第45話 〝黒曜の剣士〟と〝聖王女〟が死んだ瞬間(第一部最終話)

 俺への告白──アリシアがどれだけの決意をしてその秘めたる気持ちを語ったのか、想像もできなかった。きっと恥ずかしかっただろうし、勇気も要っただろう。それでも彼女は俺にその気持ちを伝えたかったのである。

 その心意気に応えないで、何が男か。このまま狸寝入りでは、あまりに情けない。

 だが同時に、アリシアの気持ちに応えてしまっても良いのだろうかという躊躇もあった。

 というのも、彼女は知り合ってからの俺しか知らないのだ。金の為なら殺しさえもやるという、傭兵の汚い部分を何一つ見ていない。

 俺は彼女の気持ちを確認すべく、意を決して言葉を発した。


「……アリシア。お前はその男の思考を考えた事はあるか?」


 言葉を発してしまった。

 これでもう狸寝入り、もとい彼女の独り言も終わりだ。返答してしまったからには、もうそれはただの対話に他ならないし、答えを出さないといけなくなる。

 俺は身体を起こして彼女の方に向き直った。

 アリシアは暗い部屋でもわかるほど顔を涙で歪めていて、唇までが苺のように紅くなっていた。


「シャイロ……?」

「その男は……王女殿下が身近にいれば、もしも見つかった時に人質にして逃げ果せると考えたのかもしれない。手持ちの金も持っていなかったから、殿下の財布が目的だったのかも。或いは、自分を裏切った国に対する復讐心で王女様を連れ去ったのかもしれない。今この瞬間もお前を利用しているだけかもしれないんだぞ」

 

 アリシアは俺の言葉を聞いている最中も、じっとこちらを見つめていた。その震える浅葱色の瞳が、しっかりと俺を映し出している。

 アリシアを利用云々に関しては、これまで考えた事はなかった。あくまでも可能性の話だ。

 だが、もし俺が国への復讐に燃える男だったならば、そう考えていたかもしれない。利用するだけして奴隷商に売り飛ばす最悪な男だったという可能性もあった。それだけ危険をはらむ男と一緒にいる事を、そんな男に理想を抱いて好いているという事を彼女はわかっていない。

 俺はそんな彼女を咎めたかった。俺なんぞ理想を持つに値しない人物だ、という現実を教えたかった。

 しかし──


「利用されていたなら……それでも良いです」


 アリシアは鼻を啜って、俺の胸元に顔を埋めた。


「でも、シャイロはそんな悪い事をする人じゃありません。私はそれをよく知っています」

「何でそう言い切れるんだよ」

「もしそうだったら、これまでに何度も私を捨てられたはずです。足手まといだと言って、お金だけ奪ってどこかに売り飛ばす事だってできました。ミンスター村で置いていく事もできたはずです。それなのに……シャイロはずっと、私に気遣ってくれていました。私がしたいと思う事を先回りして提案してくれたり、体調を慮ってくれたり……自分よりもずっと、私の事を優先してくれていました。今言った事は、これまでのシャイロの行動と矛盾しています」


 アリシアの反論に、俺はぐうの音も出なかった。

 実際に偽悪的になるには、これまで彼女に気遣い過ぎている。彼女の指摘も尤だった。

 というか、そもそも俺がこれまで彼女を気に掛けていたのか、一体何故なのだろうか? ただ命を救われた恩義から? 彼女が王女殿下だから? その理由は自分でもわからない。いや、わかってはいたかもしれないが、見てみぬふりをしていた。

 ただ、それを言う前に一つだけ異論を唱えなければならない。『悪い事をする人ではない』というところだけは、否定しておかなければならなかった。


「俺は悪人だよ、アリシア」


 俺は身体をくっつけてくるアリシアの肩を押し戻し、身体に隙間を作った。


「……どういう事でしょうか?」


 アリシアが不安そうにこちらを見上げて訊いた。


「俺は知っての通り、傭兵上がりだ。武勲を立てていたと言えば聞こえはいいかもしれないけど、十四の頃から、人や魔物を殺す事で生計を立ててきた。それしか生きる道を見出せなかった男なんだ。そんな男が気まぐれでお姫様を助けたからって勇者だなんて、ちゃんちゃら可笑しいだろ。夢の見過ぎなんだよ、お前は。俺はどう転んだってそんな賞賛されるような人間じゃない」


 そこだけは揺るぎない事実だった。

 英雄だ〝黒曜の剣士〟だなんだと謳われていても、それは人を殺してきて築き上げた実績に他ならない。彼女が思い描く、童話の中の王子様や勇者様の様な善人とは対極にいる存在だ。殺してきた者の数だって、もう数え切れない。この美しく清らかな心を持つ少女が憧れて良い人間ではないのである。

 だが、これに対するアリシアの返答は、俺の予想を裏切るものだった。


「それを言うなら……シャイロよりも私やお父様の方が悪人だと思います」

「え?」

「シャイロを傭兵として雇い、戦いを命じたのはお父様です。そして、お父様が命じたのは、シャイロだけではありません。将軍や騎士、兵士達……たくさんの人達がお父様や国の上層部に命じられ、戦争を起こし人を殺めています。直接手を下していないというだけで、そうせよと命じたのはお父様なんですよ。そんなお父様の恩恵でぬくぬくと育ってきた私も同じです。だから、シャイロの論法でいうなら……私達の方がシャイロよりも遥かに極悪人という事になります。違いませんか?」


 その言葉に、俺はまたしても言葉が返せなかった。

 アリシアの意見はど正論だ。殺した者の数がどうのと言い出すと、一番悪い者は命令を下した為政者という事になってしまう。攻めるにせよ、防衛するにせよ、戦を命じているのは彼らなのだから。

 アリシアは命令を下しているわけではないと思うのだが、彼女からすれば、その王の命令によって国は利益を上げ、税収を得て、その税収で暮らしていた自分も同じだと言いたいようだ。


「でも、シャイロ。それとは別に、二つ程忘れている事がありますよ?」

「忘れている事?」


 はて、と首を傾げる。俺が一体何を忘れているのだろうか。

 アリシアはそんな俺を見て、弱々しい笑いを頬に溜めていた。


「あなたの言う、たくさんの人を殺めた〝黒曜の剣士〟はモンテール河で溺れて亡くなったと聞き及びます。日を同じくして、その国の王女も行方が知れなくなったそうです。きっと、もうお城に戻る事はないでしょう」

「……?」


 アリシアの言いたい事がわからず、俺は胡乱げに彼女を見つめた。


「もうここには〝黒曜の剣士〟も〝聖王女〟もいません。そんな過去のしがらみからは解放されて、これからはただのシャイロ、ただのアリシアとして……ううん、ここポトスに駆け落ちしてきた一組の恋人同士として、生きてはいけないでしょうか?」

「アリシア……」


 それはまるで、本当に駆け落ちをしてきた者同士が言うような言葉だった。

 アリシアは懇願する様な視線でこちらを見据えた。その瞳から、彼女の意思が痛い程伝わってくる。

 これまでの自分達を捨てて、過去を捨てて、このポトス村でゼロから新しい人生を築き直したい。そして、村長夫妻やジュリアムに吐いてしまった嘘を、これから真実にしてしまおう──これが彼女の提案であり、願いなのである。

 アリシアは不意をつくようにして身を起こし、俺の首元にすがりついた。


「私、シャイロの事が本当に好きなんです……。全然伝わってなかったですけど、どうしようもないくらいあなたを慕っています。あなたと旅を始めてからも、ずっとドキドキしていて……今だって、ドキドキで頭がおかしくなりそうです。どうすればいいんですか? 私、どうすればいいんですか……ッ⁉」


 首すじに熱い吐息がかかり、涙に濡れたアリシアの浅葱色の瞳が、蠱惑こわくするように目前まで近付いてくる。


「私、これまで男性に殆ど触れられてません。大事にしてきました」


 アリシアは上目遣いで俺を見据えたまま、そう言った。

 その語尾には奇妙な熱が籠っていて、媚態さえ感じさせる。


「お前な、それだけ大事にしてきたなら尚更──」

「大事にしてきたから、大切な人に捧げたいって思ってるんじゃないですか!」


 涙をぼろぼろと零しながら、何かを切望するようにこちらを見ている。

 何か、じゃない。俺は彼女が何を求めているのか、よくわかっているはずだった。そして、いい加減それに理性で抗うのにも限界が来ていた。

 この数か月間、彼女と行動を共にするようになってから、ずっと密かに抱いていた感情が、爆発しそうになる。

 何とも思っていないはずがなかった。彼女の一挙一動に視線が奪われたし、微かに漂う洗髪剤や香油に胸を高鳴らせていた。聖衣から垣間見えるその白い肌や首筋を知らずのうちに目で追っていたし、風呂上がりに見せるうなじの色気にいつも狂わされそうになるのを必死で抑えていた。

 そんな欲求や本心に気付かないようにして目を背けていたのは、他ならぬ俺自身だ。彼女に相応しい男ではないと自らに言い聞かせて、その本音を押し殺していた。

 もしアリシアを何とも思っていないなら、ポトス村に着いてから別々の家で暮らして良かったはずだ。それを、駆け落ちしてきただとか尤もそうな理由で繕って一緒に住もうとした──それが俺の本心だったのではないだろうか。彼女と共に居たいと思っていながら、近付く勇気を持てていなかったのだ。


「お前な……ほんとに、止まらなくなるぞ」


 俺は最後の警告をした。

 もう限界だった。少しでも油断すれば、理性が吹っ飛んでしまいそうだった。


「今更何言ってるんですか……? ここまでしてるんですから、いい加減汲み取って下さいよ……この、意気地なし!」


 アリシアは半ば自棄になったように強い語気でそう言うと、恥ずかしさからか俺の胸元に顔を埋めた。

 そこで、ようやく覚悟が決まる。

 今の今まで俺が我慢していたのは、きっと彼女が王女殿下で、いつかは俺のもとを去っていくからかもしれないとどこかで考えていたからかもしれない。俺とアリシアでは釣り合いがとれているわけがなくて、彼女にはもっと相応しい相手がいると思っていたからだ。

 彼女に抱くこの感情が愛だと知ってしまった後にそうなってしまえば、きっと俺はその別れが耐えられなくなる。そんな葛藤が心の奥底にはあったのだと思う。

 でも、違ったのだ。

 俺達がとして結ばれる事を俺以上に望んでいたのはアリシアで、彼女こそ俺と共に新しい場所で新しい生活を送る事を、望んでくれていたのだ。


「後悔しても、もう遅いからな」

「あ……っ」


 捨て鉢にアリシアの上に覆い被さると、彼女の口から歓喜の声が小さく漏れる。

 この暗闇でもよくわかるほどにその浅葱色の瞳は潤んでいて、俺をじっと見上げていた。頬を紅潮させ、泣きそうな顔なのに煽情的で、理性などもはや風前の灯火に等しい。


「……後悔するくらいなら、最初から連れ去ってくれだなんて頼んでません。あの時から、私はもう覚悟を決めていましたから」


 彼女は瞳にうっすらと涙を溜めたまま、嫣然えんぜんとして言った。


「あんな時からかよ……全く、困った姫さんだ」

「はい。私、悪い子ですから」


 そんな言葉を交わし合って、互いにくすりと笑う。

 それからほんの少しの沈黙が訪れた。

 アリシアは神妙な面持ちになると、じっとこちら見ていた。俺もそんな彼女をじっと見つめていた。


「シャイロ……私の事、好きですか?」


 か細い声で、彼女が訊いた。


「ああ……好きだよ。きっと、最初から好きだった」


 その浅葱色の瞳をじっと見つめて。本心を包み隠さず伝える。

 視線が交わると、自然と引き寄せられるように互いの口元が重なった。唇の形を確かめ合う様なぎこちない愛撫から、すぐに貪るような動きへと変わっていく。

 アリシアは引けた腰で俺の片脚を挟み込み、ぐっと身体を引き寄せた。彼女の両腕が俺の背中を這い回り、抱き着くだけでは足りないという身体の形をなぞる。俺も堪えきれなくなって、彼女の背中に腕を回して、力一杯抱き締めた。

 アリシアの熱と吐息、感触を全身で感じ取りながら、その舌先で互いの愛情を確かめ合う。

 俺達はきっと、互いに同じ事を考えていたのだと思う。この瞬間こそ〝黒曜の剣士〟と〝聖王女〟が死んだ時で、そしてただのシャイロとアリシアが生まれた瞬間なのだ、と。

 俺達は唇を重ね、唾液を交え、そして互いの体温に触れ合いながら、新たな道へと進んでいく。

 ここからが俺と、いや、ただのシャイロとアリシアの、新たな人生が始まったのだ。


(第一部 了)


──────────────────


【作者コメント】


 ここまでお読み頂きありがとうございます!

 本話にて二人が結ばれ、次話から二人の幸せな同棲生活が始まります(ようやくタイトルを回収し始める)。明日以降ももちろん更新していきますので、お楽しみに。

 ここまで読んで「面白い」「続きが気になる」と思って頂けましたら、作品フォローや★★★、コメント付レビュー等下さいまし!

 皆様の応援あってこそ続きが書けますので、何卒お願い致します!


 また、電子書籍にて『落ちこぼれテイマーの復讐譚』という小説を9巻まで出しております。もしよかったらそちらもチェックして下さると嬉しいです。


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 引き続き九条の作品を宜しくお願い致します。

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