第55話 最後の声は

 バス停に着く頃には雨が振り出していた。僕と雪乃ゆきのは少し濡れてバス停の屋根のある場所でバスを待った。周りには人はいなく、神社にいた人は神社で雨宿りをしているのだろうか。


「降ってきたけど、あまり濡れなくてよかったね」


 雪乃は額に張り付いた自分の黒い髪を手でかき分けながら言った。


「ごめん、傘持ってくればよかった」


「仕方ないよ、天気予報は晴れだったもん」


 雪乃はそういいながら白いハンカチを出して前髪をなぞった。


 雨音と共に野草の匂いがして、風と共にバスの音が聞こえた。


 バスが僕らの前で止まると、なんだか僕は少しさみしい気持ちになった。僕はもう少しだけこの空間に居たかったんだと思う。


柏木かしわぎ君? 乗るよ?」


「あ、うん」


 僕は雪乃に急かされるようにバスに乗った。


 僕たちはバスの一番後ろの席に座った。このバス停から乗る人は他にいなかった。バスの中にも人は少なかった。


「電車を降りる頃にはやむといいけど」


 雪乃は外を見つめ言った。バスから電車に乗り換えるのは、屋根がある場所を移動するのでいいが、電車を降りた後は歩かないといけない。できれば今日中に楓のところに持って行ってやりたいと僕らの考えは一緒のようだ。そして雪乃は言葉を続けた。


「柏木君、最近ちゃんと寝れてる?」


「え?」


「楓のことがあったから仕方ないのかもしれないけど、何か違うことでも悩んでいるような気がして、私でよかったら話聞くからさ」


 雪乃は何かを僕から感じ取っていたようだった。あまり気を使わせないようにしていたつもりだったけど、雪乃には気づかれていたようだ。


「いや、大丈夫、ごめんなんか気を使わせてしまって」


「いいのよ、私でよかったらいつでも言って」


「うん、ありがとう」


 ここのところ、ずっと『力』と楓のことを考えていた。そして僕の頭の中に響くあの声がずっと消えない。


 気分を変えたくて外を眺めると、来た時に見た断崖絶壁の道を走っていた。下を見ると、ガードレールすれすれで見ているだけで心臓に悪い。ガードレールを超えたら崖下へ落ち無事では済まなそうだ。


「ねえ! 柏木君!」


 雪乃が突然、驚いたような表情で僕を呼んだ。僕は突然の雪乃の表情と声に少し驚いた。


「どうしたの?」


「なんか、運転士の様子が」


 雪乃は運転席を指さし、その指先にはバスを運転する男性の上体が前に倒れこんでいた。


「これって……」


 その瞬間、雪乃が立ち上がり、走りだそうとした。しかし、バスの外で大きな音がした。


 大きな音と共に、車体が大きく傾いた。


 立ち上がった雪乃は大きくバランスを崩し、僕のほうへと倒れこんだ。


 バスの中に悲鳴が響いた。


 僕は倒れこんできた雪乃を右腕で抱え込み、左手でたまたま掴んだ手すりを思いっきり掴んでいた。


 バスの車体が逆さまになった。ジェットコースターに乗った時のように身体の中が浮き上がる感覚があった。


「柏木君!」


 雪乃が叫んだ。しかしその刹那、車体に大きく衝撃が走り、雪乃の身体はバスの天井に強く打ち付けられた。


 ほんの少しの時間のはずが長く感じられた。そして最後の衝撃が僕らを襲った。


 衝撃がおさまり、僕の意識ははっきりとしていた。


 僕はバスの車体の中に閉じ込められていた。窓ガラスは割れていたが、隙間が狭く出れそうにない。


「ゆ、雪乃……」


「柏木君……」


 雪乃の弱くささやくような声が聞こえた。


 ゆっくり頭をあげて周りを見ると、雪乃は僕の近くにいた。しかし、曲がった車体に挟まるようになっており身動きがとれないようだった。


「雪乃、平気? 出られそう?」


「う、うん」雪乃は体をひねるように出ようとした。しかし。


「っ……足が……折れたかも、それに体中が痛くて」


 バスが落ちていくなか、僕の目には天井に打ち付けられる雪乃が映っていた。


「痛い……」


 雪乃は身体をなんとか動かそうとするも途中少し弱々しい声でつぶやいた。


「今、どかしてみる」


 僕の体は奇跡的に痛みは感じず、動くようだ。雪乃に覆いかぶさっている車体の一部を動かしてみるが動く気配がない。


「だめだ、このままここで救助を待つしか」


 救助はいつ来てくれるのだろうか。ふと思ったがこれ以上雪乃を不安にさせたくなかったので言わなかった。


「ねえ、この匂い……もしかして」


「ガソリン? ガソリンがどこかで漏れてるんだ」


 ガソリンが今もどこかで漏れているようで、その匂いが近づいてくる。そして、炎が引火する音が聞こえ、ガソリンが燃える匂いがしてきた。


「柏木君! これって!」


「ど、どこから火が」


 匂いはするが肝心の火がどこについてるのか分からなかった。次第に黒い煙が車体の中に入ってきた。


「ごほっ……」


 雪乃がたまらず咳き込んだ。


「雪乃!」


 僕は雪乃を挟んでいる車体を全力でどけようとするも少しも動かない。次第に割れた窓の外が炎に包まれた。


 迫りくる黒煙、目の前に広がる炎。閉じ込められた状態で身動きが取れない。


 ――力を使え――


 僕の頭にあの声が聞こえてきた。


 黒煙と炎を見つめ、僕はゆっくりと口を開いた。


「雪乃……」


 僕の心は決まった。


「柏木君?」


 僕の思いが伝わったのか、雪乃は静かに言葉を返した。


「スノードーム、しっかり楓に届けてくれよ」


「柏木君、だめよ! 力は!」


「ごめん、でも今使わないと、二人とも……」


「柏木君……」


 最後に聞いた雪乃の声は、とても美しく、とても悲しい音色を奏でていた。




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