第26話 〝逃がし屋〟ナロン

 ハイラテラの町は国境付近にある町ではありながらも人口は少なめで、比較的落ち着いた田舎町であると言えよう。

 俺達はまず大衆浴場に向かって身体を清めてから、早速アリシアを伴って目的地へと向かった。バーマスティ商会──ジャクール公国との交易を主な仕事とする貿易商だ。と言っても、貿易は表向きの仕事で、本業は『逃がし屋』である。その為、職員も一人しかいない。

 町の隅っこにある小さな建物の前で、ふと記憶を思い返す。


 ──えっと……三・三・五・二、だったかな。じゃないと良いんだけど。


 俺は数年前の記憶を思い出しながら、三回、三回、五回、二回と扉をノックする。これは謂わば暗号みたいなもので、この定められた回数の扉をノックすると、『緊急の要件』として受け入れてくれるのである。

 というか、これをやらないと、家の中にいても鍵を開けてくれない事があるのだ。このノックを用いても反応がないとなると、外出中かという事になってしまう。

 とは即ち、他の誰かの亡命の手助けをしているという事だ。そうなると、俺達は彼が戻ってくるまでこの町で足止めを喰らってしまう事になる。できれば避けたいが、こればっかりは運だ。

 ノックの後、暫くその場で待っていると、カチャ、と開錠される音が聞こえた。

 俺とアリシアは互いに横目で視線を交わす。彼女は緊張した面持ちで唇を結んでいた。違法な事を生業としている者だからどんな強面なのかと不安に思っているのだろう。まあ、それは完全な杞憂なんだけれど。


「入っていいよ」


 中から少年の様な声が聞こえ、カチャっと鍵の音がした。

 ドアノブを捻って中に入ると、そこには十を少し超えたくらい少年がいた。

 アリシアが隣で「男の子……? 召使いの方でしょうか?」と小声で尋ねてきたが、俺は首を横に振る。

 そう──この見掛けからしてどう見ても少年にしか見えないこの男こそが(ちなみに俺より年上で三〇歳だそうだ)、俺達の運命を担う〝逃がし屋〟ナロンなのである。


「いらっしゃい、逃がし屋『バーマスティ商会』へようこ──って、シャイロ⁉ シャイロじゃないか!」


 ナロンは俺の顔を確認するや否や、吃驚の声を上げた。


「よう。久しぶりだな、ナロン。二年ぶりくらいか?」

「久しぶりだ、じゃないよ! 一体どうしたってわけさ⁉ 王国で活躍してるって思ってたら、急に河で溺死したって昨日聞いて何事かと思ったんだよ⁉」


 ナロン曰く、つい昨日あたりに〝黒曜の剣士〟シャイロの訃報がここハイラテラの町にも届いたらしい。酒場でその報を聞いた時、彼は気管に酒が入って死にそうになった挙句、未成年飲酒で検挙されそうになったそうだ。えらく文句を言われたが、後半については俺のせいではないと思う。


「心配掛けて悪かったよ。色々しくった。俺もまだまだ甘かったと反省したさ」


 肩を竦めてそう答えると、ナロンは大きく溜め息を吐いた。


「まあ、君ほどの人間がそう簡単に死ぬわけないとは思ってたけどねえ……死んだままにしてるってところを見ると、何か相当面倒な事に巻き込まれたってところかい?」

「ああ。どうやら俺を殺したがってる連中がいるらしくてさ。色々面倒だから、もういっそ死んだ事にして、この国から出てしまおうと思ったってわけ。で、俺とこの子をジャクール公国まで逃がして欲しいんだけど……」

「なるほど。で、そちらの女性は?」


 ナロンは俺の隣のフードを被った神官風の少女──アリシアの方をちらりと見た。

 アリシアに目配せすると、彼女はこくりと頷いてから、フードを脱ぐ。彼女の顔が顕わになった時のナロンと言ったらなかった。目玉が飛び出るかと思う程大きくなっていたのだ。


「なッ……はあ⁉ 嘘でしょ⁉ アリシア王女殿下⁉」


 ナロンは俺とアリシアを何度も見比べて、何度も「はあ⁉」と言っている。おそらく彼の逃がし歴の中でも一番の大物だろう。貴族を逃がす事はあっても王族を逃がす事はなかったはずだ。


「あの……この度はお世話になります。アリシア=ヴィークテリアスです」


 宜しくお願い致します、とアリシアは丁寧にぺこりと頭を下げた。


「宜しくって言われても……ええ?」


 ナロンの方は未だ信じられない様子で、自らの手指を食べてしまいかねない勢いでがじがじ噛んでいる。どんな反応をしてるんだお前は。


「しゃ、シャイロ? どういう事か説明して? まさか君が狙われてるのってアリシア王女絡み?」

「それとはちょっと違うんだけど……まあ、切っ掛けはそうなるのか?」


 とりあえず俺は、簡単に事の成り行きだけを説明した。

 説明したのは、俺が宰相に狙われている事と実際に死にかけた事、そしてそこをのアリシアに救われた事のみだ。アリシアの理由についてまでは触れていない。話していいのかどうかの判断が俺にはできなかったからだ。


「なるほどね……それで、ウィンディア王国までいきたい、と。まさか君が王女様と駆け落ちをするだなんてね」

「駆け落ちじゃないっての。ただ、目的が合致しているだけさ」

「目的、ねえ……?」


 ナロンは胡乱な瞳で俺を見つめると、顔を引き締めてアリシアへと向き直った。


「あの、アリシア=ヴィークテリアス王女殿下。僭越ながら、意見を述べさせて下さい」

「は、はい」


 ナロンの畏まった態度に、アリシアも改めて背筋をぴっと伸ばす。


「僕はもうかれこれ十年くらいこの〝逃がし屋〟をやっており、様々な者達をジャクール公国に送り出しております。僕の知る限り、その者達がこの国の土を踏んでおりません。亡命をする方々は皆、この国の土を二度と踏めないのです。もし、外遊の様な気分でシャイロに御供するというのでしたら──」

「構いません」


 アリシアはナロンの言葉を遮って、しっかりとその浅葱色の瞳で彼を見据えて続けた。


「こうしてシャイロと一緒に過ごすようになって、よりその気持ちを強く持つようになりました。本当の意味で国を出る決心ができたんだと思います。私はシャイロと一緒に……ウィンディア王国へ行きたいのです」

「アリシア……」


 その言葉と声色には一滴の迷いもなく、彼女の強い決意が籠っていた。

 本当の事を言うと、こうしていざ〝逃がし屋〟に手伝ってもらって亡命までするとなると、彼女は躊躇するのではないかと思っていた。もしそこで躊躇するなら、それはそれで構わない。彼女にとって望まぬ未来が待っていたとしても、彼女がやりたい事をできなくなってしまったとしても、王宮で生活して王妃として座する事の方が明らかに将来は安泰だからだ。俺なんかと一緒にきたところで、どんな未来になるのかなんて想像もできない。下手をしたら、死んでしまう事だって有り得るのだ。

 だが、アリシアの決意はこの期に及んでも全く揺らぐ事はなかった。どうして彼女がここまでの決意を持ったのかは俺にはわからないけれど、それでも本気なのは明らかだ。

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