第22話 恋する乙女は胸躍らせる ◆アリシア視点
──どうしてシャイロはここまで私に気を遣ってくれるのでしょうか?
〝聖王女〟にしてその称号と立場を捨てた少女・アリシア=ヴィークテリアスは魔物退治に向かうシャイロの後姿を思い出しながら、そんな事を考えていた。
アリシアの本心としては、確かに彼の言う通り、
今回の
確かにミンスター村の人々は彼女の父が治める国の民であるが、彼女自身は今やその立場を捨てたつもりでいる。民を守る義務もなく義理もないわけで、更に言うならば、このミンスター村の人々も〝神官殿〟が聖王女アリシアである事に気付いていない。別にそこまで手助けしなくとも、責める者はいないはずだ。
村人達を救いたいという気持ちは、言ってしまえば、困っている人を助けたいというアリシア自身の我儘でしかなかった。それが自身の我儘である事も彼女は理解していたので、その我儘をシャイロに押し付ける気もなかった。
だが、シャイロは──そんなアリシアの気持ちを慮って、議論するまでもなく自ら魔物退治を名乗り出てくれたのである。彼女には、彼がそこまでしてくれる理由がわからなかった。
「シャイロ……怪我をしていないでしょうか」
アリシアは何度目かの溜め息を吐いて、村の入り口の方に視線を向けた。
シャイロの強さについては、資料を見てよく知っているつもりだ。戦だけでなく、辺境に現れた魔物退治でも彼は活躍していた。騎士団が苦戦していた強い魔物をも一瞬で討伐したとの記録も見た事がある。おそらく、今回も大丈夫なはずである。
だが、彼女は実際にシャイロの戦いを見たわけではない。魔物に受けた傷の悲惨さについては、治療したアリシアが一番知っている。当たり所がわるければ、即死してもおかしくない爪痕だった。
たかが熊の魔物と言えども、その鉤爪は脆弱な人間の身体など簡単に引き裂いてしまう。せめて彼が魔力の付与された防具でも身に着けてくれていれば少しは心配も和らぐのだが、シャイロは鎧どころか昨日報酬として貰った衣服だけで討伐に行ってしまったのだ。さすがにアリシアとしても不安が残る。
「大丈夫よ。あの剣士様は戻ってくるわ」
ふと、アリシアの背後からそう声を掛けてきたのは、宿屋の女主人だった。
彼女もアリシアと同じく、村の入り口の方を見ている。
「あなたの護衛なんでしょう? 信じないでどうするの」
「それは、そうなんですけど……」
そうは答えるものの、アリシアとしては本当にそうなのかの自信が持てていなかった。
護衛ではない。仲間でもないと思う。では、アリシアとシャイロの関係は何なのだろうか?
アリシアにとっては、密かに憧れていた人だ。だが、彼にとっては、ただ何となくの行きずり関係でしかないのではないだろうか。
そう考えると、少し不安になってくる。
「……っていうか、あの〝黒曜の剣士〟様が魔物如きに負けるわけがないんじゃなくて?」
唐突な女主人の言葉に、ハッとして顔を上げる。
──え? どうして……? 気付かれていたんですか⁉
思わず、警戒心が高まってアリシアは身構えた。
「あらやだ。そんなに警戒しないで頂戴。彼は覚えてなかったみたいだけど、あたしは昔、彼に助けられた事があるのよ。あのぼさぼさポニーテールなんてそうそう居ないんだから、一目見て気付いたわよ」
「あっ……そうだったんですね」
その言葉に、アリシアはほっと安堵の息を吐く。どうやら悪意があるわけではなさそうだ。
「何年か前だけどね。まだ宿屋を始めたばかりで、王都の方に自分で買い入れとかもしていたんだけど、その時魔物に襲われてね。もうダメかと思ったんだけど、〝黒曜の剣士〟様が颯爽と現れて退治して、そのまますぐにどっか行っちゃった。御礼言いたかったんだけどねえ」
困り眉で呆れたように笑うと、女主人は肩を竦めた。
しかし、それからすぐに顔を引き締め、また視線を村の入り口に戻した。
「あんなに強い人が、河に落ちて溺れ死ぬなんてあるわけないじゃない。何かあるとは思ってたわ。例えば……王女様を連れてどこかに逃れる最中、とかね」
「え⁉ どうして──」
「いくらフードで顔を隠してても、その銀髪にあの〈
って言ってもお父さんとあたしくらいだけどね、と女主人は付け加えた。
曰く、昨日の一件で村長と女主人はアリシアとシャイロの正体に気付いているそうだ。だが、二人がワケ有りで正体を伏せているのは見ての通りだ。二人は密かに話合い、アリシア達の事は一切他に漏らさないと結論付けたのだと言う。
「あなた達はこの村の恩人だもの。絶対に売ったりなんてしないわ。村の人達には上手い事言ってあなた達の素性は誤魔化しておくし、万が一
「……そう、ですか」
アリシアは肩を落として溜め息を吐く。
こう答えてしまうと肯定してしまっているようなものだが、今更隠したところで遅いだろう。
気を引き締めなければ、と再度認識させられた。今回はたまたま良い人達だから良かったものの、彼女達がその気になれば、領主に知らせてアリシアとシャイロを突き出す事だってできたのだ。尤も、それをしたところでこの村には何も恩恵がないのだろうけども。
「で、駆け落ちでもしてるの?」
「──⁉ ち、違います!」
「あら、ひょっとして当たってた? 冗談だったのに」
アリシアの反応を見て、女主人が呵々として笑った。
だめだ、どうにもペースを握られてしまいがちだ。先程気を引き締めなければと誓ったばかりなのに、これではすぐにボロが出てしまいかねない。
「傭兵と王女様が駆け落ちだなんて、素敵だわ! 将来舞台原作になりそうね!」
アリシアはフードを深く被って、無視を貫いた。
ここで反論してはこの女主人の思うつぼだ。
「まあ、冗談はさておいて……ほら、帰ってきたわよ。あなたの王子様」
その言葉に、アリシアはハッとして顔を上げると、村の入り口に向かってくる馬車が目に入った。その後ろの荷台には、
村人たちが歓声を上げて、シャイロ達を出迎えていた。
シャイロは村人達の歓声には興味なさげに流していたが、アリシアの視線に気付くと、彼女の方にだけ小さくピースサインを送ってくれた。
「もう、シャイロったら……」
アリシアは嬉しさに動かされて反射的に微笑みつつ、どこか胸が締め付けられるような感覚を覚えたのだった、
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