第35話 ニクソン家の食卓

「ほおお、今日の夕飯は凄いねえ。見た事ない料理もあるぞ」


 テーブルの上に並べられた料理を見て、レイモンドさんが感嘆の声を漏らした。

 野菜が沢山用いられたシチューに、山菜と茸のバター炒め、鶏肉の揚げ物や炒めものにとろとろチーズとパン、じゃがいもを潰したサラダだ。見ているだけでお腹が鳴ってしまった。


「こちらのシチューとサラダはモンテールの作り方なんですって。アリシアさんに作って頂いたのよ!」


 マノアさんが嬉しそうに言った。

 今日の夕食は、マノアさんと一緒にアリシアが作ったのだ。マノアさんは客人ながら気を遣わなくていいと言ったのだが、アリシアが「もう私も村の一員なので」と手伝ったのである。

 これまで旅の途中もアリシアがご飯を作ってくれていたのだが、あくまでも旅の途中で作れる簡単なものだったので、こうして料理らしい料理を作ってもらったのは初めてだ。王女なのに家事が苦手ではない事を改めて実感した時である。


「それでは、早速頂きましょう! 新しい住民が増えたお祝いだ!」


 こうして俺達がポトス村に着いてからの初めての食事が始まった。

 レイモンドさんがポトス産のワインを開けてくれたので、そちらを頂きつつ会話に華を咲かせた。

 駆け落ちに関する質問は変に答えてボロを出すわけにもいかないので、上手いことアリシアと協力し合って別の話題に変換するなどして何とか避ける。さすがにもう一か月以上一緒に行動して毎日話していると、それなりに互いの空気感もわかってくる。助け船を出したり出してもらったりして、質問をかわした。

 会話はモンテールの時事ネタ──といっても二か月程前のものだが──やこの旅の道のりで得た話で乗り切ったのだった。


「ところで、お二人は何か特技ややりたい事はありますか?」


 会話が一旦落ち着いたところで、レイモンド村長が唐突に尋ねてきた。


「やりたい事、か……俺はあの通り、戦いが得意だから、もし魔物が出た場合なんかはすぐに対応できると思う」


 ちらりと壁に立てかけた剣を見て言った。

 村長には、俺が傭兵上がりでアリシアは貴族の娘、結婚など認めてもらえるはずがないので駆け落ちをした、と伝えてある。最後の駆け落ち以外はほとんど事実なのだが、あまり嘘を混ぜ過ぎない方が後々ボロが出にくいと思ったのだ。


「それは頼もしいですな! 自警団の方にもお伝えしておきましょう」

「後は、狩りとか畑作ったりとかしてみたいかな」


 村長が言いたい事を先読みしてそう付け加えた。

 このポトス村周辺はあまり魔物が出ないそうで、自警団は有事の時に動くだけだ。主な仕事とは成りえない。皆他に仕事を抱えていて、その中から腕っぷしの良い者が自警団を担っているのだ。

 剣しか生きる道がない、と思って鍛えた剣術も、ここではあまり役に立たないらしい。尤も、だからこそ俺がこの地を選んだ意味もあるのだけれど。


「ほうほう、なるほど。この村には猟師が少ないので、元傭兵の方が加わるとなると頼もしいでしょうな。森の奥には魔物も結構出るので、その剣の腕も活きるでしょう。今度猟師を紹介致します。畑については今度私が教えてさしあげますよ。こう見えて、農家なので」

「ありがとう、助かるよ」


 俺は改めてレイモンドさんに頭を下げた。

 猟師の仕事はやった事はないが、魔物を倒す事とそれほど違いはないという。俺の能力をそのままに活かせるだろう。

 農作に関しては全く経験がないが、経験がない事にも挑戦していきたい。そうでなければ、田舎で心機一転する意味もないからだ。


「ん……?」


 鳥肉の揚げ物を咀嚼していると、アリシアがちらちらと俺の方を見ていた。


「どうした?」

「あ、いえ……お味の方はどうかなと思いまして」

「これもアリシアが作ったのか。味付けもめちゃくちゃ美味いよ」

「そですか。良かったです」


 アリシアは俺の答えに満足したのか、顔を綻ばせた。

 彼女の作る料理は基本的に美味い。マノアさんには悪いが、アリシアがどれを作ったのかはすぐにわかってしまう。

 味付けや香辛料の割合などが抜群に上手いのだ。彼女のお陰で、ここに至るまでの質素な旅メシも美味しく頂けた。アリシアには感謝してもし切れない。


「いやぁ、アリシアちゃんお料理も上手なのね! ポトスにはない味付けで、とっても美味しいわ。貴族の出だと言うからてっきり家事は全然なのかと思ってたけど、心配なさそうね」

「神殿で過ごしていた時期が長かったので、家事やお料理はその時一通り学んだんです。大地母神リーファの前では皆等しく平等なので、私も特別扱いされずに済みましたから」


 特別扱いされずに──この言葉からも、アリシアが如何に王宮で窮屈な生活を強いられていたかが何となくわかる。彼女は姫であったが故に、自分のやりたい事など何もできなかったのだ。

 だが、アリシアはどちらかというとちやほやされたいタイプではなく、自分が何か人にしたいと思う側だ。王女という立場は、彼女の性格と極めて相性が悪かったのである。


「神殿と言いますと、アリシアさんは大地母神リーファの修道女シスターなのですかな?」

「一応神官の地位は頂いておりました。〈治癒魔法ヒール〉なら一通り使いこなせますので、その特技を活かして治療院をやってみたいと思っているのですが……」

「なんと、神官様でしたか! それで治療院を……」


 アリシアの言葉に村長夫妻は驚いていたが、すぐさま顔を見合わせ、申し訳なさそうにした。


「どうかしたのか? もしかして、もうこの村には回復術師がもういるとか?」


 二年前に訪れた時はそれらしい場所はなかったはずだが、もしかするとこの間に神官が移住でもしてきたのだろうか。

 ただ、こんな小さな村に既に回復術師がいるのなら、新しく治療院を作る意味もない。むしろ、競合ができた事によってギスギスしてしまいかねない。


「いえ、こんな小さな村に回復術師なんて居ませんよ。もしアリシアさんが治療院を開いて下さるのであれば、有り難い事この上ありません。ですが……その、申し上げ難いのですが、ポトスはこの通り辺鄙な村ですので、治癒魔法の寄付を支払うのは困難なのです。昨年も回復術師殿に支払う金がなく、病で亡くなった者がおります故……」


 夫妻の顔に悔恨の色を浮かべた。

 おそらく、村としても支払えない額だったのだろう。病や怪我は、重くなればなるほど治療費が嵩張ると言う。それこそ、ミンスター村の若者の様な瀕死の重傷を治してもらったとしても、治療費が支払えず奴隷として売り飛ばされる事もあるのだ。死んだ方がマシだった、と嘆く者も多いという。一体何の為の回復術師だと思うが、アリシア曰く、これが現実だそうだ。

 だからこそ、彼女は自らの意思で治療をしたいと思い至ったのだ。


「あの、レイモンドさん……私はそういった教会の方針には昔から反対だったんです。私も、助けたいのに助けさせてもらえなかった事が何度も何度もありました。目の前で息を引き取られた事もあります……もう、そういう思いをするのは嫌なんです」


 アリシアはレイモンドさんとマノアさんを見据えて続けた。


「もちろん術者にも負担があるので、何の条件もなしにというわけにもいかないんですけど……でも、皆さんの無理のない程度ののものにしたいと考えています。そういった事も含めて、相談させて頂けないでしょうか?」

「アリシアさん……もちろんです!」


 村長夫妻は顔を綻ばせて、何度も頷いていた。

 これまでを〈治癒魔法ヒール〉を盾に金を毟り取る者にしか見えていなかった神官や回復術師の印象をがらっと変えるもので、大層感心した事だろう。こんな気前の良い回復術師はそうはいない。

 ただ、これはアリシアの能力が高いからこそできるという事でもある。並みの神官であれば、ミンスター村での様に連発で〈治癒魔法ヒール〉を唱える事などできないのだそうだ。


「あなた……これで、この村も安心ですわね。今まで怪我や病には、どうすることもできませんでしたから」

「全くだ。こんなに崇高な方がこのポトスに引っ越して下さるなんて、まるで夢のようだ。後でこの奇跡の感謝を女神様にお伝えしなければ」


 村長夫妻がそんな感動の言葉を交わす傍らで、その崇高な方がモンテール王国では〝聖王女〟として讃えられていると知ったら、この夫妻はどんな反応をするだろうか、などと俺は考えてしまっていた。

 ただ、アリシアからすればその〝聖王女〟という肩書さえ重荷で自らを縛り付けるものに他ならなかった。それを察して以降、俺は彼女の前でその言葉を発した事はない。

 だが、これからは彼女も自らが望んだ様な生き方ができる。自らが怪我人・病人を治したいと思えば、治してあげられるのだ。それはきっと、この村の人全員にとって喜ばしい事だろう。


「では、明日はお二人の愛の巣けん治療院となるような場所を探しにいきましょう! こちらの方でも広い空き家を見繕っておきますよ!」


 レイモンドさんが活き活きとした様子で意気込みを語ったが、その『愛の巣』という単語に、俺とアリシアが顔を赤くしたのは言うまでもない。


 ──こんな村なら、わざわざ変な嘘を吐かなくても適当に流してくれたんじゃないか?


 そんな事を考えなくもないが、今更もうどうにもならない。俺達は、駆け落ちしてきた傭兵上がりと貴族の娘として、ここで生活せねばならないのだから。

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