第2章 つくり笑顔のつくりかた

第16話 雪乃の弁当と少年

 梅雨が明けた真夏の暑い夕暮れ、僕は自転車を走らせていた。


 隣町の書店へ本を買いに行き、今はその帰りである。その本は限られた書店でしか販売していない、僕の住んでいる家の周辺には契約書店がないため、ここ隣町まで自転車を走らせていた。


 ネットで買おうにも、売っているサイトを見つけられなかった。僕が見つけられなかっただけだったのかもしれないが。


 その書店は思ったよりも遠く、電車で行けばよかったと少し後悔している。まあ、電車で行っても結構な距離を歩くことになるんだけど。この制作会社の書籍だけは本当にどうにかしてほしい。


 しばらく自転車を走らせていると、弁当屋を見つけた。その店の入り口には『おふくろの弁当』という看板が飾られていた。


 今日は父が仕事で遅く、妹の夏樹も部活のお疲れ様会ということで、夜は僕一人の夕食になる。ちょうどいいので、ここで弁当でも買っていこうと思い、その弁当屋に向かった。一人の一食だけの場合は自炊するより、弁当を買ってしまったほうが経済的だ。と僕は思っている。


 弁当屋の前で自転車を停め、弁当屋の中に入ろうとすると、脇のベンチに僕より年下だろうと思われる一人の少年が座っていた。その少年は前かがみに座っていて、ピクリとも動かなかった。あまりじろじろ見るのも悪いなと思い、そのまま店の中へ入った。


 店の入り口は手動で開けるガラス戸で、店の中へ入るとやや広いスペースの奥にレジが一つ置かれていた。そしてそのレジの周辺には、インスタントの味噌汁やカップラーメンが置かれ、レジの奥には調理場との仕切りのためか、のれんが垂れ下がっている。


「いらっしゃいませ」と優しそうな女性の声が聞こえた。声のほうを見ると、レジには一人の老婦人が立っていた。やや小太りで、その表情はとても優しそうだ。老婦人というより、おばあちゃんという言葉が合いそうだ。


「ご注文は何にしますか?」


「えっと、すみません、ここ初めてで、メニューを見せてください。おすすめってなんですか?」


 僕はレジのカウンターに置かれているメニューを手に取った。


「ゆっくりご覧になってください。よく来るみなさんは日替わり弁当を買われていきます。今のおすすめは夏野菜弁当ですよ。地元の農家の方が作ってくださった野菜を使用してます」


「じゃあ、ハンバーグ弁当で」


「え、は、はい。ハンバーグ弁当ですね」


 夏野菜をすすめられても、僕は育ち盛りの男子高校生である。肉が食べたい。それに今は自転車を走らせてきてクタクタなんだ。がっつりとしっかり食べたい。これは素直な食に対する欲求、あらがうことなんてできない。


雪乃ゆきのちゃん、ハンバーグ一つね」


「はい」


 聞いたことのある声が聞こえてきた。それに雪乃ちゃん? 


 しばらく待っていると、調理場とレジを仕切るのれんが開けられた。弁当を持った雪乃が顔を出した。その姿はジーパンに白いシャツ、その上に黄色いエプロンをきており、髪は黒のロングヘアを後ろで束ねていた。そして薄い青の三角巾をしていた。どこか家庭的な印象がある。


柏木かしわぎ君?」


 雪乃は僕を見ながら言った。


「雪乃、ここでバイトしてたんだな」


「うん、調理のバイト」


「バイト頑張って、また学校で」


「うん、また」


 まともに会話というか、実はこれが雪乃と二人で話したのは初めてだったりする。もう少し話していたい気もしたが、雪乃が仕事中ということもあり早々に切り上げた。


 会計を済ませると、レジのおばあちゃんから弁当が入った袋を受け取って僕は店を出た。


 店を出て自転車に乗ろうとしたとき「あ、飲み物……」


 飲み物を買い忘れたことに気づいた。


 戻るのもなんかかっこ悪い、どうするかと悩んでいると、弁当屋のベンチのすぐ横に自動販売機をみつけた。


 飲み物を買い忘れる人が多いのか、それとも飲み物だけ買う人が多いのか。どちらにせよ、ここで買えば済むのであれば好都合だと、自動販売機に近づいた。


 すると先ほどの少年がまだベンチに座っていた。その少年の恰好は前と変わらずピクリとも動いていない。依然として前かがみのままだ。


 意識があるのか確かめたらいいのか、それとも雪乃たちに知らせたほうがいいのか……。


 とりあえず飲み物を買おうと自動販売機にお金を入れる。自動販売機のメニューをざっと見ると、緑茶があったのでそれを選んだ。そのほかには、コーヒー牛乳とカフェオレが隣り合わせで並んでいた。前から思っていたが、この二つは何が違うのだろうか。


 僕は自転車に戻り、弁当とお茶を前かごに入れて自転車に乗った。ペダルに足を乗せたとき、ふと、先ほどの少年に目を向けた。まだ前かがみのまま恰好が変わらない。


 熱中症や体調が悪くなって動けないのなら、放って置くわけにはいかないと、声をかけてみる。


「あの、すみません……」


 返事がない、ただのしかば――。いやいやいやいやいや!


「あの! 大丈夫ですか?」


 声をかけても返事がないので、少し肩をゆらしてみる。すると。


「え、あ、はい!」


 返事があった。


「すみません、全然動かなかったから、大丈夫かなって」


「え、いえ、ぼーっとしてちゃってて、大丈夫です」


 本当に大丈夫なんだろうか。少年は立ち上がると軽く背伸びをした。


「心配してくれてありがとうございます。俺は大丈夫なので」


「そう? 体調悪くて動けないとかだったら、弁当屋の中で少し休ませてもらうとかしたほうがいいよ」


「本当に大丈夫なので」


 少年の様子は特に問題ないように見えた。


「じゃあ、僕いくからね」


「はい、本当に心配していただいてありがとうございます」


 少し気になったが、本人も大丈夫と言っているので、僕は家に向かうことにした。看板を改めて見ると『おふくろの弁当』と書いている。


 おふくろの弁当というより、実際には雪乃が作ったのであって……。


 雪乃の手作り……。


 僕は少しだけ胸をわくわくさせ、帰路についた。


 レンジで温めていないことを願って。



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