第15話 王女殿下の秘めたる恋心② ◆アリシア視点

「あっ。何かのハーブが入っているのでしょうか。お湯から良い匂いがします」


 湯船に浸かると、ハーブの香りがアリシアの鼻腔を擽った。

 何のハーブかまではわからなかったが、その匂いはここ数日の彼女の疲れまで取り除いてくれるのではないかと錯覚するほど、心身共にリラックスをもたらしてくれる。

 そのお湯に肩までどっぷりと浸かり、シャイロとの出会いを想い出す。

 シャイロはうっすら目を開けると、アリシアの名を呼んでくれた。彼女の事を覚えてくれていたのだ。

 認知していたのが自分だけではない事を知って嬉しかったし、それと同時に何としてでも救わなければと賢明に治療をした。ここが自分の人生の岐路だと言う事を彼女は無意識のうちに悟っていたのかもしれない。

 幸い、シャイロは瀕死ではあったものの、発見が早かった事もあって何とか治癒できた。もう少し遅かったならば、さしもの〝聖王女〟と言えども治療できなかった。彼はそれだけ酷い状態だったのである。腹の刺し傷は臓器を抉り取っており、それ以外にも濁流に揉まれたからか、手足も骨折していた。血も流し過ぎていて、身体は生命を維持できる状態ではなかったのだ。

 無事治療が間に合った時は、心から安堵したものだ。そして、自らの意思で誰かを治療し救える自由に感謝した。こうして目の前に瀕死の人間がいるのに治療させてもらえないとなれば、それこそ何の為の回復術師なのかわからない。

 それからシャイロが目を覚まして、事情を聞いた。

 どういう運命の悪戯なのか、彼を酷い目に遭わせたのもフランソワ宰相絡みだった。もしかすると、理由の一つにはアリシアが恋に落ちるきっかけとなったあのパーティーの一件も絡んでいる事も考えられ、彼女としては申し訳ない気持ちで一杯になった。

 もしシャイロがフランソワ宰相からの暗殺を国王に訴えると言った時は、素直にそれを聞き入れるつもりだった。には失敗してしまうが、それを切っ掛けにフランソワ宰相の行動に父王が疑問を抱き、アルミロとの縁談を破棄できるかもしれないと思ったからだ。

 だが、シャイロはそれを選ばなかった。


『あいつらが俺を死んだと思ってくれてるなら、それを使わない手はないさ。このまま身を隠して、どこか遠くの田舎でのんびりと暮らすのも良いかもしれない。戦う事にも疲れてたしな』

『戦いとか政治とか、そういう面倒な事は全部忘れて、静かにのんびり暮らす』


 迷いすら見せず、即答で彼はこう答えた。自らを死んだ事にしたままどこかで静かに生きるのだと言う。

 その時に彼が穏やかな表情で語った展望には、アリシアも惹かれるものがあった。それはきっと、心のどこかで彼女自身が望んでいた世界でもあったのだ。


『そういうの……私も憧れます』


 自然とこの言葉が出てきたのが、きっとその証拠だと思えた。

 尤も、王族故に決して叶う事はない夢想。夢想が過ぎる故に、想像さえもしなかった。

 だが、もしその夢想なる世界でシャイロと共に過ごせたならば、それこそが自身の幸福ではないだろうか──アリシアはあの瞬間そう思い至ったのである。

 それから少し強引ではあるものの、シャイロに王女誘拐を依頼した。彼は意外にもあまり難色を示さなかった。どうせ逃げるなら一人も二人も変わらないと思ったのだろうか。彼もアリシアの立場に同情してくれたのか、或いは利用価値があると判断したのかもしれない。そこまではわからないけれど、そうしてシャイロとの旅が始まった。

 これだけ長い時間を一人の異性と過ごすのも初めてであるし、その相手は何より自分が密かに憧れていた男だ。ドキドキしないはずがない。彼には悟られないようにしていたが、アリシアはずっと緊張しっぱなしだったのである。

 そんな緊張感が伝わってしまったのか、移動の最中もシャイロはアリシアにいつも気を遣ってくれていた。トイレは大丈夫か、などともうちょっと言葉を選んで欲しい時もあったが、その無骨さが彼らしいと言えば彼らしいし、そうしてこちらの事情を考慮してくれるのが何よりも嬉しかった。

 最初は不安もあった。自分の中で勝手に彼に抱いていた幻想が壊れてしまうのではないか、もしかすると本当はもっと野蛮な男なのではないかとも考えた。

 だが、そんな事はなかった。シャイロは少し不器用ではあるが、彼女の予想通り、優しい男だったのだ。

 彼とはまだ出会って数日だが、彼と過ごす事に関してもう何も不安はなかった。ウィンディア王国のポトス村がどういった場所なのかはわからないが、シャイロと過ごせるのなら、場所なんてどうでも良い。きっと楽しい生活になるだろうと根拠のない自信さえ持っていた。


「ふぅ……」


 そろそろ湯に逆上せそうであるし、シャイロを待たせているのも申し訳ない。

 湯船から上がって、脱衣所の方へ向かうが──洗い場の前で、ぴたりと立ち止まる。


「えっと……一緒の部屋、で寝るんですよね。もう一回身体を洗っておいた方が良いでしょうか」


 そして、もう一度洗い場の前に座って、石鹸で泡を起こす。

 何やら別の事を不安に思ってしまうアリシアであった。

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