第7話 王女の事情と決断

「誘拐というと語弊がありますが……このまま私をどこかへ連れ去って欲しいんです。お父様からも、国からも、教会からも見つからない場所に。もう、こんな場所に私はいたくありません」


 困惑する俺に、アリシア王女はそう説明を付け加えた。

 いや、説明にはなってないと思うのだけれど。どういう事なのだろう? 全く事情がわからなかった。

 俺はアリシア王女の事についてそれほど詳しいわけではない。その白銀色の髪と浅葱色の瞳は浮世離れしていて、天使と見紛う程の美しい容姿。加えて、欠損をも完治させてしまう程の聖魔法の使い手で、王権とリーファ教会の関係を象徴する〝聖王女〟として他国にも名を知らしめている──俺の知るアリシア=ヴィークテリアスとは、そんな人物だった。

 そんな彼女が、国も教会も、そして王女としての地位も捨てて逃げたいというのである。一介の傭兵になど理解できるはずがない。だが、彼女の表情を見ている限り、それが酔狂や思い付きではない事は明らかだった。

 そこで俺はハッとして周囲を見回した。

 王都から少し離れたモンテール河の河川敷で、王女ともあろう者が護衛も付けずに一人でいるこの状況──これこそ、まさしく彼女の発言を物語っているのではないだろうか。


「もしかして、こんな時間に一人でほっつき歩いていたのは……」

「はい……お城を抜けてきました」


 王女は俯き、俺の予想を肯定した。

 俺はもう一度自らの額に手の甲を当てて、天を仰いだ。

 なんてこった。どうやら家出中の王女殿下に助けられてしまったらしい。


「理由は……聞かせてもらえるか?」

「もちろんです」


 それから、アリシア王女は理由を話してくれた。

 理由は大きく分けて、二つ。まず、一つ目が家の問題だった。

 アリシア王女の母は、彼女を産むと同時に他界した。王には他に子はおらず、結局ヴィークテリアス家は男児がいない状態となってしまったのだ。

 以降、王はどうしてか妾を作らず、公務に勤しんだ。その甲斐あってモンテール王国は栄える事となったのだが、当然その王位は誰が継ぐのかという問題については依然解決していない。

 モンテール王国は女王の規定を設けておらず、おそらくはアリシア王女の婚約相手が次期国王となるだろうと見込まれていた。その為か、アリシア王女のもとには縁談の申し入れがひっきりなしに来ていたそうだ。

 しかし、王にとってもアリシア王女はたった一人の娘。当然、結婚にも慎重だった。もしかすると、たった一人の家族を手放したくなかったのかもしれない、と彼女は予測していたそうだ。ともかく、王は娘の縁談を前向きに進めようとはしなかった。


「でも、数ヶ月前……お父様は遂に縁談の話を進めようとしたんです」


 アリシア王女は眉を顰めて、溜め息を吐いた。

 なんと、その縁談を進めようとした相手が──フランソワ宰相のご子息ことアルミロだったのだ。

 王曰く、アリシア王女を外交手段として使うか──即ち他国の王子や王と結婚させるつもりだったのか──国内の有力者と結婚させるのかを悩んでいたのだが、モンテール王国の安定と繁栄を鑑み、国内の有力者と婚姻させた方が良いと判断したのだそうだ。

 現宰相の息子であるなら、その相手として不足はない、という事だろう。


「私、昔からアルミロ様が苦手だったんです。何だか、全身を舐めるように見られている気がして……こう言っては何ですが、嫌悪感に近いものを持っていたんだと思います。もし彼に触れられると思うと、ぞっとしました」


 ひどいですよね、とアリシア王女は苦笑いを漏らした。

 だが、俺はそれを酷いとは思わなかった。彼女はただ女としてその男が生理的に受け付けなかったのだ。その拒絶反応は本能からくるもので、この男と結ばれてもろくな目に遭わない、と彼女に教えていたのかもしれない。

 以前パーティー会場でアルミロがアリシア王女に言い寄っていた時、彼女が困っていたのは何も断り文句が浮かばなかったわけではなかったのだ。おそらく、その縁談があったからこそ、無碍に拒絶できずに困っていたのだろう。

 あまりアルミロの事を俺は憶えていないが、若ハゲの小太り男でちょっと気持ち悪かったのを覚えている。彼女が本能的に拒絶した理由もわからなくもない。

 縁談の相手方と、親がまるで自分を道具か何かの様に思っている事がショックだった。これがまずは大きな理由だった。

 それから彼女は、続けて二つ目の理由を語ってくれた。二つ目の理由は、教会絡みだった。


「シャイロは、私達神官が一度の〈治癒魔法ヒール〉でどれだけのしているのか知っていますか?」

「治療費……?」


 彼女の言葉に、引っ掛かりを覚えた。

 一般的に、神官に聖魔法で治療をしてもらう際は教会に〝寄付金〟を支払わなければならない。だが、彼女はここで〝治療費を請求〟という言葉を用いた。そこにはやや言葉に棘がある様に感じなくもない。


「いや……俺は〈治癒魔法ヒール〉の世話になった事がないから、想像もつかないな。高いっていうのを聞いてたから、なるべく回復薬ポーションでやり繰りしていたんだ」


 俺は頭を掻いてそう答えた。

 怪我をした事はあるが、今回みたいな死の淵を彷徨う様な大怪我をしたのは初めてであったし、大概は回復薬ポーションで何とかしていた。逆に言うと、その程度の怪我しかした事がなかったのだ。


「一度の治療で銀貨五〇枚です」

「銀貨五〇枚か。ちょっと高いけど……まあ、そんなもんか?」


 銀貨五〇枚となると、一か月豪遊できる程度の金額だ。

 ただ、神官の奇跡で本来治らない怪我や病気まで即座に治してもらえるのだし、〈治癒魔法ヒール〉を唱えるのは神官にも負担が掛かる。それを考えると、少し高いけれど、有り得る価格ではあった。


「でも、それはあくまでも一般の神官の話です。〝聖女〟の称号を与えられた私が治療すると、およそその十倍の費用が掛かります」

「十倍って事は……銀貨五〇〇枚⁉ たっか!」


 思わず大声を出してしまった。顎が外れそうになってしまった程だ。

 一年近く遊んで暮らせる額を、たった一度の〈治癒魔法ヒール〉で稼いでしまうのか。それはさすがに取り過ぎではないのか? 庶民が払える額ではない。


「おかしいと思いませんか? やっている事は同じなのに、私が治療するというだけで異様にお金が掛かってしまうんです。私なら治せた病気や怪我でも、お金が払えないから、という理由で門前払いを受けた人もいて……それで、亡くなってしまった人もいます」


 アリシア王女は呻くようにそう言うと、俯いた。

 きっと、実際に門前払いを受けた場を目の当たりにした事があるのだろう。彼女の性格ならその場で治そうとしただろうが、きっと止められてしまったのだ。


「私が〈治癒魔法ヒール〉を用いた方がより多くの人を救えるのに……私なら、もっとたくさんの人を助けられたのに。それなのに、私は自分の力を自由に使わせてもらえなかったんです」


 それは、彼女の切実な思いだった。

 教会は金儲けの為にアリシア王女を利用したかったのだろう。もともと〈治癒魔法ヒール〉は神官などの回復術師の専売特許だ。あくどい者も多いと聞いた事はある。

 彼女が寄付金ではなく『治療費を請求』という言葉を敢えて使ったのもわかる気がした。高額な寄付金を要求する教会や回復術師に憤りを感じているのだ。


「本当に困っている人を助けてあげられなくて、これのどこが聖女でしょうか? 一体この力は何の為にあるのでしょう? 私は……それが、わからなくなってしまったんです」


 沈痛な面持ちで、アリシア王女は本音を語ってくれた。

 彼女はきっと根っからの善人で、自分が救える人全員を救いたいのだろう。だが、彼女が属する組織──教会は彼女にそれは許されなかった。教会は彼女を用いてとことん金儲けをする事しか考えていなかったのである。

 アリシア王女によれば、俺が以前目にした欠損した兵士の腕を治した事さえも〝 聖王女〟の威厳と奇跡の偉大さを見せつける為の教会のパフォーマンスだったと言う。そんな状況に置かれ続けた事で、アリシア王女は自分のやりたい事とやっている事の乖離が激しく、耐えられなくなったのだ。


「誰にも相談しなかったのか?」

「はい……相談できる人が周りにいませんでした。本音を話したのもこれが初めてです」


 彼女は膝を抱えて、その膝に顔を埋めた。

 相談できる人もいないし、抱え込んでしまっているうちに辛くなってしまい、逃げ出したくなった──きっと、こういう事なのだろう。


「こんなの、逃げてるだけですよね……〝聖王女〟だなんて呼ばれているのに、情けなくて自分が恥ずかしくなります」


 膝を抱えたままの体勢で、彼女は言った。

 きっと、この少女はこうして自分の中だけで抱えて、一人でずっと悩んできたのだ。自分の心が悲鳴を上げているという事にも気付かないまま。

 教会でも利用され、そして親にも利用されようとしていた。きっと、賢い彼女はそれに無意識に気付いてしまい、耐えられなくなって逃げ出したのだろう。


「いいじゃないか。人間らしくて」


 暫く考えると、俺はそう言ってやった。

 俺の言葉が予想外だったのか、彼女は「え?」と驚いて顔を上げている。


「俺はあんたが〝聖王女〟だなんて呼ばれてるから、もっと人間が出来ていて、それこそ神だか女神だかに近しい存在みたいに思っていた。でも、俺達と何も変わらないんだなってわかって……ちょっと安心したかな」


 俺が肩を竦めてそう言うと、彼女は俺の名を呟いて瞳を潤ませ、慌てて服の袖で目のあたりを拭っていた。


「よし、それじゃあ行こうか」


 俺は立ち上がって柔軟運動をして、体の動きを確認した。

 うん、もう大丈夫そうだ。完全にいつもの調子に戻っている。


「行くって、どこへですか?」


 柔軟ついでに背中の愛剣〝禍黒剣ティルフィング〟を抜いてその刀身を確認していると、アリシア王女が目をぱちくりとさせて訊いてきた。


「どこかへ連れ去って欲しいんだろ? それが命の恩人の願いなら、俺はそれに応えるだけさ。ただ──」


 刀身に問題ない事を確認してから剣を鞘に仕舞うと、彼女の方を見据えた。


「俺もあんたも見つかっちゃいけない身である事には変わりない。この国から出て行かなきゃいけないし、そしたらもう二度と王都には戻って来れないかもしれない。それでもいいか?」


 彼女の覚悟を問う意味でも訊いた。

 実際に、俺はもうこの国にはいられない。万が一にも正体がバレてしまったならば、また宰相一味から刺客が送り込まれるかもしれないからだ。

 その俺と行動を共にするなら、当然この国から出ていく事には納得してもらわなければならなかった。彼女にとっては亡命に等しい行為であり、人生の大きな転回を迎える事になるのは間違いない。

 だが、アリシア王女は──全く躊躇せず、まるで心からそれを待ち望んでいたかの様に顔を綻ばせ、こう答えたのだった。


「……はい。宜しくお願いしますね、シャイロ」

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