第9話 殻に閉じ込められている少女が見る景色は

 一時間ほど車に乗り、途中のパーキングエリアで休憩をとることにした。駐車場にはすでにたくさんの車が停まっており、週末で遠出をする家族でにぎわっている。車から降りて背伸びをすると、停滞していた身体の血液が全身を再び駆け巡り始めた。


 雪乃ゆきのかえでは車を降りるなり何処どこかへ行ってしまった。


柏木かしわぎ君、ちょっといいですか?」


「なんですか?」


「柏木君と早坂はやさかさんが親戚ってことは、早坂さんも……その……」


 日野先生の声はいつもとは違い、つぶやくようで何かをにごすかのような声だった。聞いてはいけないことを聞くかのような、だけど僕は日野先生が何を聞きたいのかなんとなくわかった。


「多分、先生が思っていることは合っています。楓も『血族』の一人です」


「そうですか……でしたら……」


 日野先生の声は、今にも消えそうな灯火ともしびのようだった。


「先生も気づいていますよね。楓は『力』を使うことはできませんから、心配しなくても大丈夫ですよ」


「はい、早坂さんから『力』は感じません……でも柏木君は……」


 日野先生の声は少し震えていた。彼女は『力』を宿した一人だ。しかし、彼女の『力』は、本体の『力』の存在を感じ取ることができる受信型。そして僕にはその本体の『力』が宿っている。日野先生とは血筋をたどると、どこかで同じ人物に当たるようだ。とはいえ親戚全員がそれを宿すわけではない。楓のように『力』を宿していないのが普通だ。宿す者がいない世代も珍しくはない。受信型に関しては近くに本体の『力』を宿す者がいないと、自分に『力』があるのかすら分からない状態で、入学式そうそう日野先生に呼び出され、何者扱いされたことには驚いた。


「僕のことは心配いらないですよ、ちゃんと分かっていますから」


 日野先生は僕の言葉を聞いて一呼吸すると、何かを決心するようにうなずいた。そして表情を笑顔へと変える。


「そうですよね、えへへ、先生心配しちゃいました」


 日野先生は首をかしげ、舌を少し出しながら頭を軽くコツンと右手を当てた。これがあざと可愛いテヘペロと言うやつなのかもしれないが、僕はその舌をつかんで引っ張ったらどうなるかと、そのことで頭がいっぱいになった。アインシュタインも厄介やっかいなものを後世に残してくれたと思う。男性に舌を引っ張られた女性は数知れない。


(アインシュタインはそんなもの残してないから!)


 楓の声が聞こえた気がした。


「では、私は少し休憩してきますので、適当に戻ってきて下さいね」


 立ち去る日野先生の瞳は太陽に照らされて少し輝いて見えた。


 僕も飲み物を買うため建物に足を向けた。建物の中に入ると入口から土産屋になっており、その奥がフードコートになっているようだ。土産屋を見て回った。地元の品だけでなく隣町の物まである。現地で買い忘れたらここで買えばいいというわけか等と、一人で納得した。


 土産の中にスノードームを見つけた。それは一人の少女が空に向かって手を広げていた。雪を降らせると少女は雪に向かって手を広げているように見えた。その少女はロングの黒髪で、その表情にはどこかさみしげではかなさを感じた。透明なプラスチックの殻に閉じ込められた少女は何を思って空を見上げているのだろうか。なんて、無機物に向かって感傷的になっても仕方ないんだけど。


 しばらく見て回っていると飲み物を見つけた。しかし会計所が混んでいたので外の自販機で買うことにした。自販機を見るとコーヒー牛乳とカフェオレが並んでいた。よくよく考えてみるとこの二つは一体何が違うのかわからない。しばらく思考にふけりたい気分になったが、僕はカフェオレを一本買って足早に車へ戻った。


 車へ戻ると雪乃と日野先生がすでに戻っていた。日野先生は新しく買った缶コーヒーを飲んでいた。雪乃は車の中に入っており、窓を開けて外をながめている。


 僕は日野先生に戻ったことを伝えると車に乗り込んだ。雪乃は特に何も買わなかったようだ。かすかな風が開けられた窓から入ってきて、雪乃の長い黒髪が優しく流れた。彼女の表情はどこか寂しげで儚かった。


 少しすると楓も戻ってきた。楓が車に乗り込むと同時に日野先生も車の中に入った。


「さて、ここから一気に目的地までいきますよ!」


 日野先生は少し気合を入れ、運転を再開させた。


「結衣、これあげる」


 楓はカフェオレを雪乃に差し出した。


「私、お金持ってないけど」


「あげるって言ったでしょ、おごりよ」


 雪乃は「ありがと」と言うと、カフェオレを受け取った。


「なあ楓、コーヒー牛乳とカフェオレって何が違うの?」


「ん? わかんない、どうでもいいじゃないそんなこと」


 楓はそう答えると、自分用のカフェオレのふたを開け、一口飲んだ。


「気になるんだよなあ」


「……私もちょっと気になるかも」


 雪乃は両手でカフェオレのペットボトルを持ちながら呟いた。


「結衣?」


「ん? なに?」


「いや、めずらしいなって思って……」


「え? ……そうかも」


 雪乃は何かを考え込むように外へ視線を移した。二人の会話の意味はわからない。かといって僕からあれこれ聞くのも変な気がした。だけど先ほど雪乃はお金がないと言っていた。なんか違う気がするけどそれくらいなら……。


「お金忘れたなら少し貸そうか?」


「春人は黙ってなさい!」


「なんで!」


「景色でも見てなさい」


「……ものすごい速さで流れて見れません」


「もっと遠くを見て! 高速道路よここは!」


 何故なぜか楓に理不尽りふじんに怒られた僕は、カフェオレを一口飲んで、窓の外を見つめた。高速道路から見る景色は、ものすごい速さで流れていた。



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