第25話 逃がし屋という生業

 翌朝、俺達はミンスター村の村民達に見送られて朝一番に村を立った。

 村人達からは『もう少しゆっくりしていけばいいのに』と引き留められたけれど、これ以上時間を割くわけにはいかない。本当であれば、昨日のうちに出て行きたかったというのが本音だったのだ。

 もし俺が自らの名を偽らなければならないような状況(ミンスター村では偽名を用いていた)でなければ、或いはのお姫様を匿っている状況でなければ、もう少し滞在してもよかったのかもしれない。それだけあの村は穏やかで暖かかった。

 しかし、現状はそれが許される状況ではない。俺は河で溺れ死んだ事になっている傭兵であるし、同行者は自らの取り巻く環境に嫌気が差して全てを変えたくなったお姫様だ。

 ともかく、身元不明の溺死男がお姫様を連れ回しているこの状況は、一刻も早く終わらせたい。せめて隣国に逃れられたらもう少し安心できるのだが、今の状況では正直気が気でない。いつどこで追っ手に見つかるかわからないのだ。

 ただ、ミンスター村では国境付近にある町・ハイラテラへの足を手に入れる事ができた。これだけでも有り難い。この身元不明の溺死男と家出中のお姫様が無事国境を抜けるには、の協力が必要不可欠だからだ。

 俺やアリシアは、おそらくこのモンテール王国の中ではかなり顔が割れている。俺はおそらく最も有名な傭兵であるし、アリシアに至ってはお姫様だ。国境警備隊に気付かれる可能性が高い。

 関所を通らずに山越えをして国境を越える手もないわけでもないが、その場合はかなり時間を要してしまうし、国境付近には村がないので、途中で物資の仕入れができなくなる。それに、今の俺達は山越えができる装備ではない。食糧難や予期せぬ事態が起こった時はそのままおっぬか、蛮族になり果てるしかないのである。俺達が理想としたのんびりとした暮らしとは程遠いものになるだろう。そのリスクを回避するには、関所を通り抜けてジャクール公国に入る必要があるのだ。


「そこで鍵となってくるのが、『逃がし屋』の存在さ」


 俺はアリシアに今後の行動指針について説明した。

 俺達を乗せてくれている商人は御者席で馬車を御しているので、彼の耳には要らぬように声を抑えて話している。


「逃がし屋さん、ですか。一体どういった方なのでしょう?」


 アリシアは初めて聞いたであろう単語に興味を示した。

 彼女が知らないのも無理はない。逃がし屋とは一般的に知られていない存在で、おそらく国でさえも把握していない裏稼業者なのである。


「逃がし屋ってのは、国に居辛くなった人達を、他国に亡命させる事を生業にしてる奴ってところかな」

「え⁉ それって、犯罪じゃないんですか?」

「まあ、国側から見たらそうなるかな。でも、国のせいでそうせざるを得なかった奴もいるから、正直何とも言えない。実際俺達も今からそれに頼らなくちゃいけないわけだしな」


 今俺達の置かれている状況は、非常に宜しくない。綺麗事なんて言っている場合ではないのだ。

 亡命なぞ本当なら誰もしたくないだろう。他国に移住するのと亡命には決定的に異なる部分がある。それは、二度と生まれ故郷の土を踏めなくなるという事だ。自分の生まれ故郷に自由に出入りできなくなる状況になぞ誰も陥りたくない。

 だが、それを強いられる者が世の中にはいる。皆何かしらのっぴきならない事情を抱えた者達だ。

 無実の罪を被された者、政敵から命を狙われる者、何らかの事情で死んだ事にして欲しい者、この国から逃げたい者……要するに国に居場所がなくなってしまった者達が、その命を守る為に最後に頼るのがこの『逃がし屋』だった。


「そんな人達がいたなんて……私、何も知りませんでした」


 アリシアは『逃がし屋』を単なる犯罪者と思ってしまった事を恥じているようだった。

 誰だって好きで亡命するわけではない。生き残る為の最終手段なのだ。国側から見れば『逃がし屋』は犯罪者だろうが、逃げる側からしたら最後に頼る者だ。立ち位置が変わるだけで、彼らの見え方は全く異なる。


「まあ、普通は知らないさ。国も『逃がし屋』を生業にしている連中がいるのはわかっているとは思うけど、誰がやってるかまでは見当もついていないみたいだからな。普通に生きてれば、関わる事はない」

「きっと、シャイロみたいにお父様やフランソワ宰相のせいで逃がし屋さんに頼らざるを得なかった人達もいるんでしょうね……」

「……かもな」


 俺は言葉を濁した。

 実際に俺は国から直で雇われる前に、亡命する要人の警護の依頼も受けた事がある。

 その中には政敵に陥れられた者もいたし、商売敵に命を狙われた者もいた。そうして逃げざるを得なかった者達もいる反面、脱税がバレて国からとっ捕まる前に金を持ち出して他国で優雅に暮らしたいという連中もいる。『逃がし屋』の是非を問うのは難しいが、少なくとも今の俺にとっては必要な存在だ。


「さあ君達! ハイラテラの町が見えてきたぞ」


 御者席の商人が荷馬車の方を振り返って言った。

 彼の後ろから外を覗き見ると、ハイラテラの城壁が遠くにあった。

 馬車に乗せてもらったまま町の中に入ると、そこで商人とは別れた。困った時は頼ってくれと言われたが、おそらく俺達がこの地を訪れる事は二度とないだろう。


「さて、と。それじゃあ、いくか」

「はい!」


 アリシアは元気に頷いた。

 国境付近の町・ハイラテラ。逃がし屋が見つかれば、いよいよもってモンテール王国からは出る事となる。その時、この国の土を踏む事は二度となくなるだろう。

 この国の王女たるアリシアにとって、本当にそれで良いのだろうかと正直思うところはある。だが、彼女の表情を見る限り、迷いがある様には見えなかった。


「……? どうしたんですか?」


 俺が横顔を眺めていたので、その視線に気付いたアリシアがこちらに首を傾げてみせた。


「いや……何でもないさ。とっとと逃がし屋を探しにいこう」


 アリシアはもう一度頷いて見せると、俺の半歩後ろを歩いてついてきたのだった。

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