第56話 いつか見たスノードームのように

 暗い。何も見えず、ただ暗い空間に浮いているような感覚。身体の境界、手や足や頭、全てが失われ、意識だけがどこかを彷徨っているようなそんな感覚だ。


 あの後どうなったか覚えていない。雪乃ゆきのは、他の乗客たちは無事だろうか……。


 『力』を使い、雪乃と他の乗客達の無事を願った。だけど僕の記憶はそこで途切れている。


 暗い。だけどどこか温かく、懐かしい。これが死というものだろうか。身体から魂が抜けて、今僕はどこかを漂っているのか。


 最後にもう一度、みんなに会いたい。雪乃の無事を確かめたい。


 僕がそう強く願った時、暗い空間だった視界が一気に白くなった。やがて絵具を無作為に垂らしたように赤、青、黒、黄色。様々な色が白い空間を埋め尽くしていった。そして視界は一気に開けた。


 僕の目の前に広がったのは宇宙だった。そして目の前には頭くらいの大きさの地球が浮いていた。


 僕は雪乃の居場所を知りたくて、その地球に向かって意識を集中した。なぜか分からないがこうすると雪乃がいる場所にいけるような気がした。


 視界が移り変わっていった。視界は高速で移動し、僕の目の前には建物が映った。その建物の屋上に雪乃がいた。


 彼女は松葉杖を使って歩き、頭と腕に包帯を巻いていた。怪我を負いながらも、どうやら助かったようだ。日が暮れて夜空には星が光っていた。


 彼女は屋上のベンチに一人座った。手には神社でもらったスノードームが握られていた。


柏木かしわぎ君……」


 雪乃の声がした。その声はあまりにも弱かった。雪乃は腕で自分の目をこすり、持っていたスノードームを見つめていた。スノードームにはひびが入っていたものの、中は無事のようだった。


 雪乃はあの事故の最中でも、しっかりと守ってくれていた。僕は雪乃のそばに行きたくてもう一度意識を集中した。すると視界はゆっくりと流れ、雪乃の後ろに移動した。


 後ろから見る雪乃の肩は震えていた。時々声が漏れ、鼻をすする音が聞こえた。


 そんな雪乃を見ると、優しく包み込んであげたいと思った。


 ――雪乃――


 手や足の感覚なんてない。ただ雪乃を包み込んであげたい。


「柏木君?」


 一瞬だけ、雪乃と何かが繋がった気がした。


かえでも目を覚まさないし、柏木君まで……」


 雪乃の声なのか想いなのか、僕の中に流れこんできた。


 家族への想い、親友への想い、そして……僕への想い。


 僕はその想いに答えることができなかった。答えたかった。


 せめて最後だけ、僕は君へ、僕の想いを君へ。


 僕の魂の奥底に感じる、『力』の残滓ざんし。ほんの少しの欠片かけら。それをかき集め、ほんの少しの『力』を君に捧げる。


 僕の意識は『力』の残滓をかき集め、僕の想いを乗せて解き放った。


 ――雪乃に幸せが訪れますように――


 解き放たれた『力』は弾ける様に空中を舞い、やがて一か所へと収束していく。それは雪乃が持っていたスノードームに向かっていった。


 そしてスノードームは光を放った。雪乃は光に気づかないのか、スノードームを手に持ったままだった。スノードームはさらに激しく光を放ち、徐々に収まっていく。


 そして雪乃は何かに気づいたように空を見上げた。


「星が……雪?」


 雪乃の声につられて空を見た。


 そこに映ったのは、びっしりと敷き詰められたように輝く星達。そして、ゆっくりと舞いながら地面へと落ちる牡丹雪ぼたんゆきだった。


「きれい……」


 雪乃は降り落ちる牡丹雪に向かって、手にもっていたスノードームを掲げた。


 満点の星空から降り落ちる牡丹雪はとても幻想的で、長い黒髪の少女が空に向けて手を伸ばしていた。それはいつの日にか見たスノードームのようだった。


 だけど、僕の『力』残滓では、願いは届かなかったようだ。一回分にも満たない『力』が起こした最後の奇跡は幻想的は風景を引き起こしただけだった。


「柏木君……楓……」


 雪乃のつぶやく声が聞こえた。それは今にも消えてしまいそうな声だった。


 やがて雪はやみ、星空がだんだん見えなくなった時、僕は光に包まれた。


 ――やっと見つけた!――


 意識に直接語りかけるように聞き覚えのある声が聞こえた。



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