第37話 自然を眺めながらのランチタイム
住む家を決めると、レイモンドさんは掃除用具を貸してくれると言い、一旦ひとりで家に戻って行った。
掃除が終わって住める状態になるまではレイモンドさんの家に泊まっていいと言われているが、さすがにちょっとそれは申し訳ない。なるべく早くにこの家に住めるに越した事はないだろう。
レイモンドさんと別れた頃、時刻は既に昼前だ。昼食には少し早いが、彼が戻って来次第掃除を始めたいので、二人で先にマノアさんから持たせてもらったパンを食べる事となった。
さすがにまだ家の中で食べる気にはならず、俺とアリシアは家の近くの小川まで移動して、少し傾斜になっている場所に腰を掛ける。
バスケットにかけられた布を取ると、アリシアがその浅葱色の瞳を輝かせた。
「わぁ……! こんな食べ物は初めてです!」
「サンドイッチって言ってたっけ? シンプルだけど、革新的だよな」
俺達は具材がたっぷり挟まれたパンを見て、それぞれが感嘆の声を上げる。
二枚のパンの具材の間にトマトやレタス、鶏肉の香草炒め、卵やハムなどの具材を挟んで食べるサンドイッチという食べ物だそうだ。モンテール王国にはない食べ物なのだが、ウィンディア王国のサンドイッチ伯爵が侍女に命じて作らせたパンとの事で、そう名付けられたらしい。なるほど、モンテール王国にはない名前のはずである。
新鮮な具材と小麦の香ばしい匂いが、食欲を刺激する。
「朝ご飯を頂いたばかりなのに、もうお腹が空いてきました」
「結構歩いたしなぁ。早速頂くとしよう」
会話もほどほどに、俺達は早速サンドイッチにかぶりつく。
家を吟味しながら歩いて回る作業は、思ったよりも体力を消費したらしい。というより、未来の生活への希望が腹を空かせるのだろうか。腹が減っては戦はできぬ、というやつだ。
モンテール王国のパンより幾分柔らかいのがウィンディア王国のパンの特徴で、しゃきしゃきのレタスと相性がとても良い。瑞々しいレタスとトマトの味が、より卵やハム、鶏肉の味を引き立てる。ちょうど良い塩梅だ。
「ポトス村は食べ物が美味いよな。モンテールの王都で食べていたものと大違いだ」
「そう言われてみれば、そうかもしれません。私は立場上、きっと皆様より上質なものを食べさせて頂いていたと思うのですが、ここの食べ物は素材そのものがとても美味しく感じます」
「多分、鮮度が良いんだろうな。ここで獲れたものを、すぐに食べれてる。輸送する必要がないから、食べ物が傷まないんだ」
「そうですね。あとは……きっと、これもありますよ」
アリシアはそう言って、目の前の景色へと視線を送った。俺も釣られるようにして、目の前へと視線を移す。
目の前には一面の緑が広がっていた。草木を揺らす風が、少し離れた場所にある花畑の香りを運んでくる。小川がさざ波を立てていて、その川の中を小さな川魚が気持ち良さそうに泳いでいた。
「そうだな……こんな気持ちの良い場所で飯を食べたら、きっとモンテールのパッサパサな黒パンでも美味く感じる」
「もう。そんな事を言ったら、黒パンを作ってる人に失礼ですよ?」
アリシアがくすくす笑って俺の軽口を咎めた。
黒パンとは、柔らかくて風味もある上質な白パンに対して、黒みがあって硬くてパサパサしている低質なパンを指す。白パンと黒パンは価格にも三倍ほど差があるので、貧困層は黒パンしか食べられない。ちなみにポトス村で作られているパンは全て白パンで、黒パンという発想すらないそうだ。実に素晴らしい。
「随分遠くまで来たな」
「はい……遠かったですけど、その分道中も楽しかったです」
「確かに」
俺達はぼんやりと景色を眺めながら、この二か月間の旅を思い返す。
身分も育ってきた環境も全く異なる俺達ではあるが、不思議と喧嘩はしなかった。おそらく、気が合うのだろう。或いは、彼女が気を遣って合わせてくれているのかもしれないけれども。
危うかったトラブルと言えば、宿屋で同室となった時にうっかりと着替えを見てしまいそうになった事や、野宿の際に彼女が身体を拭いている時にうっかりと見てしまいそうになった事くらいだろうか。
「今日からここで、暮らすんですよね」
アリシアは視線の先を目の前から後方にある俺達の家へと移すと、そう呟いた。
「……そうだな」
未だに信じられないと言えば、信じられない。ほんの数か月前まで俺は傭兵で戦いに明け暮れ、アリシアは〝聖王女〟として国と教会を象徴する存在だった。
そんな俺達が二人で国を出て、遠い異国の片田舎でゆったりとした生活を送ろうとしているのだから、この世の中何が起こるかわかったものではない。
「あっ、レイモンドさんが戻ってきましたよ!」
アリシアが遠くに見えたレイモンドさんに向かって、大きく手を振る。レイモンドさんも彼女に向かって手を振り返していた。
「そういえば、アリシアは掃除した事あるのか?」
「あ、またそういう失礼な事を言うんですね? こう見えて、神殿で暮らしていた頃は〝掃除と炊事のアリシア〟で通っていたんですから!」
任せて下さい、とアリシアが胸を張って自信満々な様子で言った。
いや、自信満々なのは良い事だけど、それがモンテール王国の象徴たる〝聖王女〟の前の異名だと知ったら、国民達はどう思うのだろうか。色々と落胆しそうだ。
「頑張ってお掃除しましょうね!」
俺の考えている事など全く気付かない様子で、アリシアはこちらに向かって微笑んだ。
輝かしい王女の笑顔。その笑顔を前にすると、自然とこちらも笑みを浮かべてしまうのだった。
さあ、〝掃除と炊事のアリシア〟と共に、大掃除の始まりだ。
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