第17話 村の異変

「はあ……とりあえずは落ち着いたかな」


 俺は湯船の中に身体を預けながら、大きく安堵の息を吐いた。

 張り詰めていた緊張感がほぐれていって、筋肉が緩んでいくのがよくわかる。風呂に浸かるという事ほどリラックス効果が高い事というのはなかなかない。ただ身体を清潔にする事以外にも、風呂には大いなる役割があるのだ。

 だが、安心するのもまだ早い。田舎村とは言え、未だここはモンテール王国の中だ。ここミンスター村からハイラテラの町に行って、国境を抜けて隣国ジャクール公国に入るまでは気を抜けないだろう。


 ──にしても、風呂上がりのアリシア……色っぽかったよなぁ。


 先程濡れた銀髪が顕わになった瞬間のアリシアを思い出す。

 この数日間彼女と共に過ごしていたが、あんな風に髪が濡れていて肌も瑞々しい状態の彼女を見たのは初めてだ。色っぽく見えたのは、風呂であたたまってほんのり顔が赤かったというのもあるだろう。


 ──さて、あんまりアリシアを一人にしておくのも良くないな。


 決して風呂上りのアリシアを早く見たいわけではないぞ、と自分に謎の言い訳をしつつ風呂から上がる。

 そのまま脱衣所に向かおうとするが、もう一度洗い場を前にして、ふと立ち止まった。


 ──そういえば、今日は同じ部屋で寝るんだよな……。


 念の為、もう一回身体を洗っておこう。何を不安に思っているのかわからないが、というか何に対しての念の為かもわからないが、もう一度俺は身体を──主に鼠径部を──石鹸で洗ってから、風呂場から出たのだった。

 脱衣所で絹布けんぷで身体を拭き、長い髪に巻き付けると、貸し与えられている夜着を纏っていく。夜着にしては少し分厚い生地だなと思ったのだが、どうやらルームウェアとしての役割も兼ね備えているらしい。先程この服を着たまま食堂で飯を食べていた者がいたので、この宿の中だけなら夜着のまま移動しても良さそうだ。


「あ、旅の人。そろそろ夕飯できるから、あの神官さんも呼んできて」


 部屋に戻る際に受付の前を通ると、例の女主人がそう声を掛けて来た。

 俺は「了解」と答えると、そのまま二階へと上がっていき、部屋に入ると──驚いた事に、アリシアが洗濯をしていた。


「「あっ」」


 お互い視線が交差して、固まる。

 もちろん、王女が洗濯などするんだな、という驚きもあったのだが、それ以上に驚いたのは、彼女が下着を干そうとしているところに出くわしてしまった事だろうか。

 アリシアが顔を真っ赤にして身体の後ろへと下着を隠したのは言うまでもない。


「ち、ちが! これは、その……今から、見えない場所に干そうと思ってたんです!」


 王女殿下は顔を林檎色にして染め上げ、わけのわからない言い訳をしていた。

 何が違うのかさっぱりわからないが、何だかツッコんだらもっとドツボにハマってしまいそうな気がしたので、俺は「あー……それな」などとよくわからない返答で言葉を濁すのだった。

 アリシアは夜着ではなく、替えの聖衣を纏っていた。何着か持ってきていたのだろう。夜着姿のアリシアをみたいなとも思っていたので、少し残念に思う俺であった。


「あ……」


 部屋の中に入ると、椅子に干してある俺の服が目に入ってきた。


「俺の分も洗濯してくれたのか?」

「あ、はい。汚れていましたので……穴が空いてしまっているので、新しい服を買った方がいいかな、とも思うのですが」


 それまで泥だらけの服を着るのも気持ち悪いかなと思いまして、とアリシアは付け加えた。

 何と、アリシアは俺の分の服まで洗濯して干してくれていたらしい。今は魔導石から微風がそよそよと送られていて、俺の洗濯物を揺らしている。


 ──あの魔導石、水だけでなく風も出せるのか。便利だなぁ。


 どうやらあの魔導石に彼女の魔力を通せば、いつでも水が湧き出てくるらしい。旅の途中ではあの魔導石の御蔭で飲み水に困る事はなかったし、長旅をする上でこれ程便利なものはないと思っていたのだけれど、まさか風も生み出せるとは。


 ──いや、感心するのはそこじゃなくて。王女殿下に洗濯させるとか、俺罪深過ぎない?


 色々な人に怒られてしまう気がする。いや、今となっては俺は色んな人に怒られるのは間違いないのだけれど。

 というか怒られるどころでは済まない。斬首一択だ。


「魔導石は一応送風もできるんですけど、なにぶん弱い風しか出せないもので……暖炉ほど早く乾かないんですよね。明日の朝までにはそこそこ乾いているとは思うのですが」


 俺の視線に気付いたのか、アリシアが困ったように笑って説明してくれた。

 何だか微妙に会話が噛み合っているのか合っていないのかわからないけれど、そこにはお互いどこか照れ臭さがあるからかもしれない。

 実際、こうして互いが完全に気持ちがリラックスして落ち着いた状態になるのは、この旅を始めてから初めてなのだ。今更ながらにして、彼女も一緒の部屋で寝るという事に対して緊張感を抱いているのだろう。


「なるほど。まあ、とりあえず飯食いにいく? そろそろ夕飯できるみたいだし」

「はい、わかりました」


 俺は夜着に帯剣だけして(なんだかちょっとダサイ気もするけども)、アリシアはローブのフードを下ろして再び階下へと向かった。

 だが──ロビーへ降りると、そこは騒然としていた。何人かが宿泊客が窓から外を見ていて、隣の者と話している。どうやら何かトラブルがあったらしい。


「ああ、あんた達。ちょっと申し訳ないんだけけど、夕飯は後にしてもらえるかい?」


 俺達を見つけた女主人が、慌てた様子でそう言った。


「それはいいけど、どうした? 何かあったのか?」

「なんだか、近くでうちの村の連中が魔物に襲われたらしくてね。命からがら逃げてきたはいいみたいなんだけど、怪我がひどいんだ。今村の集会場に運ばれてるんだけど」


 俺はふとアリシアの方を見た。彼女もこちらを見ていた様で、目が合うや否や、こくりと頷く。


「女主人、その集会場とやらに案内してくれ。幸運にも、今ここにがいるんだ」

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