第46話 思い出と幻想

 墓参りを終えて家に帰った僕たちは、小さいころに撮った動画を見ていた。そこには小さい頃の僕と夏樹なつき、そして父さんと母さんが映っていた。


 家の庭でプールで遊ぶ僕と夏樹、夏樹がプールの中で水をバシャバシャとさせ、僕だけではなく母さんにも水をかけていた。その時の母さんは困った顔をしていたが、とても幸せそうだった。


 僕が自転車の補助輪を外して乗る練習をしているところで、夏樹がすでに補助輪を外した自転車に乗っていた。夏樹の運動神経の良さはこの頃から頭角を現わしていたようだ。それを見て悔しくて泣いている僕を、母さんは一生懸命に励ましてずっと練習に付き合ってくれた。


 僕が生まれたばかりの頃、夏樹が生まれた頃。


 保育園の運動会、小学校の入学式。


 どの動画にも母さんが映っていて、どれも幸せそうだった。


「お母さん……」


 動画を見ている夏樹が小さな声を漏らすように言った。


「夏樹……」僕は夏樹に同じように小さく声をかけた。


「大丈夫。もう泣いたりしない。お母さんのことで泣くのは今日でお終いにするの」


 夏樹の声は小さくつぶやくようだった。だけど何かを決心したような、小さい中にも強く、揺るがないものを感じた。


「三人でコーヒーでも飲まないか?」


 父さんが三つのグラスに入れたアイスコーヒーを持ってきて、僕と夏樹の前にそれぞれ置いた。


「母さんは豆からいたこのコーヒーが好きだったんだ」


「ミルクだけ入れるんだっけ?」僕は父さんに尋ねた。


「あれは、インスタントのコーヒーを飲むときだけだな。このコーヒーの時は、ブラックだ」


 そういって父さんは一口飲んだ。そして「懐かしい味だ」と言った。


「飲めるかな……」


 夏樹は一口ゆっくりと飲み「苦い……」と言って小さく笑った。


「味がわかるようになるのはもう少し先かな」


 父さんはそう言いながらミルクとガムシロップが入った器を差し出した。だけど夏樹は「今日はこのまま飲みたい気分」と言って、もう一口、ブラックのまま飲んだ。


 僕もコーヒーをブラックのまま、ゆっくりと口に入れた。


「苦いや……」


 僕はミルクを一つ、コーヒーの中に入れた。僕はミルクだけを入れるコーヒーが好きだ。ブラックはもう少し大人になってからにしよう。


 白いミルクと、黒いコーヒーがゆっくりと混ざり合っていった。


 父さんと夏樹はあの日のことを後悔して、今まで生きてきた。だけど二人はその呪縛から解放された。父さんは父さんで何かがあったのか、気持ちに決着をつけることができたようだ。夏樹も今はまだ完全とは言えないけど、夏樹なりに決着をつけたようだ。


 僕はあの時何もできなかった。そのことが後悔といえば後悔だ。でも、あの時僕は何ができただろうか、父さんにすぐ助けを求めればよかったのか、夏樹を意地でも止めればよかったのだろうか。僕は泣き叫んで、ただ追いかけることしかできなかった。それが僕の中でずっと答えがでない。


「父さん、夏樹」


「ん?」夏樹がコーヒーを飲みながら返事をした。


 父さんは僕のほうに視線を移した。


「僕はあの時、泣いて追いかけることしかできなかった。ごめんな」


「何を言い出すのかと思ったら、それは仕方ないよ」


「春人、お前が気に病むことじゃない」


「……ありがと、僕、ずっと気になってて」


「もう、お兄……」


 僕は何もしなかった。何もできなかった。ただ泣き叫んで川に流される夏樹と母さんをただ追いかけていた。追いかけるだけだった。


 僕はそのことがずっと心に引っかかっていた。何もできなかった。何もしなかった……。


 ……なんで……何もしなかった?


 本当に何もしなかったのか?


 ……『力』はどうした?


 僕は勢い良く立ち上がった。


「わっ、びっくりした。お兄、どうしたの?」


「何かが……おかしい……」


「春人? どうした?」


「父さん、僕……なんで……」


 僕は生まれた時から『力』を宿していた。あの日も、その気になれば『力』を。


 僕はあの日のことを思い出そうとした。それはあの時の出来事の記憶ではなく、あの時の感情や内面そのものを僕は探った。……そして何かを見つけた。だが、あるものが突然僕に襲いかかった。


「がっ! 頭が……」


 僕は激しい頭痛に襲われた。それは過去に二回『力』を使った時と同じ種類の痛みだ。だけど今回のは過去二回のどれよりも激しい。


「あ、あああああ!!!」


「お、お兄!?」


「春人!」


 そして僕の意識は突然、闇へと放り込まれ、父さんと夏樹の声が遠くで聞こえていた。



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