に日野先生と楓の空気が変わった。楓は『力』ことを知っている。日野先生は『力』を感じ取ることのできる受信型の『力』を宿やどしている。そして二人とも代償のことも知っている。『力』という名のの代償を。


「春人……だめよ! 絶対に使っちゃだめよ! 先生! 帰ろう、今すぐ帰ろう!!」


 楓の声は怒気どきはらみ強く震えていた。楓は僕の手をつかみそのまま強く引いた。だけど僕はそれを拒否した。


「なんでよ!! 今まで使わないで来たのに、昔約束したじゃない……」


 楓の声は力をなくし、次第に消えようとしていた。


「ごめん、楓、今助けないとダメなんだ」


「どうして……」


 楓は地面に視線を落とした。


「毎年、母さんの命日になると、父さんと夏樹がいまだにあの日のことを後悔しているんだ。父さんはどうして天気に気が付かなかったんだろうって、夏樹はあの時帽子を取りに行かなければって、毎年それが嫌でさ」


 楓の手はこぶしを作り、震えていた。楓も母さんが死んだ理由は知っている。


「もし、かなちゃんにもしものことがあったら、僕たちはこれからずっと今日のことを後悔して生きていかないといけなくなる。なんであの時、もっと探さなかったんだろう、なんで諦めちゃったんだろう。諦めなければ、そうしたら見つけられたかもしれないって、それは僕は絶対に嫌だ」


 楓はゆっくりと僕に視線を向け、しぼりだすように僕に向かって声を出した。


「おばさんが、なんで死んじゃったか覚えているでしょ……おばさんは川でおぼれる夏樹ちゃんを助けるために『力』を使って死んじゃったのよ、かなちゃんなんて……他人じゃない……あたしは春人のほうが大事……」


「楓、ありがとう、でも、母さんは『力』を使うことをゆるしてくれると思うんだ。親孝行する前に死んじゃったからさ、せめて天国にいる母さんが、胸を張れるように、あの子は私の子供なんだって、人のために頑張れる子なんだって、天国で自慢できるようにしてあげたいんだ」


 楓の身体は小さく震え、静かな声を嗚咽のように漏らしていた。僕と楓は小さいころに約束した。母さんが死んだあと、絶対に『力』を使わないと、二人で決めたはずだった。だけど僕はその約束を今破ろうとしている。楓はそれを受け入れてくれるかどうか。


「わかったわよ。でも一回だけよ、もう絶対に使わないで……お願いだから……」


 楓は小さな灯火を消してしまわないように言葉を紡いだ。


「柏木君……」


「先生、お願いがあります。このことは父さんと妹には言わないでもらえますか、二人とも絶対に心配するので、いや、心配どころじゃない、パニック起こすかも。」


「……わかりました。それと、ごめんなさい」


「……あやまらないでくださいよ」


 正直いうと、日野先生の『ごめんなさい』の意味はわからなかった。日野先生の顔は悔しさや、後悔、そして自分を責めているような感じがして、そんな日野先生の顔は初めてみるような気がした。




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