第19話 報酬と贖罪

 アリシアはそれからも治療を続けた。重傷者だけでなく、軽傷者までをも治していく。

 村の者達は遠慮したが、アリシアが「いいから、そこに座って下さい!」と一喝すると、黙って治療されていた。

 こういうところを見ていると、彼女も王族なのだなぁと改めて実感する。これまではまだ世間知らずな少女という印象が先行していたが、鬼気迫る状況になると咄嗟に判断し、正しいと思える行動を取る事ができる。彼女の若さでそれができる者は少ない。


「この方で最後、でしょうか……?」


 アリシアが最後の怪我人の治療を終えて周囲を見回して訊いた刹那──村人達から歓声が上がった。

 治療の様子を見守っていた誰もが、彼女への感謝を言葉にしていた。


「お疲れさん。ほら」


 アリシアが血の着いた袖で汗を拭おうとしていたので、俺は咄嗟に絹布けんぷを彼女に投げてやる。せっかくの聖女の顔を、血で汚してやるわけにはいかない。

 ただ、いずれにせよもう一度風呂には入った方が良さそうだ。俺も怪我人を運んだり治療を手伝ったりで血だらけである。宿屋の夜着なのに、申し訳ない。


「さすがにちょっと疲れました」


 アリシアはこちらを見上げて、フードから笑みを覗かせた。確かに、疲れた笑みだ。だが同時に、その笑顔は溌剌としていて、どこか爽快感もあるように思えた。


「でも、こういう事をやりたかったんだろ?」

「はい。だから……今、とっても気分が良いです」

「そりゃ誘拐した甲斐もあったってもんだ」

「私も、誘拐された甲斐がありました」


 そんな軽口を小声で交わし合って、俺達は互いに小さく笑い合った。

 誰かに聞かれたらとんでもない誤解を招く会話だが、それさえもどこか楽しんでいた。


「神官様。この度は村の者達を救って下さり、感謝しております」


 ジェフリー村長が、アリシアに謝辞を述べた。それに続く様にして、他の村人達もそれぞれが深々と頭を下げていく。


「あ、あの。私は自分のできる事をしただけですから……どうか頭を上げて下さいまし」


 王女だから頭を下げられる事には慣れているはずなのに、何故か恐縮しているのが面白い。

 これがきっと、アリシアの素なのだ。王族なのに尊大に振舞う事に慣れていないというか、それさえも演じないとできない女の子。ただ、こういったところが彼女を〝聖王女〟たらしめている所以なのだろうなとも思えてくる。


「はあ、きっとあなた様はこのミンスター村を救う為に大地母神リーファ様が起こした奇跡ですじゃ。改めて明日の礼拝で御礼を伝えねば……」

「大袈裟ですよ。私はただ、本当に……そんな、大した存在じゃないですから」


 アリシアは口元に苦い笑みを浮かべてそう言った。

 彼女の声色はどこか暗かった。きっと本心からそう思っているのだろう。彼女の本心を知る俺には、何となくその理由がわかる気がした。

 今日彼女が成し得た事は、これまで彼女がしたかった事。そしてそれは即ち、これまではしたくてもできなかった事でもある。その分、そのの恩恵を得られずに苦しんだ者や亡くなった者達がいた証拠だ。彼女自身がそれを理解しているからこそ、素直にその言葉を喜べないのである。

 それから報酬の話になったが、アリシアは頑としてお金を受け取ろうとはしなかった。しかしその反面、命を救われた村人達も頑としてそれを受け入れようとしない。報酬を受け取る受け取らないで言い合いみたいになっているのだが面白かったが、全く折り合いがつかなかった。

 そこで──


「では、こちらの護衛の者に服を見立てて頂けないでしょうか?」


 何故か、アリシア王女殿下が俺を槍玉に挙げなさった。

 あの、アリシアさん? なんで俺がここで出てくるの? 俺全く関係なくないですか?

 そうは思うものの、このままでは一向に折り合いがつく気配がないので、村人達も喜んでそれに同意する。結局その後俺は商店まで連れて行かれて、服を選ばされたのだった。

 ただ、村人達もそれだけでは申し訳ないという気持ちからか、今後ミンスター村は俺達から一切のお金を受け取らない、と追加事項を勝手に決めてしまった。宿泊も食事も全部無料だそうだ。

 アリシアとしてはそれも申し訳ないと思っていたようだが、結局のところその報酬を受け入れていた。どうせ、この国を出たら俺達二人が揃ってこの村を訪れる事はもうないのだから、それはそれで構わないと踏んだのだろう。


「それにしても、報酬が俺の服って……何だか俺だけめちゃくちゃ恥ずかしい思いをしてる気がするんだけど」

「だって、シャイロは着替えを持ってなかったじゃないですか。お腹のところに穴も空いてしまっていますし……ちょうど良くありませんか?」


 俺が不平不満を漏らすと、アリシアはどこか楽し気にこう答えた。

 からかう響きがあるのだが、俺としても反論できないので黙り込むしかない。実際、部屋で干されている服は、脇腹のところに怪鳥騎士団レイブンナイツの野郎に剣で刺された穴がしっかり残っているのだ。


「ま、とりあえずは一件落着って事で、今日は宿に戻るか。豪傑熊グリズリーに関しては明日話し合うって言っていたし、アリシアも疲れただろ?」

「はい。今日はぐっすり眠れそうです」


 アリシアは笑顔を浮かべているが、その笑みからは疲れが漏れていた。

 俺は魔法を使えないので詳しくはないのだが、〈治癒魔法ヒール〉は術者の負担も結構あると言う。もともと教会や治癒士が高いを取っていたのは、その為だそうだ。

 治す対象がひどくなればなる程、術者への負担が大きくなるのも想像に容易い。その〈治癒魔法ヒール〉をあれだけ使い続けたのであるから、さしもの〝聖王女〟アリシアとて疲れないわけがないのである。

 だが、それでも彼女は一度たりとも治療をやめようとしなかった。きっとこれこそが、彼女が選んだ生き方なのだ。そして、それは同時に、教会の方針で過去に救えなかった人達への贖罪でもあるのかもしれない。

 それから俺達は宿屋に戻ってもう一度風呂に入ってから夕食を取った。食事中から随分と眠そうだと思っていたが、アリシアは部屋に戻るなりベッドに倒れ込んで、そのまま寝入ってしまった。本当に言葉通り『ぐっすり』である。

 何だか色々緊張して、二度目の風呂でも体の隅々まで洗ってしまっていた俺が自意識過剰の恥ずかしい野郎みたいになってしまっている。いや、実際に恥ずかしい野郎だ。冷静に考えてそんな事起こるはずがないのに、何を期待していたんだ俺は。


 ──ま、アリシアだけに頑張らせるのも何だからな。明日は俺が頑張るよ。


 スースーと可愛い寝息を立てているアリシアに心の中でそう語り掛けると、俺もベッドの中に入って眠りについた。

 何だかこれほど心地よい寝入りは、随分久しぶりだった。それはきっと、俺の中に充実感みたいなものが満ち溢れていたからだろう。

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