第47話 現実
暗闇に光が差すと、目の前には透き通った水が流れる川があった。その川は大きく、中央の辺りは深くなっているようで、川底が見えなかった。
(ここは、どこだ……)
「深いところあるから気を付けるのよ」
声のする方に顔を向けると、母さんがいた。久しぶりに聞く声だった。母さんの声は美しく、どこか寂しげだった。
「お魚かわいいー!」
夏樹が水面を泳ぐ魚を見つけて言った。
「かわいいかぁ? なんか気持ち悪いよ」
「えぇ、かわいいよー!」
――をつか――
(え……)
魚が何かをしゃべったような気がした。
――ちか――を――え――
その声が聞こえたとき、僕の身体は、僕の身体から離れた。
視界が宙に浮き、僕の視界には、小さい頃の僕が映った。
小さい頃の僕は、じっと魚を見つめていた。
「お兄ちゃん、あっちにいこう!」
「夏樹、待てよ」
夏樹にせかされるように、僕は夏樹を追いかけていた。夏樹は麦わら帽子と白いワンピースを着ていた。
そして、川の上流で雷が鳴った。
あの時だ、あの時に起こったことが、今僕の目の前で起きている。
「気づかなかった、やばいな、車を持ってくるから片づけを頼むよ」
「分かったわ、
父さんが慌てて母さんに片付けを頼むと、走って車を取りに行った。
(行かないで!)
僕は叫んだ。だけど父さんは僕の言葉に気づかずに行ってしまった。
「えぇ、もう少し遊びたいー!」
夏樹は駄々をこね始めた。
「ごめんね、そうだ! 帰りに道の駅に寄って行こうか、お菓子買ってあげるわ」
「ほんとー?」
母さんは夏樹をなだめると慌てるように片づけを始めた。
やがて雨が振り出し、一気に強くなった。小さい僕と夏樹は遊ぶのをやめ、母さんのところへ走った。そして、強い風が吹き、夏樹の帽子をさらっていった。
「なつきの帽子ー!」
「夏樹! だめよ!」
(だめだ! いっちゃだめだ!)
僕の声は届かず、夏樹は川へ帽子を取りに行った。
そして、夏樹は突然押し寄せた大量の水に流されていった。
母さんは夏樹を追って増水した川へと飛び込んだ。
小さい僕は泣き叫び、流される母さんと夏樹をただ追いかけた。
――力をつかえ――
またあの変な声が聞こえた。その声は深淵から湧き出てくるような、恐ろしい声だった。
「力を!」
小さい僕が叫んだ。
「お母さん! ああああーーーーー!!!」
小さい僕が叫ぶと同時に、小さい僕の身体から紫色の光が放たれた。
刹那、紫色の球体が飛び出し、さらに強い光を放出した。
そして、紫色の球体は川の中の母さんと夏樹へと向かっていった。
やがて、母さんが夏樹を抱きかかえ、紫色の球体に守られるように川から歩いて出てきた。
小さい僕は『力』を使った反動か、倒れこんでしまっている。
母さんは小さい僕に近づくと、夏樹をゆっくりと地面に寝かせ、そのまま脱力するように膝をついた。
「春人、力を……」
――力を使え――
またあの声が聞こえた。
――力を使え――
その声は止むことなく繰り返された。僕は何度も繰り返される声に思わず耳をふさいだ。
――力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え力を使え――
「うるさい!!」
母さんが叫んだ。その声は僕は聞いたことがないほどの大声だった。
声が止まった。
「春人」
母さんは倒れている僕の手に自分の手を乗せた。
「あなたには、普通の人生を歩んでほしかった。ごめんね、『力』なんていらなかったよね。普通に学校に行って、友達と遊んで、勉強して、卒業して、仕事をして、恋愛をして、結婚して、子供が生まれて、そんな普通の人生を、歩んでほしかった。こんな『力』なんて……」
母さんは意を決したように深呼吸をすると、母さんの身体から紫色の光が放たれた。
(母さん! 何を!? やめて!)
そして母さんの身体から紫色の球体が現れた。母さんはその紫色の球体に向かって言った。
「春人の『力』を、消滅させて」
紫色の球体は母さんの声に反応したのか、小さい僕の上に移動すると、強く発光を始めた。
「春人、夏樹を守ってあげてね」
母さんは夏樹の顔を手で優しく撫でると、倒れている小さい僕の手を握った。
やがて紫色の球体の発光が終わり、それを見届けると母さんは僕の額に手を当てた。
「なんで……」
母さんは小さく声を漏らした。そして紫色の球体は今にも消えようとしていた。
「待って! 春人の『力』がまだ! お願い待って!」
母さんの声に反応したのか、紫色の球体は最後、一瞬だけ強く光を放った。
「……そうなの……だめなのね」
母さんはそうつぶやくと、ゆっくりと倒れ込んだ。
*
闇から光へと、僕の意識は吸い込まれていった。
「お兄?」
夏樹の声がした。
ゆっくりと目を覚ますと、夏樹が心配そうな顔をして、僕の横に座っていた。僕はリビングのソファに寝かされていた。
「うん?」
今、僕の目に映っているのは現実なのだろうか……。
「お父さん! お兄が起きた」
夏樹が少し大きな声を出し、その声に僕の意識は呼び覚まされた。
「春人、大丈夫か? 急に倒れたから」
「大丈夫……」僕は答えた。
僕は全部思い出した。そして腕で顔を覆った。涙が止まらなかった。
「お兄? 泣いてるの?」
「何でもない、大丈夫だから……」
母さんは僕の『力』を消滅させるために、最後の『力』を使った。だけど消滅させることはできなかった。代わりに僕にかけられたのは、『力』を行使するときの抑止力になるための激しい頭痛と、記憶の改ざん。
母さんが僕に普通の人生を歩んでほしいと願ったからだろうか、もし僕の記憶が残ったままだったら、僕はきっと、このことを一生後悔して生きていたかもしれない。
そして僕はもう『力』を三回使っていた。僕に残された回数はあと一回。
――力を使え――
そして、すべてを思い出した僕は、またあの声も聞こえるようになった。
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