第36話 新居決定

 レイモンド村長宅で一晩ぐっすりと寝かせてもらった翌日は、レイモンド村長と共に住まい探しだ。いくつかピックアップしてもらった空き家を見て回る手筈になっている。


「良い家見つかるといいわね。またいつでもご飯食べに来てね」


 マノアさんが玄関まで俺達を見送ってくれた際に、そんな言葉を送ってくれた。ご丁寧に、俺とアリシアのお弁当まで持たせてくれて、である。ポトス村で暮らす事になったとは言え、まだ二日目。こんなにも優しくしてもらえるとは思ってもいなかった。

 アリシアと共に、この村に恩を返そうと誓った瞬間である(彼女とは目線で相槌を打った)。


「昨日のうちに何軒か調べておきましたが、具体的な希望はありますか?」

「治療院を併設する事も考えると、ちょっと広い方がいいかも。あとは……花畑が近いところがあれば」


 何となくアリシアが考えていそうだった事も付け加えると、彼女は顔を輝かせていた。全く、解りやすい事だ。


「おお、いいですね。わかりました。では、いくつか物件があるので見ていきましょう」


 レイモンド村長が任せろと言わんばかりに、村の東側へと進んでいく。

 俺としては、正直住めればどこでもいい。ただ、王女殿下──村の人達には知られてはならない事だが──を変な家に住まわせるわけにはいかないので、そこだけはしっかり見定めたい。


 ──っていうか、そっか。俺、その王女殿下と一緒に住むのか。


 ちらりと隣のアリシアを見て、大切な事を思い出した。

 そう、俺は彼女とこれから同棲するのだ。それも、駆け落ちしてきた恋人同士として。

 もう一か月以上一緒にいるので今更二人きりで緊張する事もないが、一つ屋根の下で同棲するとなると話は別だ。女と同棲した事など人生でなかったのだから、緊張して当然である。まだ家すら決まっていないが、その同棲相手が〝聖王女〟アリシア=ヴィークテリアス。色々ぶっ飛んでいる事は間違いない。

 一体家ではどんな顔をしてアリシアと話せばよいのだろうか。変に意識してしまわないだろうか。風呂とか寝室とかどうなるんだろう? 事故が起きなければ良いのだけれど──等々、不安な点を上げればキリがない。

 今までも着替えや身体を絹布で拭いているところをうっかり見てしまいそうになった事があり、その度に冷や汗をかいた。一緒に暮らす以上、これからそういった事故が起きないとも限らない。というか、接する回数が多ければそれだけ事故る可能性も高まるし、何ならほぼ確実に起こるだろう。むしろ事故を期待している自分さえもいる。


「……? 楽しみですねっ」


 アリシアは俺の視線を別の意図として受け取ったようで、にこりと微笑んで見せた。その純粋な笑顔を見ていると、少し邪な事を考えてしまっていた自分が情けなくなってくるのだった。

 昨日レイラに案内されて歩いてきた道のりを、今度はレイモンド村長と共に歩いて戻る。

 なだらかな道を三人で歩いていると、まばらな民家が見えてくる。きっちりと決まった区画があるわけではなさそうで、それぞれがかなり広い敷地を持っていた。

 レイモンド宅周辺ほど家々は密集していないが、近過ぎず遠すぎず、程よい距離感で家が建てられていた。


「あんまり他の人の家が近くにない方がいいよな」

「そうですね……家が近いと、色々気を遣ってしまいますし」


 アリシアが苦笑いを浮かべて答えた。

 彼女が何の心配をしているのかはわからないが、人の気配がなるべく近くにない場所の方がいいとは俺も思っていた。ジャカール公国を越えてウィンディア王国まで来たが、やはり暗殺までされた身となると、完全に警戒心が消え去るわけがないのである。

 実際に宿屋を利用した際は、神経が尖っていて隣室の小さな物音でも目を醒ましていた。人がおらず周囲の気配がわかりやすい家の方が異変にも気付きやすいし、俺の精神衛生にも良いだろう。

 そんな事を考えながら村を見て回っていると、ある事に気付く。それぞれの家の敷地が広いので、どの家も皆家庭菜園をやってるのだ。近くには小川が流れているので、水にも困らないのだろう。


 ──なるほど。農業に関しては素人だし、こうやって小規模なものから始めていくのがいいのかもしれないな。


 今まで村を見ていてこんな感想や発想など抱いた事もないが、これからの俺はこのポトス村の村人。傭兵でも戦士でもはないのだ。こうした発想を当たり前にしていかなければならないだろう。

 それからレイモンドさんの紹介で何軒か見て回ったが、しっくりきたのは三件目の家だった。


「おっ……ここは」

「良いんじゃないでしょうか」


 俺とアリシアが、その建物を見て時を同じくして好感の言葉を漏らした。

 一階建てではあるものの、横に長く外の家よりも少し大きい。周囲に家もなく、ぽつんと建っているのも好印象だ。

 何より一番良いと思った点は、離れに大きな倉庫があったところ。この倉庫の中を改造してしまえば、アリシアの治療院にできるだろう。生活圏と仕事場を別個にする事で、アリシアも気分を切り替えやすい。

 また、前に住んでいた人がいなくなってからそれほど日が経っていないらしく、他に見て回った家よりも老朽化していないのも良い。さすがに雨漏れや穴が空いていては、住む前に修繕の方に手間がかかってしまう。いつまでも村長宅に世話になるのも申し訳ないので、なるべく早くから住めるところが良かった。


「早速見てみても良いですか?」


 アリシアが声を弾ませてレイモンドさんに訊いた。

 村長は「どうぞどうぞ」と扉を開いて、中へと促してくれる。


「……ここだな」

「ですね」


 中に入った瞬間、俺とアリシアは同じ感想を抱いた様だった。王族と傭兵上がりと随分身分が違うのだが、彼女とは案外気が合うらしい。

 まだ中を隅々まで見ていないのだけれど、ほぼほぼ直感だ。ただ、こういう直感は家を決める際に一番大事だと思っている。直感でダメだと思っているところを値段や場所で妥協してしまうと、後々後悔する事が多いのだ(少なくとも王都での仮住まいではこの法則は確実だった)。

 リビングと台所が一つになっている大きな部屋を主軸として、他にもいくつかの部屋がある。壁の色は暖色系で、どこかほっとする色合いだ。床は木製の木目柄で、汚れも少ない。

 今は家具がなくてすっからかんな印象だが、これから家具を揃えていけば良い感じになるだろう。


「シャイロ、お風呂がありますよ!」


 奥の部屋を見ていたアリシアが歓喜の声を上げた。


「マジか!」


 俺も彼女を追って声がした部屋に行ってみると、脱衣所があって、その向こう側には大きな湯船が鎮座する浴室もあった。

 浴槽は長方形でかなり大きく、二人でも入れそう……って、誰と二人で入るつもりなんだ、俺は。お風呂は一人で入るもの。そう自分に言い聞かせる。


「おお~……ほんとだ。これは有り難い」


 王都でも風呂付きの一軒家となると、滅多にない。

 大体は大きな風呂がある家から借りるか、大衆浴場を利用するのが慣習だ。


「前に住んでいた方が風呂好きで、小川と井戸が近いからって浴室を作ったんですよ。尤も、湯を沸かすのが大変だとよくぼやいていましたがね」


 レイモンドさんが肩を竦めてそう言った時、俺とアリシアは顔を見合わせ、互いに笑みを浮かべた。

 確かに、一般人なら浴槽に水を貯めたり湯を沸かすのは大変だ。しかし、このアリシアと彼女が持つ魔道具さえあれば、話は別である。

 あの魔道具は水を出せるし、更には水を暖める事もできる優れモノ。俺も旅の途中で、何度も助けられた。水浴びができない場所では桶に水を出してもらい、更に魔道具を火属性に変えてから浸す事で、お湯にできるのだ。その湯で浸した絹布で身体を拭くと、幾分かはすっきりする。


「お花畑まではどれくらいかかりますか?」


 アリシアがレイモンドさんに訊いた。


「早く歩けば一〇分くらいですかなぁ」


 その言葉に、アリシアはこちらを見て目だけでニッと笑ってみせた。その浅葱色の瞳はキラキラと輝き、一つの意思を明確に示している。どうやら、ここで確定らしい。

 俺とアリシアは同時に村長の方へと身体を向けた。


「レイモンドさん」

「私達、ここに決めました」


 こうして、俺とアリシアの新しい住処──レイモンドさん曰く、〝愛の巣〟──が決まったのだった。

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