第4話 鈍痛

 教室へ入ると、朝のホームルームはまだ始まっていなかった。間に合ったかと胸をなでおろした。自分の席に座って外を眺めると、窓に自分の顔がうっすらと映った。その顔を見ながら、まだ鈍痛がするほほをなでた。


 外は晴天だ。しかしこの痛みのせいで、霧雨きりさめの降る薄暗い雨雲の中、傘を差すか迷いながら歩いているようで気が滅入めいってくる。


「まあ、僕が悪いのかもしれないけどさ、でもハイキックはないよなあ」とため息をつきながら、雪乃の席に視線を移した。


 雪乃は席にはいなかった。教室を見渡しても見当たらない。


「ハル」


 前から声がして視線を向けると、前の席の祐介がこっちを見ていた。


「ん?」


「昨日買った本、読んだか?」


 祐介は高校一年から同じクラスになり、互いに同じ作家が好きということで意気投合した。昨日、その作家の新作が発売される日だった。僕が寝過ごした原因の本だ。


「読んだ、そして寝坊してしまった」


「俺も少し眠いよ、てかどうしたんだ? 顔が赤くなってるぞ」祐介が眉をひそめながら言った。


「さっき、雪乃にな」


「噂のハイキックくらったか!」


「くらった」


「告ったのか?」


「ちげーわ!」


「じゃぁ、何したんだよ」


「押し倒した」


「はっ? 意味がわからね」


 言い方がまずかったようだ。


「学校に来る途中で雪乃にぶつかって、押し倒す感じになった。それでなあ」


「なんだ、それでハイキックか」


 雪乃はその外見と個性的な瞳で、去年、つまり高校一年の春から夏の始めにかけて、告白されない日は無いと言っても過言では無いような状態だったようだ。しかし、その告白をことごとく断り、しつこい相手にはハイキックを返していたらしい。中には男子だけでなく女子もいたという噂もある。


 女子にもハイキックを返したという話は聞いてはいないが、世間は男女平等を目指しているのでそこはわからない。


 やがてその噂は広がり、告白しようとする人はいなくなった。ごく稀に特殊な嗜好しこうを持った人がハイキック目当てで告白するようだ。まだ高校生なのに。いや、年齢は関係ないのか。

 

「前はあんなんじゃなかったのになあ」


 祐介は雪乃の席を眺めながらつぶやいた。雪乃の席に視線を向ける祐介は、何かを思い出そうとするように頭に手を当てた。


「前?」


「俺、小中あいつと同じだったからさ、中二かな? 雪乃が男子に対して急に距離を取るようになったんだよ、それからかなハイキックの噂が出始めたのは」


「思春期かよ」


「いや、あれはそんなレベルの問題じゃなかったな、拒絶というか、何というか」


「思春期に少女から大人に変わるって、どっかの偉い人が言ってたぞ」


「いや、そうじゃなくて、ん? そうなのか?」


「いや、わかんないけど」


 改めて聞かれると返答に困ってしまう。なんせ僕の言葉ではないのだ。それに少女から大人に変わるたびにハイキックされたのでは、世の男子たちはアザだらけだ。


 そんな事を思っていると、雪乃が教室に入ってきた。雪乃はまっすぐ自分の席へと向かい、そのまま席に座った。そしてすぐに日野先生が入ってきた。


 僕は窓から外を眺めた。青い空にぽつんと白い雲が浮いていた。


「青と白か……」


 僕は鈍痛どんつうのする頬をなでた。



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