第3話 〝聖王女〟と膝枕

 意識がうっすらと戻ってくると同時に、後頭部に柔らかな感触を感じた。

 それはこのままずっと横になっていたいと思わせる程心地が良いものだった。


 ──あれ……? 俺は死んだのか?


 そんな事を考えつつも、瞼をゆっくりと持ち上げる。

 先程のような重さはなく、普段通りに瞳を開いていくと──目の前に女の子が見えてきた。白銀色の長い髪と浅葱色の瞳を持つ少女が俺の顔を心配げに見下ろしていたのだ。


「よかった……目が醒めたようですね」


 少女は安堵の表情を見せ、俺に優しく微笑み掛けている。

 だが、俺は未だ夢心地のような気分で彼女を見上げていた。

 その特徴的な髪と瞳、そして白いローブを纏っているとなれば、まさしく天使の様な容姿である。だが、彼女の背には翼は生えていないし、見ている限りは普通の人間としか思えない。

 そして何より、その少女は俺の知っている顔だ。先程意識を失う寸前に、聞こえてきた声の主と同じ顔をしている。

 そう……〝聖王女〟アリシア=ヴィークテリアスその人である。


「あ、れ……? アリシア、王女殿下……?」


 またしても、本当に生きているのかもう死んでいるのかがわからなくなってしまった。

 確かに、アリシア王女殿下は普段の気品溢れる立ち振る舞いや仕草、そしてその表情からも、天使と見間違えても仕方ないような人物だった。もともと天使の様な御方だとは思っていたけれど、もしかしたら彼女はまさしく本当に天使で、俺を天界へといざなおうとしてくれているのかもしれない。そう言われた方が、まだ現実味がある光景だった。

 冷静になってあたりを見て見ると、ここは先程まで俺が流れ着いていた河辺とおぼしき場所だった。だが、俺の身体は水の上まで引き上げられている。

 そして、温かみのあるへと視線を向けると、そこには少女の白いローブが見えた。後頭部の柔らかさ、そして俺を見下ろす少女──俺は、どうやら彼女に膝枕をされているらしかった。


「はい、アリシアです。何でしょう?」


 少女は俺が呆けた様子で名を呼んだからか、上品に手で口元を覆ってくすっと笑った。

 そこで、ふと冷静になる。

 俺は先程、『アリシア王女殿下』と言ったはずである。そして彼女はその呼び掛けに『はい、アリシアです』と答えた。

 それは即ち──


「なッ、え⁉ はあ⁉ 本物のアリシア王女!? ──あぐぁっ」


 とんでもない無礼をしている事に気付いて慌てて身体を起こそうとするが、激しい頭痛が俺を襲った。身体に全然力が入ってくれない。

 

「まだ動いてはダメですよ? 本当に今の今まで、死の淵にいたんですから」


 アリシア王女は穏やかな笑みを浮かべたままそう言うと、俺の肩を優しくさすった。それはまるで、早く力を抜け、と言っているようでもあった。

 実際に彼女の言う通り、まだ起き上がれそうになかった。とんでもない無礼を働いている事は承知の上だが、どうやらそのまま身体を預ける他ない。

 だが、脇腹に負っていた傷は完全に塞がっていて、折れた手足も治っていた。


 ──アリシア王女が治療してくれた、のか……?


 状況から鑑みるにそうとしか考えられなかったし、ある意味納得である。モンテール王国王女・アリシア=ヴィークテリアスには〝聖王女〟という異名があるのだ。

 彼女は一国の王女であると同時に、弱冠十六歳にして神聖魔法を極めた者として、大地母神リーファを讃えるリーファ教から聖女として昨年認定された。以降、人々は敬意を込めて彼女を〝聖王女〟と呼ぶようになったのだ。

 以前、戦で腕を失った者の怪我でさえも治療しているところを偶然目にした事があるが、それはまさしく奇跡と呼ぶに相応しい光景だった。欠損した腕が、元通りになったのである。

 

「面目ない……王女殿下の膝を借りるなど、俺の様な身分の者には到底許される事ではないのに」

「そんな事を言っている場合ではありません。非常時ですよ? 私の膝なんて、いくらでもお貸しします」


 王女は相変わらず嫣然えんぜんとしながら、俺の肩を撫でてくれていた。まるで興奮する子供を宥めるかの様だ。

 実際に、俺の身体は全く思い通りに動いてくれなかった。〈治癒魔法ヒール〉を掛けてもらって尚こうして動けないというのだから、本当に俺は死ぬ寸前だったのだろう。

 

「……無礼ながら、もう少しだけ膝を借りさせてくれ」


 俺は抵抗を諦め、後頭部を彼女の太腿に降ろして手の甲で自らの目元を覆った。

 女に膝を借りるなど、俺の人生では初めての事だ。恥ずかしくて、とてもではないが彼女を直視できない。


「はい、もう少しだけ安静にしてて下さいね」


 少女は結んだままの唇にかすかな笑いを浮かべると、慈しむ様にして、俺の肩を撫でたのだった。

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