第16話 王女殿下の秘めたる恋心③ ◆アリシア視点

 アリシアは何故か入念に身体を洗ってから風呂を出て、脱衣所へ戻った。

 それから聖衣とローブを羽織ってみると、ふと肌触りが気になった。


 ──身体を洗うと、服も洗濯したくなってしまいますね……洗剤を借りれるか後で訊いてみましょう。


 身体を洗ってからだと、服の汚れも気になってしまうものだ。他にも替えの聖衣は一着だけ持ってきているが、洗濯できるうちに洗濯しておいた方がいいかもしれない。本当はもっとたくさん着替え類も持ってきたかったのだが、嵩張かさばるので避けたのだ。

 宿屋のロビーへと戻ると、掃除をしていた女主人がちょうど笑顔で迎えてくれた。


「あら、おかえり。お湯、どうだった?」

「とても気持ち良かったです。ありがとうございました」


 アリシアはフードを被ったまま頭を下げた。

 本当はこんなものを被らずに御礼を言いたいのだが、今の彼女は城から逃げている身。万が一の事を考えて、正体を知られるわけにはいかない。


「お連れさん、部屋に先に行ってるわよ。夕飯までにお風呂入るように伝えてあげて」

「わかりました」


 返事を聞くや、女主人は奥へと戻ろうとしたので、アリシアは慌てて彼女を呼び止めた。


「ん? どうしたんだい?」

「あの、洗剤とたらいをお借りする事はできるでしょうか? 服を洗いたくて……」

「ああ、了解だよ。後で部屋の前に置いておくわね。部屋に貸し出し用の夜着もあるから、よかったら着てね」

「はい、ありがとうございます!」


 アリシアはもう一度深々と頭を下げてから、二階の部屋へと戻って行った。

 部屋では、シャイロが既に夜着へと着替えてベッドの上で寝転がっていた。ドアが開いた音ですぐにハッとして身体を起こしたところを見る限り、まだ警戒心を強く持っているのだろう。

 牛車での移動中も彼が常に神経を尖らせていた事にはアリシアも気付いていた。ゆっくりしてと伝えたところで、きっと国外に出るまでは彼が緊張感を解く事はないのだろう。


「お先でした。夕飯前までにお風呂に入ってはどうか、と女主人の方が仰られていましたよ」


 アリシアはフード代わりにしていたローブを脱ぎながら言った。

 が、そこからシャイロの反応がないのでどうしたのかと思って彼の方を見てみる。すると、彼は呆けたようにして王女を見ていた。


 ──あれ? シャイロがぽかんとしています。


 何だかシャイロらしくないなと思いつつ、アリシアは首を傾げた。


「どうかしましたか?」

「い、いや! 何でもない。風呂入ってくるから、鍵は閉めておけな」


 彼は気まずそうに視線を逸らしてそう言うと、逃げるようにして部屋を出て行った。


「……? あっ」


 自分の姿を鏡で見て、そこで彼が呆けていた理由がわかった。

 髪が濡れていて、お風呂上がり姿な故に普段と印象が異なったのだ。


 ──色っぽく見えたのでしょうか? それなら……ちょっと嬉しいかも、です。


 アリシアは一人で照れ笑いを浮かべてから、扉の鍵を掛けた。

 十七になってもどことなく幼さが残る顔立ちで、華奢な体付きは色気溢れる大人の女性のものとは言い難い。こんな身体では色気など感じてもらえないのではないかと思っていたが、案外そうでもないらしい。

 きっと他の男性に性的な目で見られたら嫌悪するのだろうが、その相手がシャイロであれば嫌ではないというのが、我ながら不思議であった。 

 その時、部屋の扉がコンコンとノックされた。


「お客さん。たらいと洗剤ここに置いておくよ。水は外の井戸から汲んでね」


 扉の外から女主人の声が聞こえてきた。たらいと洗剤を持ってきてくれたのだろう。

 水なら魔導石があるから不要だなと思ったが、アリシアは特段そこには触れずに「はーい」と返事をする。

 予備の聖衣へと着替え、女主人が下に降りたのを確認してから扉を開けた。

 部屋の前には、二つのたらいと洗剤以外、それと洗濯板が丁寧に並べて置いてあった。水洗い用と洗剤に浸す用でたらいを二つも用意してくれたのだ。こんなところにも女主人の気遣いが現れていて、どこか嬉しくなった。

 こういった感情を抱くのも、きっと城を出ているからこそだろう。アリシアにとって、こういう気遣いは気遣いではなく、召使や侍女達の義務だったのだ。

 義務であるのと思い遣りからくる気遣いでは、行為は同じでも受け手の感情が大きく変わる。なんだかあたたかくなるのだ。それと同時に、それらを当たり前に行っていた召使達にも改めて感謝をする。

 アリシアはたらいや洗剤を有り難く拝借すると、再び扉を閉めて鍵を掛けた。


「では、シャイロがお風呂に入っている間に終わらせてしまいましょう。さすがに下着を洗っているところは見られたくないですし」


 再び魔導石に魔力を込めて、二つのたらいに水を注いでいく。

 この魔導石があるだけで、こうして衣服や身体を洗ったりするだけでなく、飲み水に困る事もない。旅の御供としては最重要なものと言えるだろう。

 アリシアはついでに〈聖灯ホーリーライト〉を唱え、日が傾いて暗くなってきた室内に明かりを燈すと、早速たらいの中に洗剤を溶かしていく。


「あっ……」


 ふとシャイロが寝転がっていた方のベッドに視線を向けると、そこには彼が着ていた衣服が脱ぎ捨ててあった。川に流され、泥が乾いた衣服だ。結局洗濯する余裕がないままここまで来てしまったのである。


「……シャイロのも一緒に洗ってしまいましょうか」


 アリシアは頬を緩ませると、彼の服もたらいの水に浸していく。

 自分の服と彼の服が同じたらいの中にある事をどこか可笑しく思いながらも、彼女はそっと、洗濯板で衣服を擦っていくのだった。

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