第42話 変わった彼女
アリシアから魔道具の扱い方を教わってから水を入れ湯を沸かすと、彼女に続いて風呂に入る。
アリシアが入った後の浴室に入るのは妙に緊張してしまった。ほんの数刻前に彼女があられもない姿でここで身体を洗い、浴槽に浸かっていたと思うと、顔が沸騰しそうになる。
普段ならここまで意識しないのだが、こうなってしまったのには理由がある。先程の風呂上がりのアリシアは普段よりも色っぽく見えたのだ。思わず心臓が跳ね上がってしまった程に。
風呂上りの彼女を見るのは、今日が初めてではない。旅をしている間では何度か見た事があるし、その度に彼女の色気を感じてはいたけども、今日程ではなかった。
何というか、ただ髪を拭いているだけなのに、自らの意思で律せぬものが湧き上がってきてしまったのだ。その横顔には幼さとあどけなさが残っているにも関わらず、不釣り合いな色気が漂っていた。自分の中で色々な感情が渦巻いてしまって、惚けた様に彼女を見つめてしまっていたのは言うまでもない。
──地獄の精神鍛錬が必要だな、こりゃ。
俺は自ら溜め息を吐いて、頭から水を被った。
いかんいかん、きっと気が緩んでいる証拠だ。一緒のベッドで寝ないといけないのに、何を早速緩んでいるんだと自分を叱咤する。叱咤している傍ら、その美しい白銀髪を拭く彼女を思い出そうとしている自分がいた。
「シャイロ=カーン!」
俺は自らの名を呼び、魔道具で桶に水を貯める、
「〝黒曜の剣士〟よ、しっかりしろ!」
そして冷たい水を頭から被り、俺は平静を取り戻すのだった。
だが、そんな努力の甲斐虚しく、風呂から上がると更なる誘惑が俺を襲う。
「シャイロも一緒に乾かしましょう!」
魔道具の風でアリシアが髪を乾かしていたのだが、俺の横に並んでそう言ってきたのである。
確かに、この後レイモンドさんの家に行かないといけないのは事実で、髪をびしょびしょに濡らしたまま行くわけにもいかないのではあるが、こう、先程色気を感じた彼女と隣り合わせになって髪を乾かすのは、色々危険なもので……石鹸やら洗髪剤やらの香りが嫌でも香ってきて、それだけでくらりとしてしまう。
──悪魔かお前は!
俺は内心でそう彼女を罵るが、黙って隣で髪を乾かした。
どうして同じ洗髪剤を使っているのにこうも良い匂いがするのか、理解ができない(ちなみに、アリシアは薬草をいくつか組み合わせた洗髪剤を自分で作っていて、俺もそれをいつも使わせてもらっている)。もしかして、彼女は俺の限界を試そうとしているのだろうか? そんな気がしなくもない。
そんなトラブルが入浴前後に遭ったが、俺達は身支度を整えてから、再度レイモンドさん宅へと向かった。
俺はミンスター村で貰った小奇麗な服、アリシアはいつもの聖衣だ。
もはや空は暗くなっているが、月明りの御蔭で道はよく見えていた。
「ん~……良い匂いです」
アリシアが両手を左右に伸ばして、すーっポトスの空気を吸い込んだ。
「ほら、シャイロもやってみて下さい。草木の香りにお花畑の匂いが混じっていて、とっても癒されますよ?」
月明りの下でもわかるほど、アリシアの笑顔は明るい。
それは、何かを吹っ切れているような笑顔でもあった。家が決まって生活基盤ができた事で、王宮暮らしと心から決別できたという事だろうか?
ただ、今更という感じもする。共に過ごすようになってから、彼女からモンテール王国への未練を感じた事は、少なくともなかった。
「……あ、確かに。なんだか色々な匂いがするな」
アリシアに倣って深呼吸をしてみると、彼女の言いたい事がわかった。
草木の香りならどこでもするじゃないかと思っていたが、花畑の香りと夜の草花の香りが入り混じっていて、心が洗われる。
それから何んとない雑談を交わしながら、レイモンドさんの家へと二人で向かった。
先程のダブルベッドの話を忘れたかの様に、穏やかな時間だった。
アリシアとこうして話しながら歩くのは、この二か月間でもよくある事だった。
移動中は何ともない話をよくしていたように思う。すれ違った人の事や、道行く先々で知り合った人の事、或いは村や町で聞いた時事ネタ……特に内容があるような話ではなかったが、話し相手がいるという事はそれだけで退屈な旅路を彩ってくれていたように思う。
だが、今の会話はその時のそれとはどこか異なる。旅の荷物もなく、ゆったりと穏やか。お風呂に入った事で、気も緩んでいる。
そうか、こんな時間がこれから毎日流れるのか──なんとなくそう思わされる様な時間だった。
「これから、きっとこんな毎日が続くんですね」
アリシアが、夜空の月を見上げて言った。
ちょうど考えていた事を言い当てられた気がして、思わずぎょっと彼女の方を見る。
「……? どうしたんですか?」
「いや、今ちょうど同じ事考えてたからさ。ちょっとびっくりした」
「そうでしたか。やっぱり似た者同士ですね、私達」
アリシアは俺の返答を聞くと、嬉しそうに顔を綻ばせた。
似た者同士──彼女はこう言ったが、実際どうなのだろうか? ただ国を出て環境を変えたかったという目的が合致していただけなのではないだろうか。少なくとも、人を救いたい聖女なる彼女と、散々奪ってきた傭兵の俺では似ても似つかないように思う。
「こんな退屈な毎日なんて、すぐに飽きてしまいそうだな」
「そんな退屈な日々を過ごしたくて、シャイロは遥々ここまで来たんですよね?」
「まあ、そうだけど……」
「それなら、いいじゃないですか。一緒に退屈な日々を過ごしましょう」
アリシアの返答に言葉を詰まらせ、俺は無言で少し歩く速度を上げた。王女殿下はそんな俺をくすくす笑いながら、隣を並んで歩いていた。
退屈な日々にはなるのだろうが、アリシアが隣にいると、それはきっと退屈とは別物になる──何となくだが、そんな予感も感じていた。
何ともない夜の散歩で、こうして胸躍ってしまう様に。
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