第21話 猛獣退治②

 山に入ってから程なくして、豪傑熊グリズリーとは遭遇した。

 少し高台となった丘から彼らを見下ろし、数と配置を確認する。敵の数は三体。獣どもはまだ俺達には気付いていない様子だった。


「昨日も三匹だったか?」


 青年に訊くと、彼は「はい、三匹でした」と緊張した面持ちで応えた。

 昨日あの爪で引き裂かれた事を思い出したのだろう。顔を青くして、震えている。


「ひ、火矢を放って先制しましょう! 奴ら獣は皆、火は苦手なようですので!」


 青年は自らの奮い立たせるようにしてそう言った。

 彼は彼なりに、必死なのだろう。昨日死にかけたのに、その相手に立ち向かう姿は逞しい。

 俺はその震える肩にぽんと手を置いた。


「安心しな。お前達の出番はない」


 俺は背の〝禍黒剣ティルフィング〟を抜き放ち、かすかな冷笑に似た笑みを唇の端に浮かべる。


「黒い刀身の剣……剣士殿、あなたは一体何者なのですか」


 俺の愛剣を見て、同行していた青年の一人がぎょっとする。

禍黒剣ティルフィング〟は強力な魔法が付与された魔剣である。刀身が血を欲する様に光っており、青年達はその禍々しさに顔を引き攣らせていた。


「そんな事はどうでもいいさ……お前らはここで、哺乳瓶でも咥えて待っときな」


 俺は質問に答えずそう言い残し、体勢を低くして丘を駆け降りて行く。急な下り坂であるが、この程度の傾斜はさして気になるものでもない。アリシアから治療してもらって初めて走ったが、身体も完全に問題なさそうだ。

 豪傑熊グリズリー三匹のうち一匹が俺の存在に気付いて、獣の咆哮を上げた。他の二匹もそれに呼応するように、立ち上がって咆哮を上げる。


 ──へえ、近くで見ると思ったよりでかいな。


 豪傑熊グリズリーの大きさは三匹とも同じくらいで、およそ三メルト程。俺の倍近くの大きさだ。

 武に覚えがあるわけでもないのに、よく村の連中はこいつらに立ち向かおうと思ったものだ。その勇気は賞賛に値する。

 俺は坂を駆けおりる速度を緩めず、そのまま豪傑熊グリズリーに向かって一直線で突き進む。


「ガァッ!」


 豪傑熊グリズリーはその丸太の様に太い腕を横に力強く振るってきた。あの鉤爪で引き裂かれれば、きっと俺の身体も青年のごとく骨ごとぱっくりと持って行かれてしまうのだろう。

 だが──こんな獣の攻撃など、俺にとっては停まって見えるも同然。地面を蹴り上げて、空へと舞い上がる。


ひとつ」


 豪傑熊グリズリーの後ろに回るついでに、その首を一閃。俺が地面に戻ってくる頃には、大熊の頭が代わりに空へと舞い上がっていた。

 他の二匹が怒りの咆哮を上げるが、お構いなしに二匹目へと向かって地面を蹴って熊の前へと踊り出る。

 このまま一閃して屠るのは容易い。が、あまり早くに倒してしまっても、体の調子の確認にもならない。どうせなら、少し相手をしてやろう。


「ほれ獣。俺が稽古をつけてやるぞ」


 獣相手に、そんな軽口を言ってみる。

 無論、言葉などわかるはずのない豪傑熊グリズリーが、悍ましい咆哮を上げながらその腕をぶんぶんと俺に向かって振るった。

 俺は敢えてその攻撃が当たる寸前まで待って、ギリギリのところで避ける事でそのスリルを楽しんだ。


「ほらほらどうした、そんな事ではお前も首が飛ばされてしまうぞ」


 軽快な足取りで右へ左へステップを踏んで、攻撃を避けてやる。

 もう一匹の方も攻撃に参加して二匹の同時攻撃を受けるが、俺にとっては丸太がぶんぶん振り回されているも同然。攻撃のリズムも単調であるし、避けるのは造作もない事だった。


「……もういい。飽きた」


 何度か同じ動作を続けた頃合いにそう呟いて〝禍黒剣ティルフィング〟を跳ね上げると、丸太の様な熊の太い腕が宙を舞う。

 自分の腕が飛んだ自覚のない豪傑熊グリズリーが体勢を崩した。熊の頭が低くなったところで、俺はその頭に手を着いて高く跳んで、もう一匹の攻撃を避ける。片手を失った豪傑熊グリズリーの後ろに降り立つと、そのまま両足に向けて剣を一閃。胴体と足が切り離され、豪傑熊グリズリーの身体から鮮血が飛び散った。


ふたつ」


 身体が地面に落ちてきたところで、その心臓目掛けて真っすぐにひと突き。狙いは違わず、ずぶりという音と共に臓器を貫く感触が手に伝わってくる。


「ガァッ⁉」


 二匹の仲間が一瞬のうちに屠られたのを見て、獣と言えども恐怖を感じたのだろう。最後の一匹がその獣の表情に恐怖の色を浮かべると、一目散に後方へと逃げ出した。


「本当なら逃がしてやりたいところなんだが……生憎と、そういうわけにも行かなくてな」


 俺はそう呟くと、〝禍黒剣ティルフィング〟を右手で持ち、上段へと構えて闘気を集中させた。

 ここで逃がせば、きっとこの獣は人を憎み、復讐を企てるだろう。その時、被害に遭うのはミンスター村の住民達だ。

 ならば、選択肢は一つしかない。


「己の不運を呪って死んでくれ、獣──奥義『夢棺ゆめひつぎ』」


 そのまま俺は、剣を真っすぐに振り下ろす。すると、衝撃波が波となって空間に断層をもたらしし、真っすぐに獣の背へと突き進んでいく。狙いは違わず、獣の身体の正中線を境に、ぱかっと左右に真っ二つになった。


みっつ」


 三匹目の死を確認すると、俺は剣を背中の鞘へと戻した。

 奥義『夢棺ゆめひつぎ』──闘気剣を真っすぐに振り下ろす事で衝撃波を発生させ、敵を両断する俺の必殺技である。一旦動きを停めて闘気を右手に集中させないといけないので多数戦では向いていないが、一対一の勝負であれば、必殺間違いなしの大技である。

 この技を喰らえばご覧の通り悲惨な状態になるので、人間相手には使わない、というのが俺のポリシーだ。人間を殺すだけで言うなら、この技を使わなくともただ喉元に一閃するだけで十分である。わざわざ人としての尊厳を潰す必要もあるまい。

 獣相手にも必要がないと言えば必要がなかったが、今回は身体の調子を確認したかったというのがあった。アリシアの治療は凄まじく、何だか以前よりも体の動きが良くなった気さえする。これまでの戦いで蓄積した古傷も治してしまったのかもしれない。関節の動きも良かった。


「す、すげえ! あの豪傑熊グリズリーを弄ぶように……! あんた、本当に何者なんだ⁉」


 丘の上から戦いを見守っていた自警団の青年達が駆けおりてくると、驚きを隠せない様子で口々に俺に称賛の言葉を投げかけてくる。


「別に……神官殿の旅の御供さ。それ以上でも、それ以下でもないよ」


 俺は青年達の賞賛に対して、特段感情を込めずにそう返した。

 別に、獣を退治したところでそれほど喜ぶものでもない。そもそも、何かを殺めて賞賛される事自体がおかしいとさえ思っていた。これまで戦で幾多と命を奪ってきたが、何かを殺めて嬉しかった事など過去にない。

 ただ必要だったから、それしか生きる術がなかったからそうしてきただけである。

 ただ、きっと──そんな日々に、俺はもう疲れてしまった。

 今はただ、お人好しな王女殿下と何処かで静かに暮らす方が、魅力的に思える……それだけだ。

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